2020年11月30日

卒業8165 風中夢殿の歌 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業8165京都船旅7065
古譜6065大原練習5965天の下6365  俺165 風中夢殿の歌 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    20110417曲
    20110418詞
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
はるそうよう、みつこさん、そうよう夢殿野
さちこさん、広帝、孔子廟、夏繁き
あきこさん、白鯨、潮上げ、たよね海
枯れ一葉、小枝舞う、めのやみ、冬が来る
転生の孔子廟、一年、目のや、水戸

20201129
【解説】
広帝:広庭のこと
やみ:蔵のこと
みつこさん:孔子のこと
さちこさん:孔子のこと
あきこさん:孔子のこと
 日本女名、常の名である。『そこのみつこさん』と
 いう歌わなの言いである、古いをいう、歌れ、という、
 歌わな、ともいう、のち、歌の名である題である。
 目の屋沖という、そこの水戸である。水辺(みなべ)の
戸野という場所である、穂浦連騰の岬野である。
【孔子廟】
20201129.
 孔子廟の歌。
 みつこさん、光子さん、
 さちこさん、幸子さん、
 あきこさん、明子さん、全部、こうしと読む。
明子の『明』を『こう』と読む、こうこうの孔明という、
孝明のたかゆき、という。たかみさの歌という。
【白鯨】
 潮上げた白鯨の意という。孔子を白磁という、くじら
しゃくこう、しゃくこうの光徳という。これを、こうみく、
という、孔子廟の中の白鯨殿という、これを夢殿という。
孔子の転生という、一年の巡りという。この巡りを、
めのよという、めのやみという。後、目の病に効く孔子
廟参りという、詣づる日の目開き(めあき)行きという。
目が開く白冬の至りという。ひととせの、めのふき、と
いう。草の生い立つ春の到来である。芽がふく春という。
 これを、目が張るという、芽とも。芽の春という、
張芽張春の賀正という、賀秋のかいあき、という。
廻る島巡る鯨を、くじらみ、という。カタツモリを、
みとせくじ、という。三年してまた来るカタツムリの
来訪のことともいう。これを、めのみゆ、という。
これが、孔子廟堂の目の開けという、後、開眼の大仏と
いう。仏教の中の孔子という、この孔子を、借雪という。

 新井山のお言いという、新井岬という、あたらし宮の
御堂という。この堂を威風という、威のような堂という。
寺の門の威風堂々という。寺をいう、てらすみ、という。
【といかり】
 東本願寺の代表という。本願代表の、といかり、とい
う。船の錨を、といかり、という。舟辺(ふなべ)の言い
という。『錨を上げて、くじつ見ゆ』という、海王の
かたしみ、という鯨のことという。かたい身の真面目と
いう。鯨を祭る廟堂という、この日の孔子廟という、
さちこ廟堂という、幸子やみあけ、という。幸子の山と
いう、さちこさんという。こうしの波浜という、この波
が、黄泉の打ち波という、穂浦の我が家近辺の浦である、
黄泉の浦、黄泉の浜という、黄泉の原という、黄色い色
の泉がある、穂浦である。若い人家の我が家である。
 後、船泊の世という。世が場所である意とぞ。
【孝明天皇】
 孝明天という、功名の辻という、御所内にある辻で
ある。功名ヶ辻という、その上が孝明天である。孝明天
皇お書きという。鯨の子供を飼う人である。
 こうめいさんという、こうみょうさんの言いという。
諸葛孔明の中国という。こうこうという、たかいくろく
すめ、という。これが、孝明天皇の意味である。功名ヶ
辻の我が家である。
【白鯨殿】
 ここの鯨、白鯨である。白鯨殿という、元、穂浦の
孔子廟堂の白鯨間という、白鯨館という、白い飾りの
孔子廟堂である。この装いを急襲という、いそぎがさね
という。ひととせを、三ねんという。しゅんかしゅう
じゅうという、ひととせを始終という、刺繍飾りの
大織冠という、大紫冠の紫相という。この紫を真っ青と
いう。正尾の言いという。まさおねやり、という。

 クジラをまさおねという。ますゆすという。鯨の丈夫
(ますらお)、という。ますめのおいき、という。鯨の潮
のことである。この塩を白煙という白縁という。白蓮の
語源とぞず。白蓮みはり、という。針をする、みはりの
治療という、針治療の歌という。やまいしぐれという。
病を直す針という。孔子廟堂のめのはり、という。
芽を見張る白さである。白鯨の館という。ピュラフラと
いう。フラッテスのやかみか、という。やむてるやかみ、
という。
【兵庫丹波、郡上八幡】
 郡上の八幡という、白遣り言いという。郡上八幡宮
という、八上の城という。隣が日置城である、その前を、
飛行場という、日置飛行場の言いとぞう。フラッペとい
う、ボート競技に用いる言葉という。みそかわの言いで
ある。
【竹田城】
 飛行機のさんじょうという、天下の三つ城である。
これを三成という、竹野郡の言葉という。石田三成と
いう。山ゆらる竹野城という、竹田槍ふき、という。
つわぶきの言いという。竹田城を竹野滝という、竹田の
城という竹田城の雲波という、白雲城という、白雲の
大志という、郡埼山お書きという。竹田宮ともいう。
【京都、竹田部落】
 『守もいやがる、盆から先にゃ』という、竹田部落と
いう、功名ヶ辻の出である。盆唐埼という、お茶の盆を
出す行為の元である。部落郡という、遠郷(とおさと)の
おきゆりという。部落出身の若い人である。園部の部落
ともいう。京都府船井郡である。園部町の部落民である。

 明智という部落である。御所が作る部落である。竹田
宮部楼という。大きな範囲の竹田部落である。大亀谷へ
行く人である。大亀谷の部落民という、そこの竹藪、植
えた人という。明智光秀という、孝明という、『明』を
『しゅう』という読みの明智村である、古い園世原とい
う、今の園部の渓谷を平地にした人である。
【京城、室町】
 古く、足利という、足利大天皇の御行為である。これを、
踏襲いう、唐襲、からがさねという。明智の治国平天下
という。山崎大天王埼という、三日天下の三日の工事で
ある。足利闇幕という、後、幕府という、足利幕府と
いう室堂の室筋かわり、という。筋を条に書く、室条川
という、上を室堂という、ここの港の出とぞ。船出の
室町という、室町幕船という、源頼経という、京城(けい
じょう)の京都という。京都室町を京城という、室町港の
若い人である。『御父御上』という、足利の御お爺さんの
お教えという。足利尊氏御名である。

 『おお』と仰る、笹屋港の京都小唄という、『はる
そうよう、みつこさん』という、さちこさんのお歌であ
る。お菊さんのおいなる話という、高槻の幽霊城、お菊
さんの皿数えである。城から町を見る数えという。

 遠く郡上八幡の高山合掌造りという、そこの数えとい
う、ひとさら、ふたさらと数える、合唱の家の数えで
ある。ひとさら合掌という、一皿のいちゆ、という。
皿のことを『ゆ』という、
【和歌山勝浦近く大地】
 一枚返して二枚よりという。三枚島津のとよぜり、
という。魚屋の数えという。いつぜ、むつゆり、なのゆ、
はっとせ、ここゆっき、とい、という数えである。この
魚、クジラのことである。和歌山勝浦先の大地の数え
とぞそ。古く友ヶ島の鯨の数えでもある。
『ひととせ、ふたみ、みよす、よるれ、いっこ、むっく、
ひっそ(しっそ、とも)、はちすか(はちす、はっか、とも)
きゅうす、とゆ』という、一年二見という、双身(ふた
み)けっせけ、という数えという。砲台のある以前の友ヶ
島である、そこの数えである。とゆばっくという数えの
ことという。
【和歌山友ヶ島】
 高槻の幽霊がいるという、友ヶ島の小校である。友ヶ
島、噴火していた頃である。火山の鬼押し出しという、
そんな頃の友ヶ島である。アンナーブル・ロンドンとい
う、あんなそって、という。大阪曽根崎港の、みらう
らる、という。未来という言葉の出の島である。エイと
いう島である、『はい』を『ええ』という。英告という
返事である。受けに『ろん』という、これを英論という、
英論島という友ヶ島の前の名前である。小校という若い
人家である。校屋敷という、荒野生の野蛮人である。
名を『郡目行登志(ぐんめいきとし)』という。

 郡上八幡へ行く人である。ここの友ヶ目という、友亀
という、孔子廟堂を友亀社という、友亀講の興しをする
人である。友亀山のお書きという。後、飛騨の郷へ行く
高山郷の町目という、小京都という、大御爺さんおら
れる高山城という、飛騨亀ゆらりの守という、幕府
以前の若い人の職責である。
【八上日置城】
 古い丹波古篠山という、そこの八上日置城という、
そこの出身である。部落城という、全国三千部落を作る
人である。この人を部落楽人(ぶらくがくうど)という、
うどの商人である。これを、しゅうじょうの人という、
秋上の日々お書きという。日置空港からジェット機へ
乗って行った人である。古い友ヶ島である、アンナー
ブル・ロンドン・パックという。水筒の記という。
お茶筒のようなジェット機である。篠山空軍という、
日置連隊の所属である。今の園生の大砲を積む機である。
【明智大工事、三日天下】
 後、山に十字砲火をする人である。『うちの四番手』
と仰った大御爺さんとぞず。打った人である。高い山で
ある。明智勢の若い人である。後は、川切りの大工事で
ある。浦を切る話という。篠から園部まで、切りに切る
人である、明智の浦見という、浦霧である。ここを、亀
の背という、明智ヶ原という。霧の出る場所である。
近代兵器を駆使した明智の浦切りである。亀岡篠から
園部の、三日天下の三日の大工事である。京都愛宕へ
行った明智光秀という、浦見をすることである。浦を
見たことという。川切り、浦切り、霧の明智という。
全国津々浦々にある明智名という、明智村という。
【南米の明智】
遠い、おうという地名の明智という、キリトックという
ペソベソの町という。遙かなるパッソーという、ラテン・
アメリカの話である、明智村が所々にある。明智の戦乱
という、古い、平頭のお書きという。平藤ともいう、
明智藤陸という、ラッタス・テーレーのいいという。
古いアメリカのや、という。やみそばの明智藤陸で
ある。明智小五郎という若い人のおいるさきるり、
という。若い人のうちという。たいまつでぶっ放した
ペーレル・ボワックの町である。ペレ勢世たり。
【マチュ】
 打ちに打つ山を、なし崩しという。平地のペレ
という。ペッセレーのペル様という。今のペルである。
アルゼワッカスのお行きという。南米の豊葦である。
植えた人である。ミーブルバンゼーという、後、
トランプの読みという、ミゼラブルと家なき子と
いう。これが、南米の明智の名の地の話である。
ミョウラン・かっくせっく、という。みょうたる言い
という。南米の現地語である。明智冠語が一部ある
ことという。日本様建物もある。ボリルゥレッパスと
いう、明智花の物語である。花が藤である。
藤を明智菊という、古い日本という、御所の明智語
という、明智冠花のことという。この冠が、こうゆれ、
という冠である、愛宕の浦見の時の冠である。
明智関白(かっぱく)という、明智の山の家という、
高い山である。メキシカン・ハットの山という、
マチュという、マチュピチュのや、という。
つばを広げた山という。山の頂上につばを付け、
飛行機の発着とぞそ。下からも上る道があるマチュで
ある。マチュが、古い言いのペルーである。
マチュ国という、この日のお生きととぞず。
マチュというごうわなの言いである。
【桔梗】
 明智紋という桔梗の置きという。若い人の
まとゆと、という。ボーリーブ・ラングという。
桔梗の花のことをマチュという。これが、
マチュの町の名である、そのなの言われとぞそ。
明智花という、古い日の藤ともいう。明智花、
桔梗という。乱差しのひと切り活け、という華道
の言いという。一輪差しである、マチュの町の
門に飾る、花一輪である。明智飾りという、
これを、ボリソンという、ボリーブ・ランクスと
いう、この言いが、トランプである。マチュを
トランプという、ボリーブのグリーンランドである。
ボケビアをいう、ぼりるりの国とぞ。桔梗の花の国
という。円筒のお行きという。筒型の乗り物である。
世界を興す話という。明智の御代のお書きという。
足利焼きという焼き物がある、ボリビアの町である。
穂浦青磁という、岸崎青吾の名前という、若い人の
名である。桔梗の咲く丘という、アルゼンチンの真
青岩という、まおばれという、まさゆその明智という。
明智名の磯という、その岸の名である。ゼンという、
アルゼンのちんたお、という。青島という書きの
青い国というアルゼンチンである、この国名の
言われという、アールテッタスのスパニ冠語という。
【南米のトランプ】
アルゼンチンにブエという、ブエなすあいれく、
という。青い茄子の作りという。日本の作りのなす
という。日本の茄子という。ここに日本風建物が
ある。グリーンの葉のなす、という。茄子のお置き
とぞす。ボリビア・アルゼンの両国を、あおりらく、
という。日本の落という、青い里の落行きという。
アルゼンチンなすの歌という、羅君の晴れという。
のそ下の若い人である。羅訓の読みという。
モトメルという、トランプをいう。トランプのことを
モトメルという。モトメル・レッツという。円筒機
の名である。グリーンランドともいう、ボリビア・
アルゼンである。桔梗の花の里という。桔梗を『べ』
という、青辺花という。アエード・ノルトという。
ブエナス・アイレスの一角である。アルゼンチンを、
そうきょう物国という、アール・アイレンの言いと
いう。元、グリ語てある。また行くアアルゼンチ
ンである。羅君こうるれ、という。キッスの国という、
唇の青い色という、明智の青という、青唇の由来とぞ。
足利ゆっかく(遊郭)の話という。古い丹波日置の紋で
ある、明地門という、桔梗の紋とぞす。
【園部】
 国鉄山陰線という、後に作る話である。今の園部駅、
そのちょっと隣が山であった話という。園生権現という
山のことである。大きな高い山である。ここを園部広範
という、後、園部城築城である。山の上にも小さな城が
話である。

 そこの洋城という、西洋風の城であ。今の園部から真
北辺りである。小さな城から見た洋城である。
ここへ行くプロレラルという、丸い球体に
上に羽がついている機である。飛行機を駆使する丹波郷
である。丹波の国という日本のことである。和国園の
お書きという。
【園世原遊郭】
 園世原という、そこの歌である、『はるそうよう、
みつこさん』という本歌である。園世原の遊郭の歌である。
合いに蛇皮弓という、蛇皮線の大きなものという、これと、
さんせまという楽の笙という、後、篳篥を入れる、後の
区分けに洋相という、洋楽様の歌という、園世原のそうよう
という。穂浦の園の歌でもある。園世原(そのよはら)の
春そうようという。春嵐急ぐ襲という。いそぎがさ、
という。日置八上城の城のことである。日置空軍宅と
いう、ジェット機のお行きという。ジェット機が飛び交う
城である。おおいすというジェット機である、
【吉野、五稜郭】
 東大から仙台廻り急降下南朝の吉野という吉野桜の
そめという。白い桜である。吉野におわす御叔父御上
という、南朝の五大閣という、後、五稜郭という、今の
函館の五稜郭である。この五稜郭の小樽の五稜郭という。
榎本武利という、たけあげの名という。ここの小樽戦落
である。イヨロットの南露空軍という。お茶筒立てた
機という、この機のことという。羽もないジェット機で
ある。足利空軍という。古い小樽の五稜郭である。
星型である。そこの造りである。榎本武利という、
フリンタックという、五稜郭のことである。アンナー
レル論閣ともいう。山があった所である。大山羊連れ
てのお行きである。若い人の空軍閣下である。山羊か
指令である。山羊のそう自由という、山羊の脳の操縦法
という、山羊の脳である。ふるすという山羊の声である。
この声で、急直下回転曲げという操縦である。山羊の
角のような回転という、レロンタスという、方向転換
である。五稜郭操法という、今のじせやり、という。
操法のことという。園世原の歌を歌う発進である。
『あけ春来(はるき)、そうようの世原みむやり』
という、歌の発進という。シンセサイザーで合いを
とる、真発歌唱という。歌唱発進という、京都和辻の
操法である。アンナーブル発進という。発進して直後、
ヨンのスピードである。

 歌唱の合いに、和楽器を使うこととも。
 もっと古い楽器を用いる若い人である、シンセサイ
ザーという、古い楽器である。
空軍の発進である、本歌である。
みつこさん、さちこさん、あきこさん、落下傘の造り
でもある。山羊と一緒に、『天から降りて来たんや』
という人である、若い人である。この項、後続。

【空間の見分け】
 山羊を孔子獣という、角の知恵という。見分けのこと
である。山羊の見分け、空間を見る脳である。山羊の
文、これなるを。やぎ座が天にある由縁である。

そうきょうよい時です。N29. 
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)N18 
 ***
『天照大神、そうきょう、よいよい』
腹を横に書く。
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
posted by 秋残り at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽