2020年10月16日

卒業7590 俺590 御所文書(壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業7590京都船旅6490
古譜5490大原練習5390天の下5790  俺590 御所文書(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/16
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/16
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/16
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 
花押押す 御所文書 きれいやな
御所発家の ようれんそ 組まれた
色付きの文 里の花紙と 優雅
ふりやまの押し込め 花寄らぜに
華麗に書く私 文は祝詞小技
はんなり花押す


 狐の天気予報。〇r1999/07/11
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【歌語解説】
ようれんそ: 踏みの綴り
ふりやま:  花押のこと
花寄らぜ:  花押横の添え書き
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【御所文書一種】
【ふふれば、はなたれ】
 『ふふれば、はなたれ』御所の冠語である。
靴語ともいう。靴を頭に乗せる人の文書という。
 癲癇、きちがいには、頭に靴を乗せるという、
治るものという。これが、一部当てはまるもの
という。正常な時に頭に乗せて歩けばよい。
靴の恰好をした、冠、帽子という。たくさん
ある物である。

 『ふふれぱ』という、かんそめのゆいそい、
という。御所の古い風習である。自分を尊ぶ
御所の内のことという。これを、かゆぜる・
かっく、という。かくせるのゆいそい、とぞそ。

 『自分があって周りがある』という、
御所実存哲学である。極端に言えば、『自分が
あって、父母がある、周りがある。』徹底した
自分を考える、自分がある、その上に、周りが
ある。この考えで、御父母をいう。『自分が
御父母から生まれた』という、御父母をたた
えるひに、自分を称える。

 この御父母をたたえる部分を、宗教という。
宗が、祖先であることという。この、祖先のつ、
を、てみそら、という。奥津城という、墓の
ことという。自分の祖先の城という。
【天足】
 墓に、たくさんある表記である。これを見る
自分を、天則、天足、てんそくという。ここに、
挨拶をする、自分の現状を述べる、健康安全を
いう。これが、墓参りの功徳という。安全に繋
がることという。

 天則路という、参道である。墓へ行く道のり
の、のりふり、という。この『のり』を、則という。
足向く天路という。天足路という。
【そうきょう】
 ここへ行く自分を、そうきょうという。そっくす
・れえる、という。これが、れえるのれろはる、と
いう。れえるが後、道であることの意を伴う語源と
いう。魂を、れえる、という、れとん、という。

 これが、魂の語前(ごまえ、ごぜん)である。
魂を、まっくす、という。まくせる・ろりふり、
という、これが、ろんめのゆいらく、という。
【すげらく】
 上の文の論のめもなま、という。論目という。
これで、御所を、ろん、とぞいう。これが、御所の
実存をいう、実にあることの言いとぞい。実にある
存在をいう。実存主義という。自分の実存を第一義に
たとえる、すがかみふら、という、かわのこうひみ、
という。菅の笠、すげらくという、すげのかさ、
という。
【川をこうという】
 かわのこうひみ、という。川のこわふり、という。
これを、菅川という。かわを『こう』という。これが、
改革をいう、川の改革という、これを、こうかく、と
いう。こうすげらま、という。御所のうちつ山原、と
いう。これが、山を背という。山背はくれく、という。
山背のこうはむ、という、これの実の言いとぞそ。
 かゆふるれっすく、という、御所の冠語の使いの
説明である。この言葉を使っていた、御所在の日々と
いう。これが、実現した今とぞそ。

 改革を唱える政府内閣という、御所のはみそゆの
うちれつ、という。新内閣発足の、足出のはむれる
そっく、という。新玉のしんろる、という。

 川が添う、ない山の発足、とぞそ。これを、ふふらむ、
という。デジという、出地のこととぞそ。デジタルの発
様という、すげかわ、菅川の出地発(でじはつ)という。

 古い御所の復発である。これを、でじたる発足という。
でじたるを尊ぶ内閣の発足という。川に安全をいう、
菅のこんすり、という。これが、こんせまのすがれる、
という。さっせむろうく、という。御所の新閣のやお
うち、この『や』が、鏑矢である。
【鏑矢、かぶらや】
 敵地へ打つ矢という、御所のかぶの矢という、かぶ
らやの、『ら』が、『の』の意という。かぶの矢を、
かぶらや、鏑矢という。株のような大きな矢である。

 この、大きな矢を、はんすれ、という。はんをてそれ、
という。はんみその山浜とぞそ、御所のことである。
人に安全をいう、はんてら、という。はんるく、という。
はんうて、という。これを、はんさくまれく、という。

 はんをいう、このはんが、はっぺの発足の意である。
発足にはんが言われる、はんこと出た新内閣である。
こうかわのすがれか、という。こうゆらのゆみせま、
という。古い復発をいう、でじたるを尊ぶ、こうのの
言いという。川野山の言いという。でじたる発足という。

 復発に、花押をとる、という。花押を使う、復之(ふく
ゆき)のはつめら、という。めらが『おも』である。
おもてのことという、顔とも。文書で言えば、表面である。
この表面を、はなゆみ、という、御所の言いとぞそ。
はなゆみのおんしら、という。この『おん』が、掛かる
こうのの言葉という、『こうの』が、はんせらのゆみ浜
のたゆせる、という、こうのの語源である。表記に、
川野、河野、革化、とそそ。革化、かくげのこうの、
という、字のことである。革化をこうのという、字を
知らせた言いとぞそ。
【河野の花之(はなゆき)、デジタルのこと。】
 この革化(こうの)が、川にある、革(かわ)にある
化のあだしという。かわあだし、という、化野(あだしの)
という。これが、こうのの改革の、でじをいう。でじたる
の改革が言われる、川を尊ぶ、古い頃のこうの言いとい
う。でじたる発進という、発信とも。菅の山のお据えと
いう。菅のでじたるが、これをいう、山浜の発列という。

 改革をとるはっぱくの鏑矢の内という、でじたる発進の
ことである。新内閣発足をいう、はつえらき、という。
御所の古い、孝明の世という、この頃の御所の復足、輻輳
という、再びの出という。復発の内網という。網が、組で
ある。これが、ふつゆつをとる、とみせのふいはみ、と
いう。はみが、ゆい浜である、ゆいせらの御所の中の
浜の言いという。こうの由良という、こうのの川の野で
ある場の言いとぞそ。

 内閣場という、内閣由良のえっぺせ、という。でじたる
を尊び、でじたるをとる内閣はっくれ、という。はくせく
のゆいさま、という。ゆいようのあるせる、という。
【日本の安全、河野ゆっきくという】
 日本が、安全をとる意とぞそ。でじたるに安全を入れる
あみやママのくみすゆ、という。これが、どじょうのどん
すら、という。れこすてのすてらる、という。『すて』が、
『する』の意という。

 『れこすて』で、こうまくという、紅幕のゆいはる、
という。これの意という。ごにんそく、という。ごにんの
御所の言いとという。五人官女という、かんすばの言いの
ごにんという、これを、紅浜という、こうはまのいいす
つるてそ、とぞそ。

 これが、内閣の御所である。御所内の内閣という、
内閣という建物である。これが、かよふりのえいすば、
という。やよよってのるりはる、という。やよって浜様と
いう。こうのの改革という、御所の川の改革である。
御所の川を作った日の言いとぞそ。
【鞭声粛粛】
 御所に流れる、川の言いとぞそ。『鞭声粛粛、べんせい
しゅくしゅく』という、川の渡りという。こうのの渡り
という。川原を渡る、かみ山の、こうしま、という。
神山川島と書く、御所の川である。
【革化】
 これを、天れく、という。川天のかわせる、という。
これが、五人組である。御人ともいう。御所御人の組
渡りという。鞭声粛のしま、山という、川中島のことで
ある。これが、化けた話である、この化けを、ばれるれ、
という、川がばれた、という。化けた話である。
こうの、革化という、かわけ、ともいう、革化のこと
である。でじたるの川の流れという。文書の意ともいう。
流れ文の話である。

 復発の川流れという。川の開拓である。川を作ること
という。これを、革命川(かくめいせん、かくめいがわ)
という。命が流れる川という、革化、こうの、かわげ、の
意味である。川の野原のこととも。川が化けた革化である。

 内閣が発をいう、いゆ浜、という。御所の改草という。
改草が文である。この文が、文書である。五人組、御人
組の改草という、五ヶ序の御誓文が、これである。
五人組という、言いという。ばれた五人という。
化けた五人の、かわせまの、改革人衆である。

 復発の尊びという。新内閣発送、発足の丘という。
国会のことである。内閣である。

 ことしならむ、たゆせる、という。国会、内閣、政府
等の冠語である。たゆせる花里という、文書の里である。
文書を里という、花里という、御所の冠浦の言葉とぞそ。

 花押を使う御所という。御所から出す花押である。
一川という、一の字の下に川を書く、御所の花押という。
この御所、りとせらのごゆふれ、という。りとせらと
いう、御所である、御所のことである。ごゆふれという、
花判という。川の流れを字の綴りという、文書を、ご、
という。ごみせま、という。革化、かわげのろいそい、
という。これを、ろっくす、という、御所冠語の英語様
言いである。ろっくすろん、という。
【あんとん政府】
 政府を、すたっしま、という、冠語の出の、日本の
言葉という。すたっしま、という言葉の挨拶という。
政府の挨拶である。『あんとん、ればっせ』という。
これが、政府の挨拶である。『ればせ』という、
今日のことの意味という。今日を、ればせ、という、
政府の冠語である。
【政府冠語】
 御所が政府をいう、御所を、れんべる、という。
『あんとん、ればせ』という、受けに『るいさま』と
いう。意が『安全、とおる、いそのやり』という、
安全をとる政府の言葉とぞそ。
政府挨『あんとん、ればせ』
受け『るいさま』

『ごちそうさま』といわれ、
『おめおわれ』という受けである。『めせおせ』
ともいう。りりせるのお受けという。
『おはよう、召しあがれ』という受けもある。
れぶれっつくという言いである。

政府の人の言いともいう。れれてのゆいそみという。
めるてれんぜらという。ゆいよっとす、とも。
政府挨『ごちそう、さます』
受け『おめゆわ』という、これが政府の人の受けという。
民間じょっく、という、これを、『スペース』という、
英語のような受け言葉である。みゆっとという、れぶつ
の受け受けという、ゆれうる御則という。

政府の冠語という、冠語の一種で、政府の建物で使う、
御所内の政府という、御所らっく、という、これを、
らくせい、という、落成。建物の用語である。

ベロッセ山のお言いという。ベンテルのやおのうつゆつ、
という。これを、みよめ、という、みみってのおっすれ、
という。後、はっくす、という。政府を、みっせ、
みつれ、という。みよみよの言いという、政府冠語を
みよみよ、という、みよ、ともいう。やんざかやっさかの
、みやうつり、という、宮からおとなう、政府の言い
とぞそ。政府冠語という、みやれきの一つである。
この『みや』を、『せいすみ』という、政府の語源で
ある。政府すっさまのお言いという。みやみやのゆい浜
とぞそ。
【遊郭の言葉】
 政府冠語の一部が、後、東京吉原の言葉になる。
『おいらぜ』というのがそうである、政府冠語の
『いらめ』という言葉の入りという、吉原に入った
政府冠語である。この吉原を、よみす、という京都の
、しまぬばんはら、という、今の島原遊郭である。
たゆうという、たいふ、という政府役の役目の用いと
いう。初期の政府の役である。しまっするう、という。
たゆうという呼びをする、るみせるのお言いという。
すうらくの山という、落である、行くという意味である。

 『政府ゆ、落ちっすか、よしふらす』という、政府の
行きの、よし、という、吉原ゆかり、という。吉原へ
行く政府の役人という。政府の役を、同等に扱う吉原の
、京都の吉原という、今の島原である。

『ごみっそれ、おいらぜ』という、これを大名という、
吉原遊郭の大夫の言葉という、京都島原である。後、
しまつ・よんぱく、という、江戸野山ふみ、という。
ふみすらの言葉という、太夫の言葉である。

『ごもんぜ』という、『ごっしゃら』という、江戸期の
島原の吉原のたいふ、という。後、たゆう、という。
ほぼ同期である。

 『かっぷりらん(ぐ)』という、がむせむのおいそみ
のお言いとぞう。うつっせるらっくの言いという、政府
の逆の入り入れという、政府から吉原へ、吉原から政府に
入り戻った言葉とぞそ。
『みゆよっきし、あるせら』という、みよてらの言いと
ぞそ。
【月様、雨が】
 『月様、雨が』という武市半平太の、しまつゆ
もうでる、という。まみっくすの言いとぞう。『くす』が
言葉である、くすだま、という、たまの言葉とぞう。
くす、くすだま、たまという、言葉のことである。

『たませ』という、武市半平太のかゆへ、という、
かゆふれの・ういそい、という。これが、つきそいの話
である。病人看護である、かんせらるうのお言いとぞう。
【武市半平太】
 武市半平太が『しゅみ』という、今の首相である。
武市看護の冠語という、看護という冠語の一種ともいう。
るみっせる、という。ないちんげい、という、後、
ナイチンゲールという看護婦の意とぞそ。ナイチン
ゲールの看護という、冠語とも。

 ナイチンゲール冠語の『コウ』という、『コウト』
とも。コートが、小水という、小便である。
ナイチンゲール冠語という、ドイツ語である。ないほっく
という、かんそめの、かめそめ、という。カリーラル
レンレーという、ドイツ語を使う医者病院という、
『デーイーシー、アールファ』という、医者の言葉の
出しという。
【歯医者】
 『イーシーデーイーシー』という、主に歯医者が使う、
みよの言葉という、これが政府にある、医学用語の使い
をする政府という、初期の政府という。安全を、ナイ
チンゲール冠語から引く政府の初期という。これが、後
をいう、かんごの後という、看後、という。

 政府から吉原もうでをする、道程の安全をいう、
武市半平太という、『月様、雨が』の付添という、
医者と看護婦のことである。看後ゆっきし、という。
吉原わんれか、という、おさげの童女という、吉原の
子供のつき、という。子供が使う、『よんしょん』と
いう言葉という。『安全もってせ』という、もうゆらの
言葉という。おかっぱ童女の使いという。おかむろ。

 これが、政府を、よんしょん、という、安全政府と
いう。遊郭のあんとんという、あんとん政府という、
あんせらの言葉という。安全政府をいう、遊郭という。
遊郭がたゆうをいう、たいふの安全もたせ、という。
たゆうを立てる遊郭という、安全の太夫という。
これが、たゆうの役である。大名という、たゆうの名を
大名という、城づけ、という、城の大花のたゆう、と
いう。『みよるりのおわるり』という。たゆうの添い
という、月様太夫という。

 武市半平太という、土佐のゆうりく、という。坂本
龍馬という、どちらも芸人の名前に使う遊録という。
女である場合が多くある、昔の遊郭である。安全の名前
である。

 武市判という、武市班、武市藩のことという。遊郭の
押しはく、という、おししろ、という。押白という、
これを、おしろい、という、太夫の化粧という、おし
ろいの使いという、安全の意とぞそ。
【かしの敷き】
 かしの式という、遊郭の式という。これが、安全の
始めである、太夫のかしの式のぬりやり、という。
立てた蝋燭大で、塗りで光を返す、もてなすものの
顔に光を当てる、太夫の芸という、後々の安全という、
あんとん回しという。塗り物を回す、太夫の芸という。
回して、客という人の顔に光を当てる、蝋燭台の光ら
返す芸という。それが、安全の光である。
しきじきのしき、という、かしののおしき、という。
これが、こうはな、という意味である。高鼻。かっぺ
らっくの言いとぞそ。

 政府が通うひの、あんとん政府とぞそ。安全を
とる政府という、安全の内の手という。国とかかる
遊郭である。遊郭へ行く安全を手にする話という。
【田原坂】
『はるぜこませる、うちするこびれ、せとの
 はなゆき、こるきしべ』歌語の歌である。
 田原坂ゆっきし、という。
『せくな騒ぐな、天下のことは、しばし美人の膝枕』

 という、ばんせらの正則という、これを、柳しっぱく、
という。柳の正という、正をやなぎという、読みの出
とぞそ。島場の葦原の出という、政府のでずきる、と
いう、これが。でじたるのでずきず、である。
でじたるのことを、でずきる、という、政府の冠語
である。でじたるという、あんはっくのゆみすゆの
でじきる、という、でじたるの言葉という、たゆうの
ことを、でじたるという。
【こうのの川流れ】
 河野の川流れという、川野(こうの)とも。これで、
やなぎが添う、遊郭の川流れという。遊郭の門の、
あんとん門という。安全流れという。この門へ入れば
安全であるという。遊郭の安全という。川に柳を植える
遊郭の道という、辻々に柳を植え添わす遊郭録という、
遊郭のひんぱら、という。遊郭の貫禄という、安全山の
言いとぞそ。

 柳で安全をとる政府という、あんとん政府という。
安全政府という、セーフティー・ラックである。
安全落ち行きという。政府落ちの役みという。役人の
安全という。民間のじょっくす、という。じょくせら
るうの山という。柳陣博という、やなぎひろ、という、
遊郭のことである。芸に柳が付く話とも。

 落語家の名という、柳家ごんとる、という。柳亭と
いう、じんしょめの言いという。芸者を柳帝という。
やなぎてい。髪を、りゅうはま、という。柳浜。
芸者の髪のことという。
【男添わせ】
 男添わせという、芸者の安全を男どり、という。
添う男に、安全をとらす芸者という。これが、芸者の
安全である。自分と傍の者のあんぜんという。
【針】
 さろせるゆいはり、という。針仕事で、針で髪の
油をとる、針で髪をすくことという。これが、芸者の張り
で、針仕事をする者の針という、どちらも場という、
あんしょれ、という安全のことである。
【置屋】
 政府発家という、芸者の置屋という、安全をはりるり、
という、御所の遊郭の言葉とぞそ。これが、柳の閣をい
う、柳録という、建物を録という、御所の冠語という。
やむやむの言いという。皆、安全を付けていく御所と
いう。『御安心、めされい』という、御所住まいの人の
言葉という。この御所の流れの革(かわ)という。
これを、革川という、革命川という。革命御所という
御所である。

 初家柳家のごしょっぺ、という。御所へ来た者は、
安全をとらす、御所の心という。どんなものにでも
安全をつけていく、ごらせら、という。ごゆるれんす、
という。ごむせむの言いという。
【菅政府】
 冠語である言葉を、御所るみ、という。るびせるの
お言いとぞそ。インターネットという、安全をとらす、
サイトという、On Palace Lot Saying である。
Lot という、英語冠話の Safety である。
Lot Safe という、現代用語の英語の 、たくさん
安全である。すげの傘の編みが、それである。
すがれま、という。

 『すがちゃん』という安全をとる言葉である。
 『すがれん』ともいう、『すげはる』という、
 どれも安全をとる言葉である。柳門通りという、
 やなぎから出た言葉である。

 『すがちゃんとある』という言いである、
 『ふふれば』という、ふふの場で、すが
 ちゃんという。ふふという、扶桑の言い
 という。ふがまの山そり、という、山を
 かえすという、山のことを、かえすという、
 言葉を補うて、かえす山という。これを、
 ちゃんれまという。ちゃんせらともいう。
 正々のしゃっかく、という。尺角。

  正方形の正す言葉とぞそ。大学の正方形の帽子でも
 ある、すが帽、すがちゃん帽という。ちゃっくすれえれ
 の言いともいう。偉い人をちゃっくという、ちゃくせら
 という。この期の大和録という言いである。子供に使う、
 敬語の言葉という。
 
 『この人、いかはるのや』という、子供にこの人という、
 ちゃんせらの子供という。子供を大切にする言いとぞそ。
 『この餓鬼、しやがって』という仏教用語の言いとも。
 どちらもちゃんせらである。
 
 人名すがむ、人命とも。小林すがという、大川
すがという、小田れま、という、安全のとりの言葉で
ある。河野すがと言えば、河野安全という、山花の言い
という。すがちゃん帽という、大学の帽子の正々という。
しょうちゃんともいう、やな浜の言いとぞそ。

 ちゃんを使う、あんせらるうの言いという。
 あんとん則の言いである。ちゃっきーという、
 ちゃきちゃきという、ちゃきちゃきの言いとも。
 ちゃっさるれんて、という、名前の茶という。
 いっちゃという言いをする、あんとんの一さと
 いう。将軍を、ちゃんす、という。徳川家光の
 言葉である。徳川のようみる、という、将軍の
 徳川という、この言いの小林一茶という、小林
 茶の将軍という、これを、小林ちゃん、という。
 まんてる・らっく・そっく、という。
 ちゃっさる・ちゃっぴの言いという。よこみさの
 話という。この『みさ』の祈りの場で使われる、
 キリストちゃんという、キリストのこさりる、
 という。こっぱすやあま、という。こぱれるの
 ゆいそばりという。

  現在では、人によっては、失礼になるかも、
 という。この失礼が、村上しつれん、という。
 村上のあきぞる山という言いとぞ。行くことを、
 しつれんという、失礼のことという。
 『私は失礼します』という、『私は行きます』と
 いう、古い日本の、しつれんしつれい、という、
 しつれいの言いという、失礼の言いで、ざいらる、
 という。ざいみさという、罪な私という、キリスト
 の覇という、キリスト教に主にある言いとぞそ。
  ちゃんという、司祭をいう、偉い人という、主に、
 キリスト教の言いに使われる、世間の言いという。
 今は、使われない言いとぞ。さっぱすという御所の
 すざれらという、小さい子供をキリストという。
  その大人に使った言いとぞ。ちゃんという、大人に
 使う言葉とも。身近な例が、『おじいちゃん、おば
 あちゃん』である、大人が大人に使う言葉という。
 古い日本の常用語である。

  赤い顔をするという、柄の悪い言いという。
 あくぜらす言いである。よい意味ともいう。
 あくすられる山という。柄の悪い場合にもなる。
 覇という言いである、閥ともいう。大学閥という、
 しょうちゃん帽の言いという。今は、あまり使
 われないことという。

 使う場合は、てっそめ、という、てんばっく、
 という、てんすべの言いという。ばれせるを伴う、
 ばれたという、化けのことという。使った者が
 化ける話である。私が化けた俺ばれ花という。
 特殊な使いである、敬相の言葉という。敬が
 かかる話という。けいらぶの山という、警らの
 言葉の語源という。警察の言葉という、所長
 ちゃんという警察の言いである、昔の警察である。

 けいさみのかくすとん、という。最上敬語になる
 言葉という。御所の内の特殊な言葉である、
 日常の言葉である。この意味の言葉である。
 御所用語である。ちゃんさむの言葉という。時を
 大きくみて、使う言葉である。ぱんれすともいう。
 ぱっくす・ろーむという、パックス・ロマーナの
 言いとぞそ。すがれまのぱんすきという。

  れぶっせんらっくの言いともぞ。パックスという、
 平和という、安全の意味の平和という。これを、
れぶんという、礼文島の方言でもある。方言の
秋田み闇という、秋田の言葉の使いともいう。
ちゃっすうというちゃっくすである。くすという
言いである。秋田の方言が、これである。

 秋田弁の最上である。もがみせんという、秋田の
方言という、ちゃんという、『ばばちゃん、もいすて』
という、御所のすがご、という場の言いである。
『おめん、だあれらあ』という、すが場の言いとぞそ。
『そこの天皇』という秋田すが花という、言葉使い
とぞそ。すがちゃんという言葉である。すが語という、
これを、すがちゃんという、すがちゃん語という。
ポロカスという言葉の類という、ボロ花の言いと
ぞそ。

 悪使いにもなる話という。秋田の悪という、
悪太郎という言葉の類である。めっせるるう、
という。首相を、そうちゃんという、秋田始
まりのさべらく、という、あきせらの言いという。
言葉の残しという、秋田方便の言葉の残しという、
秋残りの言いという。秋田方言を秋残りともいう。

 ここの言葉である、そうちゃんという、すが
ちゃんという。すがを、そうという。菅の言い
である。すがせまのやかみか、という、かみを、
みかという、みさという。秋田のへっぽく、という、
へつらいの言いともいう。白羽の矢を立てたという、
立山の言いとぞそ。立山にもある言いである。

特殊な敬語である。どんなことがあっても、安全を
とる言葉という、たんめらせっく、という。安全の
とりという、安全を手にする、言いという。
ちゃんすべっくのお言いという。政府安全をいう、
国の安全である。国会の安全という、革命を起こす
という人の言葉という、安全を尊ぶ首相という、
ちゃんせらっくのこゆそゆ、という。

 革命に、もうくという、これを、れむつ、という、
明治の睦人の意味という、むつひとという言葉の
意味である。明治ちゃんせ、という、ちゃんねると
いう、寝るがかかる、チャンネルという、テレビ
等無線の安全である。総理の語源である。相理と
いう、古い頃の総理のことという、相理。
相ちゃんという、ちゃんせらねえらの言葉という。
ちゃっくすという。

 頭を天皇というひの、とうさん、という。
自分の頭を、とうさん、という、これが、
秋ぬな浜という、中脳の中のおれまがりの部位
という、花押を使う、すがちゃんの言葉という。
文化隆盛という、興る言葉という。りぼん、
という、履盆。季節の往来のことという。

 すがの秋という、秋のことである。
これが、すげのかう、という、かうをけんという。
県の出しという。秋田県令という、秋田から県を
出した、ろくろの御所という。秋田県令という、
県の発足という、復発を立て幕にとる、けっぺるの
さみれるそべつという。御所で廃藩置県をやった話
という。後、選挙制度である。『さ』という、
言葉の延伸という、秋田の県の名が、そうである。

すが県という、和国のあがたの頃という。秋田を
和国ともいう、その頃のかっぺという。国のことを
かっぺという、ちゃんさる、という、国のことである。

 ここの、いかずり、という、百手という、いかと
いう、これが、すがの菅野という、かやのさんぺい、
という、秋田のじっぴ、という。秋田の陽という。
秋田の太陽とちいう、これを、あがたという、
太陽をあがたという、これを県に充てた国造りと
いう。あまという秋田県の古い呼びである。

 和国の呼びである。これが、すがの太陽という、
秋田のようさま、という。すがれるすっぴく、
という。その言葉の残しという、秋田連絡と
いう、れんべつの言いとぞそ。秋のこし、という、
『秋の田のかりほの、いほのとまを、あらみ』
という、万葉の頃の秋田という。秋田県のとま
のやの言いという、秋田の場へ行く言葉のこと
という。秋の田のかりほである。秋田品浜という、
京由良の場の言葉である、秋田方言である。
失礼なきを願う文である。
【私は謝罪します】
 『さっとくすみ、ゆられそ』上文の冠語である、
これの解き下しである、上文である。
『私はおあやまり致します』、そうれるそっすす、
冠語のやせらぎという、謝罪しますという意です。
偉い人にむかい、おあやまり致します。お許しの程、
願います。

 五人囃子のゆれという、紫宸殿の摂家の言い
です。この『です』が、すがのです、です。
紫宸さっきくの言いという。新政府の出という、
明治の維新の一環である。すがせらやりという、
『私が謝罪をします』という、おあやまりのこと
です。『私は心より謝罪いたします』、失礼なき
よう、あられあられ、おん願いもうすみ、ありせ
られる、政府首相御方々、御許しのほど、重ね
重ね、もうさく、みみ山々のおあやまり致します。
 
 『いかに、おゆるり、はられあり』
冠語のあやまりです。

 平身低頭のかっぴ、るるせら山の姿とぞそ。
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 政府すがらん、ともいう。政府安全の言いとぞ。
すがの安全である。すがせまの言いともいう。

どんなものでも安全をつけていく、紙の安全という。
これを、スペースという、京都七条の祇園の言いと
いう。スペック・ジョイセムという。じょいそっく
の言葉とぞそ。
【そる、文化のこと】
 花押を使い、文化をそる、という。文化を謳歌する。
古いことの新しさという、復発の文かという、安全を
入れた花押とぞそ。文化を興す話という。

 前花に、川一の押しという、後花の、じょうる、と
いう。じょうるが、『上』の下に『ル』を書く、御所
ほんてき、という、本滴。御所出の文書である。
『前花川一(まえはなかわいつ)、後出花ユ(あとではな
じょう)』という、この『ユ(じょうと読む、ゆとも)』
が、しだらきという文字である。頃を、やまとふみ期、
大和文期という。
【八坂賀陽語】
 しだらんせらの花ゆり、という。メックス・レエルと
いう、ゆいもってそ、という、みゆみゆの言いとぞそ。
八坂賀陽語という、八坂花語という、みゆみゆ、という、
二語を二回使う言葉という。ヤーレル・サン・ロワッスー
という、八坂語のことである。やわせ、ともいう。
やわせたりらゆり、という、これを、みよん、という。
みよんの言葉という、みよん語の言いとぞそ。
はなはな、るりるり、おるれるお言いという。
これが、八坂語の花である、花が言葉である。
花語という、八坂語のことという。

 アールレー・フェッルラーという、オーリサン・
ファックルーという、祈祷師のような言葉という、
これを、さゆってる・らっく、という。めめその
言葉という。ゆいやらのお言いとぞそ。
めとんとのゆいてま、という、これを、八坂ごうふり、
という、八坂語の説明をいう。説明の文である、
ごうふり、という。

 エペッサ・パックの言いという、れぶんてのおいそ・
るるれる、という、これの言いを、花文言いという。後、
文化という、革化の一意とぞそ。

 内閣の発進という、御所内閣のはつゆつ、である。
『はつ』の『つ』、『ゆつ』の『つ』、これが、御所の
津である。御所津という、これが、初めの意であり、
場所の意である。

 これを、On Palace Lot saying オン・パレス・
ロット・セイングという。Flower Bet フラワー・
ベットという、ベットが文書である紙である。花床と
いう、文書である、花押がある場合とぞそ。
英語の花押とも。

外行ゆら、安全をいう、安全をめとれ、という。
やなぎの付けという、正外交という。安全第一とそぞ。
めとれやなぎの、いきふき、これを、ろめすれ、
という、首相の御安全あられ、ゆみ、御安全、
ゆみはむ、せろれろ、道々の安全、添い付くよう、
蔭ながらお祈り致します。

 タイ語で、フララーチュワンという、ふらせるお言い
という、タイ語のことである。御所の、ぴんとき、とい
う。御所のうゆふり、である。ベットラーゼという、
ごみそみのお言いである、文書のことである。

 この日のタイ、今のベトナムである。ベットという、
ベトナムのわかせま、という。わかれるそんみそ、と
いう。和歌の文書という。ベットラーゼ・ビンスという。
ベトナムの字で書かれた若の黄泉とぞそ。これより、
タイをいう、タイ国のベットという、びん原の言いと
ぞそ。あゆせるおすゆす、という。あゆの言葉という。

 これを、もいふり、という。御所の奥座の言いという。
ベトナム語のことである。魚の鮎の言葉である。魚鮎語
という、ベトナム語という。あゆはる・るいせる、とい
う。あんすゆの言いとも。

 ラージ・サン・カン・クーラーという。ベトナムの
ハノイのやのお言いという。ホーテカという、
べんさらのゆいそり、とぞそ。がいせる花のや、という。
ほんしゅら山お書きという。

 新内閣の発送のおくれはる、という。おくりはるの
送春という、送春国という、ベトナムである。文の春行
という。国のおとゆと、という。このひの、ベチナムと
いう。べろせろの浜山という。御所の浦三位という。
三位国という、御所の呼びである。
るみっせらるうのお言いという。ベトナムのホーユの
言いという。ほーれる・さっぷく、という、この『ぷく』
が復である。

 光復という香港の復という、アメリカのオマハの近く
のリンカーン町という、光復町という、光と復の弓浜と
いう。このひに革命をいう、世界の同時革命という、
アメリカ・リンカーンの革化(かくか)という、これが、
革命である。安全と健康を得ることである。

 白羽の矢を立てる、イングリッシュ・リットン、イ
ングリッシュ・リッツという。リットン・ハールレー
という、御所の乙女浜という、アメリカのリンカーン
町のおとルるという、おとなうことを、おとる、という。
訪問のリンカーン町である。劣るという息という、名を、
小林劣という、リンカーンの訪問である。バックス・
レーレのお行きという、若い人の山々の御名という。
山々礼の名のこととぞそ。劣る山の歌という。

 さざんれっくという、さんぷらるのお言いという。
れめっけす、という、やまんのせっぱく、という。
れれての歌という、るゆるゆやっかり、せむせる山、
という。ゆいゆいのおるす、という。『るす』という
訪問のことをいう、おとない、という、おとずれ、と
いう。るすれす山のお言いという。

 これが、薩という、薩摩の九州の名のつけ、という。
薩摩九州という、この九州、今の、おくれ浜という、
おくするはのやのふれ、という。八島、大矢島のこと
である。日本のことである。九州という呼びをする、
日本の国のことである、日本列島のことである。

 これが、日本の古い言いである。今は、この使いを
しない。日本の国全体を九州とはいわない、現在で
ある。日本全体を日本という、九州と言えば、日本の
一部である、今のことである。

 ベトナムのそうきょうという、そうきょうよい国
である、ベトナムである。
  
 御所の鏑矢という、俺が打った花鏑(はなかぶ)という。
命たくさん、安全便という。ユイット・コックスとぞそ。
政府、セーフに命中するやら、安全政府、セーフラン・
ロックの言いとぞそ。安全備えつけの政府という。
 大根の鏑矢、政府から政府へ回っていく、ガバンメント
・セーフという。あろう話である。政府に安全がある、
ガバである。

 ガバという安全をガバという、平家落ち武者が、ガバと
乗り出したという、平家物語の中の安全である。ガバ
ンメンという、安全の面という。平知盛という、平地盛と
いう、竹田の平家という。この物語が平家物語である。
安全が入っていることという。中学の古文がそれという。
安全をとらす教育とぞそ。ガバのメンタックスという。
御所の掛かりの平家である。平家の落ち武者という、
若い人である。俺の頃の言葉である。
京都墓町の頃の言葉とぞそ。京都の町全部が前方後円墳
であったという頃である、俺の頃という。

 後、仁徳ゆっきし、という、ベルンゼともいう。
のうゆら発という、へいじょうの山はる、という。平城
勢という。平常のはみそゆ、という。仁徳の言いの元で
ある、俺の言葉という。おれまがり中脳の出である。

 『かぶ』がそうである。歌舞練場という、遊郭の付き
物である、芸者の付き物という。日本舞踊の安全の話で
ある。いゆきという舞踊の流派にあるという。
いゆき舞踊の歌舞という、かっせられって、という。
後、やな流という、若柳流、花柳流という、芸につく
柳である、安全であることという。いゆき舞踊という、
ばんせるれとんの舞い、という。花みかのれゆ、という。
花見の頃の舞いとぞそ。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)
//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
腹を横に書く。
**************
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/11 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る
posted by 秋残り at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽