2020年10月21日

卒業7660 俺660 天王起革(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業7660京都船旅6560
古譜5560大原練習5460天の下5860 タイ 俺660 天王起革(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/21
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/21
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/21
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 


 狐の天気予報。〇r1999/07/16
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【デジタル】
【起革】
2020/10/21そうきょう、よいときです。

 革命という、改めの意図という。生命の検証と
いう、病院、健康診断の大切という。これを、
きっぱら、という。きよみろの敬浜という。
これを起革命という、起革という。

 健康を世による、かいせき、という。これを、
きとゆみ、という。すべての人に健康をいう、
これを、きりせき、という。ごみそみ、という。

 えるれんての闇という。革命を起こして世を歌
うことの意という。世を自分の生きる世界という。
自分がいる世界である。これが、とんをいう。
とんはとの言いという。とっせという、とうせの
世界という。とうせよのことという。

 いばしばのれんとれ、という。これが、革命の
ことをいう、へろれ、という。へろそれ、という。
へろれのかまりき、という。この革丘(かくおか、
かくおく) を、けてまみのや、という。丘住まい
のおてゆた、という。これを、ゆた、という。

 『ゆたゆた、よたよた』という、民謡の掛けの
いいとぞう。これが、ゆとせみに、という。
ゆよ山のいいという。山を天という、この言いの
山々という。山をけんたり、という。けんそんの
いいという。けりてりの丘ゆき、という。丘の
住まいである。

 これを、みとさき、という。さきを、先という。
この先が山の先、埼である。山崎という。丘の埼
という。これが、天下をいう、天下のことの言い
という、これの意の天王という。天王山の言いと
いう。山崎宮の話という。この地域を宮という。

 これを、大阪の山々の言いという。京都が、
これを、ぞいたき、という、滝添いの山目言い
という。山目のお滝という、これが、のち、水無瀬
という、地名の由来という。水瀬という。

 この『無』を、意味のある無という。水をなす
瀬という、瀬なし水という。なすという意味の無で
ある。なしゆしの言いという。これを、むよっと、
という。

 『よっとよっとよっとよっと』という、水無瀬の
はくれるそてす、という。この『はく』が、無という
表記をする、はくむ、という字のことである。

 この水無瀬を、ありるき、という。ありせの
ありっぽ、という、ありらるろいすり、という。
この言いが、天を斜めという、天の見の言いと
いう。大阪の天の言いとぞ。後が、斜行天という。
これを、おんぼ、という、おんば、という。

 おんば日傘という、斜めの天の日傘という。
方にかけた日傘の差しの姿という。おんぼれ
みかき、という、日傘の際という。

 傘を肩にかける姿という。斜めのことを、
おんば、おんぼ、という。おりとりの言い
という。これが、にまれりの柿という、書きに
斜めに書いていく書き方という。これで、人の
肩を、ななめ、という、ななゆな、という。

 この斜めの斜行という。肩を、かきなな、という
これが、大阪の山崎の言いである。京都の山崎と
いう、同じ場所である。京都川から、おきさり、
という、かきななのことである。

 人の肩を地名に充てた言いのはて、という。
これが、両肩を、かきななおきさり、という。
京都の言いと大阪の言いを合わせた言いという。
頭を天王という、これを、人体の地名の言いと
いう。人の体の地名言いという。

 足を、さよあお、という、青森足という。
腹を、はそめ、という、この『はそめ』の
『め』を臍という。この臍が、日本という、
二本足の上という。体のほぼ中心である。
これが、地名に充てた体の言いという。
西脇という脇のことである。東脇という。
天王山の言いともいう。

 自分の体を天の山という。そこをいう、
そこの天という、自分のいる地の真上をいう。
これを、ござふり、という言葉の使いという。

 この『ござ』が、自分のいる座という。
御座所という自分のいる地である。これを、
おそめ、という。おそめという地のことという、
御座所のことである。体の身である。体がある
所という。おそめのござれき、という。
おそめ山という話とぞ。

 これの言いの天王山という。自分を天王山に
見立てた上の言いである。底の天王という、山麓
の天王山の言いという。その地を、かめよみ、
という。自分を天王山に見立てた言いの上である。

 これで、東脇という、自分の右を当てた時に、
天王山を前に見る時の、地の、言いとぞう。
これで、肩を、東なめ、という。これが、かめお
という、かめおの言いという。後、亀山天皇と
いう、亀雄の天そめ、という、亀山天皇の名元
である。自分を、亀せる、という、かてゆた、
という。亀山天皇の言いという。

 『かめせせるは、いよん』という。
 『かてゆたは、こいれみ』という。御所の亀の
場の言いという。『亀』が、自分の背という。
背を、亀瀬という、単に、瀬、亀ともいう。
これが、御所ふれという、御所の言いという。

 亀山のていそり、という。亀山天皇のお言葉で
ある。かめせるお言いという。かてゆたの言いと
もいう。これを、斜め山という、言い方をいう。

 かめとれの言いという。後、孝明という天皇
の名の家という、御所内の家のひょうす、とい
う、表札のことである。孝明家という。家のこ
とという。家に住まうことを、孝明在という。

 孝明のありよみ、という。これが、孝明天皇
のことをいう。浜山の丘の人という。御所のこ
とを、浜という、この浜の丘という、そこの人
である。亀山天皇の言いという。孝明家のいぽ
浜という、孝明在のすめそめ、という。

 これが、こうや、という、こうやどうふ、と
いう。こうしがのいいぞり、という。こうせん
山のお書きという。この書きが、さるお、と
いう書きである。さる山の家という。さてすらの
おいそい、という。後、大宮御所に住まうこと
という。

 大宮御所も数か所ある日という。一つが、
水無瀬大(みなせおお)である。一つが、山ふみ山
という。一つが、みおはまりり、という。
一つが、あやなむや、という、綾部よいふき、と
いう。今の綾部市である。一つが、そのこよ、
という。園浜のいそれやり、という。大阪の
曽根崎のろとよ、という、今の御堂筋のかかり
である。一つが、みなよっとれ、という、水瀬の
吹田という、後、たかれま、という。後、たいそれ、
という。これを、六体という、自分の体を六と
いう、六体という。六体のいそはり、という。
これが、両足、両手、両頬の言いである。
自分の地の言いという。みぎよの山という言い
でもある。亀山考証の言いともいう。亀山天皇
査察という。頭を貴ぶことの言いという。
これを、天皇考証という。自分の天王山の言いの
延伸という。展開である。

 御所の天皇査察という言葉の意という。自分
の頭のことである。これが、のち、いんたり、
という。印章で表す印象という。象徴という、
印象にかかった、印章という。これを、ぎょく
はら、という。玉の原の言いという、腹である。
腹が原である。自分の体を地に見立てたことと
いう。これが、孝明天皇のことの言いという。

 のち、琴の形状という。ことで表す、体と
いう。琴にクマらをさせるという、自分が
寝ることをいう。これが、きんそき、という言い
である。後、公達(きんだち)という。

 この公達を、こうりり、という。こうせん、
という。こみ山のお言いという。れてそれの
お言いという。公達の目という、言いである。
公達目という、言葉の使いという。

 これが、孝明の世の言いである。孝明しょっ
ぱら、という、こうみょう浜の言いともいう。
孝明と書く。後、功名が辻という、御所の中の
辻である。孝明の頃の言いである。光明ともいう。

 といかりのおそゆそ、という。これを、かんせ
か、という。かんかせが、かんの家である。この
『かん』を、かり、という。かんそれの言いと
いう。せかすらのこんぽき、という。ほんるめの
言いという。いいそのやりおり、という。

 これが、こかん、という、こかんの山のおい
れる、という。こうみょう天皇という、孝明の
読みという。この『こうみょう』という、大山
崎という、天王山の麓の、小川ゆきはり、という。
小川が今の淀川である。一般名詞の小川という、
これを用いた言いという。大山崎麓を小川という、
孝明天皇の言いである。この小川地を、孝明ヶ
辻という。山崎麓の天王山の地である。

 これを、竜崎という。勝竜寺が近くにある
地という。おとめとの御名という。明治がいう、
女という、御名の意味の女である。女孝明と
いう、こうみょうの御名という。小川山のお
書きという。孝明天皇の生まれともいう。

 藤原の里の近くという。藤原京のことである。
これゆらごみ、という、地名である。この『こ
れ』が惟任である名の始まりという。
藤原惟任という名の人のことともいう。地名で
もある。藤原忠頼の話という、地名の由来のこ
とという。藤原ただ地の地名の由来という。

 忠乗の名継ぎである。藤原山のお書きという。
古い御所の話である。小林の名のこうれぎ、と
いう、かめせの名という、小林の名前の由来と
いう、孝明が由来という、後、ごんせく、という。
前、ひっぽる、という。

 『ひっぽる、れてすめ』という、小林の名の
意味てある。小川山の言いという、いそみその
言いという。おおれられんくの言いという。
小林の浜という、磯の浜の御座居という。磯野
の浜の隅という。古御所山ふりの名という。

 かんすて山のお柿という。これを、御所はつれ、
という。古御所のはずれ島である、そこにいた人
とぞう。若い人である。立山一(いっつ、いつ)と
いう。立山位置の人である。立山五(たてやまい
つ)ともいう。御所内の山である。

 言いに小林という、小囃子という、小さい林の
そばの住まいという、幸の井のそばである。ウェ
ットン・ハールレーという。今そよの花雪という。
花の雪の降るところという。大阪曽根崎の曽根雪
ともいう。青い雪の幸ゆれ、という。さちの意の
幸である、こうみしのすまれる、という。
御所の中の長屋である。功名ヶ辻のおいきという。

 おっぴら山という、大山の大弓という。弓花きき
ゆき、という、これが、花紀京の名の由来である。
大阪の場所である。咲洲のそばである。古御所黒
ふりの頃という。黒い雪、緑雪が降っていたころ
である。ウェットン・サーキーという場である。

 サーダーの沖という、沖島の沖ゆ灘という。
沖縄浜山という、首里ごわれむ、という。
首里が大阪と京都にかかる地名である。
しゅばっせという、べんぜるの地名という、
首里のことである。孝明天皇のころの地名である。
秀吉の浜住みという、後、ござの寝の浜という、
土佐浜のござ寝という。京都桂離宮という、桂の
浜という、さがるきの地という。桂浜の離宮という
土佐の桂浜の離宮という、からんせらっく、という。
土佐の坂見ゆま、という。土佐城の一室である。

 そのことの言いという。桂のこじつめ、という。
こじつという、故実の言いという。『かつらんれ』
という、『かつれつ』という、これが、ウェットン
であることともいう。『とん』が言葉である、
英語とも、ウェリントンという、ウェリン語である、
ウェリンの言葉という意という、英語のことという。

 らっくれくとんはく、という、言葉のことの
ゆれという、うぇっせるろん、という。『とん』が
揺れて『ろん』という、これを、ゆうふり、という。
夕方の言葉である。

 夕方がゆれるという光の見という。ゆうこう山の
お書きという。この夕を、堰という。ゆうせきと
いう、ゆう山の言いという。

 これが、天を手という、手を、むそれみ、という。
それみの言いという。おお、それみ、という、おお
それみよの御代という、いたるりのれんせ、という。
夕堰(ゆうぜき)をイタリアという、功名ヶ辻の言い
である。おりょうの言いという。

 りょうはんさっく、という。大阪のごりおんと
いう、京都のりょうはん、という。おりょんはん、
という。『はん』が『さん』という、おりょうさん
という。怨霊の言いという、後、音量である。

 玉音の言いの掛かりとぞう。御所放送の玉音放送
である。放送始めのあいさつという。
『そうきょう、御所ほうるるをとる』という、これ
が、御所放送のあいさつである、今のラジオ放送と
いう。テレビ放送の言いでもある。

『ほうるる』という、小川の川の流れの言いという、
御所の小川という、山背の言いという。ほめせる
とけせ、という。功名ヶ辻放送という、古御所の
放送という。革命の流れ川、大山の言いの放送の
言いである。『放送』が、古御所の孝明記という。

 これを、まとすみ、という。ますとの言いという。
船のますとである、放送の無線の発受信という。
その役割のますとという、ますこみの語源である。
増本、増元という名のような言葉である、放送の
ことである。

 電波の波の掛かりの川の波という、川を重んじる
放送という、藤原の玉姫の話である。川波の箱波と
いう、箱の形の波のことという。大きな波である。

 台形になって流れてくる波という。淀の川の津波
という。淀川の波である。小川という淀川である。
水無瀬当たりで、この波が出る、恐ろしいほどの
波である。淀川の淀海という言いの頃の波という。

 淀川があふれ出したら箱波が出る場所という、
川である。水無瀬三吟という波である。大きな
色んな音を百韻という。ももの川の百韻川という。
箱波の音という。淀川のことである。

 鉄砲水の出る場所でもある、いばらぎという
場所もそうである。ある晴れた日、きれいな音と
ともに突然出る水である。地面の下の水ともいう。
水琴窟のような音である。卿という場所がそうで
ある。丘もそうである。警報の話という。デジタル
発信という、卿万という、出地落ちという、
出地方の警報という、警報官を、敬卿という。
レブランドという、若い人の役目である。
凛とした音という、鈴虫の鳴き声という、
鉄砲水の音である。聞こえたらすぐに来ること
という。怖い話の幽霊の音である。あのお富さん
の顔という、ある晴れた日の突如という、
ピンイルカートンという、ピンカートンの涙という、
あのオペラの私見である。

 『あっと見たら、お富さん』、はっとしたら
鉄砲水に化けていたという、ある晴れた日の物
語である。幽霊のお越しという、幽霊にとりつ
かれたら、かごを持てという。

 かご表の江戸往来という、鯛姫闇の闇の名で
ある、これが、卿戸(きょうこ)という。響きの
声である、『ホー』という、フクロウの鳴き声
という、よく聞こえれば、鉄砲水という、ふく
ろうを大切にする、鳥のフクロウという。
動物をたとえる話である。警報鳥という。
若い人の鉄砲水の教授である。御所山の鉄砲水
という。御所に出た水である。祐の井という、
この字を使うところという、祐、フクロウがいる
場所という。

 鉄砲水の出の場という。水琴窟のことである。
祐の井の井戸が水琴である。地上の水琴である。
ことを一水琴という、一水のこと音という。
祐の井の音である、一滴の音という。井戸の水
滴が水に落ちる音である、一睡という一滴のこと
という。水琴窟と同じような音である。この音が、
すんで聞こえる音である。すまぬや、という、
若い人の長世住みという。すんで聞こえる音と
いう。清い音という、清楚という言葉の語源で
ある。楚屋という家である、長屋の一軒である。

『すんで聞こえるか』という語り部の言葉と
いう。御所漫才の出という。

後略。
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■
『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)

//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
腹を横に書く。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/16 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

posted by 秋残り at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

卒業7650 俺650 天王山 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 卒業7650京都船旅6550
古譜5550大原練習5450天の下5850 タイ 俺650 天王山(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/21
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/21
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/21
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷


 狐の天気予報。〇r1999/07/16
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【三本指】
2020/10/21
【デジタル】
【言い天皇】
 言い天皇という、藤原の里、天王山という、山崎
という。天皇山というのが、この山である。言い
天皇という、山である。
【天下分け目】
 天下分け目という、これが、『わけかく』の意
である。卑弥呼大和の言いという。この大和を、
丹初め(たんそめ)という。丹波の国という、日本
のことである。これを、わかけま、という、卑弥呼
朝の言葉という。

 卑弥呼がいう、『けろれら』とぞそ。そっとと
いう。そっと分ける という。めるれるのことの
葉のゆいほむ、という。めっせむれえれ、という。
【日本の中の漢】
『漢に国をほれ』という。国しびの言いという。
漢たいゆ、という、太夫の意味の読みという。
たいゆれんらくのくい、という。これを、トラ
ケルという。古い日のトラックのことである。

 トラレルロンという、ロンが道である。トラック
ロンという、トラケルである。これを、駆使する築
城のことという。江戸城の築城である。

 やまらのいそみそ、という。山田れんてのいと
よそ、という。 ここの太夫である。山田まま、
という。太田道灌のことという。

 これを、鏡ふれ、という。れむれるろいほい、
という。冠語の頃の江戸という。今の東京の江戸
である。
【江戸城築城】
 この江戸城築城に、『にを添わす』という。荷。
二、とも。これが、二条城の二を添わす、二条の
城の曳のことである。『城にゆられ城の音夢』と
いう。これが、皇居の唱和という、音に掛かる
言いという。唱和城という、音楽の言いの城である
、二条城とも。若い人が通う音楽教室、二条城で
ある。御所夜学の音楽屋という、二条の城の勉学
という。これを、天王遣りという、遣りが勉強で
ある。これを、添わす江戸城という。

 バックスという、唱和の一役という。今の音楽で
たくさん使っていることという。ばくれる歌唱と
いう、歌唱という江戸の城の、二条城の添わせ
という。奈良の、しめゆれ、という。
【奈良の城】
 奈良城代歌唱という。奈良の城が添う江戸城
である。しめゆれという、しめせの城という。
しめせという。よいはく、という。この『はく』が、
白と書く、言うことという、城ともいう。
これが、二条がかりの意味である。
【三国、第三国】
 『しめ』を、『めせるき』という、奈良城代の
家老の言いという。この奈良の、たんそり、で
ある。古い韓国という、日本の中の韓国である、
奈良のことである。これが、パンリマという。
りぜられのおっそめ、という。これが、韓国岳と
いう、からくにの名の山のことという、現、広島
のことという、広島に韓国がある日ぃのことという。
この広島を、類浜という、るみて、という。
あがつ言いという。あおる言いともいう。あおせ
らるうのお言いという。広島韓国と、言葉を補う
言いという。後、九州の韓国岳という。福井の
韓国という。これを、ろんはむ、という。

 この論を食うという。論食いとの言いとぞう。
広島福井九州という、これを、三国という、第
三国という。福井と、ひろるき、という。
ひろるきが九州である。これを、福井広という。

 福井から、九州へ行く卑弥呼航路という、卑
弥呼きばはれ、という。ひろるりの言いという。
卑弥呼の山堰という。堰たる連ずれ、という。
卑弥呼の道中という。これが、トラックが添う
た行きという。船が海に行く、トラックの浜辺
添いという。山陰道の造りという。
【宍道湖】
 宍道湖のたんぽく、という、丹北。これが、
しんそうの言いという。宍道湖の『うれすみ』
という。道造りの話である。後、戦闘機を飛ば
す、ひっせらるうの飛ばしという。これが、
三国海軍という、みくに連という。三国連隊の
戦いという、道を作ることである。これで、
今も、軍が道をつくる話という。この三国が
船とトラックと飛行機である、トラッケ山の
お書きという。

 これが神武で表される記という。日本書記
編纂という若い人の役という。漢字を駆使す
る書物である。英語の入れという。英語が
漢字で書かれている箇所のことという。
【大きな袋】
 後、日出る国という。出雲の民話という。
若い人の作った話である。『大きな袋を肩
にかけ』という、にかけの夢という。
国を興す言葉という。みよってという。
みすてすのことのゆいから、という。
この『から』が、カラオケのカラである、
地の韓国の韓である、九州韓国の掛かりという。

 これが、江戸城の歌の、歌唱という。江戸城に
歌をとる歌唱の江戸という。江戸の町の歌である。
童謡に置く歌という。

 これで、江戸城のトラック国道を、大きな袋と
いう、道のことである。荷を運ぶことの言いで
ある。現今のトラックである。荷を運んで城を
作ることという。卑弥呼の頃が原城である、元
城とも。卑弥呼の頃にトラックはあった話である。

 歴史数組という、れきほきの書きである。
宍道湖にこの民話がある、これを鳥取連ずれ、と
いう。大国山という、たいほのすうみる、という。
大仙を大国という、古い言いである。

 やってらろっくという、大きな袋の歌である。
袋小路という、復路の工事である。これが、
隠れている意味である。道路工事の歌である、
ワニの背を渡るという、道造りである。橋架け
のことという。
【綾部】
 歌唱城という音楽の言いの江戸の城の歌という。
大きな袋の、国の道という、これを国体という。
国体道路という。国造りの人の言いである。
よもの山のおすよ、という、綾部論という。
綾部の矢の譜という、上記の文である。

 綾部の掛かりの綾の言いという、大江山の鬼の
話という。鬼が住む大江山という、大仙の山の
言いである。綾部と鳥取の言葉が々の部分という。

『そうじょろ』という、『そうだ』のことである、
綾部と鳥取にある。この英語を、『So said』と
いう、『そうせっど』という、後、『So do I』と
いう、古いCOXの英語である、ロンドン・コック
スという。これが、あーざという、字の掛かりの
地名のことという。綾部大江山という、綾の国の
あーざという。あざ(字)のことである、地のこと
である。これが、綾部の古い地名になる。

 京都から、綾部へ抜けて、海路、鳥取経由九州
行きという。神武西征の話という、『征』が『せ
める』である、『行く』ことである。各地を平ら
げたという、整地の話である。

 これを、コックススーラという、音楽のスラー
の、英語以前のイギリスの言いである。あめるせ、
という言いである。冠語の世界の頃のことという。
【穂浦の巣浦】
 古い巣浦のスーラである。スーラホートーと
いう、中国の『詩』という、この『詩』が、地の
ことである。スーラホートーともいう、初めの
意ともいう。これで、『しぬ』という言いの『
はじめる』という意味である。

 『さあ、しのか』の職人言葉という、『仕事に
かかる』という、『仕事を始める』意の言葉で
ある。これが、詩の地の言いである。
 京都詩と書く、京都市のことである、京都町、
京都村、京都字、京都地・・という。京の詩の
言いである。詩の町という、この掛けが、篠で
ある。篠町という、京都の古い地名である、
京都を篠町という頃の、コックスレエルである。
コックス語という、英国の古いコックス言葉で
ある。この英国が、鳥取のことである、韓という
詩とも、地である。

 うた山の言いという、古い皇居の言いである。
埼玉の呼びをする、埼玉の城という、江戸城の
ことである。『さきるられ』という、『さきさ
わるよ』という、城のことである、これを、
江戸詩語という、のち 、詩をうたという、
うたるらの言いとぞう。
【浅草詩】
 江戸のうたという、詩という、江戸の言葉の
意ともいう。今様、江戸弁である。これが、
浅草大門の場にある、うたという、詩という、
浅草詩という、地を表す言葉である。
『そうじょろ』という、浅草の言葉という。
言葉の掛かりで、地の掛かりである。

 エスという箱瑠璃の言葉という、詩とも。
この箱瑠璃が、箱を作る、箱だての地という。
函館という地である。これが、樽を入れる箱の
言葉に、函館五稜郭という。五つの稜という。
五稜の箱地という。五で掛かる、小樽連絡と
いう。

 函館に樽言いをする、『そうじょら』という、
『そうじょろ』という、いとせらの言いの連続
という。これが、アイヌという、アイヌの洗浄
という。洗浄の言葉である、樽荒いという。

 山崎に掛かる話という、ウィスキーの山崎とい
う、京都長岡の山崎である。長岡の西である。
天王の山という、その麓である。樽がかりである。
古い小樽の詩という、天王山麓の言いである。

 これが、天王を地という、天皇の位置の言いと
いう。三位という、三国という、三の意の掛かり
の言いという。天皇三位という、三位の天皇と
いう。古御所の祐の井の言いとぞう。幸の井とも。
御所長屋という、長屋の言いである。
【祐の井】
 幸の井に、樽屋という言いをする、樽屋に幸の
井があった頃という、樽様の屋という、この都が、
樽に添うた、丸い戸という、樽丸屋という。

 ここが住まいの日という、『まるた住まい』と
いう、三枚の戸の住まいである。これを、三戸(
さんこ)という、三戸に掛かる上文の三つの地で
ある。古御所の詩ともいう言いとも。

 三枚戸の家を、まめふま、という、もっと古い
古御所である。藤原の古御所という。藤原卿の
卿の地という、藤原鎌足の卿という、地を表す卿で
ある、後、けいふき、という。けみそら、という。
これが、古御所の三枚戸の由縁である。玉樽の
言いともいう。卿の言いである。後、人とも。
【レブランド】
 今日を人に使う言葉という。レブランドが、
これである。古いねぽれまの言いという。
レブランドという英語の一語である。枢機卿と
いう訳とも。おんぺらろっくの言いという。

 英語であり日本語である、古い頃という。
れぶっせるらっくの言いである。
【御所南方】
 レブランドのランドを、英語として解釈して、
ランドを地という、これを、れらゆめ、という
言葉の種類という。かんせららっくという。
樽屋の言いである。三枚の戸を、れぼ、という、
れぶ、という。サックスレーという言いという。
ナッポレーラともいう。これが、御所のナッポと
いう、南方のことという。

 なっぽーのことを、なんせる、という。藤原の
長岡の頃の言いという、藤原京のことである。
これが、『そうはる』という『そうじょろ』のこ
とである。天王山の麓の言葉という。おかるり言い
という。これを、天王詩という。言葉のことを詩と
いう、天王山の地方の言葉である。

 京、大阪の境目の場の言葉という。この言葉を、
分けることを、天王山のわけたけ、という。
きょうを分けることという。これが、天下分け目
である、天王山の下の天の下という。
【天長節】
 言葉が広まること、言葉が押し寄せて来る、
言葉を使う人の絵という。天王山の戦いの絵で
ある。合戦の絵という。言葉を使うことを、人、
という。これが、天朝の言葉である、天長とも
いう。天長節という、天長の言葉である。
【かっぺ】
 言葉を尊ぶことという。天長節の意義である。
これが、天皇をいう、天皇のことを、かっぺと
いう。天王山麓の言いという。いなかっぺという、
まちかっぺという、田舎の風の人という。
いなんかっぺの言いという。古く、言い園城の
言いという。言園らっく、という。かんせらるう、
という。天長の屋のお教えという、古い穂浦楼
という、後、海軍工廠の場の教えという。海軍の
発という、言葉が海軍より発せられた言葉である。
【陣】
 かっぺという、後、兵のことをいう。卑弥呼
軍の元である。卑弥呼の兵団という、軍の装いの
旅軍という、旅団という。各地の道路造りが主な
任務である。八坂とう浜ともいう。古い穂浦の
海軍工廠である。ここの二等兵である、若い人
である。『たてよ』という、『たとう』という、
任務のことを、『たて』という。これが、陣の
興りである。

 小川詩という、地である。人の場合もある。
この小川を、踏襲する場という、これが、衝立
という、みつ指ついた手という。小川礼という。
地名が、槌と付く所という。小川山のお付けと
いう、地名の付けという。人の名前である場合も
ある。

 今もそうである、地名と一緒ですという人の名
という。じんとみ、という名乗りである。小樽の
地にたくさんあることという、あとという言葉の
意という。長山長尾の屋の御所という。宣誓地と
いう、先生地ともいう。
【長尾ぎり、永尾ぎり】
 ながのそうれめの言いという。『、という』
『、である』、この切り方を、永尾切りという。
長尾、永尾という、永尾詩切りともいう。言いに、
『そうれ』という、発の掛け声である。
『そうれ、行きま』『そうれ、れんしょ』という、
これを、そうふむ、という。樽立ての屋の言いである。
『行きま』という、『行きます』のことである。
『そう、しま』『そうします』である意とぞう。

 南無之のお書きという、小樽調文である。
之で締める文とぞう。7650。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)O21.
 
 ***
 明日から二週間ほど休みます。最近、4、5回
大きな声がでたので、出したので、体の変調を
考え、受診、病院住まいします。私の自分査察で
あります。入院です。また、帰ってきます。
//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)

//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/16 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

posted by 秋残り at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

卒業7640 俺640 革命(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業7640京都船旅6540
古譜5540大原練習5440天の下5840 タイ 俺630 革命(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/20
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/20
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/20
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷 

 狐の天気予報。〇r1999/07/15
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【三本指】
20:22 2020/10/19
【デジタル】
【小樽】
 小樽という、樽の山のお書きという。
小樽樽町出地樽町という。でじたる丁稚用という。
出た地の樽尾という、樽雄ともいう。これを、
でじたる発火という、幕山のことという。

 ベーレルボンゼーの鮎落という。大山れえて、
という。れるすてらっきの言いという。れゆればの
くいっさむ、という。ウコンという、うつれつの
言葉の町の言いという。これを、もい閣という。

 この『閣』が文章の閣である。文章を書いていく
打ち立てという。閣立という。閣の文章という。
文書の構造である。これを、建物による文という。

 樽の造りという、樽を小樽という。この言いの
『お、小』という、これを、せったく、という。
丁寧な『お』という。この言いの町の造りとぞう。
小樽町という、これが、出地という、でちの山
という、でじ、とも。
【出地】
 この出地の樽という。樽々の町という。これが、
出地をいう、丁稚という。ようよの樽織りという。

 樽織りという、織物の掛かりのことという。
京都室の出地織りという。この『出地』を、丁稚
という、丁稚織りという。

 これが、樽を締める、織物の締めという。この
織物の小樽織りという。これが、うとゆと、という。
うとないやり、という。うとないのやりさむ、
という。樽の締めの、織り締めという。

 樽に帯状に縄を掛けていく。これが、人の帯姿の
見の言いにらなる。小樽連得という言いとぞそ。
【たる胴】
 たる胴という、人の胴のことをいう。まるたと
いう人体をいう。樽言いの人体である。これが、
木の丸太に掛かる、まんたんぼという。自分の
体をいう。まるたんぼという言い方という。
【丸太】
 この『まるたんぼ』の、丸太棒という、自分を
尊ぶ言いという。自分を『まる』という言いという。
太郎丸、次郎の言いという。これを、えとみ、という。
【織豊】
 この『え』が、丁寧の『お』である。小樽を、
『えたる』という。この樽の言いの出という。
織物の掛かりの出とぞう。小樽織釜という、これを、
織豊という、織豊の小樽という。樽の巻の話である。
縄で締めていく樽の縄の巻きとぞそ。これが、小樽の
町の由来である。うとないみっき、という。

 出地樽の縄の町という。うとないのゆみすべ、
という。うとやたの言いという。うとないという、
縄掛けの言葉という。縄を掛ける、縄を巻く言葉と
いう。これが、北得という、北に置く樽の置きの
ことという。南面の樽身という。南に向かう人と
いう。若い人のお行きという。北海道の小樽町と
いう。この言いの、北得行という。北越らんとん、
という。

 これが、北へ行く矢田山の言いという。ほっ
しょべ、という言いである冠語という。うとす
言いという、ほっしょべ論閣の言いという。
この『閣』が、文章の閣である。樽書きという
文章の構造という。
【小樽文書】
 樽のように文章を書いていく、文書の書き方
という。この書き方の作という、小樽文書という。
作られた文のことである。これが、出地樽の
がぱ張りという。『がぱ』という、『がのは』と
いう、『がりるれ』ともいう。これが、小樽の町
の文の書き方という。小樽文書の書きのことと
いう。

 これを、文の判という。文半れむ、という。
『れむ』が文書である。小樽判落の文せま、と
いう。小樽文書の幕判書きという。たよ花の書き
という。

    今日をこよ浜という。
    みよ浜の文という。こ
   れを春照らすという。まよ
   浜のお書きという。めよめ
   よのお書という。みすゆす
   のえとよそ、という。山譜
   のしめそゆ、という。この
    文書の書きが、小樽箱
    之(はこゆき)という。
    樽を箱に入れることと
    もいう。樽の書き之。

    
 これが、樽の判子様という。樽の形の判子の見え
の文の書きという。このまま、判子である。

 あと、上に花飾りを付ける、下に台を添える
樽由良のお書きという。小樽の文という、小樽の
町の文先という。文が行く、文の行きという、文
章が進んでいくことの敬方という。文を敬う樽と
いう。これを、めとめる、という。よみの山のほめ、
という。小樽文書の優雅という。これを、たるっき、
という、樽のきのことという。

 樽の木である記という。樽気之。之(これ)と文を
締めることという。これが、樽の締めともいう。
しめよいたみそれ、という。これそれの思いふり、
という。振り袖の思い出、思いおこし、という。

 織りに掛けた樽掛けのお書きという。これの書きを
柿である木のことのお掛け書きという。
 『我が柿は、書き染む』という。この『柿』が、
『書き』である、文のことである。小樽文判という、
樽書きの書きゆみ、という。『ゆみ』が文である。

 『弓締めせめ』という、文が進んでいくことを
『せめ』という、文のせめという。筆のせめという。
小樽の町の言いという、ぶんぜめ、という作文の
ことである。これが、小樽、うとせるの言いという。
【小樽論染】
 うとないの古い言葉で、『うとせる』という。
がんべらの言いという。小樽の町の海岸の岸の
、並びたる、という。これが、小樽の町の造りで
ある。『並び樽』と、『並びたる』という断定の
文語の言いである。小樽論染という、おたる論染め
の言いという。これが、小樽の論陣である、論迅
とも。論を示す、じんつゆ、とも。じんつゆの
小樽という。かっせられえれ、という。
かつゆつの陣、という。文陣のたみそめ、という。

 『うと』をとる言いという、『うと』という陣と
いう、屋とも。これゆらの言いとぞそ。うと屋と
いう文を指す場とも。

 文陣の、かっけく落という。けくかくの言いという。
『かくけく、かくけく、ゆとゆと、おかれく』という。
cf. http://wakaihito.sblo.jp/article/53458570.html

 この『かくけく』が、文の進みの形容の言いである。
文書を書いていく人のみという。この『み』を、見と
いう身という。文人の言葉の、かくゆし、という。
文人が『かくゆし』という、作のことをいう、小説
なり論文なりのことである。明治の頃の小樽の町の
起こしという、『おこしやす』文という。
【京都室富】
 小樽の町に『いらっしゃる』という、おこしやすと
いう言いがある。京都室富の言いという。江戸廻り
由良ふり、という。廻船どんや、という。小樽廻り
をいう。北前廻船という。江戸の廻りこし、という。

 船の幕張(まくはり)のまくゆつ、という、和船と
という、わっための行き、とぞそ。その海路の樽
という。めるれるゆみふり、という。樽書きが
海路である。形の文という、これが、江戸の樽書
である。江戸こうてら、という。江戸の内表(う
ちおもて)の書きという。江戸表の書きという。
【はとれ】
 小樽宛の文とぞそ。幕閣小樽のはるけくる、
はるけくるく、という。小樽の文のかくけくるく
、という。これが、かくけくの古い卑弥呼のはと
れと、という。卑弥呼の鮎ふりという。
【小樽遊郭】
 卑弥呼の大和朝廷という。小樽へ宛てた書きとぞ。
古く、ゆお浜という、小樽の樽ゆり、という。伝統
の山という、電灯の一種である、電灯という。ガス灯
という。小樽論せら、という、ガス灯の花波(はな
なみ)という。これを、小樽ゆんれる、という。
小樽遊郭という、小樽のゆう浜という、そこの延伸の
五稜郭という。五稜郭のおり、という。織りともいう。

 これを、ゆんせら、という。うとないの言葉という、
ゆんせらうっと、という。あんなぷる・おりうと、と
いう。北得の言葉である。この日、江戸を、あんとれ、
という幕府の前の言いという。小樽の江戸呼びである、
冠語である。

 京都御所の、あんそめのごゆほゆ、という。これが、
ピリをいう、ピリカという。ピリカめのほめ、という。
京都御所のうちらま、という。その小樽である。
 それを、と、という、戸である、樽造りの屋とぞそ。
樽住まいという。京都御所の言いである。そこの、
たせるら、という。この日に小樽を興す話である。

 五稜郭ごもほも、という。榎本のいやまり、と
いう。榎本武揚という陣の人という。五稜郭の人で
ある。幕府とうまり、という。『とうまり』の人の
言いとぞそ。榎本山のお書きという。これが、五稜
郭の建築である。絵の元山のお据え屋という。

 古くの言葉がある小樽の町という。樽の町の出地の
丁稚という。これを丁という、丁町という。稚内の
掛かりという。稚。
 中略
 
 デジタルの数えという、樽数えである。町を数える
出地数えという。港町にある、出地の数えという。
これが、出地樽の置きである、沖の見える浜の置きと
いう。出地沖という、浜に出地を置く、浜す山の浜町
という。 

小樽の五つ並び出地、五稜郭という。
『かくけく、かくけく』という音律のおた浜れく
という、わってくの言い。
 れんべる・ろっくるう、という、れべせ・らんてむ
の言いとぞす。

 でおんたっくせく、という。これを、ろいっとみ、
という、富、富様のお言いという。小樽富の京都室富
である。めよやん、という言いである。うとの前の
言葉である。先住民族の日本人という、どちらもいた
、箱住まいの山という。これが、豊のすもれ、という。
巣籠の語源である。樽巣のお書きという。
【アメリカ・タルサ】
 後、アメリカのタルサ町に掛かる、すもっせまと
いう。すってるるうくの言いをいう。アメリカ・
タルサのファイブ・ロンという、この『ロン』が
郭である、建物のことという。論閣の論で、論が
立てるの意味をとる、論陣という。これを、論する
という。論の組み立てである。樽山という、てっせ
るのおっちく、という。小樽をおちくという。
おってらるうという、れてるらのおてすら、という。
この『すら』が音律に掛かる、スラーで律がかわる
時という、小節をまたぐ、スラーのことという。
これが、小樽のスラスラという。スララともいう。
小樽楽のスララーである。

 アメリカのたるせという、この『たるせ』が、スラ
ラである。繋いで歌う、すらっしょき、という。
これが、小樽文書の律である。

 アメリカのタルサという、タルサの拳銃という。
『ハイ』という、この時は拳銃が構えられている、
撃たれている場合とも。これが、革造の拳染め、
という。拳銃祭りがある、拳銃に花を入れて
相手に渡す、花織撃ちという、織物の拳銃織
である。アメリカの古い警察という、拳銃を打つ
時の掛け声でもある。タルサランという、
たってむの撃ちという。革のたんはく、という。

 頭に大きな拳銃様の飾り拳銃という、筒に花を
入れる、アメリカの花拳銃という。拳銃祭りの
道具である。タルサのことという。わかけくという、
卑弥呼の花降ろしという。

 『ひみき』という、拳銃のことをいう。この拳
銃を『やんろ』という、香港ろっくすのくいよっ
て、という。八坂警察という、八坂国の『ひっと
ろれる』という、れろっとのやむはむのいっから、
拳染めという。これが、ウィットローの楼である。
ウィットニーという英人のような言葉である。

 革のような革(かわ)である。これが、玉姫の
革である。この革(かわ)が、藤原鎌足に渡す
革(かわ)という、玉姫が手にする玉である。
玉取綾らむの話という。これで、革めが掛かる
新規のまき直しという。藤原の出という。
ニューディールという、長岡そんくく、という。
タルサと長岡の藤津わらばら、という、そこに
拳銃を掛ける、拳銃の掛かりという。長岡の
よっちょはむ、という。これが、京都と新潟の
長岡の掛かりである。革、新規が掛かる町の
ことという。タルサのニューデイールという。
レイ・ブットン・ファックスという。
ふぁくせらるうの言葉という。
ファーラル・レンゼイという冠語の言いである。
ニューデイールの項が、ファーラルである。
あふぁっせらのお言いとぞ。

 アメリカの拳銃織という、小樽警察という、
織物を警察という、一種の替え言いである。

 『室町ゃ、れってろって』という室町の
拳銃織りである。『ハイ』というて空に向かって
空砲を打つ、仕事始めの室町という。ドンハクと
いう。めろれんての打ちとぞそ。

 ふぁれっせるうくのワトソンという、わっと
れってのもて、という。『もて』の『も』が、
毬藻である。これを、るうゆら、という。
るめせめの言いという。小樽みんとめ、という。
文より出た見のとめひめ、という。
この『ひめ』が玉姫である。

 小樽文書という、文を打つという、『うつ』が
掛かる文書である。個人ベースで使えばよい、『う
つ』にかかる考えが出る、おれまがりの部分とい
う、脳の中脳の働きである。自分の記録なり、
団体連絡にと、たまに使えばよいことという。
小樽文化の華夢という、華夢の文という。
『夢』が文である意とぞそ。華文化という、
べべれるるい、べべれるるいっと、という。
べべの話という。

 小樽の着物、文を履く、という、着物を着る
意に用いる、新規用語である。小樽言いの、
はくれざ、である。この文の切り
方を、れめ、という。『、である』『、という』
切り方てある。幕閣の切り瑠璃という。古い、
高山(こうやま、たかやま)の切りという、
高山幕府の御用人である、足幕の人という、
江戸表の幕府である。江戸上代夢連れ、という。
江戸城のつくされまら、という。京都二条城の
城を曳いて行った人の言いという。城曳家の
若い人の言いである。江戸城へ城ごと行く
人である。埼玉闇浜の人とぞう。そこにある
城である。和国城ともいう。

 村上の城の『しつれん』という、城連れて
行く人である。埼玉の『しっぱん』という
言葉である。

 古丹波のこうかき、という。レッソン・
レエルレという、英語のような言葉である。
丹波日置の古篠山城という、日置みっときの
ゆい、という。波多野秀晴公という。光秀の
晴れ姿という。織田のはんせむである。広がる
という意味のはんである。これを、はんという、
判、広判という、樽打ち判の篠城という。これが、
古い『江戸 』の名である。東京という、
日置ざっさく、である。家雄という、家康の
古名という、おおおお御爺さんのおよれ、と
いう。古い篠山の日々とぞう。ここの、ばっくす、
である、後、幕閣という、訥、幕府落という、
ばくれるらっくす、という。幕府の篠城である。
後、井伊という、井伊直弼の篠ゆし、という。
井伊の山の篠という、篠城のことである。

 この日ぃを、公楽という、こうがくの詩という。
詩村という場の篠の夢という、夢成りという。
後、秀吉という、夢の城という。篠城のこと
という。家雄のお書きという。

 『そうやじょう』という『そうだろう』の意
味の、篠れま言いという。そう家城という。
篠山幕閣尤の言葉である。井伊直弼の居城とも
いう。花の人生という。

 後、御所の『ひとされ篠』に住まう人という。
井伊遣りの山という。古御所のことである。
革命を起こすという、幕末の頃のことである。
おられおられる言い直弼御爺さんという、
若い人である。江戸の御所という、江戸幕府と
もいう。天皇は若い人の頭である。

 言い天皇の山崎という。山崎に住まう言いで
ある。『あれは、いづこのいつの御代』という、
源氏物語の藤原あそべ、という。藤原あそべが、
あそ辺である、山崎のことという、江戸城内の
話という。そこにいる人である、若い人である、
立山名の人という、『そこの天皇』という話である。
藤原あそべの話である、『ふじが植わっていたか』
という、富士を植えた人である、現、皇居である。

 『すめらいの屋』という、斜めの話である。
富士見山という、江戸幕府の言いの皇居である。
明智門という門がある、この門を、富士見門と
いう。門付け山という。『皇居のどこことか』という。
天皇査察の話という。今から探る私の脳という。
富士見紀行という名文である。駄作者の文である。

 頭大切のお革という、井伊大老のお言葉である。
丘来(おかく、きゅうらい)という、旧来の陋習と
いう。老中である。いにしえの習いという。

 『旧来の陋習を破り』という、維新に繋がる
ことという。『旧来の陋習』を、うとふめ、と
いう。幕末のことの言いである。
旧来の陋習をがえんずることという、これが『
破り』の意味である。江戸公のお解である。
丘居という。丘居くれまれの、五つの話という。
五稜という、五稜郭の五つ曲がりという。
おれまがりの脳の実現である、脳の働きの
結果の出しという。建築構想の脳という。
おれまがりのごゆほれ、という。ここの
考えが実現した、具象という。体現の山
という。藤原あそべの実由である。江戸城
の造りという。富士見門ふきやり、という。
めめせのお門という。『おもん』と呼ぶ城
である。幕閣の呼びという。これを、江戸
めら、という。れめの山という。『、という』
という天皇の切りである。

 これを、唱和堰という。古い江戸の海の
浜の頃のことという。その浜の城である。
今の江戸城である。太田灌城という、
大田城という、言い釜の言いという。
太田道灌という人のことという。まず、道を
拵え、その道の行き機器という、後、この道を
国道という、この国道がトラックの通る国道である。
今の国道という意味の国道である。これが、
城内にある国道である、後、外へ出す道である、
国道である。

 現、国道をいう、車だけが通る国道もたく
さんある。皇居の傍の国道、トラック用辺(
ようべ、ようへん)という。昼休みの休憩時
くらいは、止めればよいのである。トラックを
止めて、召し食わせの道という。飯のことである。
トラック運転手の体を休めの事故防止である。
12時くらいが適当である。時限の話という。
一般国道のことという、皮切りに、皇居近くの
国道からすればよいことという。一般乗用車とも。
地を知らない者もある、『駐車場はどこだ』と
探し回っているうちに昼食時休憩時は過ぎる、
余裕があれば、路側に止めればよいことという、
城の周りにとめておけばよいのである。

 『化粧をうつ』という、『化粧をする』ことの
意という。北白川の宮の化粧という、白い化粧を
する、おしろいの霧社の様の化粧という。男の
化粧である。これを、武者びす、という、『わび』
という化粧である。化粧のことを、『わぶれる』と
いう、北白川の宮の言葉である、『わび』という。
化粧の文という、小樽樽町のでじる山瑠璃という。
小樽文書のことである。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)O19.

//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)

//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
腹を横に書く。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/15 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

posted by 秋残り at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年10月20日

卒業7630 タイ 俺630 鏡革命(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業7630京都船旅6530
古譜5530大原練習5430天の下5830 タイ 俺630 鏡革命(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/19
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/19
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/19
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  ハーモニー・アシスタント Myriad社
【歌詞】創郷
君が見て爽快な気がする 町の浜辺
潮吹く鯨が遠く泳ぐよい海 近く
手漕ぎのボートがいく 日は燦爛と
光り ここは私の故郷 よい世に
生まれた 鯛飾りを手に 吹く潮風

 狐の天気予報。〇r1999/07/14
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【三本指】
20:22 2020/10/19
【世界同時革命】
 革命とは命を大切にすることである。健康安全
がたつ話という。これをするという若い人という。
革命を起こすという、世界同時革命という。

世界同時革命
World Simultaneous Revolution
การปฏิวัติโลกพร้อมกัน
Kār pt̩iwạti lok phr̂xm kạn タイ語

 シマルテイニイアス・レボルーションという。
しめる手に明日、という。しまる手に明日という。
พรุ่งนี้อยู่ในมือที่ดี
Phrùngnī̂ xyū̀ nı mụ̄x thī̀ dī
良い手に明日という、未来の獲得という。

これが革命である、明日の安全を、今という
同時に獲得する、革命規則という。これを、
しまる手という、良い手という、冠語の
『しまる』である。英語で、Good hand
という。
Tomorrow in good hands という、
これを、Simultaneous シマルテーニャス
という。にゃーはんの英語という。
ニャオロギーのおぎ楽という、木の荻の木
という、この気の人という。荻の木の気持ち
の人という。
【荻の木】
 荻の木の気持ちという、桜の木の気持ちと
いう、『あの人はさくらぎだ』という、この
言いの類の言いという。

 革命をおぎという、これが、オギ山という
話である。荻の、はゆくき、という、これが、
おぎをおく、という。荻の木を、おくの木と
いう。荻をおくという。おぎらく浜の言いと
いう。

 革命を、おっかく、という。おりせる・
るい浜という。これを、たいそみ、という。
おぎの記という。おくの記という。

 これが、さるかにの話という。かにがさる
という、かに山のおいきみ、という。かにか
にのさるしり、という。さるかに合戦の話で
ある。古里の日本の民話である。

 これが復活した今のことという。いま
いまのやんらみ、という。今の話とぞう。
古い機器がでてきた、今の世の、古い世の
機械という。これが出て来る、古い世が
いわれる。とみゆら月の日という。

 アメリカ、香港、ベラルーシ、タイ・・
皆、手を挙げて健康を歌っている。未来の
世が開いたという。今までの世から未来へ
行く世の移りという。世界同時革命である。
手段が、政治に健康を、という。安全が優先
することは、周知のことである。

 ある者は保護を言い、ある者は共産という、
共産中国があるという。皆、正義をいう世界
がやってきたのである。世界のとうはる、と
いう。

 遠い古い昔に、これがあったという。
俺がやる革命という、健康をいう、安全をいう、
『あの間無理(かんむり)だ』という。平安の世
の間無理という。この世界が復活するのである。

『あの間、無理だわ、俺がやる』という。ひとを
得る ひぃという。ひぃひとの言いという日乃花
の言いという。
【フランス革命】
 フランス革命という、バスチーユのおらりかる
き、という。まゆすてのおんばせ、という。
ナッポラメコールという。
【蘇我入鹿】
 『パンをくれ』という、『ケーキを食べろ』と
いう、ばみなのゆめふるい、という。これが、ルイ
という、ルイのブルボンという。熱月という、とみ
ゆら月という、日本の革命という。大和朝廷の朝と
いう、蘇我入鹿という、入鹿の出しという。

 大和朝廷が出した人物の話という。蘇我入鹿の
れすれ、という。蘇我入鹿という人の、はおれるく
みすみ、という。これが革の命という。天革という。
【天革】
 天の革という、天を革めという、改のことという。
これが、天改という、天改の空改という。これを、
空と海という。改が海である意とぞそ。海の革(かわ
)の表しという、これが蘇我入鹿のことを、たおやり、
という、めすてるやみせる、という。

 これが、ふらんのうゆまむ、という。古い穂浦の
浜の星という、昼間に見えることの星という。これが
今もある、これを、ひるほすれか、という。『か』が
星の意である。

 この星を手にとるという、手にみそをつけた言い、
という。みそという物が出来た穂浦の浜という。磯
味噌という、いそらむのことという。磯の味噌という。
【大旺の星】
 この日、穂浦に夕方から出る、大きな星という、
この星があったことという。月より大きな星という。
この星の昼という、昼間に見える星とぞそ。

 あうてすの星やら、という。この星の言いという。
大きな星である。この星の古巣が穂浦である。
穂浦へ来る星という。これを、たいおせ、という。
たいおせ星の言いとぞう。

 大旺という星という。たいおせの星である。
これに鯛がいたという、この鯛が大きな鯛である。
まみ山の大きさという。その鯛が、今いること
という。入鹿のことという。蘇我入鹿という名の
大魚という。鯛の鯨様の鯛である。これがいる海と
いう。空海魚という。

 空と地を行き来する魚という。大旺の星が住み家
である。宇宙を見る鯛という。鯛勢浜(たいぜはま)
の穂浦の一浜という。穂浦の一区域である。

 この鯛が頬の葉をいう、歯のことという。いや
ふりの言いという。鯛が息をする、その息の山の
見せという。息が見えることという。鯛の息という。
この鯛が、若い人の家を訪ねた鯛である。鯛を座敷へ
あげ、布団を着せた若い人という。その布団のこと
を、めた山という。
【鹿児島】
 これが『める』という、『めた』のことという。
めたたい、という。後、この『たい』が、鹿児島の
言葉になる。『そうたい、そうですたい』という。

 みとせらめの言いという。鹿児島の、穂浦の一
地区の鹿児島という。この鹿児島が駕籠である、
物を入れる駕籠という。これを、魚の籠という。
今も使う魚釣りの道具である。かごという物で
ある。

 籠に入れてりょうをいう。よしかご、という。
これを、後、ほえかご、という。遊郭で使う
宝恵籠(ほえかご)という。さかにる・どうはむ、
という。遊郭の駕籠に乗る鯛という。この鯛の
ことを、たみふり、たみせる、たよせる、と
いう。大きな鯛を乗せる駕籠という。

『ほえきたほい』という掛け声の鯛の乗せと
いう。この鯛を、げっかく、という。月閣鯛
という。鯛の一種である、今のことである。

 目抜き通りをいく鯛とぞそ。めぬけ鯛と
いう、この言葉の出とぞそ。遊郭の鯛譜で
ある。後、この譜を、魚拓の譜という。
布団のさますりの、布団のもてなしという。

 鯛の寝の布団である。ねる鯛ね鯛という。
寝たい人という、俺を魚という。寝るししん
という。紫宸殿という、寝る所である。

 俺の寝ている姿を入鹿という。『そうか
いるか』という、『そがいる』という、
受けの言葉の意という。これが、蘇我入鹿
の名前である。入鹿門という、かもんろう
れい、という。かもんの名という。かもんと
いう門である。
【古平安京】
 これが、京都の西の平安元京という、元の
平安という。西に門があったことという。
かどの門という、よし門という、通りを入鹿
通りという。これが古い平安京である。

 葛野大路(かどのおおじ)という、平安京の
西である。今もある通りである。古平安という、
平安な京である。これのあった頃の星話である。
【入鹿星】
 入鹿星という、鯛の星の大旺という。入鹿
星ともいう。ここへ、鯛に連れられ行くという
若い人の鯛のお伴という。これのめ、という、
鯛のおんとめ、という。鯛に連れられ行った人
である。これが、沖ぬ、という。寝て起きた人
である。寝たら必ず起きる人という。

『おきぬ』という寝ることをいう。これが、
おきの意味である。これを、たいそみという、
たいてらともむいう、たいさまという。
『たいなくねんね』という、穂浦の言いという。
【大名】
 後、大名という、大名を鯛という、たいてら
という。戦国の大名のことである。この戦国が、
ふられる、ふられという、後、ふらんという
フランスのことという。このふられた時が、
鯛革命という、鯛の大きな命の獲得という、
命を大きく伸ばした鯛という、布団のもてなし
という。これを、ブルボン博という、博覧会の
語という、博覧会の語源である。
【しま、しめ】
 これを、しまめら、という。よいめめ、と
いう。『めら』が『めめ』である。これを、
縁起という、大名のことを『めめ』という。
後、城主という、『めめ』という。『めめ
め』ともいう。いちさま山の言いという。
糸言いという。

 これで、鯛を糸で締める供えの鯛という。
これが、今の日本の鯛の供えである。
よいことを『しめ』という。

 しめゆらという、しめゆめという、
しめさまという、しめの言葉という。
これが、鯛の島である。しめの
ことである、島を『しめ』という。
注連縄(しめなわ)という、チューレン
スラーという。二見ヶ浦の注連縄という。
チューレン・ハームラーという。
これが、古いタイの言葉である。
チューラロンコン・うちやら原と
いう。タイの国の地という。

 この、うちやら原を、ウチラロンコン
という。これがタイ語と日本語の掛かりである。
英語の掛かりで『しま』で掛かっていることと
いう。この『しま』に『よい』の意味がある。
内裏論根と表記する、うちうら、うちら、という。

 シマルテーニャスという英語のことという。
よい手に明日という、同時獲得の未来という。
シマルテーニャス・れぼらみ、という。
これが、『れぼ』の掛かりである、言葉のこと
という。これを、ウィルキンという、ウィル
キンソンと人の名前の言葉という、外人名で
ある。ウィルキンソン替え刃という、『は』に
掛かることといういう。

 これが世界に出る貝という。ウィルキンソン
の世界のことである。英語の世界という、タイ
の国の英語という、これを、外花語という、タイ
語のことをいう。貝の花という、貝の言葉である。
チューラロンコンがそれである。
【タイの学】
 タイの学問という、海に優れる学問である。
海洋の学という、チューセラのやいはる、と
いう。やい浜の言葉をいう、沖縄の掛かりの
言葉ともいう、沖縄にやい浜があることという。
この浜は英語を使う浜である。沖縄の英語を喋る
人という、米人である場合もある。

 さむせむのお解という。言葉の解析の俺解析
という。入鹿の教えである。今も家に飾る鯛飾
りである。正月の飾りでもある。革命の飾りと
いう。めでたい命かわ、という。命革の言いと
いう。
【印度】
 これが外国のインドランという、印度の渡し
という。めーらるという、めっそんの渡しという。
インドのヒンズー語が掛け持ちである。
 ひんずる鯛印という。ヒンズーのインドを、
ひん、という、ひんずの国という。これを、記す
鯛抱という、後、とかかり国という、インドの
ことである。

 ここのインドの、『おきたゆまり』という、
玉宮の玉の意味である。たじまはれと島が
掛かる、この『しま』が『よい』の意味である。
田島よいさま、という、田島春の張れ島という。
インドのことという。タージーマハールという
玉宮という。たよいはる、という。この『しま』
が、日本語とインドの言葉との掛かりである。

 これが、冠語の頃のことである。全部、言葉に
掛かりがある世界の言葉という。ボールルームと
いう、タージマハールのことである、英語である。
この英語が、インドの言葉との掛かりの受け持ち
という。
【栗掘り】
 この、ボールを栗ボールという、栗掘る言葉
という、栗を食べるという、栗掘りという。栗を
二つに割り、実を掘って食べる、栗掘りという。

 これが、受けという。
『栗掘りします』という、
『よいによまれ』という、日本語が『しま』に掛
かる『しま』の意という、『よい』という意という。
 栗掘りよい浜という、『栗掘りします』のことで
ある。よいがけの言葉という。今の日本語の『しま
す』がこれである。

 これを、『よいっす』という方言である。
『しまっしょ』の言いという。『私はします』
という、その『しま』である。

 『これ、よいっす』という言いとも。俺の
解析である。
【ブルボン】
 ブルボンのナポレオンという。帽子のこと
という。ナポレオンの帽子の意味という。
『あの間無理だわ、俺がやる』という、ナポレ
オンの帽子を冠という。
【コルシカ】
 ナポレオンのコルシカという、入鹿という。
俺の解析である。大坂の城を、こる、という。
こる城という、浪華の城という、花の言葉の
城という、花言葉のしろはまり、という。
ナポレオンのごりおん、という。ごりおん
はん、という。
【ごりおん判】
 ごりおんの判子という。ナポレラボンズと
いう、ぼんず判という。ナポレオン帽のよう
な形の判子である。

 俺の玉野船印という、御名船璽という、玉
名印ともいう。これがおいてある大阪城である。
瓦版ともいう、大きな判子である。名古屋城山
という印という。『どこにあるか』という。

 浪花ゆんだるのそみ山にある。俺の印という。
おれまがりの能にある、これが、脳の能である。
おれまがりの脳の働きである。

 ナポレオン帽の由来という、トロイの戦士の
被る兜の、馬のたてがみのような飾りという。
海馬という、おれまがりのことの言いという。
これがナポレオン帽子の由来である。
アーサー王の受け継ぎという、古いギリ
シャのことという。皆、復活する、繰り返し
という。ヘロドトスの説である。

 それで、入鹿という、城の鯱の姿という、
儂という、織田信長の俺の能いう。濃姫
の脳という。儂濃の小田巻という、これが、
おれまがりの織田信長の言いである。小田巻
というおれまがりのことである。
【柳言いのお改】
 これを復活さすのである。古い海綿の話と
いう。古い話である。世界に同時に革命をいう、
レボルーション・バックスという、俺の幕府と
いう、ロンドン・バックスともいう。俺がやる
革命という、ウィロー・セイングという、
柳言いのお改という。穂浦の海をいう。

 やなぎっしよ・れぶそんという。レブラン
(ド)という、キリスト教にあるレブランドで
ある。宗教改革という、これの鏡敷き革命と
いう。時代を鏡敷きという、敷きの革命という。

 革命の命式という。時代を鏡で映すという、
鏡式革命である。この時代の顔が、鏡を見る
みらーるレボルーションという、みとらぜ革命
という、そういう鯛指揮革命である。

 鯛の考えという、これを映す鯛脳の話という。
税金の滞納という、鯛の島の写しという。滞納
判という、タイの国の判子のことを滞納判という。
税金をたたえる判子という。

 国の税という、血税の滞納という、税金を
納めることを、滞納という。これが源義である。

 滞納の革命という、国税に健康を入れる革命
版という。三つ指判という、丸い判子を三つ合
わせた判子という、角印を合わした判子という。

 この判子が写されているという、写真版という。
山判という、横一文字という、判子の三つ合わせ
という。三枚おろしの体である。そういう体風である。
【荻の気】
 荻の気という。三つ指ついた、三枚おろしという、
『あの人は荻の気の人である』話という。荻の木の
判子ともいう。国税調という判子である。

 出地樽という、樽の置き場のことをいう言葉で
あるとも。樽判という、プラユットという、判子の
ことという。名古屋城の冠話である。鯱の名古屋と
いう。判子が天に映る話という。天映の判子という。
天映状半紙という、名古屋紙漉きのことという。

 これに、判をゆつ、という。打つことをゆつという。
ゆつゆれの判という、三つ指の判である。俺の手にある
判子という、丁寧な俺である。三つ指をつく俺という。
荻の木の話である。

 革命査察という、革命を伴う査察という。
テンション・ボーレという、レボルーション・
バックスという。レボルーションの復活である。
【鏡の国】
 鏡に映った鏡の国のアリスとぞう。イギリスを
鏡の国という、ミラー・レボルーションという、
この復活である。時がうつるという、写り映る世
の中という、移りの一種である。鏡に移った話と
いう。

 レボルーション・ミラーの話という。鏡の中の
暮らしという、アメリカの鏡通りという、ニューヨ
ーク・ミラー・ローションとぞそ。地名がイギリス
と同じ所がある。

 天の鏡に映った二都である。おれまがりの映り地
という、ニューヨークをミラー・キャピタルという、
アリス・セイングという。アリスの言いである。

 プラユットという受け掛けの言いという。
みっくられえる、という冠語の言いである。
これが海馬である、脳の馬という。馬を尊ぶ
話という。神馬の神社という。馬の置物の
ことである。これを拝む人という神社参りを
する人である。

 馬しま夢浜という、『うまよい』ことという。
よいことを、うまよいという。『あの人は、
うまよい人である』、代表が蘇我入鹿である。
【音楽の入鹿律】
 入鹿は馬に乗らない人である。馬に乗らない
人をさす言葉という。にゅっそんれえて、という。
入鹿の手という、三つ指を示す姿とぞそ。
音楽の、タンウタ・タンタンという四拍子の律が、
この律である、入鹿律という、にゅうが律ともいう
、いるか律である。音楽にある健康ともいう。

 俺の私見である。
 
 大御爺さんおられおらるる、大御婆さんゆ、おられ
おられ今である。大御爺さんの御教えという。
ほえかごの御教えという、たいとうのゆつゆつ、という、
この言葉の解釈である。憶えが『たいとう』である。
上の文が書き下しである。大御爺さんを、御尊ぶ話
である。

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)O19.

//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)

//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
腹を横に書く。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
------
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/14 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

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2020年10月19日

卒業7620 タイ กรุงเทพมหานคร みとらぜさまれ(壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業7620京都船旅6520
古譜5520大原練習5420天の下5820 タイ 俺620 みとらぜさまれ(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺 2020/10/18
    造詞、勇野 晴丈・正     俺 2020/10/18
    監修、雪柳里花雄・正     俺 2020/10/18
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  KAWAI バンドプロデューサー
【歌詞】創郷
三本指を立てて ワンチャイワンチャイ
けめせ わがれらすきみ みとらぜさまれ
みとれ さんめくきみ わが手をあげた
ふみすみわがゆらぜ ききはるふみゆ
べべらべんみす さんぱんらっく
みせらるゆおら みとらぜ京


ชูสามนิ้ว  ชูสามนิ้  
wanchai wanchai
เร็วเข้า  ดินแดนแห่งความสุข
แห่งความยุติธรรม  อยู่ในมือ
ความรู้สึกของฉัน คุณและ
ทั้งสอง สร้าง  โลกใหม่
เวลา มา ยืนขึ้น  
นึกถึงบรรพบุรุษ
คิดถึงเพื่อน มาสร้างกันเถอะ

三本指を立てて
ワンチャイワンチャイ
急いで行く幸福の地
正義の手にあるわが思い君とともに作る
新世界 時は来た
立とう 祖先を思う
友思う 我々の町を作ろう

 狐の天気予報。〇r1999/07/13
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【常、日頃】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【歌解説】
【三本指】
 歌語。三本指を上げたという意味が、トーファー
という。めるという、日本語の『める』である。
ほめるという、めるである。喜びのことをいう。

 今、復活した『める』、遠い日の『めるぼ』で
ある。電子で復活がなった『めるぼ』という。
大京の言葉という。三本指を示し、めるぼという、
鯛の山の絵という。たいさんらっくという。ゆみ
てすの山という。

 鯛三という、鯛のことをいう。めでたい鯛と
いう。

 ワンチャイという、大旺(たいおう)の掛け声と
いう。鯛の姿を大旺という。今もある、祝いの鯛
である。鯛をみてワンチャイという、わっせてと
いう。めるぼの言葉という。めゆらす・みとらぜ
、という。めるやったという、まんせの言葉の使
いという。この『まんせ』を、ばんせい、という、
表記に、時により、万世、晩成と表す。

 大器晩成という、鯛の供えの器という、これが、
『そうのばん』という、後、そうきょうという。
『そう』が、かってのばんをいう。かってばんの
かつて、という。勝つ手。勝手のやんばんという。
かようさん・はっくるうという。かみてすの言い
とぞそ。

 大器晩成の浜勢の歌という。ワンチャイランと
いう。この言葉を多用する花紀語という、花紀京
の言葉という。今のタイの国の言葉である。
三本指を上げるタイという。花紀国という。ここ
の都を、花紀京という。タイ・バンコクという。
【みとらぜ、でもせも、やっぱし】
 このバンコクをチャオという、花紀語の言いと
いう。これを『みとらぜ』という、みとらぜの花
紀という、やっぱしのことの言いの意味である。
 やっぱしやったという。万国枢要の言葉である。
意味が、うれゆらという。うれしいことの表しと
いう、やっぱしのことをいう。これが、でもせも
の意味である。

 この『でも』が、花紀京の『でも』という、
うーらべという、うらさんの、鯛浦という。鯛を
称える歌という、花紀京のタイのそいふい、という。

 これが『みとらぜ』という、冠語のタイのこと
である。みとらぜみやこという、みとらぜ京の
花紀ゆっきという、みっとすうれという。
この『みっとす』が三本である。鯛の身という。
 これを示す、指の出し、指の出しでという。

中浦論根(ちゅううらろんこん、なかうらとも)
という、鯛の浦である。さかなの人生という言葉の
類の使いという。自分は魚であるという日ぃに、底
をそこという、そこを底という。鯛の中浦の言いと
いう。

 これが論ねという、タイの国の言葉の造りという。
タイ語が論ねでできている、ちゅせんらんの言葉の
延伸という。こえんねという、鯛の頬の肉の裏側の
骨の言葉という。

 この骨が、七つの道具をいう、頬に七つの道具の
形をした骨がある。この骨のことを、こえんという、
こえんねという、冠語である。通常語で、骨という。
『ね』という骨のことである。鯛の頬に七つ道
具がある話という、鋤、鍬等の形をした七つの骨と
いう。

 これで、鯛をめで供う風習という、この風習の
出の花紀京という、たいの都という。花紀国の都
を、ロンハムという。ロロの都という、バンコク
の名の元である。タイバンコクという、大判の国
ともいう。

 判子をめでる鯛の判という、魚拓という。鯛判
という。これが、花紀のことの意という。鯛の判
のことを、ドンベクという。これが、デンバという
、でんばくの晴れセルむ、という。ばれるれの
やっそ、という。めめてすの言葉とぞ。

 タイバンコクというバンコクに通用する、タイ
の名の由来という。タイランドのタイという。
ランドレールの言葉という。この意味の歌という。

 『わがれらすきみ』という、『わ』が輪である、
『がれら』という、がれゆれの崖のことという。
巣、君、という鯛のことである。『わがれゆきみ』
という。これが、チュラロンコンという、タイの
国の興りという。中浦である。鯛の周回をとる意の
タイという。バンコクをいう、世界のタイという。

 世界にあるタイである。和語という、和の世界の
言葉という、タイルレという、たいせまの言いと
いう。タイ国の、和語冠語である。

 穂浦ゆっぱさの古い名前である。鯛浦という、
岩場の鯛のことという、岩場が巣である鯛の
巣という。これらの由来がタイの国の名のことである。
中尾の名という、チュッパーという中尾の言葉とぞ、
鯛の骨の中の尾である。尾のもとの中の骨、体中の
尾の骨のことという、中尾という。これの見の、
たいせらるっくという、チュラロンコンハックス
という。ちゅみそらの言いという。

 これを空に充てたタイの空という。これが、大旺
という。鯛を魚の旺という、空の太陽に見立てた
鯛の棲む岩場の穴という、空を海に見立てた時の
太陽を大旺という。この空という海を、かくという、
かいという、表記に、革、改、とする。大改という、
大海の意味という、大革という。改革という言葉の
元である。これを、論根という、中身を、ちゅうしん
という、なかみのちゅうしんの言いという。中心で
ある。

 世界のたいという、中心を見るたいという。地球
の中心という、意味とも。タイの国のことという。

 これが、ワルドという、ワルド・レッケスという、
和国という、和の国の見方という。

 わだいの山の、わだい国という、論根すっくという。
これを、和台国、話題国という、話の台の国という。
チュラッセラという、とんみすの言葉とぞ。

 タイに漢字があり、英語がある、漢字の英語の国と
いう。英語を漢字で表記する国という。中国の漢字の
使いという、タイでできた漢字もある。

 みよという感じとぞそ。見世、これを一字に書く
タイの漢字という、読みが、トーフーという、中国
を思わす、読みという。

 タイをトーフーという、中国の武漢の古い頃という。
中国武漢の漢字でもある。ぶかんしーという、漢字で
ある。ぶかんしーの漢字がタイの漢字である話ともい
う。これらの意味の歌である。三本指の示し、上げと
いう。

 現、タイの国の人の喜びの表しという。意味が
上文である。みとらぜという、冠語の言葉である。
タイをみとらす山という、和語冠語という、和冠
語とも。

 『れる・よんてす・べばすう、よりよってす、
めゆらるお歌』という、タイの国の歌という、
中国をめでるタイの国とも、中国が字で掛かる
ことという。

 タイを、りゅうらまという、竜の化身元と
いう、鯛のことという。空にある竜を、たいかわ
れむ、という。鯛変わりという。竜化という。
鯛化身の話という。

 タイの国が変わるかも、という。世界覧の話と
いう。三本指をめでることの歌である。タイの
人をめでる歌である。

けめせ:急落という、急いで行く、急いでする意。
さんめくきみ:産卵、燦爛の君。大君とも、鯛のこと。
さんぱんらっく:三つの指のこと、この判とも。
 三枚におろすという、三つ指の判である、三つ
指ついてお辞儀することという。丁寧なあいさつ
をいう。『さん』の言葉が出る鯛、タイである。
三世界という、世界の意という、両手の三本指の
場合もある、『世界にいる喜び』という。
バントレーニーという、古いタイの言葉である。
みとらぜ京:タイバンコクのこと、花紀京とも。
『さまれ』が都の意味を持つ。

 チュラロンコンの大学の話である。得意が魚の
周回である、海遊、回遊という、これに根差す
学問という、タイの医学ともいう。エジプトの
取り入れ、取り付けである。エジプト医学が
掛かるタイ医学という。脳の頭頂部の解析に
優れることとぞ。タイ語が能の頭頂部ででき
ていることという。チュという頭頂部の能である。

 チュラという、沖縄の言葉の掛かりともいう。
チュラさんという、『さん』の掛かりとも。
沖縄医学がタイを取り入れる面という、一面である。
海がかりの話である。

 私見の書きです。私見世界、私見タイ国、
私見三世界、お書きよき、かくせらの世界とぞそ。
革せらるうお書きとぞそ。 

 そうきょうよい時です。正(やなぎ)O18.

//□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■

『天照大神、そうきょう、よいよい』
そうきょうは、よい時です。正(やなぎ)。
  
正(やなぎ)・判子
正(やなぎ)・印鑑
正(やなぎ)・署名押印
正義の判子
行政改革・正(やなぎ)

//□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■ 
冴日正(さえみやなぎ)。冴柳記。
冴日道共正(さえみみちこやなぎ)。冴柳記(さえやなぎ、き)。
正(やなぎ)。 
腹を横に書く。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/07/13 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

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