2020年10月04日

判子

 私は、判子が大好きである。
欧米人のように、署名だけで、おわらせる習慣には、
おもしろなさを、感じる。
 昔、欧米人にも、判子があった、欧米人が判子を
使っていた。判子を使う楽しさ、何故、たのしくなるか、
悪が付かないのである。悪が発生しにくくなる。
結果、心に楽しさが出て来る。
 不必要であるという政治家がいる、大反対である、
この辺の考察が欠けている。

 地名に字を使う所がたくさんあった、ある。
新しい市町村名にして、字をつかわなくてもよいと、
した、結果、犯罪が増えることにつながった。
 この辺の考察である。

 御名御璽の墓という、古い墓には、沢山ある。
個人が、御名御璽の判子を使えばよいのである。

 二千円札という、何故ないのですかという、
発行部数が少ないからですという。答えにはならん、
こんなことしかいえない関係者という。
 国会議員、なぜですか。こんな簡単なことに、
一言の疑問を呈せない。国会議員、また、政治家の間で、
二千円についての論議もでないという。

 日本という国、昔から、こういうことをする国である。
穴の開いていない五円硬貨があった、これれもすぐになくなった。
 不健全経済という。日本は悪い国であるといっても差し支えない。

 西洋人に判子はいらないものといい、今度は、日本人にも
判子は不必要であるという。
 ハンコがあれば、悪が小さくなる、これを、なくそうと
する、こそっと悪人が出るのである。悪がしやすくなる。
不必要というのではなく、はんこをなくそうとする目的は
この辺にある。

 字(あざ)をなくそうという、簡略化という、よく考えて
しなけけばならない。住所に、『字』を使う、子供に、住所をいわす、
『あざ、なになに』といわす。これで、悪が防げる。字の復活という。

 この辺を考えるべきである。
『字』を、復活させればよい。
 個人が、御名御璽の判子を使えばよい。
そこの先祖を、尊ぶことである。金封などに
使えばよい。


 個人から、判子をなくさないように。
判子をどんどん使い、悪を防ぐことである。
『何何家御名御璽』、こんな判子を作り、
墓参りや、御先祖供養に使えばよいのである。

 また、ちょっとした文書には、自分の
判子を押す。常識だよ。悪がなくなっていいよ。
外国人にも、判子を勧めればいいよ。
署名押印だ。

 二千円札もそうである。二千円札が流通すれば、
悪が出ないのである。経済の健康という。
一言も言わない政治家、経済家、不健全経済に
賛成しているのだろうか。生活と密着している
お金、そのうちの二千円、二千円札のこともいえない、
いわない政治家等、どうなっているのだろう???

 二千円札をどんどん流通させて、経済によって、
悪を断ち切る、また、健康をえる、これがよい
方法である。

 裏でこっそり、値を吊り上げて売られている
二千円札という。これ、犯罪である。流通貨幣に、値を
つけて交換してはいけない、等価交換が原則である。
言いに、番号がそろっているとか、関係のない
ことである。不健全経済の、一現象である。
大學では、どう教えているのだろうか。
まともな人は、不健全経済という。

 経済流通疎外、刑法になかったかな、国とか、
銀行とか、地公体とか、抵触していないか、
だれかが集めている、抵触しないか。

 こういう面に関しては、悪い国である。

 日本人は、おだやかな国民性で、革命をおこした
こともないという、こんなことを言うて、革命を
悪くいっているのか、革命を警戒しているのか。

 どんどん革命を起こすのである。健康と安全の為に
革命を起こす。美容も加えておこう。天命、惟れ、
革まる、である。命大切、命を長く保ちましょう。
健康で長生きしましょう。革命。

 そうきょうは、よい時です。

一字一柳。
一区一柳。
一区一天神。

なければ、張り紙。この辺が、子供を含めての
安全である。
 騎馬警官などと、もっての他である。
 馬には乗りませんというのが、常識を保つ人の
言葉である。

カメラの二眼レフ。三千円札。
posted by 秋残り at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽