2020年11月30日

卒業8165 風中夢殿の歌 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 卒業8165京都船旅7065
古譜6065大原練習5965天の下6365  俺165 風中夢殿の歌 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    20110417曲
    20110418詞
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
はるそうよう、みつこさん、そうよう夢殿野
さちこさん、広帝、孔子廟、夏繁き
あきこさん、白鯨、潮上げ、たよね海
枯れ一葉、小枝舞う、めのやみ、冬が来る
転生の孔子廟、一年、目のや、水戸

20201129
【解説】
広帝:広庭のこと
やみ:蔵のこと
みつこさん:孔子のこと
さちこさん:孔子のこと
あきこさん:孔子のこと
 日本女名、常の名である。『そこのみつこさん』と
 いう歌わなの言いである、古いをいう、歌れ、という、
 歌わな、ともいう、のち、歌の名である題である。
 目の屋沖という、そこの水戸である。水辺(みなべ)の
戸野という場所である、穂浦連騰の岬野である。
【孔子廟】
20201129.
 孔子廟の歌。
 みつこさん、光子さん、
 さちこさん、幸子さん、
 あきこさん、明子さん、全部、こうしと読む。
明子の『明』を『こう』と読む、こうこうの孔明という、
孝明のたかゆき、という。たかみさの歌という。
【白鯨】
 潮上げた白鯨の意という。孔子を白磁という、くじら
しゃくこう、しゃくこうの光徳という。これを、こうみく、
という、孔子廟の中の白鯨殿という、これを夢殿という。
孔子の転生という、一年の巡りという。この巡りを、
めのよという、めのやみという。後、目の病に効く孔子
廟参りという、詣づる日の目開き(めあき)行きという。
目が開く白冬の至りという。ひととせの、めのふき、と
いう。草の生い立つ春の到来である。芽がふく春という。
 これを、目が張るという、芽とも。芽の春という、
張芽張春の賀正という、賀秋のかいあき、という。
廻る島巡る鯨を、くじらみ、という。カタツモリを、
みとせくじ、という。三年してまた来るカタツムリの
来訪のことともいう。これを、めのみゆ、という。
これが、孔子廟堂の目の開けという、後、開眼の大仏と
いう。仏教の中の孔子という、この孔子を、借雪という。

 新井山のお言いという、新井岬という、あたらし宮の
御堂という。この堂を威風という、威のような堂という。
寺の門の威風堂々という。寺をいう、てらすみ、という。
【といかり】
 東本願寺の代表という。本願代表の、といかり、とい
う。船の錨を、といかり、という。舟辺(ふなべ)の言い
という。『錨を上げて、くじつ見ゆ』という、海王の
かたしみ、という鯨のことという。かたい身の真面目と
いう。鯨を祭る廟堂という、この日の孔子廟という、
さちこ廟堂という、幸子やみあけ、という。幸子の山と
いう、さちこさんという。こうしの波浜という、この波
が、黄泉の打ち波という、穂浦の我が家近辺の浦である、
黄泉の浦、黄泉の浜という、黄泉の原という、黄色い色
の泉がある、穂浦である。若い人家の我が家である。
 後、船泊の世という。世が場所である意とぞ。
【孝明天皇】
 孝明天という、功名の辻という、御所内にある辻で
ある。功名ヶ辻という、その上が孝明天である。孝明天
皇お書きという。鯨の子供を飼う人である。
 こうめいさんという、こうみょうさんの言いという。
諸葛孔明の中国という。こうこうという、たかいくろく
すめ、という。これが、孝明天皇の意味である。功名ヶ
辻の我が家である。
【白鯨殿】
 ここの鯨、白鯨である。白鯨殿という、元、穂浦の
孔子廟堂の白鯨間という、白鯨館という、白い飾りの
孔子廟堂である。この装いを急襲という、いそぎがさね
という。ひととせを、三ねんという。しゅんかしゅう
じゅうという、ひととせを始終という、刺繍飾りの
大織冠という、大紫冠の紫相という。この紫を真っ青と
いう。正尾の言いという。まさおねやり、という。

 クジラをまさおねという。ますゆすという。鯨の丈夫
(ますらお)、という。ますめのおいき、という。鯨の潮
のことである。この塩を白煙という白縁という。白蓮の
語源とぞず。白蓮みはり、という。針をする、みはりの
治療という、針治療の歌という。やまいしぐれという。
病を直す針という。孔子廟堂のめのはり、という。
芽を見張る白さである。白鯨の館という。ピュラフラと
いう。フラッテスのやかみか、という。やむてるやかみ、
という。
【兵庫丹波、郡上八幡】
 郡上の八幡という、白遣り言いという。郡上八幡宮
という、八上の城という。隣が日置城である、その前を、
飛行場という、日置飛行場の言いとぞう。フラッペとい
う、ボート競技に用いる言葉という。みそかわの言いで
ある。
【竹田城】
 飛行機のさんじょうという、天下の三つ城である。
これを三成という、竹野郡の言葉という。石田三成と
いう。山ゆらる竹野城という、竹田槍ふき、という。
つわぶきの言いという。竹田城を竹野滝という、竹田の
城という竹田城の雲波という、白雲城という、白雲の
大志という、郡埼山お書きという。竹田宮ともいう。
【京都、竹田部落】
 『守もいやがる、盆から先にゃ』という、竹田部落と
いう、功名ヶ辻の出である。盆唐埼という、お茶の盆を
出す行為の元である。部落郡という、遠郷(とおさと)の
おきゆりという。部落出身の若い人である。園部の部落
ともいう。京都府船井郡である。園部町の部落民である。

 明智という部落である。御所が作る部落である。竹田
宮部楼という。大きな範囲の竹田部落である。大亀谷へ
行く人である。大亀谷の部落民という、そこの竹藪、植
えた人という。明智光秀という、孝明という、『明』を
『しゅう』という読みの明智村である、古い園世原とい
う、今の園部の渓谷を平地にした人である。
【京城、室町】
 古く、足利という、足利大天皇の御行為である。これを、
踏襲いう、唐襲、からがさねという。明智の治国平天下
という。山崎大天王埼という、三日天下の三日の工事で
ある。足利闇幕という、後、幕府という、足利幕府と
いう室堂の室筋かわり、という。筋を条に書く、室条川
という、上を室堂という、ここの港の出とぞ。船出の
室町という、室町幕船という、源頼経という、京城(けい
じょう)の京都という。京都室町を京城という、室町港の
若い人である。『御父御上』という、足利の御お爺さんの
お教えという。足利尊氏御名である。

 『おお』と仰る、笹屋港の京都小唄という、『はる
そうよう、みつこさん』という、さちこさんのお歌であ
る。お菊さんのおいなる話という、高槻の幽霊城、お菊
さんの皿数えである。城から町を見る数えという。

 遠く郡上八幡の高山合掌造りという、そこの数えとい
う、ひとさら、ふたさらと数える、合唱の家の数えで
ある。ひとさら合掌という、一皿のいちゆ、という。
皿のことを『ゆ』という、
【和歌山勝浦近く大地】
 一枚返して二枚よりという。三枚島津のとよぜり、
という。魚屋の数えという。いつぜ、むつゆり、なのゆ、
はっとせ、ここゆっき、とい、という数えである。この
魚、クジラのことである。和歌山勝浦先の大地の数え
とぞそ。古く友ヶ島の鯨の数えでもある。
『ひととせ、ふたみ、みよす、よるれ、いっこ、むっく、
ひっそ(しっそ、とも)、はちすか(はちす、はっか、とも)
きゅうす、とゆ』という、一年二見という、双身(ふた
み)けっせけ、という数えという。砲台のある以前の友ヶ
島である、そこの数えである。とゆばっくという数えの
ことという。
【和歌山友ヶ島】
 高槻の幽霊がいるという、友ヶ島の小校である。友ヶ
島、噴火していた頃である。火山の鬼押し出しという、
そんな頃の友ヶ島である。アンナーブル・ロンドンとい
う、あんなそって、という。大阪曽根崎港の、みらう
らる、という。未来という言葉の出の島である。エイと
いう島である、『はい』を『ええ』という。英告という
返事である。受けに『ろん』という、これを英論という、
英論島という友ヶ島の前の名前である。小校という若い
人家である。校屋敷という、荒野生の野蛮人である。
名を『郡目行登志(ぐんめいきとし)』という。

 郡上八幡へ行く人である。ここの友ヶ目という、友亀
という、孔子廟堂を友亀社という、友亀講の興しをする
人である。友亀山のお書きという。後、飛騨の郷へ行く
高山郷の町目という、小京都という、大御爺さんおら
れる高山城という、飛騨亀ゆらりの守という、幕府
以前の若い人の職責である。
【八上日置城】
 古い丹波古篠山という、そこの八上日置城という、
そこの出身である。部落城という、全国三千部落を作る
人である。この人を部落楽人(ぶらくがくうど)という、
うどの商人である。これを、しゅうじょうの人という、
秋上の日々お書きという。日置空港からジェット機へ
乗って行った人である。古い友ヶ島である、アンナー
ブル・ロンドン・パックという。水筒の記という。
お茶筒のようなジェット機である。篠山空軍という、
日置連隊の所属である。今の園生の大砲を積む機である。
【明智大工事、三日天下】
 後、山に十字砲火をする人である。『うちの四番手』
と仰った大御爺さんとぞず。打った人である。高い山で
ある。明智勢の若い人である。後は、川切りの大工事で
ある。浦を切る話という。篠から園部まで、切りに切る
人である、明智の浦見という、浦霧である。ここを、亀
の背という、明智ヶ原という。霧の出る場所である。
近代兵器を駆使した明智の浦切りである。亀岡篠から
園部の、三日天下の三日の大工事である。京都愛宕へ
行った明智光秀という、浦見をすることである。浦を
見たことという。川切り、浦切り、霧の明智という。
全国津々浦々にある明智名という、明智村という。
【南米の明智】
遠い、おうという地名の明智という、キリトックという
ペソベソの町という。遙かなるパッソーという、ラテン・
アメリカの話である、明智村が所々にある。明智の戦乱
という、古い、平頭のお書きという。平藤ともいう、
明智藤陸という、ラッタス・テーレーのいいという。
古いアメリカのや、という。やみそばの明智藤陸で
ある。明智小五郎という若い人のおいるさきるり、
という。若い人のうちという。たいまつでぶっ放した
ペーレル・ボワックの町である。ペレ勢世たり。
【マチュ】
 打ちに打つ山を、なし崩しという。平地のペレ
という。ペッセレーのペル様という。今のペルである。
アルゼワッカスのお行きという。南米の豊葦である。
植えた人である。ミーブルバンゼーという、後、
トランプの読みという、ミゼラブルと家なき子と
いう。これが、南米の明智の名の地の話である。
ミョウラン・かっくせっく、という。みょうたる言い
という。南米の現地語である。明智冠語が一部ある
ことという。日本様建物もある。ボリルゥレッパスと
いう、明智花の物語である。花が藤である。
藤を明智菊という、古い日本という、御所の明智語
という、明智冠花のことという。この冠が、こうゆれ、
という冠である、愛宕の浦見の時の冠である。
明智関白(かっぱく)という、明智の山の家という、
高い山である。メキシカン・ハットの山という、
マチュという、マチュピチュのや、という。
つばを広げた山という。山の頂上につばを付け、
飛行機の発着とぞそ。下からも上る道があるマチュで
ある。マチュが、古い言いのペルーである。
マチュ国という、この日のお生きととぞず。
マチュというごうわなの言いである。
【桔梗】
 明智紋という桔梗の置きという。若い人の
まとゆと、という。ボーリーブ・ラングという。
桔梗の花のことをマチュという。これが、
マチュの町の名である、そのなの言われとぞそ。
明智花という、古い日の藤ともいう。明智花、
桔梗という。乱差しのひと切り活け、という華道
の言いという。一輪差しである、マチュの町の
門に飾る、花一輪である。明智飾りという、
これを、ボリソンという、ボリーブ・ランクスと
いう、この言いが、トランプである。マチュを
トランプという、ボリーブのグリーンランドである。
ボケビアをいう、ぼりるりの国とぞ。桔梗の花の国
という。円筒のお行きという。筒型の乗り物である。
世界を興す話という。明智の御代のお書きという。
足利焼きという焼き物がある、ボリビアの町である。
穂浦青磁という、岸崎青吾の名前という、若い人の
名である。桔梗の咲く丘という、アルゼンチンの真
青岩という、まおばれという、まさゆその明智という。
明智名の磯という、その岸の名である。ゼンという、
アルゼンのちんたお、という。青島という書きの
青い国というアルゼンチンである、この国名の
言われという、アールテッタスのスパニ冠語という。
【南米のトランプ】
アルゼンチンにブエという、ブエなすあいれく、
という。青い茄子の作りという。日本の作りのなす
という。日本の茄子という。ここに日本風建物が
ある。グリーンの葉のなす、という。茄子のお置き
とぞす。ボリビア・アルゼンの両国を、あおりらく、
という。日本の落という、青い里の落行きという。
アルゼンチンなすの歌という、羅君の晴れという。
のそ下の若い人である。羅訓の読みという。
モトメルという、トランプをいう。トランプのことを
モトメルという。モトメル・レッツという。円筒機
の名である。グリーンランドともいう、ボリビア・
アルゼンである。桔梗の花の里という。桔梗を『べ』
という、青辺花という。アエード・ノルトという。
ブエナス・アイレスの一角である。アルゼンチンを、
そうきょう物国という、アール・アイレンの言いと
いう。元、グリ語てある。また行くアアルゼンチ
ンである。羅君こうるれ、という。キッスの国という、
唇の青い色という、明智の青という、青唇の由来とぞ。
足利ゆっかく(遊郭)の話という。古い丹波日置の紋で
ある、明地門という、桔梗の紋とぞす。
【園部】
 国鉄山陰線という、後に作る話である。今の園部駅、
そのちょっと隣が山であった話という。園生権現という
山のことである。大きな高い山である。ここを園部広範
という、後、園部城築城である。山の上にも小さな城が
話である。

 そこの洋城という、西洋風の城であ。今の園部から真
北辺りである。小さな城から見た洋城である。
ここへ行くプロレラルという、丸い球体に
上に羽がついている機である。飛行機を駆使する丹波郷
である。丹波の国という日本のことである。和国園の
お書きという。
【園世原遊郭】
 園世原という、そこの歌である、『はるそうよう、
みつこさん』という本歌である。園世原の遊郭の歌である。
合いに蛇皮弓という、蛇皮線の大きなものという、これと、
さんせまという楽の笙という、後、篳篥を入れる、後の
区分けに洋相という、洋楽様の歌という、園世原のそうよう
という。穂浦の園の歌でもある。園世原(そのよはら)の
春そうようという。春嵐急ぐ襲という。いそぎがさ、
という。日置八上城の城のことである。日置空軍宅と
いう、ジェット機のお行きという。ジェット機が飛び交う
城である。おおいすというジェット機である、
【吉野、五稜郭】
 東大から仙台廻り急降下南朝の吉野という吉野桜の
そめという。白い桜である。吉野におわす御叔父御上
という、南朝の五大閣という、後、五稜郭という、今の
函館の五稜郭である。この五稜郭の小樽の五稜郭という。
榎本武利という、たけあげの名という。ここの小樽戦落
である。イヨロットの南露空軍という。お茶筒立てた
機という、この機のことという。羽もないジェット機で
ある。足利空軍という。古い小樽の五稜郭である。
星型である。そこの造りである。榎本武利という、
フリンタックという、五稜郭のことである。アンナー
レル論閣ともいう。山があった所である。大山羊連れ
てのお行きである。若い人の空軍閣下である。山羊か
指令である。山羊のそう自由という、山羊の脳の操縦法
という、山羊の脳である。ふるすという山羊の声である。
この声で、急直下回転曲げという操縦である。山羊の
角のような回転という、レロンタスという、方向転換
である。五稜郭操法という、今のじせやり、という。
操法のことという。園世原の歌を歌う発進である。
『あけ春来(はるき)、そうようの世原みむやり』
という、歌の発進という。シンセサイザーで合いを
とる、真発歌唱という。歌唱発進という、京都和辻の
操法である。アンナーブル発進という。発進して直後、
ヨンのスピードである。

 歌唱の合いに、和楽器を使うこととも。
 もっと古い楽器を用いる若い人である、シンセサイ
ザーという、古い楽器である。
空軍の発進である、本歌である。
みつこさん、さちこさん、あきこさん、落下傘の造り
でもある。山羊と一緒に、『天から降りて来たんや』
という人である、若い人である。この項、後続。

【空間の見分け】
 山羊を孔子獣という、角の知恵という。見分けのこと
である。山羊の見分け、空間を見る脳である。山羊の
文、これなるを。やぎ座が天にある由縁である。

そうきょうよい時です。N29. 
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)N18 
 ***
『天照大神、そうきょう、よいよい』
腹を横に書く。
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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2020年11月29日

卒業9200-2-2 俺200 福島 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽


【曲名】 卒業9200京都船旅8100
古譜7100大原練習7000天の下7400  俺200 福島 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 
    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/11/28
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/11/28
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/11/28
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 


【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。

20201128
【すおん】
 てっくすらあくうの夢という、さおれるすおん、とぞず。
この『すおん』が、和国の時の『イオン』である。英様
冠話ですおんという。すっぱらの言い井という、
田中の里の巣原の言いとぞず。

 長い使いである。このサーベルの鞘という、鞘
の使いという、さてより、という。ペンラックという、
サーベルのつり、という。レオンテスのサーベル
である。
【田中里の幌】
 田中里の幌、帆船に使う帆とも。帆帆船(ほはんせん)
の帆である、古い日だ高山の桃の旗という、城の門の
旗である。飛騨の五足という、五拍子の歌とぞそ。
【アフリカ喜望峰】
 古い喜望峰の黄色い旗という、小さな家に旗を立て
た黄色い日の丸という。喜望峰の岬である。和国の
後という。後の、イオントーブの頃とぞず。古い御代の
お絵という、ここの御代のゆりという、大きなゆりの花
いう、これが手を振る花という。後、地が揺れるゆりで
ある。地が波打った揺れという、大きな波である。
キーボードの模様である。世界、波の世という頃
である。

 世界波というキーボード発信である。ワールド・
ウェーブ・ソックスという、後、電波という、ワールド
・ウェーブという、美紋という、波の広がりとぞそ。
電波のことという。電波を美紋という、ピーレル・
ロンワーというアフリカの古い言葉である。
喜望峰の冠話である。このままの残しという、
黄色い旗の家という、家の中の旗という、家中
に旗を飾る、美紋飾りという、古くの、アフリカの
家の風習である。コンゴ・ブラザビルとも。
キリマンジャロのこととも、アフリカ各地の飾り
という、アフリカの古い風習である。モロッコの
カサという町もそうである、家中の旗という。

 キーボードの墓、我が家にある日という、
キーボードのような墓石の上である。波指
板墓という、機械の墓ともいう。後、供養と
いう、筆供養の中の入れという。筆塚ともいう。
塚墓のお書きという。我が家の家の一角で
ある。波舞いのお墓という、筆というキーボ
ートという、また見る墓である、サンノゼにも
ある、キーボード・ツームという、若い人の
住まう頃の墓である。

 『サンノゼよい町』という、ラオンコンテスの
コンテキストという、コングラックのお書きという。
ハーシェルパックという、兵園のや、という。
ソルジャー・ブックという、家をブックという、
古いサンノゼの言葉とぞそ。希望の本という、
この本を、元という、オリジナルという、希望の
元の町という、サンノゼのことという。オリジナル
・ホープという通常の言葉である言いとぞ。
ハッソンという、ハーソンというサンノゼ冠話である。
はっしょいの掛け声という、サンノゼの初めの
合図である。発のお書きという。
【サンノゼの数学】
 サンノゼが希望をいう、マイクロ・ウェーブという、
マイクロの微という。微分の数学の町でもある。
フォーミュワ・ビューティーという。サンノゼの数学を
いう、技術の掛かりの山徳という。山の微分という。
山の線を微分で説くサンの山という、三つ山囲われ
の地という。サントクという。山を三という、日のサンが
四である。太陽の住まいという、サン・スメルの町という、
ドゥウェルともいう、英語である。ドゥウェリング・
サントックという、サントクの町とぞそ、サンノセという、
三の背という。スリーサックの町という、サンノゼである。
スリー・サック・タウンという、サンノゼの古い呼びである。
ニューヨークをいう、サンノゼがいう、フューチュア・
フォーという、フォー・シティーという。サンノゼのニュ
ーヨークを呼ぶ言葉である。
【回波地帯】
 後、ゲチスバーグ行である。モルトックという自動車
である。サンノゼから空由、ビッツバーグ、ソロン、テス、
ダラレル、アカル、ミヨラク、レモス、レンダル、ケネ
ディーという、ケネディーより北上する、モイタワという、
アカネラック、スコラク、スイス、ツモッスモー、アフリ
ス・ミッカム、ここから、ダブリン、クリーブロット、
パリ・シャイヨー、グリーン・ピックスほくたつ(後の、
アイスロック闇)から、ロイドル、ミヨホック、喜望峰
周り南ア、ブラッシミより、リオ、メノト、ルックル、
レオントック、今の、とうけい航路という、西経の航路で
ある、これを、みのやりふりゆり、という。この地帯とぞず、
ロール波という、波が回るという、回波地帯という。山並み
の地揺れがあった話という、後、原子爆弾を落とす話と
いう、雲落としという、アフリカ喜望峰から、北上して
落としていく、げんたく、という。玄沢落としという。
茶話の波ゆるはお、という、回波地帯の爆撃とぞず。
中庸のお書きという。
【武官城曳き】
 この玄沢が、玄宗皇帝である。玄の元のすめら地という、
行程お書きという、中国武漢の皇帝という、これの古い言
いという行程である。武漢の復活という、今の言葉の行程
という。中庸の説きである。後、漢の頃の復活という、行程
のことという。武漢の城曳きとぞそ。黄色いパンダがいた、
パンダが手を合わせて城を拝んでいたことという。
【パンダ】
 このパンダを、黄獣という、後、西戎という、パンダ
の意とも。東夷西戎北狄という、東西北が囲われたサン
ノゼという、そこの中庸という、サンノゼの中乱という、
中乱の園という、サンノゼである。ぐめそむのウォック
スという、パンダのいる所という、そのパンダ、白縞の
黒尾という。今のパンダである。サンノゼ獣ともいう。
アメリカのパックス楼という、ワンダサンという、パン
ダのことである。ワンデル・ベーレーという、サンのお
書きという。回波地帯にパンダがいることとも。イラン
回のお書きという。回革という、イランの回革獣である。
【パンダの脳】
 笹好みの食べという、鮭をいう、鮭を好む波巻き顔という。
パンダの今のパンダの顔とぞ。古い世のウェーブ論という。
地波を見るパンダである。地震をいう脳である。パンダの
脳という、この脳の働きという、地震を、ゆふ、という。
【九州由布院】
 九州の由布院の由布の意味である。地震の意味という。
由布という、由の床という、由床院という、湯布院のことで
ある。笹見槍という、九州の阿蘇山のことという。由布山
(ゆぶやま)お書きという、ゆうぶういんという延ばしを入れる
言葉の使いという、古い笹見の言葉という、『商売繁盛で
笹もって』という、もってさつ、という。パンダの模様の札と
いう、九州のお金である、湯布院発行という和国世の
ユーブーマネーである。五千円札の和国札である。

 湯布院という夕風の札である。せきふうという。この頃の
湯布院の住まいである、若い人がいう、ゆうふうである。
裕風という風という、これの型を意味するお金である。
和国通貨である。

 後、沖祖由良という、お金を由良という、和国語とぞず。
山をそっくという、川を三代(みよ)という、家をすりという、
日をとうという。月をろめという、地球をそりという、橇と
書く。煙草(えんそう)の国という。山を尊ぶタバコという。
葉巻はえそく、という、タバコの和国語である。
葉巻ゆりという草が生えている由布院という、ゆうぶう論
という。

 ここの議会という、由布院国閣という、和国世の国みく、
という、みくあげという、意味ともぞ。のち 、みくみく
という八坂語の今脇という、わきせらのお言いという。

 北海道という、由布院からの海路である。福井小浜経由
、富山港、大町ふなれき、という、降る暦の使いという、
由布院暦である。今日の日という、これわ、ゆふめき、と
いう。今日を、ゆふ、という、和国語である。由布院と
いう和名である。名をむれふくという、むれの言いとい
う。和国の北海道という、瀬戸内海をうろうみという、
うつるよという、うつみつの言いとぞそ。古い京の寺の
言いともいう。この『京』をなかそ、という。なかそ宮
という、京都の古い言いである。なかそね語の言いである。

 音山お書きという、五千円の意味という、これという。
昔の古い卑弥呼の頃の由布院という、なかその雅という、
パンダ京(パンダみやこ)という、パンダ札という、お金
の流通という。善人の持ち物という、お金のことである。

 二千円札という、パンダ札の頃に見た人という。アメ
リカダラスという、ここのマッハである、マネーという。
古いダラスの通貨である。子供のおもちゃにある話という。

 古い喜望峰の通貨ともいう。゛ダラレル数用という、
マクシマスという、マクシマの言いとぞず。薩摩桜島の
通貨でもある。ダラス通貨が通用する桜貝という。桜貝
の模様という。
【木の通貨】
 木の通貨という、桜の模様の木であるお金とぞそ、穂
浦のお金という。西居槍製である。さいこうの通貨という、
木槍という。木槍通貨という。後、壬生皿槍通具という、
後、通行手形という、これを、鬼の通貨という。鬼の世
という、しゃこの歌という、しゃらせるお書きとぞそ。
しゃこのエビという。たくさんいることという。内陸の
住まう生き物である。しゃこを象った木の通貨という、
きはかみゆり、という。和国世の言いである。
【ウオックス】
 ウオックスの持ち物である、パンダの持ち物である。
しゃこの金属製のお金もある。流通の脳という、パンダ
の脳の働きという、流通をバンゼラという、和国経済用
語である。バンゼラという銀行である。後、和国銀行と
いう、後、ユットという、バンセムムレックのお言いと
いう。
【高槻幽霊城】
 後、日本という、和国の後という、これから未来であ
る。いつの御代のことか、歌山のお書きという。和国の
世という、幽霊の城という、高槻山のおとよそよ、と
いう。おとよそよ、黒岩山おたき、という。秋篠の宮
という、そこの描きという。日本の幽霊という、国見の
語源である。和国の話である。

 どっぱり山という、日本の古い名という、和国のこと
かという、うらめしやの国、日本のことである。おも
ては、こくな話という。幽霊の復活という。大阪高槻と
いう、和国良という、和国を国良という、幽霊の城と
いう、ドラキュラという、ドラロの物語である。ワル
キューレーという。ドラキュラは洋霊という。
ワルキューレーという。かべせるやのお書きという。
【福島市】
 幽霊の鐘の鳴る岡という、ここを、たんそめ、とぞずり。
この『とぞずり』が幽霊城の言葉である。古く秋篠語と
いう、古い日本の言葉を秋篠という、言葉のことである。
福島県の古い言葉でもある、秋篠という言葉である、お
金を意味ことともいう。福島札という、札間(さつま)の
国という、福島のごとゆとという。福島の市内である。
ここの言いという。秋篠という、お金のことという。
粟を栗という、福島の粟の国という。国を栗という、
栗宮のお言葉という。古く栗篠という、栗の成る木国と
いう。栗のお書きという。栗村の宮という、福島の宮で
ある。私の好きな栗村の国、福島という。
そこのみやである。底のみや、という。

 古く穂浦のハワイという。ハワイの太郎芋という、
福島芋という。ハワイの郷土料理である。また行く福島、
玄度の旅という、げんだみという、栗膝という。
パンダのうんこの栗という、パンダの黒パンダである。
栗パンという、栗の皮の細工という、ゆうぐりという
繰り方である。
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)N28.
腹を横に書く。
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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卒業9200-1-2 俺200 福島 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽


【曲名】 卒業9200京都船旅8100
古譜7100大原練習7000天の下7400  俺200 福島 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 
    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/11/28
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/11/28
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/11/28
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 


【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【ワニ料理】
17:19 2020/11/28
 『みせらていく、押さされていく、はんこの涙』
、みたいきるりという、遠くブラジルという国の
ワニ料理である。
【ワニ冠】
 はるなばる、ゆきなきがり、という。一水の
衣冠の水筒という。異国の山という。ここの
ゆきやりという、なきふりという、これの言い
の、みたやりやりという、みたやりのお料と
いう。大山山の、山け槍という。山すよの
けっぱく、という。ブラジルのゆい針という。
ワニを、はりやら、という。日本のワニの
衣冠という、ワニ冠のときゆき、という。後、
わがせる、という。わがほのかんたき、と
いう。かんめせの衣冠という。この冠を
水冠という、すいほう、ずいかわの言いと
いう。これを、よっそめ、という、言いとぞ。
【北条】
 北条を、たけより、という、たけひがし、と
いう。たけ山のお花きという。北条政子とい
うひの、日野山という、日野こうめく、という、
言いという。これが、後、日野という地の名の
うかれ、という、生まれという、地名の誕生で
ある。ゆきながり山のお書きという。

 これが後を、北条煮という、北条煮竹東という。
栢山(かややま)煮という。長いうどんのこととで
ある。くにおとぎ、という、うどんのことである。
【国土のことを国皿という】
 これが、『国を研ぐ』という国研ぎという、国皿
の言いという、国のことを、こわれる、という。
古い、ごくいそ、という、そこの言葉であり、
とんばの言葉という。国を、ごわせる、という、
とんばせえる、という。とっくの山のお書きという。
とくせらるう、という、てみそわ、という、てそ、
という。てみそわのおいらく、という。おいせる山の
お書きという。
【国見】
 『はるばなる、ゆきながり』という、ここを、丹六
という。後、丹東という、後、国岬という。全国の
津々浦々の崎を、国見という、後、固有名詞という、
国見峠という。全国の国見の遠山という。遠山金時
という、われせるの言葉のことという。人名のような
言葉の種類という。わっための言葉という、遠山金
時である意とぞ。
【連濁】
 人名が、言葉の種類をとる時の言葉である。
これを、とみ弓という。とみせらの言いという。
とっくすれえれえ、という。ときせらの言いである。
いい富山お書きという。キーボーという、希望の
言いとぞそ。キーボーという『キホ』を伸ばした
言いという。キーボー峰のお書きという、この峰が
崎である、岬ともいう。アフリカの喜望峰であるこ
とという。後、きれすり、という、喜望峰のことである。
今山のおい書きという。追われる、きそゆそ、という。
木曽の言いの、かゆせる、という。かゆての言いと
いう。この書きのことの縁という、ふちやち、という。
縁通り、えんどおり、という。連すりのにご山という、
後、連濁という。古い、ごっぺこっぺの言いである。

 連濁音の説きという、上の文とぞそ。この、ごっぺ
こっぺの説きを時という。これが、時節、ときよままよ
、という。ときままのことという。ご飯を食べる時の
お教えという。ご飯を食べる時のやき、という。
やき時という、ご飯を食べる時を、ごぶさらよき、
という。後、ご飯を食べることを、ごぶさく、という。
ごべ、という。ごっぺの言いの説きという。ごせくせ、
という。ごぶだき遣の言葉という。ごぶだきの山と
いう。ててせるいわお、という。巌山のすめすよ、
という。これを、あきれく、という。天村のお書きと
いう。

 古い穂浦の山の世、これなるとるせき、とりしかの
いおる、という。穂浦織りの言葉の織りである。織り
よる山という。ごぶという言葉の意味という。夜と
いう意味がある、ごぶの言いという。ごぶだという、
ごぶったの言いという。これを、ぶっだ、という。
古い仏教に連濁がある、ぜんごく(全国)のことと
いう。きみゆりゆき、という、ゆった言いとぞそ。
としくしのお言いという。ぜんごく山のお書きという。
【音楽五拍子】
 『そうだ、ずうだ』という、ずべの語源という。
『そうだ、ずった』話という。はなはないの、はな遣と
いう。はなせることゆと、という、これが、御所の言い
という。ごっぱくの言いとぞそ。音楽による、五拍と
いう、五拍のいそるき、という、五拍を説く話という。
ごっぱくるっき、という。御所ゆそのるりすり、という。
るり山の言いという。るりせる山のお書きという。
るりるりのや、という。この『や』を、『うお』という。
言葉を添えて、うお屋敷という、うおや式という。
五拍の音楽の指揮という。イチ、ニイ、ニイ、サン、
シという。これで、ニで切る五拍という。

 この『ニイニイ』を伸ばす音にする、論足という、
論だつ言いという。音楽による、るきふり、という。
『イチ、ニイ、ニイ、サン、シイ、ろく浜』という。これ
が、六浜をいう。『ロク、ナナ』という七拍子という。
【マイクロソフト、コンピューター・キーホード】
 浜和ナナにとる、音楽の古い率という、るきせる
お律という。音楽鎖っ国、という、音楽鎖国の繋がり
という。よう使うたキーボードという、マイクロソフトの
波形キーボートという、フルに使ったキーボードである。
何万字打ったことやら、キーボードの墓、ゆなくに、
という。キーボードのお書き。この墓のある、我が家
という、若い人の住む家という、

 穂浦の家には皆、ある、キーボードという、日本語の
冠語で、英浜の言葉である、キーボードという言葉とぞ。
日本冠語で、きこやま、という、波をきこという、きこ山はこく
、という。はこくの山という、アフリカの喜望峰のキーボー
峰という、希望のキーという、マイクロソフトがいう、キー
である。喜びという、キーボードの『喜』の字である。
喜押という、キーのことである。マイクロソフトという
会社のいこれみ、という、マイクロソフトの日本冠語で
ある。古いキーボードという、いこれみという会社である。
【京都田中の里】
 田山槍の言いである。古い、京の田中里という今の
京都の東大路田中である。そこの言いである。古い
穂浦のほろ地という、幌を作る田中の里という、そこの
里のキーボードである。田中ゆりうち、という、三本の
指の打ちである。

 設計図の作りという、百せることめ、という。ことめの
設計という、田中世の歌という。マイクロソフトという、
れっけすのお言いという。アメリカの本社のマイトクと
いう、日本冠語のういはか、という。マイクロソフトの
めでという。ようろうのお書きという。ウィンドウズ7
からの使いである。我が世のマイという、私のマイ
という、キーボードの舞手である。三本指でいっぺんに
押す、おしやり打ちという、昔の私のうちである。

 昔、これと同じ形のキーボードがあった、穂浦の
我が家という、穂浦崎という、穂浦峰の崎という、岬の歌
という。五拍子の歌をキーボーという、これが、ゆまぞ
の言いである。ドンキーボークという。

 ぼうさんという、棒のような打ちという。三キーという。
三ついっぺんに打つ打ちという。モトローラという名前の
ワープロという、アメリカの機械という。
【ワニ皮のキーボード】
 ワニ皮で造られたキーボードという、ワニの皮の目と
いう。皮の細工という、田中の里のことという。この里を
わにやり、という。倭国のすこく、という、倭国雛鳳という。
ワニを雛という、田中里の言いという。ひな祭りのワニ
の皮、祭る里の祭りという、田中ゆんはる、という。
今の大原のそるり、という。大原添いの大原記念の場
という、京大のある大原という、大原記念の地という。
大原記念の古い世の祭りである。この地を大原という時の
祭りという。ワニがいる鴨背波川という、並河とも書く、
場所の祭りである。頭にワニの作物をつける、ワニよらく、
という。五拍子の曲の律を奏でる祭りの音頭という。
【アメリカ・サンノゼ】
 古いアメリカのサンノゼの律という、日暮しひぐる山
のかこわれの所という、四つ角になっている所がある、
そこに住んだ人というサンノゼの囲われの地という、
綺麗な町である。飛行機様の車である。時速四千キロ
である。名をレッテムという自動車とぞす。

 また行くアメリカ、歌の五拍子の町、サンノゼの
律という。キリックという律とぞそ。御叔母おいらる
遠いニューヨーク、ここへ住んだ人でもある。五番
町夕浜町という、どちらも五でかかるサンノゼの五
という、サザンパックという、古い英語のサザンと
いう、巣なの葵砂の落ちという、青い浜の砂と
いう、五が青を意味する、サザンという、ブルー・
サンド・ハールクという、はっしょいというサンノゼの
古い剣道という、日本式の構えのサーベルという、
サンノゼ・サーベル術である。長方形のサーベル
ともいう、先と上下が歯である。レオンテスという、
古い軍宅の使いという、サンノゼのレックスという、
レックス・サーベルという、日本のさおれる、という
冠語の、さお、という。一茶の行きという。やおてす
のお行きという。サーレル・ベンズラーという日本の
英様冠話である。サーラーという、サーベルをいう、
サンノゼの冠話である。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)N28.
腹を横に書く。
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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2020年11月28日

卒業8170 大山 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】卒業8170京都船旅7070古譜6070大原練習5970天の下6370  大山(壮強太陽)鳴恭川世讃歌):イカスミ柳 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/28
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/28
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/28
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
私が住み 過ごした日 たたらの山麓
隼の行き来する濃い緑の谷間 川に
タニシがいる あおかいの山
御御地がいます 御御場います
大仙の鳥取宮 緑影のあきこぜる
すこにさわと

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【歌解説】
【デジタル】
 デジタルの山の家という。みっせなの弓春と
いう。若い人のお行きという。家という、忍得と
いう、しのび保つ人である。京の忍得屋の言いと
いう。でじそみ、という、デジタルの古い言葉と
いう。
【さわと】
 さわとというカニがいる、その山のことともぞ。
沢蟹の山という、だいせんみっくり、という。
『くり』のことを、蟹という、みくり蟹という。
死して皮を残すという、隼の鳥という、これを、
残名池という。大きな池のある畔という。
【『そうしときんか』】
 『そうしときんか』という、私の好きな鳥取の
言葉という。歌山のおいそい、という。私のおんば
はっくせ、という。うたうたのやそゆそ、という。
私のやすとという名前の意味とぞそ。

 この池を、いかこみ、という。中に島がある。
小島という、小嶋とも書く、この名の、やすと、
という、若い人の若い時の名という。やすとの
お行きという。

 大仙越えて行くという。若い時の行きという。
タニシを手に握る越えという。タニシを持つ旅
という、タオの風習という。古い鳥取の風習で
ある。タオという、たゆ山のたたら山という。
たっするれ、という。『そうしときんか』の
お言いという。『いくと』というゆいである。

 御所の『ものせら』という、『もっせ』の屋の
言いとぞそ。『そうしときんか』という、御所の
中の鳥取という場所の言いである。

 『せみっとす』という言いとも。『わたしゆま』
という言い方をする、『わたしゆま、せみっとす』
という、これを、官職という、官所の言いという。
官職官の言いである。古い日のこという。そこの
おちよち、という、おいせらのおいそい、という。
そこの言いである。

 冠語は、御所が出し、御所が説明する。この
ブログがそうである。御所の人の使いである。
やわてのおいそのみよる、みよすて、とぞそ。
言葉を貴ぶ御所という。きっすゆっすという。
めんつれのゆいそ、という。これが、御所の
言葉である。

 大御爺さん御家さるらる、せよるる、おりそり、
めてんくっさく、それす_れ。めれるやれ、
そみそりの山という。大仙のことである。
御所内の大仙とも。
【潜水艦GTO】
 若い血潮のよかせく、という。予科練の古い
言いという。海軍兵学校のよかせく、である。
若い人が乗る、潜水艦という、ジーシーオー
という、ベル・ジティオーという。潜水艦の
GTO である。後、自動車のよものことばである。

『ベル』が『よい』の意である。これが、英語の
ベルである、後、フランスのことばという。
この頃の、コックスという、英語コックスの使い
とぞそ。

 『アイ・ゲッタ・ハー』という、はっぷせの
御所のコクセルという。こもっくす、という。
これが、英語のコックスである、初期のコックス
である。後、アメリカのリンカーンの第二言語に
なる、リンカーンにコックスがあることという。
リンカーン全部にコックスがある。『アイ・
ゲラ』という、少し南部訛りのコックスである。
【げたよんの町】
 ゲチスバーグという、げたよんのことという。
日本語で、『げたよん』という町である。この日の
日本、今の日本のまとという、まとの日本という。
日本を、あきしまの国という言いの頃のことという。
この日本を、だいこく、という、だいこくさんの
島という。『さん』が『司』である。台国司と
いう、日本の古い名前のようなものである。台
国ともいう。台国司という、御所のもよはる、と
いう、御所の言いである。

 『げちすげた』という、下知の場の具である。
げちよっち、という、げちすのや、という。
ゲチスバーグの家という、若い人のいる家である。
名を、りもそめ、という。独立記念の祭りに参加
する人というを若い人である。

 この『げちす』が、やなぎおり、という。
ゲチス・ウィローという、アメリカのリンカーンの
やのお家という。ウィロー・ハッツ、という、
ウィロー・ハットンという。これが、アメリカの
記念日の若い人の家である。ウィロー・ロットン
という、全部、柳がつけてある、若い人のお粋と
いう。島原の遊郭の太夫の太鼓という、太鼓持ちの
若い人という。
【島原遊郭】
 太鼓を、ぼみ山という頃の、島豊(しまとよ)の
や、という。そこの言いである、げちす楼という。
この『げちす』である。島原の島豊という遊郭の
住まいの言葉の延伸という、今のゲチスバークの
言葉である。リンカーンがそうである。林間と
いうことという。まんせる山のおえ、という。
べっつくという、べろんせの山のおいせ、という。
おいせ山の言いという。 

 これが大仙の大遊楼という、もとゆとのしまん、
という。ここを、島富(しまとみ)という。この、
しまとみのといかのゆいふれ、という。これが、
げちすの太夫の言いである。『しまんとかんれ』
という、しまんの言葉という。これが、コックス
のことばの元のことばである。英語のコックスで
ある。

 これが、ホワットルローという、ローらるの
言葉という、コックスのことである。
『メイ・ワットン・セッカ』という、そんすれの
ことの言いという。せべん、という太夫の言葉
という。ここから大名に渡す言葉とぞそ。
コックスがけの言葉である。
【鳥取島津】
 『ヤッホー、ルッホー』の鳥取始末の歌である。
この『始末』が、山の埼である、鳥取冠花という
言葉である、鳥取の冠語である。始末を島津という、
島であり津である、これを埼という。後、島津埼
という、今の島津である。九州の埼花という、
せんらくの山という。ゆいゆいのおいそい、と
いう。
 
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)O21. 
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
腹を横に書く。
**************
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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2020年11月27日

卒業8160 宇治大山、だんみく (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業8160京都船旅7060
古譜6060大原練習5960天の下6360  宇治大山、だんみく(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/11/26
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/11/26
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/11/26
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】5/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
私が住み過ごした日 大山ただす麓
隼のこい花に 雅の春 おそに
ほんの 円書き庭 古宇治津宮
ままよはなあって いけすの墓
大宮の音揺川 わたせまなの
ふのふるす さわにかわと

【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記 京都府宇治市の項
【宇治川の祭り、だんみく】
 担ぎ山という、縄のような山という。宇治川の
ような表しという。宇治の浜の祭りである。宇治
川の橋の、たもれむ、という。たもとの祭りの
言いという。山名の世の祭りという。
まよまよのお書きという。江の絵という、後、
大山という、まつくの絵という、この絵のような
よい春という。山々の世の絵という、人のような
、だんみく、という。岸のだんじりという。山の
ことである。宇治の言いという。宇治の言いの、
だんみく、という。宇治川のマツリデ使うことより
、という。祭る山のお書きという。
【衝堀木(ついほりき)】
 衝堀木(ついほりき)という、。左の四角いもの、
 この堀の言いの、まつよ、という祭りの夜の、
 まつよ、という。これが、だんそめ、という。
祭りの、だんとめ、という。
【春の紅葉】
きじ造りという、きじみす、という、これが、きじの
山の絵という。鬼山のおまつ、という。鬼山の祭りと
いう。山々の丘という、山背(やませ)の祭りという。
私の家という、祭り鉾の家という、これに住んでいた
私のことという。うれしい日の話という。花山の
宇治百合という、うじみつのおまつ、という。
岸みすの山という、祭りの巫女のことでもある。
この巫女を、こうようみ、という。紅葉の頃の
祭りという、春の紅葉である。
【合わせ、とっせ】 
 10月27日という、言いをする紅葉の月とぞう。
衝山(ついやま)の言いという。これを、紅葉の
屋という。あとで、またじがわという、言いをする、
また山の、またじ山という。またよとの言いそれ、
という、これを、そらよいあしび、という。
空の山のお連れ、という。そらそらの言いのごめ
とめ、という。祭りの言いの紅葉の祭りの言いと
いう。これが、かわぜのゆいかわ、という。
かわぜがわの合わせという、食べ物の合わせと
いう。この合わせの言いを、とっせ、という。

 とっせの屋の言いという。宇治宮の言いの
かよふれ、という。かよかよのお書きという。

 うちが、『花見の糸』をいう。これを、みのそ
み、という。祭りの始まりをいう。祭りの始まり
をみの、という。これがいわれる、宇治の出と
いう。『みの』の出が宇治である。
【大津遣り】
 これを、『きず』という。『きず』を、『やな
みこ』という、これを、『やなぎの子』という。
『やなみこ』の宇治とし、という。この『とし』が、
大津遣り、という、大津みつ(大津光)のこうきき、
という。こう山のお書きという。

 この山のひよ山という、ものを信じるを、ぎゃる
という、ぎゃるみこ、という。後、巫女のことに
使う、ぎゃるそん、という。これが、フランス語の
作りにあるをいう。山空の作りのフランス語という。

 これが、ポンポンという、祭りのぽんという。
これを、げきゃはが、という。はがねのゆまはり、
という。鋼の山のお据えという。うちが、天塔を
いう。まみの山のおとよとよ、という。この言い
の、こわんぜ、という。
【大津宮】
 大津山槍という、みめよととのあんてす、と
いう。めとよと、ともいう。れよすのいっぱす、
という、大津宮の言いのこよかよ、という。

 これが、大津皇子の話の歴史という。大津山の
お住いの丘の糸よと、という。糸しみの山裾と
いう。
【登志山】
 やすとしの名前という、うちの安年という、
稔登志という、これが、大津山の名前とぞそ。
登志山という、京都山科の大津という。そこの
山の名前の言われという、これを、およおよ、
という。山名の使いという。登志たる言いと
いう。母山のおかきという。

 これで、『とし』を言葉に入れる使いという。
これが、正木(しょうぼく)の使いという。これを、
としの入れという。

 『私としは、行きます』という。としみすの
入れ吊り、という。言葉に自分の名を入れる、
『あきしむ』の入れという。『あきしむ』と
いう、これを、『あきしむのま』という。
『あきしま』という、
【あきしの】
 日本を、あきのよ、という。大津宮の言いと
いう。これが後、『あきしの』と名乗る、若い
人の名乗りとぞそ。『あきしのさみよ』という
名前である。つれが、『あきさみ』の言いであ
る。秋冷の山という、大津宮の秋ひく、という。
ゆんそよの山という。山々のお書きという。
【大津皇子】
 大津宮の皇子である、大津皇子という。古くの
万葉集に出てくる皇子である、若い人のことである
という、若い人の御叔父の御名であるという。
おじ山のお書きという。この『おじ』が、皇子で
ある。万葉集編纂の一人である、大津皇子という。

 これが、やなぎの言いである、元の書き物と
いう。『やなぎの、よろずぎ』という。やなぎ
まんよう、という、万葉集の原本である。
この原本が日本にある、やなぎまんようの話と
いう。万用という、やなぎを万用する集めと
いう。万葉の語源である。
【やなぎ葉集】
 『やなぎ葉集』という、万葉集の原本ともいう
。やなやな、やまやな、やなやまのお言いという。
これが、冠語の『やなす』の言いである。冠語の
やなぎという言葉のことという。やませんらっく
、という。もよもよのお言いという。大津宮の
お書きという。御所内の大津宮ともいう。
京都山科の大津である。万葉集にでてくる、
大津皇子のことである。

【伊東さん、八坂さん】 
 東大教授の話という、よもよものお言いという。
山々のお書きという、うたよとのお言いとぞそ。
大津という名の人のことを、うとめ、という、
うとよみ、ともしいう。大津せんらっく、という。
伊東山お書きという、伊東さんのお教えという。
伊山浜のおんとみ、という、伊東やっく、という。
伊東夜久野(いとうやくの)のお教えという。この
『さん』が、『し』である。伊東司という、伊東
さんという。伊東司の山の言いである。伊東さんと
いう、人のように呼ぶ宇治大宮のだんみくのことで
ある。京都の八坂さんというのと、同じである。
まさだわというだんみくの名という、これを、伊東
さんという。

 のち、大海皇子という、おおあまのみこのこと
という。これが、れきそき、という、歴史のこと
という。歴史通りである、この道がある。

 歴史山お書きという。
【大津宮、はっさい】 
 『はっさい』という掛け声をする宮である。
大津宮のことという。あだり山の人のお書き
であるという、あだしのという化野の屋の
お書きという、お化けの宮である。
【化野念仏寺】
 『一つ積んでは、父の為、二つ積んでは、
母の為』という、化野念仏寺の話という。
大津山の名である、念仏寺である。大津皇子が
おとなう、という、まよすてのうつゆつ、という。
古く御所みる、という場所という。御所みっくく
の山という、後ろの山である。化野念仏寺の
ことという。つねさらゆき、という。山の名の
ことという。つねさらゆき山という、化野の山
という、これを、つねるる、という、つねしょの
山という。

 古く、穂浦のゆおれ、という、いわれのこと
である。これを、やすれる、という。やすみすの
山という。これを、そうれく、という。そうすの
山という、わたやたの歌という。ゆゆゆの山という。
おりおんてすの歌という、うたやたの山という、
これを、れよる、という。檸檬所のお書きという。

 この檸檬所の判が、れもんの判である。れっぱん
めっそく、という。めるれるのおよんは、という。

 天皇列則の山という、山の見の天皇という、この
天皇を天王という、天皇ともいう。これが、たん
せまの歌という、やすとの山のお書きという。

 天皇を、たんはた、という、大津宮の言いという。
大津山の言いである。後、藤原をいう、ふじつわら
ばらの、長岡京という、たまそよのおきゆり、
という。やまづ言いという。やまいのかわみ、と
いう。これを、大津見当という、見当の山のお書き
という。
【日本書紀】
 かみれいしょの山という。これが、日本書紀の
編纂を受ける、受け持ちの若い人のことという、
名を、小林という、小林壱裕という、若い人の
書紀の名である。名札のことという。名札を
書紀という、書記ということである。

 日本書紀という、日本のことが書かれている書物の
ことという。万用の書記の人である。若い人の判のこと
という。大津宮の書記の人で、初期の人である。

 大津宮のみこであるという、万葉集の編纂という。
人知らずという、人の歌という。若い人である。

 『ぎこやっこん、きこきこ』という、櫻木の判の
押しという、きこ山のお書きという。若い人の
きこの名のことという。
【柳きいこ】
 『うちは、きこや』という若い人の言いである。
これを、柳の木という、きこという、樵のことで
あるという、柳きいこ、という、木を切る話でも
ある。きいこきいこと、木を切引く(きひく)、
きいこの山のこという、柳の名前の山である、
きいこには、皆、柳がついている、きいこせん
べっく、という。山々のお書きという。

 きいこ柳という、小柳みるこ、という、山っ杣の
名という。これを、杣名(そまな)という。山の名の
杣の名という、これが、御所の名前である。
何々御所という、その名前を、杣名という、東京
皇居の御所のことを、そっしょら、という、これが、
古い歌謡御所である、賀陽御所のことである。

(そっしょらという皇居のことをいう。
そっきょらの御所という、そっしょらのことである。)
この書き方が、そっきょの書き方である、()内。
御所の古い書き方である。ふっそるけめそめ、と
いう。

 同じ言葉を何度も使う書き方とぞそ。御所の伝祖の
言いである。後、陸軍伝令用語という、後、しょう
ほむ、という、きいこの言いという、そっきょうの
言いである。音楽の即興曲の言いともいう。
【耶蘇教の天皇】
 音楽の天皇という、合唱団のしきをいう、指揮者を
天皇という、キリスト教の主なるものの人のこと
という、キリストでもある。これを、耶蘇という。
耶蘇の天主という、耶蘇教の天主を天皇という。
キリスト教がいう天皇である、耶蘇教天皇という。
耶蘇のとみの言いである。

 うじつしょっくす、という、てめそめのいとそよ、
という。
【柳星】
 柳星の宮という、三日月の中の柳の星とぞそ。
これが、外へ出る流星という、遊星ともいう。
流々の御名とぞそ。柳の名という、柳一夕という、
柳星の御名を頂戴する若い人という、柳星家で
ある。柳星遊(やなぎぼしあそぶ)という名前の
ことという、柳一夕という名前である。
川由良の玉名である、星のことである。

 柳ひこきき、きいこひき、きこゆきの名という。
紀雄(のりお、きお、きおう)という、きゆうと
いう、名前の人である。きゆう焼きという、
焼き物の名前ともいう、御所の中の焼き物である。
【神事品門】
 神事品門(しんじひんもん)のお書きという。
柳を飾る門である。御所の一門である。ぼういつの
門ともいう。雅楽の笙の唱和の文句の冒頭である、
『ぼういつ』と歌いだすところである。それを、
神事品(しんじひん)という、御所一門という。後、
この門を、問という。御所のことは、俺がいう門
という。これを、たてみかど、という、門をかど
という、みかどという。おれが、いうもんである、
者とも。
【松花堂】
 ばっちあかすという、だんみくの言葉である。
だんせられんれという、だんみくの冠語である。
わためたの意味である。わたやたのういみそ、と
いう。古い松花堂という、ここの言葉である。
壬生の松花堂ともいう。宇治のおゆはり、という。
みっとゆっとの山という。これが、宇治のせいほい
、という、しょっくという言葉の意味という。

 ゆめゆめのお書きという。勝司(かつし)という、
今の、勝市という、地名の一区画を司という。
後、たいかく山という。これを、みぞべと、と
いう。みぞやらの言いの地名という。
【京都を勝司という】
 京都を勝司という、かってろんぜい、という。
れもってすの言いとぞそ。これを、天皇の言い
という。天皇の言葉である。これが、天皇冠語
である。
【勝海舟】
 これを駆使する、勝の天皇という、勝海舟と
いう名の人の活躍という、勝役の若い人という。
れもってすぼん、という。だんみくのぼんの言い
とぞそ。盆でもある。盆に入れて、食べるその
盆を、れもれ、という。れもれ盆という。
【あお】
 これを、あお、という、食べ物のことという。
あお盆という。これが、松花堂の言いである。
『あお、やため』という、『お食べなさい』と
いう意味とぞそ。べっそめ、という言いである。
ばっちあかすという、よいをやまる、れとの明け
を見る言葉という。
 京都の、いっちょら、という言葉の語源である、
『あお』という言葉である。ちょっすい、という
言葉である。 
  そうきょうよい時です。正(やなぎ)O28. 
***
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
腹を横に書く。
Mr. Atom Lucky Ager, "JAPAN report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
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2020年11月26日

卒業8159 群馬 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽


【曲名】 卒業8159京都船旅7059古譜6059大原練習5959天の下6359  俺159 群馬 )(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 
    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/11/26
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/11/26
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/11/26
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 



 狐の天気予報。〇r1999/08/21
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【解説】
『みずは行く』 京都郷(きょうとごう)の言い。
『みそは行く』 群馬前橋の言い。
むきつきという天篁の言いという。
これを天皇という。上の二文である。笹屋陣閣、
笹屋陣の言いである。ここの折りをむきつきとい
う、笹屋織りという。京都郷が前身である。

 『みずは、もってらっす』という、笹屋陣閣と
いう言い方である。みそとも言う、じんばっくの
いいという。京都西陣の一角である。
『じょうす』という言葉を使う、『そうじょうす』
という、『そうです』という意である。『〜じょ
うすか』という、『〜ですか』である。

 笹屋陣閣の言いで、群馬上州の郷(ごう)という、
同じ言いである。これを、郷通(ごうつう)という、
言いが通う話という、古い言葉の、幕織りという。
バック・トウ・ゴーの、『ばっく』が『やり』で
ある。篠山やりという。バクション・レーックー
という。みんたのお言いという、これを、びんた、
ともいう。

 『びんたをはる』という、びんたの言葉を使う
意である。びんたやり、という。これが、上州の、
風邪そよ吹き、という、風びんのびんた風という。
手さき懐手の言いという。上州からっすきという。

 ここを、からぜま、という。ふきゆきの鳥の言
いという。この鳥が、白い烏である。上州烏とい
う。他に、タヌキがいる、たぬそ、という、上州
の古い言いである。前橋遣りの言いという。

 自分を郷京(ごうきょう)という、群馬の言いと
いう。『みずは、む』という、『行く』という
意である。

 大ゆられのなかそねさんの御爺さん、笹屋の港
の御爺さんである。京都舟歌の出である。なかそ
ね語を使われる、なかそねと歌の歌詞である。
歌の語のや、とぞ

 上州なかそねという、この『ね』が風の音であ
る、これを根という。風根のやという、若い人家
である。風根やりふり、という。この『やり』が
家である、槍という。笹屋連幕という、陣連の陣
幕という。ランテル・ロッテという、群馬の『ラ
ン』という、乱と書く。乱風の群馬という。

 大御爺さんお話の言葉、これをなかそね語と
いう。京都笹屋港という、ここを、じょうかき、
という。この『かき』が、ひんだめっく、という。
ひんだま、という、言葉の言いのこととぞ。

 ヒンズー語という、このヒンズー語を、てれ
らる、という、てれらく、ともいう、冠語である。
デカンの頃のインドという。デカン→ゴア→イン
ドである。ここの港の言いという、ふなぬな、と
いう。ふなせの言いという。船の歌のことという。
インドラーデンという、インドソックスという、
そくれす言いという。これが上州の言いである。

 ふなゆののあかくれ、という。めてゆた、とい
う、めれその言いとぞず。上州を、めっく、とい
う、ここの言いの、『めっくられけえて』という。
めくられての言いという。めくらの言いという。

 この『めくら』の言いの『くら』という。意が、
蔵である。織り蔵という、これを、めくら蔵とい
う。暗がりの蔵である。めくらの暗がる蔵という。
蔵のことを、めくら、という。これを、上州りん
ばる、という、めくらがりの暗い所の言いである。
上州を暗所という、『あんじょう、しなすった』と
いう。これが、『みずはむ』という『もってらっ
す』の意味とぞず。『めくら』の言葉の意味であ
る。そこの平成という、平成宮の描きである。
上州軍落といううちの家である、若い人の家と
いう。これが、軍芝(ぐんしば)といううちの山の
絵という、じょうの言いという。これを『ゆ』と
いう、しだき文字の『ユ』である。

 卑弥呼の上州という、よわぞののういてけ、と
いう。この『うい』を『うい』という、初めの意
のうい、という。上州めってばのふい皿という。
ふいういという、じょうの言いの古代大和語とい
う。これが上州をいう、上の頃という、上の代と
いう、古い御代のことである、かみかれ、という。
この『かれ』が、風のことともいう。
かみ風の上州という。上州もっぺら、という。

 この『もっぺら』をなかそという。この音(ね)
を、なかそねという、上州もっぺらである。大
御爺さんの笹屋陣幕という。しのめな、しのめら
、という、笹屋の陣密という、目蔵という、くら
すの山という。暗巣。蔵を目蔵という、上州とい
う。京都西陣の笹屋である。

 大御爺さん織らるる、これを、おっと、という。
織り人のことという。この織りの言葉の『おらる
れ』である。大御爺さんの御織りとぞず。今の剣
道着のような織りである、柔道着とも。これが、
陣かわ、という陣つゆの織りという。篠山の今田
織りという、今田の織りのことという。篠山を兵
庫県という、同じ織りである。上州やんもれの織
りという。織り山里暦という、織物の暦の造りと
いう。この暦、今の、ビンズーの暦である。

 インドたんべ、という。この『たんべ』のこと
という、インドの織りのことである。同じ織りと
いう。インド綿のことという。東インドという、
こへ住まう若い人である。たんべという、デカン
の頃のインドという、これを、インパスという、
後、あーれら、という、後、アーリという、後と
ぞす、アーリアという。このデカンの頃の言葉と
いう、『ひんだっせ、すみさと』という、インド
、デカンにある、若い人の言葉である、冠語とぞ
ず。ひんの言葉という、ヒンズー語である。

 大御爺さんのなかそね語である。ふなという、
初めのことである、ういふな、という。ういろっ
て、という。ういふみのことの言いとぞず。

 暗い所を一般に・くらという、めくら路という、
めくら盧という、吊るし盧の山という。がんぜる
おいそい、という。今田山お書きという。群馬の
やのおたき、という、群馬吊るしという、群馬山
のこととぞそ。

 この群馬のなかそねの言いである、うちの好きな
めくら言葉である。『くらよして、おいきなっす』
という、後、御所の革命屋の言葉という、革命御所
の言いでもある。京都舟歌、ここが初めじゃ、うい
しょである。御叔父御上山、お言葉。天皇の言葉と
いう。京都舟歌のことである。

 すめらやり、という、ずべんした、という。滑
った下の地という。ずべられ、という。ここを、
ずべ地という、『みずは行く』という、みず語と
いう。『みそは行く』という、かたやりの言いと
いう。百姓のやり、という。鍬鋤のことである。

 この鍬鋤を、むきらみ、という、御所のきたせ
る、という。今の御所の中である。ここを、きた
はら、という、きたせらのいみそゆ、という、
しのめらの場という。これを、しのさゆ、という、
古い御所のことという。御所和、しのさゆ、とい
う。御所、内裏(うちうら)の言葉である。おとそ
山という、御所のことである。平成山、ひらなり山
ともいう。ここの原の、いかれるという、いかるが
という、いそみそのみすっぱ、という。みすれるお
いとい、という。みゆみゆの言いという。

 御所のやなぎ世という、やなぎのやよたよ、と
いう。やなぎみゆみゆのおご、という。ここを、
こゆみる、という、紫宸殿のことである。これが、
御所の天当の言葉である。天たおす、天倒、とも
いう。これが、イオン・ドッポルという、イオン
祖の言いという。『どっぽられえれ』という、
どっぽ着という、笹屋陣幕の着物である、柔道着の
ような着物である、剣道着という。どっぽすの
イオンである。イオン・トーブの言葉ともいう。
大阪のイオンという、群馬がこれを、メリンとい
う。メリンふうざら、という、皿由良の言いとい
う。

 群馬をごき皿という、木更津の言いという、木
皿ともいう。これを、きざらぶ、という、壬生の
らぶれる、である。遠く、小樽鎌という、小樽の
住まいの言葉である。『アンヌ・ユッタ・メン
ソテ』という、これを、エッタという。

 ギリシャのエタである。アイヌ語に一部ギリシ
ャ語かかる、ギリシャの言葉という、『アンヌー
プラ』という、アンナプルナの初期の言いである。
あんなりやという、あんせるの言いの、安徳帝と
いう安徳上落という、この『上』が、しだき文字
のカカナの漢字である。『ユ』を『じょう』とい
う、安徳帝の言いという。

『そこの天皇』という、上落のことを天皇という、
安徳こうれく、という、これを、行楽という、後、
行国という、これが、和国のことである。和告と
いう和の告げである。これが国である。和国母大
国という、和国のことである。古いイオンともい
う。大阪曽根崎のイオンパックという、これを、
ままろり、という。まませまのいま、という。
今山のお言いという。笹屋陣ばっくのことであ
る。後、幕府である。この幕府を、やまとがぜ、
という。幕府をかせ、という、がせ、ともいう。
これが古御所の今のまの言葉である。このまを、
ばんみか、という、みかそゆのういたい、という
。これが、冠語である、古い冠語とぞそ。

 肩に紋をつける、ばゆはゆ、という。ばまべら
、という、ばゆせゆの紋付きという、これが、
さきをよる、よった、という、よった紋という。
えったりべえの言いという、御所の内ゆり、と
いう。この御所、今の御所の、北の御所である。
倍以上あることという。これより古い御所、
四倍以上ふる御所である、中に、むらおるがある
御所である。

 この肩の紋を、御所っけく、という、菊をけく
という、古い言いである。菊の御紋という、若い
人の紋という、大御爺さんの御紋である。若い人
の紋である。国に置いたことという。おいて使う
のが内である。国の内という、外内という、そと
めのお置きという。江戸城というみかそりにある
ことという。そりすらの沖という。

 みずをつめという、つる山のお菊という。お菊
さんの墓という、江戸城の墓である。白猫の墓が
ある、タイプを打つ猫である。人という若い人で
ある。お菊さんの墓という、今も生きている猫
である。黒の縞もある猫ともにする白猫の物語と
ぞそ。

 ウォックス・ロンドンという、ウォーの猫熊と
いう、今のパンダである。このパンダの意味であ
る。古い武漢の城曳きを立って拝む黄色いパンダ
である。大原猫山という、江戸城のとも住まいと
いう。大きなパンダである。全身黄色である。
のみをかうという、かうすという、パンダのことで
ある。ダブルカフスのカフスボタンの造りである、
パンダの仕事である。パンダが作るカフスボタンと
いう、羽織のとめ紋の考案者である。パンダの脳
の働きである、陣脳という、人の脳のおれまがり
をいう、そのおれまがりの後ろの部分である、
陣脳という、パンダ脳という。

 今も皇居にいるパンダである。計四十頭いた話
である。武漢のパンダともいう。一緒に行った
武漢である。

 熊猫、猫熊という日本語である、パンダという
読みは、広東官話である、中国広東である。
パンダが知る武漢の城曳きである。白曳き家お
書き、若い人である。

 パンソメの記という、孔子廟の記ともいう。
九州孔子廟、あおられやり、という、『やり』が
家である、若い人が住まいである。
一に曰く、高祖(こうそう)の蕗
二という
三の、ふいたい、という、
四に、ていはま、とぞ
五に、にっぱつ(日発)という
六ぞ、おいたる、そも
七そ、やよぶる、てら
八そ、やっぱく、とよ
九そ、ここはならくよ、とぞ
十ず、やっくり、くりすみ、められ、とい、とぞず。

 これが、論語の古い書きという、これを、御所論
という。北の四倍ある御所の論語である。名を、
公楽という、後、くがくという読みで、この読みの
くげという、公家(こうが)という、この公家、川で
ある意がある、この時、中国の漢大国である、大
漢国という、武漢首の都の国である。たいほれと
いう、北の四倍の御所の呼びである。この時、
今の御所は、あったという、若い人という、水漬く
前である。きたすらやっかまのお書きという。

 この来たの四倍ある御所の名という、ぶうみ
ょうという、ぶうという、ぶうもうという。
書きに父母と書く。

 『南無父母、弥勒尊(ナム、ブーミョウ、ミー
ロクソン)という御経においてある、父母恩重経
ともいう、これが、初期の仏教を残す、拍手の仏
教という、三拍手の形式である。意味は、三つ指
合わせ、という、三つ指ついて、我が生を尊ぶ意
とぞそ。これを、あやまる、という。おあやまり
の御手という、おてゆたのみはまゆり、という。
三拍手の意である。後、神の言いをする、周らま
のいうかする、かそれす、という。これが、神社
の祝詞を合わす、祈りのことという。『かけまく
も、かしこきかしこき』という、一派になる。

 なんぷらのお題という、これを、みねそな、と
いう。拍手くっかくの形式である。大仏のような
神道の神像という、後、神像を、かたがえた形式
という、形を変えた形式である。しんそめのお題
相という。今の宗派の山という、三拍手のおきと
ぞず。安徳の御代のことでもある。

 平清盛という、大御爺さんという、平家の落人
という、平家が行った先は、水元である。今の
御所が水に浸かっていた頃という。安徳入水と
いう、船を浮かべることを入水というのである。
安徳天皇という、北の御所という、おうだらみ、
というそこを出発した若い人である、船に乗って
行く、船出を入水という、船の話である。

 新しい月照入水という、桂浜の言いの、西郷と
いう、西の郷の桂浜行きである。今の京の桂離宮
である、若い人が住んでいた話という、御大叔父
御上の御家である。
『西郷より、きなすみ』という言いである、『月
照入水です』という、古い桂離宮の言葉である。
この言葉を西郷どん、という。西郷どんりり、と
いう。りりさらのお言いという。月照入水という、
明治の前の西郷と月照の入水という、若い人の船
出の話である。船の名を、桂小五郎という、五郎
船という、後に、東郷から訪ねた桂離宮という、
これを、桂御号という、郷通の里の仲介という、
離宮という幕末の頃の、離れ屋敷である。

 皇浜(すめらはま)という桂浜の長滑りという、
どこへ行っても、皇は滑る意味である。船を滑ら
して入水である、船を水へ入れることである。
月照夜の話という、これが古い仏教の話である。
本願の里という、遠く高野山の里ゆ、という、
若の浦から訪ねた安徳である。和歌山のことで
ある。岸和田ごんくれ、という、夕焼けをごん
という、岸和田の里の言いである、冠語である。
陽照の浜という、これを、月閣という、ひゆれく、
というかんそめの言葉という。

 月照上人という若い人である、船に乗ることで
ある、入水したのは船という。船の名を、こん
ゆれ、という。船旅のことである。平家の落ち
武者という、落ちた先は、山の上であった話とい
う、月照上人夜話という、太陽の輝いていた陽輝
の浜という、岸和田の後の、城が建つ所である。
若い人の故郷である。

 新しく岸綿城という、そこにいた人である、
名を陽輝武漢という、官船である。武漢という
艦船である。これを、『カンカンシーシー』と
いう、後、グリ語という、これを経て、今の英
語という、英語の sea シーである。

 中国府武漢を陽輝市という武漢の別名である。
英語で、キーランという、この『ラン』、英の
言葉という、ラングという、ランゲージである。
キーが、山の岸である。少しの水という、池が
ある陽輝市である。『みずは行く』という、
ウォーター・ノットという、ネクタイの巻とも
いう。ノットン・ファーククーという。これが、
グリ語を作り出す、脳の大猫部である、熊部とも。

るろはり、という、後、るろうという、みむれむ、
という、この『れむ』が、今のレム睡眠のレムで
ある。古くのグリ語である、も一つ古く、北の御
所の四倍ある御所の頃の、その地の言葉である、
ノットン・ハーレルともいう、グリ語の初期で
ある。安徳帝お書き、というのである。
平家物語の一説明という、蛍源氏の説である。
蛍が船に泊まりに来た話という。源平合戦という。

 旅行記造りの源氏物語である。蛍の光派、その
話である。三拍子の岸和田の陽輝入水である。
だから安徳帝は今も生きているのである。御所の
安徳帝といてう、堺町門の前である。安徳庭とい
う。出発港という現代人である。平家の頃のお書
きと、古い御代のことであるという、水漬き港の
京都である。

 平家の落ち武者になったという安徳帝の亡霊で
ある、生きて霊である、御霊串の意味である。
櫛飾りのことという、萩野櫛という、男密の冠掛
けという、北の四のしょ、という。四倍の御所
である。御叔父ゆ、御叔母ゆ、おいられる、北の
墓場という、火の玉の出る所である。

 花火をする話である、ドズンぱっかくの八角形
の御墓という、これを、隋唐墓という、やがた船
墓という、墓という住まいである。家のことを墓
という、北の四大御所の言葉である。四倍御所と
いう。ばいだいの菩提という、ダックという英様
の言いである。ダックという御所である。ここの
言葉をだくせらるう、という、だっくすれえれ、
という。だくせらのお書きという。安徳帝先未記
という、亡霊ゆかりの寺である。京都東山高台寺
という、紀伊峰高野山という、京都野にはる寺の
ことという。野に咲く花の菊という、大きなひま
わりの咲く寺である。

 『ナム・フーミュウ』というお題を唱える寺と
いう。御父母を『オンブーズー』という、上記三
つの寺である。これが、ひそかに唱える、密唱と
いう、寺の言いである。密唱といいながら、大き
な声で唱えることである。

 『ほうりょめ』という、出だしの合図である。
拍子木の逆さ打出しという、大御爺さんお内出し
の拍子木合(図)という、拍子木を開き、いったん
胸先へもってきて、また開く、このことを、さか
みか、という。さかすりのお打ちという。若い人
家の古い式でもある。この寺を、さかゆれ、とい
う。坂の亡霊という、棒礼。拍子木を棒という寺
である。下賀茂神社の北のすそふり、という、
じんそめのかんぱれ、という、そこの神社の式
るり、という、しんぱくのかしわぎ、という。
神社のさかき、である。

 今の御所の堺みあけ、という、そこの木切りと
いう。正市議を打つ、初めのことである、合図で
ある。遠く福島会津の鶴ヶ丘の城の、うちいだせ、
である。同じ打ち方である。

 古く大砲の打ちの時の合図木である。『トンハ
ショッテ』という、福島の小五郎、与五郎の五
郎内、これが打ちである。福島城の福島種臣で
ある。そこの小五郎である。拍子木を耶蘇(ヤソ)
という、耶蘇木というム、そこのそこの打ち方を
耶蘇打(やそだ)という。この耶蘇打の言いが、
ドンレラという、御所みその磯野御所という、
仙洞御所である、そこのあしかがみの打ちという。
御所から受けた弾を返す返弾礼儀という、その返
弾礼儀の打ちの時の逆さ打ちである、拍子木とぞず。

 二条も返弾をする、パパンという、小打ち音を
入れる、二条返せという、二条城の打ち方である。
城へ打った弾という、桂離れから離れた弾である。
これを桂高射という、御所が桂浜へ返した、
二条城が返した弾の話という、これを、乱という。
乱弾という。群馬の乱が備わる、軍録という。
軍閥の話という。関東軍指令という、はやめ落菊
の関東軍という、そこの若い人である、轆轤(ろく
ろ)十字という、きされさの打ちとぞそ。

 後、高砲という、北白川の高射砲である、大御
爺さんお打ち打ち、ららせるせんとれ、とぞそ。
二十五メーター砲という、それこそ、ランラン
ランである。ランランやっぱしのお打ちという。
北白川砲射の書きである。
のち 、若い人の和歌山友ヶ島の大砲乱れ打ちで
ある。口拍子木のカチカチである。カカチという、
合図の口である。二条城式である。

 なよなよの、二返し打ちという、八坂連幕の打ち
という、上記という。京都返せの話である、東京の
ことである。江戸のヘロ弾という、秀吉の言いと
いう、ヘロヘロ弾という秀吉である。

 原子爆弾を大砲から撃った時の口である。ヒョ
ロ原子という、リットル数霊という、リロットスの
ギリシャ論白という、口も兼ねた、大口大砲である。
一メーター口径である。友ヶ島にもある時という。

 これより以前大砲という、四メーター砲である、
大筒という、口径の四メーターである。村上海軍
という島そよの、おふるゆき、という、これを、
むゆき、という、笹屋陣幕の『む』である、行く
という意味である。緑雪降る友ヶ島である。
緑なす我が髪という、緑の眉毛という、みどるら、
という、緑色の人である。ばんせるゆっきとよ
浜のおるり、とぞふ。

 これが、後の、豊見(とよみ)という、後、とよ
とみ(豊臣)という、臣という、天能のことを臣と
いう、大和朝廷の言葉である。この朝廷の臣と
いう、うちゆられ言いという。大和朝廷の卑弥
呼軍である。この日の田村麿という、田村ゆなの
将という、源平氏という、みなもとだいらのきゆ
てす、という、田村庄の将軍という、朝鮮任那の
渡りである。ここを、日本府という、たくさん
日本府である。昭和の頃にもあった話である。
チョッソン・レンラーという朝鮮幕府の若い人
である。坂上田村麻呂という若い人の名前である。
朝鮮返せの名という。これを、大和撫子という、
大和武士という、撫子のひまわりの花である。
ひまわりの紋章の意味である。リー・ラッキーと
いう、みそすての言いそみ、とぞう。

 十メーター黒打ちの大弾くらわすうちという。
朝鮮任那日本府の武器である。みまなみなまの
地である。天から水がやってくる所である。
渤海側の日本府である。今の東朝鮮湾である。
そこの日本府、後、北京朗国という、我が日本の
首原という、日本の琴はという、日本語が通じる
地域である。秀吉の日本の韓国である、たくさん
ある韓国岳である。福井の韓国岳の話が、これ
である。新潟そよふれのお書きという。新潟三条
の古い話とぞう。親知る子知る、山越え、川渡り
という、木曽義仲の新潟行である。これを、塩送
りという、しおみその造りという。びびすてと
いう、みよのお造りという、新潟味噌のできそめ
のお言いとぞう。木曽味噌のことである。
木曽のことを味噌という、義仲の言いである。
大津の浜の世のことである。木曽義仲の大津という。

20201126
そうきょうよい時です。正(やなぎ)N26. 
 ***
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■
腹を横に書く。
**************
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
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2020年11月24日

卒業8155 原子爆弾投下 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業8155京都船旅7055
古譜6055大原練習5955天の下6355  俺010 原子爆弾投下 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    20110417曲
    20110418詞
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
赤い夕日に背を向けてやってきた
原子爆弾投下の世 見晴らし台の
上から勇壮なふにふに山が見えていた
はいさんらっくのお山から どんあけ
どんやけ 夜のおかが 飛び上がる
よい世と 水素中性子爆弾落下 
ゆゆせら

 狐の天気予報。〇r1999/08/18
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】
 安全な園に一日楽しむ。
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
 そうきょうよい時です。正(やなぎ)N18 
 ***
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。  
腹を横に書く。
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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2020年11月23日

卒業8154 俺154 原子爆弾投下 1/3 (壮強太陽) (壮強太陽):イカスミ柳

 ゆらという、うらのことである。宮城(みやぎ)やっきょ
く、宮城やっきくという。宮城やっきくのむお浜という、
おや浜という、宮城県の浜野ことという、そこへ行く山の
夜という、イージスという船の行きである。陸路へ行く
イージスである。これを、え、という。宮城県の興しと
いう、イージスで興す県とぞす。いいたり山という、
宮城のことである。古い日の国興しである。

 斉明天皇の話である。人工の天気という、原子の使い
という、雲が出ることという。木実の為という、若い人
の言いである。中性子を伴う原水素という、原水爆の
ことである。古い御代のことである。これを、斉明期の
たたかいという、我が闘争という。

 今にまた行く、埼玉の大叔父御上という、宮城の大
山の水素爆弾という、落とした人である。弁当箱二つ
程である。海の波が高上がった話である。原水爆の好
きな人である。原水爆を風呂敷に包み肩からたすきに
掛けて歩く人である、腰に巻く人でもある。喜びの人
である。槍型水素爆弾を持って通うた東大である。
鉄騎馬という、高らか足音の東大という。富士津原見
山という、水素爆弾片手の雄姿ゃである。

 この東大、江戸の頃という、この江戸、京を、こうり
ということの言いとぞう。氷が張る京都の言いという。
京大の、あずまひろ、という、奈良の四条縄手城である。
〆縄城という、今の三輪の奈良である、後、うるり、と
いう、そこの城である。東おり語という言葉を使う城で
ある。城を、ろく、という。ろくむき、という、おりご
る言いの、しろつ、という。三輪を、しろれる、という。
三輪のやの言いである。あしかがり山の麓である。あし
かす山のお絵という。

 〆縄のかかる城とぞう。四城らら、という。そこの住
まいとぞう。今の天理という、そこの城である。名を、
しっぽ、という、おしっぽは、という。はい、という
返事という。しっぽの言いという。山と答える、城で
ある、城の言葉という。忠臣蔵のことという。
一緒に城にいた吉良上野の御方という、栃山沢という、
栃木の近くとぞう。『との、殿中でござる』は、電柱の
ことである。忠臣蔵の人という、浅野内匠頭のごいそ、
である。一緒に住んでいた忠臣蔵である。忠臣蔵の
仇打ちとは、原水爆落とすことである。糸山の岡の
糸という、細い形の水爆である。

 水爆落として、何かよいという、木水の為という。
穂浦断頭という、水死祖と中性子と原子の合わせと
いう、図を吸い上げる爆弾である。そして京都は水が
なくなったという。キーラフーミーという、吉良山の
吉良家の家という、斉明という、吉良の家である。
穂浦連騰という日の落としとぞう。毎日落としていた
爆弾である。よっかす、という。水をなくす一手段と
いう。大きな雲が出た話という。のち、水のまま
上がった水もある、水がやってきたという、空から
来る水とぞず。

 とかちという、戸津川の家という、そこの水という、
空にある水である。岡山にもある。ほか、東府という。
東大の浦の川である。ちかそよのお水という。大きな川が
流れていた東大である。槍を落とすという、東大の上で
落とした人である。国作りである。国作の爆弾落としで
ある。村上城の周り、数十の原子爆弾である。城目安に
周りに落とした話という。村上城の話である。あいっ
とむのおばく、という。ゆいゆるおんせる、ともいう。
水素爆弾である。和国という国である。大阪曽根崎上
という、ピカランというピカドンである。イオントーブ
の言葉である。ピカリドンという、私の好きな水爆で
ある。茨木の海がなくなった話という。雲花崎という、
投下の場所という。今の曽根崎である。

 また落とす話という。人心が乱れたら落とすという。
やなぎという、原子のことでもある。ドン花咲かせる
ことである。太平洋お書きという。落柿舎のことである。
原子爆弾製造所である。ばしょうの話という。去来の
ばくおく、という。吊るし柿の落ちである。縄糸の
吊るしという、これがある、アーホの町である、アメ
リカという、ダラスも、の、うちい、という。井戸と
いう井戸山の落としとぞう。後、ダラスが出る、こっ
こくという、コクソクの国という、ダラッセル山の
おちいく、という。ダラスすめ、という。ダラス
天皇である。アーホの麓という、アーホ山の麓である、
ダラス山という、古い言いである。

 我が懐かしの故郷、樫の木がある町とぞう。ある
阿呆の文という、関西便の阿呆とぞう。アーホ山を
観た人である。アメリカ・アラモ、だせすき、という、
すきやの今という、今のことである。原子爆弾を落と
すことを戦争という。戦争中の話である。

 弁当箱の水素爆弾、懐かしいことである。和国の
お書きである。

ぐだぐたいう世の中という、もうやった話である、
とうの昔である。ぐだぐだいうという、鮎島の言い
である、鮎鳥島ともいう。穂浦の東の方である。
ぐだという場所である。ぐだ島という。穂浦灘の
沖である。そこで落としたリットル・ボーイである。
原爆弾リットル・ボーイ型である。棒脳の話という。
原子を見る脳である。おれまがりの隣てある。

 やなぎよば、という脳である。柳野言葉を大切に
する人である。どんどん使えば健康になるという、
やなぎのことという。健康の脳という。アーホの
邑の教えという。アーホの邑の古老という。
アーホ山の麓である。ルシュという、蘇州のこと
という。アメリカのアーホの中国名である。
ゲリオンという中国語のことである、古い武漢の
言葉の音韻とぞ。イオン密国の言葉という。
イオン世の言葉である。密国がダラスを意味する、
ダラス天皇の言葉である。

 ワシントン・モーニカという、ホシントン・オ
ハラの話という。

そうきょうよい時です。島津よいときという、
 そうきょうの島津である。上田成明の世、これなり。
  世の矢のお書きという。
posted by 秋残り at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

卒業8154 俺154 原子爆弾投下 2/3 (壮強太陽) :イカスミ柳

この『りく』が、今の陸である。浜がある京都の町と
いう。斉明天皇という、斉明の住まいのむことという。
斉明屋という家ある。足利山のおとゆと、という。
足利家の山という。足利たよ、という、大御婆さんで
ある。斉明のお書きという。この日の水である。
斉明水という、家が屋根まで沈み、まだ、水が増え
ていたことという。この日、京津という、京津の山の
おえ、という。れが、えとの言葉のど、という。
てを、どという、えど水という、えどの言いという。
これが、みそかるの頃である。みそかるという、暦の
一日である。今日が、みそかるの日である。
未曾有の水という、京都が全部浸かったことという。
 ひがしやま三十六峰という、全部なくなった話とい
う。国興しの話である。

 おれまがりの京れという。京れ水という。町全部、
使ったのである。斉明のくと、という。くと山のおい
そい、という。これを、なかべ、という。後、中臣
(なかとみ)という、後とぞう。

 後、天智という天皇の、水時計という、これの延伸
である。天地の図という、この言いの天相という、天
気のことをいう。空の相(すがた)である。天智の御代
のお書きという。埼玉山の行きという。

 この日の埼玉という、日本の国をいう。日本のあや
まく、という。日本を、さいせる、という。これが、
後、さいとく、という、さいた、という。日本を『
さいた』という。埼玉の古い言いである。

 また行く埼玉、我が世の故郷という、古い里のこと
という。京都が水に浸かった日という。山沢のおかけ、
という、この分である。我が山のや、という。これを、
きつり、という、木を浮かべて夜を過ごす日の夜の
ことという。大きな水である。三日三晩の水の中で
ある。京都の水という、京都湖という、この言いの
京という。京水、狂水という。くるわるやのいと水と
いう。いと水の山という。この水の水がひいた頃で
ある。四曲の絵である。

 ひいた頃に船にいた話という。この船が今まだある
ことという。イージスという、大きな船という。船の
山のお書きという。この譜ね、後に、やまと、という、
書きに、大和という、だいわという船でもある。

 せんそうの道という、船通りである。水を、『た
つ』という、たつの通り世という。通り道である。
このたつのことという。水の出るむらうる、という。
らうれるの村という、穂浦のつるめる、という。
つたゆたのお言いという。

 埼玉へ行く日のことという、『おでんたっけく』と
いう。おでんのおかり、という。後、かりかき、という。
かりよるの絵の遣りという。絵遣りの言いとぞう。

 この日のことという、古都という既に古都と言うて
いた日である、京都を水っかす、という。埼玉を古都
国という、これを、水冠語いう、埼玉の古い言いとぞ
う。群馬へ行く日である。国興しの日々である。また
行く群馬の前橋という、駆動橋という、駆動の橋の造
りとぞう。京都水浸かりの頃の橋である。カップリン
グという使いという。カップリングが今の英語である。
カップルりく、という、かくせるの言いという。

 京都水浸かりの日、原子力炉が水に浸かったという。
その日の雲という、巨大な雲である。京都の町全部を
覆う雲が出たことという。応陽雲という、メキシカン
・ハットがそれである。応陽帽という。メキクシコの
町の、ふぁチゲという、ファチマという、今の、アメ
リカ国境線の地の言いという、地ファ地という、後、
ティファナという。アーホの町という、小さなことと
いう。古都という。オールド・レイシーズという。
れいしずの邑という。この邑の字という、巴の水と
いう、京都の古い言いという。この洪水の後の洪水で
ある。何度も水に浸かった京都である。オールド・
レイシーズがいう、アーホの水戸という。京都の水戸
という。日本を、アーホという、レイシーズの言いで
ある。古いレイシーズの邑の言いである。この字が
ある、巴水のおんたみ、という、巴という、我が名と
ぞそ。斉明巴という、巴よっこく、という、レーシー
ズの邑である。

 群馬から、ジェット船という、前橋の掛かる川で乗り
レイシーズへ行った話という。この日、邑枠(ゆうわく)と
いう、レーシーズの町の名という、大山があったアーホ
の町という。今も歌う、オールド・ジャーニーという、
オールドのあめりく、という。あふふ言いという。今の
南アメリカの言いである。後、しりえ、へ行く。しりすま、
という。しりやらの都という。原子爆弾の使いという。

 夏の夜の夢という、じゃんかっくという、じゃんくすの
言いの言葉という。原子の御代のお書きという。原子爆弾
を駆使する和国である。アーホの町の上という、原子爆弾
を落とした若い人という。マッチ箱四つである。山がなき
くずれという、なしくずしの山のことという。アーホ山の
ことという。高さ五千メーターである。また行くアーホの
町、我が埼玉の世という、斉明朝という、後とぞう。
斉明天皇の謂れである。たよ御婆さんのおことという。

 共に行った埼玉、アーホの邑とぞう。今も埼玉は邑とい
う、ここを、さきつみ、という、さきみゆ、という。さき
を見る邑という、さきつみむ、ゆらら、とぞう。
ゆらら埼玉のお書きという。

  そうきょうよい時です。
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卒業8154 俺154 原子爆弾投下(壮強太陽)  1/3 (壮強太陽):イカスミ柳

五条通りが大きなカワであった頃、水が出て、
カワを超えて水が来た。この時に、『ももかき』と言う
て水に祈ったのである。『いちぞき』という、みとせわ、
という、ここの八卦という。この八卦が、今の八卦である。
 暦という、こよのいいだり、という。これを、みよ浜と
いう。みとよせ、という。暦のひとである。この暦を、
えにより、という。みよよのえてすた、という。めよて
の言いという。これが、後、りずから、という、めとの
おこよ、という。これの言いの、みとゆし、という。
これが、今王という、今王の水という。水を、でませる、
という。みとの言いの、めよてす、という。この言いの
でわるき、という。出羽の国の興しとぞう。
  
  今の山形青森近辺である。この出羽の斉明という、
後、斉明闇という、斉明の名という、これを、すみしば、
という。今の、天皇の出とぞう。天皇が出るという、
斉明のことという。斉明天皇という。この日の、たいさま、
という。たいよのえりすり、という。出羽を起こすという。
みいつの興しという。みよみよのおいらく、という。
これを、出羽という。この時の興しの楽という。楽みその
、てんわ、という。てんわ楽という。学せるのまなえら、
という。これを、みたゆりのえせぶせ、という。えせとの
言いという。斉明の名の若い日の家である。絵に描かれた
家である。この日、よとせやら、という。よみつよのお言い
という。言葉がすでに、70ヶ国語である。この日、よいとよ、
という斉明のことの言いという。さいらぎのみた、という。
この、さいらぎが、今の埼玉である。埼玉を古く、さいらぎ、
という。

 さいらぎから行く、出羽の世という。世が場所である意
である。さいらぎみっこく、という。みつしくのおいいと
いう。埼玉の花ゆりである。その意味の、さいらぎ、と
いう。咲いたままの興すふみゆし、という。埼玉のゆい
さり、という。ゆいゆいのお興しという。

 みてゆたのゆいさる、という。また行く埼玉という。
我が世のはゆらべ、という、埼玉の間はゆの言いである。
はゆごという、埼玉の言いという。

 この言いが水を、よぞ、という。言葉をつけて、よぞ
水という、水のことである。よぞのくこゆり、という。
今を、めらるれ、という、埼玉の言葉という、埼玉の
冠語である、通常は、よぞ、という、また、水という。

 めらるれという京都の古い言いのことという。これを、
京冠語という、この冠語の言いの、すびひり、という。
これが、おれまがり、という、脳の内部をいう。脳の
一部という。脳を、けまれ、という、けすゆす、という。
埼玉が、これを、きもすり、という。脳を、きも、とい
う。他に、みのやり、という、みそう、という、みのう、
という、みるれるの言いという。

 みるれるが、この日の斉明の家である。四曲図屏風の
家である。この家に、すいかわ、という、水が来た家と
いう。ももかるという日の出である。はるか山という、
この山の名の水という、ももかりのお水という。
イロが、濃い紫である。紫の家という、斉明の家であ
る。この夜の家とぞう。夜に出た水という。水が鳴いた
という、鳴き山という、鳴き水の言いという。

 後、岡崎という、この岡崎の山の家とぞう、蹴上げの
山である。京都カワみく、という。蹴上げの家のでぞう
、とぞう。蹴上げのさいたる、という、出羽のことと
いう。蹴上げを出羽という、京都の出羽である。

 一方、奥羽の出羽という、出羽の国のこととぞう。
これが、名を全部、京都におく斉明の頃のことという。
蹴上げという、きもやり、である。きもの槍という、山
である。出羽の国の興しという。

 60年前の今日である。今日を、みぱすら、という。
みぱの世という、夜でもある。冠語の使いという。
埼玉を、かんせらるう、という。かんみとのお言いと
いう。埼玉へまた行くうちである。斉明遣りという、
歌いの節がある。この節が、頃を、いそ、という。
今のいそ、という、今の世という、今山のお言いと
いう。

 この『いそ』が、隋浜の言いである。この浜、京都
ずりうりふり、という。京都ずり、という。地がずる、
場所である。足利世の地ずり、という。これが、今の
、たよるり、という、たよ浜のずりという。地ずりの
お書きという。後、すめ、という。地すめのやらふり、
という。後、すめら、という、後、天篁という。天候
という。天気の状態を天候という、天皇の山という。
天皇という天記の状態でもある。これが、足利の天皇
という、大天皇という、今も、亀岡ではそういうので
ある。この大天皇という今の天相の言いという。天気
の言いである。

 頭に四角い箱のようなものを被る、りすかる、とい
う、京都御所の言いである。今の天皇の話という。
りすかるらんく、という、京都のかんせる言いとぞう。

 らんくが、今の『ランク』である。この夜の言い
という、水が漬く話という、国のことの言いという。
国を興す言いという。国興の浜りく、という。

 そうきょう良い時です。
posted by 秋残り at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽