2020年08月03日

卒業6850 俺850 中性子炉 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業6850京都船旅5750
古譜4750大原練習4650天の下5050  俺850 中性子炉 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、小林 茶・正(やなぎ) 俺
    造詞、小林一茶・正     俺
    監修、小林一服・正(やなぎ) 俺
       雪柳里花代・正    俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】5/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
中性子炉が裏に座ってる ある日
朝早く スズメ来て 放射能を
かけてくれと かければ一瞬
大きくなったように見えた
地面で羽バタバタとしばし
飛び去り また来るよと
空で鳴いた

 狐の天気予報。〇r1999/04/26
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。08月/01日 、22時33分
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
正時、毎正時、正(やなぎ)よいですと、言いましょう。2030/09/03
京都長岡、新潟長岡、京都木津、奈良針
【歌解説】
【藁葺屋中性子炉】
 若い人が、朝起きて、裏の中性子炉へ行き、放射能を鍋に
入れていると、一羽の雀が傍へ降りて来た。顔をみてチチチ
と鳴く。鍋をかたむけ、放射能を雀にかければ、その場で、
羽をバタバタさせ、一瞬大きくなったように見えた。そして、
空へ飛んでいった、空でチチチと鳴いた。藁葺屋での若い人
のことである。
長岡千代織
 この日、若い人は長岡へ行く。長岡の千代織という場所へ
行く。長岡の、ゆろめ屋という、織物の屋敷である。また、
行く長岡村の屋という、若い人の好きな長岡の村とぞ。

 天倒の丘揺りという、地面が傾いたという、車が空へ向か
って上がったという、若い人の見た、じろん、である。今の
日の地震である。じろん揺れという、この日の言葉である。
長嶋皿
 長嶋皿ざれふき、という、地震の形態の屋根である。車が
上がり跡、地面が凸凹に波うった所という、皿の地という、
後、更という、長岡更揺れ、後を、金針(きんはり)という。
この地の言いで、ろんめゆま浜という、地震を、ろろきむ
はり、という、ここの地の言いである。後、長岡絵という。
江を絵という、この地とぞそ。

 みゆ浜の織りという、織物の長槍是(ながやりぜ)という。
長岡の織物である。また行く長岡、こよふるせせすす、
という。若い人の記である。
長岡更西の父山
 『長岡ゆ、かよれめ、くくらく、けぶする、せしょん』
という。長岡の父山のお書きである。古い長槍山世という、
長槍山のことという。長岡更の西である。ここの地の絵と
いう、文による絵とぞそ。

 チチチが来た日である。ズズの言いという、長岡の屋の
ふせゆれ、という、めよ浜の絵という。車の体という。
斜体の斜め槍という、五速の五輪車という。長岡号という。

 この車がある我が家である、藁葺屋という、古い、かま
せのと、という車の扉である。扉がまっすぐ上へ上がって
開く仕組みである、片側が今の開き扉である。この形の車、
たくさんある話という、若い人の好きな車とぞそ。

 早いスピードである。最高速、時速七百里である。この
『里』、今のキロである。チェンスバーという、ラッチン
・チェック・インという、今の、ラッチコーという、ダブ
ルレッセンの、オールマイという。オールマイトの吉報と
いう、よい報せの車という、ギヤーを、もみよら、という。
古い言いの車の言いである。エンジンを、とうほん、とい
う。ブレーキを、まいき、という、まいともいう。

 まいとぼんばな、という、ブレーキ・チェッキンという、
チェック・インのことという、ブレーキを、ぴまふまのつ
き、という。ブレーキ・チェッキンという、ポッソムがけ、
という、ブレーキのかけテストである。
長岡開田、屯田
 フレーキの開口という、かいの場のチェックという、こ
の場を開田という、今の長岡の開田の所である、地名であ
る。まよはむのお田という、後、屯田という。ここの行き
である。地が揺れて下がった所である。地揺れを、ちょう
、という。長岡開田の言いである、後、屯田兵の言いとい
う、屯田の仕事をする人を、屯田兵という、長岡の言いで
ある。

 また行く所とぞいう、懐かしさ溢れる長殿町という、長
岡の古名である。長嶋の頃の言いである。長岡チェッキン
という、英語のような英語である。この英語を、はなふゆ
、という。はなふゆの言いという、ほぼ今の英語である。
冠語の一種とぞ、長岡のチェッキン・ラールゴーという、
ペッキンソンという、ペッキンラールゴーの言いのする
岡のゆゆやま、という。ゆゆ冠語という、ゆゆてまのお
言いという。今の中国語の北京語の一種である。
ペッキンソン・ふむらく、という、今の中国語である。
スーホーの言葉という、後、ながやれ言いという。
もとすとの言いという、言葉のことである。
長岡の匂
 長岡へ行けば、中国の匂いがある、少し英語のような
匂いという、若い日の遷り山の言葉という、後、藤原の
鎌子という言いをする人という、『鎌子ゆ、あっけさ、
ててよる、行きす』という、これを、いきゆり、という。
若い人の若い時である。後、『行きす』を、『行す、
こうす』という、『ミーファー、行す』という、『私は
行きます』という意味である。
『ミーファー、コース、ロング・トーン・ハー』という、
『長岡へ行く』という意とぞそ。この『ハー』が、今の
『て』という意味である。『行き手、行き方(いきて、と
読む)』という意味の『て』である、『ハー』という。
後『ハー・メンソス』という、『メンハー』という、
『向かう』という意味である。英語の『トゥー』である。
ドイツ語
 ドイツ語の『アウフ・ハー』という、アウフハーベン
という、ドイツ語の長岡である。『イッヒ・アウフ・ハー
』という、どいとんのドイツという、ドイツ語である。
もとよとの言いのドイツ語という、後、ハイデルベルヒの
古語になる、長岡スーハウという、なんせまのお言いと
いう。この日の長岡である。新潟の長岡でもある。
新潟長岡
 新潟市より行く長岡とぞそ。新潟よんみま、という、
新潟のお行きという。みんすゆのあおふり、という。
めっての言いという、新潟の町の言いともぞ。新潟の
山江山という、そこの言いである。ドイツ語である。

 『アウフ・フッテン・ロロ』とぞそ、意が『私のいる
町です』という意である。新潟八郎潟の航空機管制の
言葉である。水上飛行機の言葉ともいう。ロロ発信の
言葉でもある、無線発信のことである、発進でもある。
海が割れた、新潟地震
 新潟にドイツ語がある話という、町のすみふみ、と
いう、にいよのおすれ、という、ジャジャミラのお言い
という、ドイツ語のことである。じゃっさむという、
日本のことである。ストリートン・ハッパンという、
この日の日本のことである。のち 、新潟の自信を見る
若い人である。大きな地震である。海が割れたという、
この通りの地震という、新潟のたかまれ、という、
まれらるのおいそよ、という。昼の十字頃である。
十字湯の揺れという、この日の地震のことという。
新潟地震、金針
 長岡地震の続きである、震源地が長岡である、京の長岡
という。長岡金針の場より、すぐに出た、長岡の新浜(に
いはま)という、どちらも金針という、今日と新潟のこと
という。京都から新潟へ行ったことという、金針の車で
ある。前三輪少し空けて後ろ五輪である。これで行った
話という、若い人の自動車という、最高速、三屯マイル
である。今の訳千二百キロである、時速である。着いた
のが十時四十二分である。五分程して、地震が来た話と
いう、長岡出が、十時十四分である、京長岡のことである。
新潟の金針という所という。そこで見た海割れである。
新潟金針
 音のあまりしなかったことという。真ん中に道が見えて
両方が盛り上がったという、新潟の地震である。金針の地
という、針の字の付く場所のことという、地震が大きく
なる連結である、針村という新潟の村である。今の新潟市
の中である。また、行く新潟、長岡の場所という、長岡の
お書きという。
長岡千代織
 奈良の針という場所という、今の三輪という、後、天 
里という、ここの地がずれた地震である、この地震の初
動である、中、一日空けてのことである。後にも、また
地がずれた天里の今の天理の丹波津という、今の丹波市
区の場所とぞそ。大きな地震という、若い人の見という。
木津系
 木津由津の川ばく、という、川が横に傾いたという、
京都の木津の川の地震である。同じ日である、天理、川
ずれの後の地震という、天里の川である。この日、天里
を天理とする。丹波市(たんばいち)ふんぜるのお書きと
いう。木津で見る天里という。測地器の設置という、
ここを、小公詞という、後、小早志という、そこの測地
器である。これの記録フィルムとぞそ。川が傾いた写り
である。この録画器という、デジタルである。48枚の
写真という、紙の写真の同時記録である。動画である。

 デジタル・アナログという、両用の写真映写機である。
この写真がある、新潟の写真という、大地震の記録で
ある。どこへ行っているやら、旅好きの人である。

『長針奈良針由々津、連(つら)ね地揺れ』という。
裁縫の針で、連ねていく、縫うものを綿という、綿連ね
という、裁縫のことである。これで、地を針という、
綿揺れという、針渡しという、針のささる所を、きんはま、
という。地を、針で連ねる地名という、地が波打つ綿という。
地震の一つの見方、予知ともいう。若い人の地学である。
正(やなぎ)。A01
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/26 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@606
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽