2020年07月31日

卒業6800 俺800 凛声(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6800京都船旅5700
古譜4700大原練習4600天の下5000  俺800 凛声(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
暗い夜に鳴く 音の澄んだ鳴き声
リリン 爽やかな音 きれいだね
凛声 静かに聞く どこからか
聞こえる どこからか聞こえる
時間はどれくらいか 怨霊は如何か
橋架けてくれるかな リンリンリン
鳴き音と
  深い谷渡る 山の橋架け工事
  深谷川のヤル 岸工事 鉄炮水を
  治め 安心の地にする 時間は
  どれ位か お伴の音 如何か 
  橋架けてくれるかな リンリンリン
  音がする

 狐の天気予報。〇r1999/04/25
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200730
【歌解説】
丘の怨霊
  音量が隠れています。
 丘の怨霊、長岡の橋掛け
 リンリンリンという、鉄砲水のまえぶれの音。 
ヤル:工事のこと、岸冠話
深い:『ふくい』という読み、地の言葉、長岡の『ふくず
   る』という言い。他に、大阪市深野南、ふくのみ
   なみ、と読む。
   深居、ふくいという、しんきょという、福の居るという、
   これを、福居という、福井を深井という、ふくふくのふか
   という。これを、ふくずる、という。深福という。ふく
   ふくという、しんぷくのことという。後 、振幅という、
   福が振るえる範囲という。ふくずるしょっそく、という。
   これを、岸あら闇の言いという、護岸工事のことをいう。
   福行深、ふくこうしん護岸という。行深という、下への
   行進という。水の地下への進みと言う、福行深という、
   福行深幅という水行の領である。音による音量振幅の
   話である。
おともの音:怨霊のお伴の音。音物音という、ぶんぜる山の言い
   という、怨霊の音を、物音という、音物音ともいう、
   うらみ音という。
   怨音、えんおんの言いという。おんおんという言い
   表しをする、怨霊の音、声という、オオカミという、
   大神とも、これをおおかみ、という、おかみの丘見
   という。深丘怨音(しんきゅうえんおん)という、
   かけまくもという意という。神社の言葉である。
   怨みを恨ともいう、魂のこととも。鎮魂(ちんごん)の
   運びという、これを神山(かみやま)という、鎮魂の丘
   という、この岡を、おかおるおか、という。顔の丘と
   いう、アメリカのスカイモクという、スカイラークの
   運びという。スカイライトの言いという、ライトが魂
   である意という。ラッシュモアの話である。顔丘とい
   う、中国、論語の人物という、話である。論丘という、
   論語の丘という、論を掛けたロング丘という、ろんヒル
   の鉄炮という、後、鉄砲を作る運びとなる。箱に灯を
   入れる灯篭という、この灯を、はこび、という、灯篭
   の灯である。西陣の灯篭が゜それである、神社の灯と
   も。古く神社を陣丘という、長岡天満宮の西を西陣と
   いう、これを、灯る槍という、灯槍の言葉という、
   後、灯りの乱れをいう言葉とも、灯槍。後、この乱れ
   をトオルという、灯り通しという語源である。
   提灯行列のことである、灯り通しという、これをする
   ことを労う、足洗い、という。率先の語源である。
   足洗深行という、率先のことである。
   神社の労いを、足洗う言葉という。
   労いを洗いという、この洗いを荒いという、清荒神
   のことという、その謂れである。陣より出た丘出の
   言葉という、神の救出という、おかみやま、という、
   かまりる、という、かみせに、ともいう。陣丘の冠
   語という、これを、陣露という、神武の語源である。
    冠語の冠を、看に書く、看と書く冠語である。
   後、冠語になる、これを神武通しという、神武の
   受け継ぎという、闇成りの山という、身なりという、
   身を保つこことである。人身人徳という、仁徳の
   語源とぞう。
    陣身陣得のことという、陣徳の言いという、
   陣々連べる、という。連減の語源である。経るの
   ことを、減じるという、昔の言いである。水源と
   いう、水を経た、水を減じたことという、川を作る
   ことである。この音の歌である。童歌道謡という。
   道の話である。水道のことという、川行という、
   水の流れを整える、整水整路という、これを、岸の
   ことという、護岸という意味である。治水のことで
   ある。凛録のお書きという歌である。
   いかすみ浦お書きという、本文である。
   霞出しの意味である、いかすみという、裏を黒と
   いう、これを玄という、玄色という、これを、クラ
   イと読む、減じの宮という、減宮という、玄宮の古
   い表しである。陣落ちの意味である。陣へ行くこと
   という、減封(げんぽう)ともいう、落ち行きのこと
   である、源泉山のお書きという。源の氏の元の意味
   である。中国風の減宮という、後、阮という中国
   である。後、現を経て、元という、元寇のことと
   いう。阮の頃の中国、神祇の中国という、これを、
   神祇官という、官職にする、神丹(じんたん)という、
   仁丹という意味という、官職の神祇の出という。
    この官職の場を、祇官園(ぎかんおん)という、
   えんをおんという話である。演義の分かれ出とい
   う、語源のことという。二つに分かれて行く、ぎか
   んおん、ぎかんえんである。病気のやまいという、
   の病気を直るという、直の宴しという、直会(なお
   らい)という、神社の会食である。やまいをいう。
   うやまう、やまいうという、山という役小角の出
   である。山岳の修行ともいう、その別れという、
   意味が分かれることをいう。これから出た言葉
   をいう。天と点という類の話である。

 怨霊が来るくらい夜、橋を掛けてくれという、リンリン
リンと澄んだ声でいう。
 どの方から来るか、どれ程かかるか、怨霊は『どれ、
暗い』という。恐い鉄炮水という、音量のことという、
どれ位の水か、怨霊の恐さという、澄んだ声という。
 丘は水琴窟であろうか。そういう音である。怨霊の声、
鉄砲水の音である。

京都府長岡京市 
 一文橋という、これが、山掛けの長い端であった頃という。
その下の川の灌漑である。鉄砲水を、この川で防いだのであ
る。夜鳴きが聞こえなくなったという、昼なき、という、
昼山のお鳴きという。この言いが、長岡の天陣の言いという、
天神の前の地である。中飾りという、これが、長岡天神の
発祥という。菅原の中行きという、菅所という、かんさまの
お行き、という。後、長岡天満宮という。長岡天満宮という
場所である、この以前の地である、天陣という、この頃の
鉄砲水である。

 大きな山の端という、橋の長さが、500メーター程である。
山から山へ掛ける橋である。この下の谷を、ほっき、という、
ほっき谷という。そこの地を灌漑する大工事という、これ
が、亀岡の明智の大工事の工法という、山に食いを打つ工法
である。これが掛かる亀岡例という、長岡のこの当時の呼び
である。

 大きな崖があった山岡である、『岡座見、おかざみ』とい
う名の山という、両山をそういう。この両山に橋を架け、
山を繋ぐ道という橋である。この下に流れる川を、ひとはた
川という。一畑川、後、一文(いちもん)川という。一文橋
という、今の橋名である。後、一ツ橋という、これを、
いっきょうばし、といういっきょうの橋であることという。
ひとつばし・もろゆら、という、橋の名である。

 これを、長槍橋の橋という、この『長槍橋』の『橋』が、
卿である、『卿』は、橋に使う字ともいう。これが、『卿』
を場所に使う、地名の字という、この地名を字(あざ)という、
『字』の意味である。干拓をする前の地を卿という。
これが、地名の、人織り(じんおり)という、後、陣という
名が付く建物という。卿から出た陣という場所である。

 この一文字から西を西陣という、西陣という地名の出で
ある。これを、西方卿土という、西陣の前の言いである。
この西方卿土を、後、西方浄土という、後、仏教にする
話という、これが、仏教の古仏教である。

 仏教の話に橋の話がある。この話をする所を卿という、
仏卿場という。仏教の主に橋の工事をいう箇所という。
これが、大乗仏教の一部という。大乗という、橋の琴である。

 この仏教の西方浄土という、死が話という、これを、
はじもむ、という御所の寝興という、寝ることを死という。
これが、来生を明日という、過去を前世という、言葉の使い
の仏教という。明日、目が開くことを開眼という、この『眼
』が橋を意味することという。これが、仏教にある開眼抜告
という話とぞう。開眼という一般の仏教の言葉という。

 これが、鎌子の仏教である、藤原鎌子という、この橋の
話で、眼を診る医学という、この眼が体のツボである。
ツボを眼という仏教の針医学という、主に針医学である。

 これで、目から目を、梁という橋と表す、仏教の
針の医学という。橋梁という話という、これを、きょう
きょうという言いをする、古仏教という。

 仏教の話を掛けた橋を、梁という、きょうと呼ぶ僧侶と
いう、古仏僧という。工事の話もする、仏教の大典という、
後、大乗という。これを、大乗仏教という、後、工事の話
を省くことという。この省きを、しょっきという、食器。
 食べることで、はしかけた、という箸の話という。
これが、古典の仏教である。今の、僧という、以前の、総
という、後、曽という。これが、曽我の名元という、後、
来栖をいう、蘇我という、この蘇我が橋架けの蘇我である。

 明日の工事を、祖橋堡(そきょうほ)という、祖橋塁(そ
きょうほ、と読む、仏教の呉音読み)、祖橋塁(そきょうるい
)の話という。祖が曽を意味することという。

 曽我入鹿という、これを、入郷という、『鹿』が場所和表す
字である。蘇我が入った所という、入鹿(にゅうが、いるか)
という橋の掛かりの場という、入り口である。これを、蘇莫
者(そばくしゃ、そまくしゃ)という、橋を渡る人である。

 蘇りのない人という、橋を『蘇る』という、黄泉が得る、
読みが得る、これを、橋という、箸の話である。
黄泉という読みという、どちらも場所を表すこの頃という。
よみばし、という、橋のことという。明日書き読みの頃で
ある。これが、仏教の中の橋塁という、これを、きょうほ、
という、享保の改革の田沼意次という、他や沼が多くあっ
たので意を次ぐことという、留意(りゅうい、るいい)の
ことである。

 これを、甚兵衛話という、田沼を、とくよき、という、
徳川吉宗に充てる見方という、これを、弁景の箸という、
内裏の弁慶という、慶びの弁という、
『いち掛け、に掛け、さん掛けて、・・ひのき林の裏も
みや・・、これこれ姉さんどこ行くの、渡しは九州鹿児島へ
』という、ひのき林が山の景である、これを、箸弁景という、
子供の歌う童歌という、古い一文橋のたもとの谷の家屋の
歌という。

 後、祇園会(ぎおんえ)という、技音(ぎおん)という、
場所が、この山掛け橋の場所である、祇園会の祭りの、
赤染衛門という、橋弁慶という、赤の谷という、ひのきと
いう木が植えられていた、場所である。山架け橋の所で
ある。橋弁慶という場所である。古い長岡京の、今の一文
橋の所である。

 ここの工事の物語である、これを、藤津原遣(ふじつばら
やり)という、のち、歌という、歌になる場の工事という、
長嶋三個という歌である。上の童歌である。

 「お墓の前で、手を合わせ、西郷隆盛どこからと、うすうす
、わられる日の山と、渡れはきょうきょう、橋の下』という、
『西郷』が、西方のことである、隆盛教という場所である。
『きょうきょう』が上のきょうきょうである、橋塁という、
恐々にかけてある歌である。

 西郷隆盛教という、後の言いである、新語という冠語の
部類の言葉という、『教』が場所を表す話という。

 これを、同時の意味掛けという、一文(いちぶん)の教え
という。一文(いちもん)橋の話という。この文である。
一文のお書きという。

 田沼山という、ひのきの山という、楓のことである。
赤く染まる山という、一文山ともいう。一文橋の架かる
山の名という、今は一文橋で平地である。
 恐々、今日今日の解釈という恐れ入る話である。
 こわごわ渡る渡瀬川という、橋の架かった山を、渡し
の山という、橋渡しのことという。恐れ入り箸という、
食べ物の食べ方でもある、渡り箸ともいう。あっちを食べて、
こっちを食べてという、食べ方である。箸をつけて、それを
置き、違うものに箸をつける、そういう渡り箸である、山々
の御馳走という、走りしり由良という、膳のことをいう。

 御所の一食事法である。弁慶かよはれ、という、迎賓の
言葉の走りという、初めである。所司代作法ともいう、
『かきかき、かきかく、ここみみの食べ』という、こみ山の
食べという食べ方である。長尾城の作法である、この地の城
である、しょっくというショックレールという、しょくせまの
しょろれる、という。食事のことである。ショックスともい
う。今様、食す、である。おり食べという食べ方である。
『はしかけ、みたべ、にしん食べ、・・・・』という、上の
童歌である。西郷隆盛のことを、にしん、という、鰊という
魚の名である。藤原鎌子の西郷隆盛という、長岡京の藤原卿
という、話である。

 田沼意知(おきとも)ともいう、沖知る人である。改革とい
う、海革という、海革めの工事という、きょうほの改革とい
う、恐流という、流れに鰊がいた頃という。この鰊を、
いざらぐげ、という、いざびあ、という。鰊のいさり、と
いう。泥海の中の魚という、それを釣る、いさりあけ釣り、
という。釣りの名人の話という。

 つりかけきょうの話という。吊り橋をにしん渡りという、
西郷の里山という、にしん山という山である。裁縫工法と
いう、針の工法という、そういう、工事という。
一文橋のことである。縫い針の手の話という、ならじょし
だいの名誉教授という、双蒼教受という、奈良女子医大の
丘という、ここを、医大の丘という、友ヶ丘という、現、
長岡京友岡である。

 この岡を奈良丘という、女子丘という、おなご岡という、
女坂という、友岡の麓の丘である。これが、蓋される話と
いう、並んだ山の高い方を蓋山という一般名詞である。
奈良丘友の話という、譜足されるという駄作という、
音楽譜のことであるかも。

 蓋山から出た鉄砲水という、これを、更山(さらやま)と
いう、鉄砲水が出る所である、『さら』『ふた』という所で
ある。吹き出す釜の炊きという、滝水という、びっくり水と
いう、鉄炮の産地という、『さら』という『ふた』というと
いう所である。

 釜揚げの話という、長岡更という、ながふた、という、
長友という人である。長い交わりの友のよき、という、
よき丘の丘夕暮れという、旧友という、丘友という、これを、
ならびつき、という、朋という字の一義である。
ならびつきのとも、と言えば、朋の字である、字の呼びと
いう。友の字を、夕照という、夕暮れ丘の三という、みずと
いう言いである。
いちに、みすせにま、という数えである。『いち、に、さん』
を『一、さん、に』と数える、三をみずという数えである。
『ひと、ふた、みず、よ、ずい』やらの数えという。
『もも、ゆよ、くかか(くかる、とも)、しお、ん』という、
6〜10である。しおん数えという、更の数えとも。

 この『とも』で終わる言いという、更終わりという、これ
を、蓋始めという数え方である。後、2から始める数え方
という。鉄炮内の蚊像という、ニー、ニー、さん、し・・・
という数え方である。蓋始めという、ダブル連という、
にんころ連という、アメリカのダラス、アラモの古い数え
とも、にんごろ、やっこら、れっせこ、・・というインデアン
の数えという、塁の数えである、とりでの数えという。長岡が
かかるアラモの砦である。

 長岡を、いんはそ、という、スー族の呼びである。スー族の
周りの長岡である。この岡を、しょれぐざ、という、しょっ
こい、という、猪口(ちょこ)という、食べ物をちょこという、
ちょこそれ、という食事のことである。ちちすという、添え
という、おかずのことである、副食という。

 ちちす渡りという、これを、おかずの渡し受けという、
おかずを箸で渡す、箸で受ける、箸を口にする、自分が食
べることをいう。赤子に食べさす、ちちんぱ、という。
ちちいぷいの、ぱいそ、という。双胸という、赤子の
双胸である。

 一人を一双という、二双船という、双船の双筐という、
これを、蓋、という。まるたという、一つの船である。
船を、まるふたれ、という、これを、まるたという。
丸太と書く、船倉の言いである。三光という、船のことを
三光という、ひとふたまるたの三光という、船の航海のこと
である。船後にできる波筋を、三光という、三光跡という、
これが、船蔵の言いである。造船の言葉である、三光と
いう、三光跡という造船所のことである。

 船を造ることを三光という、跡は関、堰ともいう。
造船堰という、跡で、造船所 であることという、
今使っている造船所を造船堰という、関ともいう、跡とも
いう。造船所跡という、使用中のことという、これが、
ひとふたの言いの意味である。

 譜足される跡という、楽譜の使用という、楽譜を譜跡と
いう、布石という話である。未来の布石である。
これが、双日(そうきょう、と読む)の意味である、双ぶ京都
いう、双今日という、言葉である。北条早雲の言葉である。
これを、徳川家康という、同一人物になる話という。
これが、蒼郷のかいけである、皆生と書く。
生きることをそうきょうという、皆、生きるという意味とい
う。後、皆既食という並膳の話である。星に使う食である。

 これが、駄作の品学である、科学という、科品山という、
『そうきょうのしなじな』という、学びの露という、学膳、
学食を、こうる、という、コール・サイエンスという、
才媛の語源である。長岡の蓋山の出である、鉄砲水をサイ
エンスという、再演の芸文である、文芸のかなづつ、という。
菌パッチという、金八の言葉の出という、男を金八という
話である。金科玉条の言いという、菜園の奈良丘という、
友ヶ岡の、岡という、金八の山麓という、これをロング・
トーンという、岡ほトーンという、音のことという。

 丘譜という丘の譜である、休符のことという、古語である。
はちすという、蜂須賀小六という、峰の譜である、山の記と
いう、『踊って、そんそう』という古い歌である、邦の歌と
いう、蜂須賀小六のお鉄炮という、秀吉のヘロヘロ玉である。

 淡路の長岡という、ながくみとも、という。この『くみ』
が丘の意味である。長岡を、ながくみ、という。これが、
旧友という、旧を丘という、久しい岡という、これを、久公
と表す、丘の古友という、これを長友という、長友の意味で
ある、久公という、長い交わりのことである、長友、久公と
いう。この言いを、丘の言いという、岡の言いとも。
船蔵の友という、海軍の船の場合を、かいせん関という、
この『かいせん』を海の船という、スカイ乱舞という、スカ
イのこっけ、という、スカイをすあけ、という。スーレル
・パンソワという長岡の後宮という、これを、やすみ、
という、宮日(みやび)という、宮参りの日の休みである。
休日という、宮闇という、きゅうそくという。音楽の休みの
意味である。

 音符を100%発音することに、80パーセントの発音という、
現今、コンピューター音楽のゲートという発生時間という、
80%前後のゲートである。このゲートを、跡という、音楽跡
という、曲跡むとも。堰を80パーセントという、100%をタイ、
スラーにすることという、120をかかり跡という、関跡という、
間跡とも。
 間跡90という、90%のゲートという。これを、音門という。
これが、おとみかどという、音帝という、音に関わる場であ
る。歌唱中とも。音帝、音庭の広がりという、パーファー
という、フィーファーという、この言葉の出が、上の長友
である。

 場が取り持つ友という、長友の意味である。この長友を
音楽の友という、音楽の場を含む、言いという。
音専門の役者を長友という、歌舞伎の裏方を旧友という、
表に出る音楽関係を、おもてなが、という、これを、
ひょうちょうという、表長という、この延伸がゲートで
ある、ゲートを表長という。音門の土御門という、門が
音を表すことという。音表という、楽譜を音表という、
音表しという、表音楽譜という、これを、門学という
音の部分の学びという、門楽という音楽の古語である。

 これの意味の言葉を、門楽唱人という、合唱の人という、
斉唱という、音楽上での表しである。後、文覚という、
覚醒の心理の学問の部分とする、これを、音による音巻と
いう、心理学のことを音巻という、心理学者の到達した
末を、音巻の気という、書巻の気の類の言葉である。

 文覚上人という、仏教僧の名前という、音がかかる話と
いう、文覚上人勧進帳という浄瑠璃がそうである。仏教会記
という、これを、かいきという、かいけという、浄瑠璃の
ことである。フイーファーという、浄瑠璃のことでもある。
音の延伸という、場を持った音という、

 トモグラフィーという、地震、音響、場、領域にかかる
言葉である、友蔵という、友蔵の響という、友響という振動
で、共振である、これを、深層心理という、音による解析と
いう、人の場合は、声、言葉、話・・・・という。トモグラ
フィーの心理解析と話という。音楽の心理という。

 たまずさの怨霊という物語の言葉という、このことの表し
である。里見八犬伝の金八という、その物語である。
文覚上人たまりょ、という言葉の解である。

 神社の人縛りという、ひとをしぼるという、人を一方向
から論ずることという、パブロフ心理学のことという、
人縛りの金縛りという、金八のことという。オカルト物に
出てくるものという、華木という、はるきという、言葉の
延伸である。

 華をはると読むことを解析すれば、上のような文になる
話とぞそ。長岡の鉄炮水の掛かりである。リンリンリンと
鳴く凛唱音という、輪唱の語源とも。そのようにやって
くる鉄炮水である。正(やなぎ)。J30.
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/25 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@563
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2020年07月30日

卒業6790 俺790 鉄砲水(壮強太陽):イカスミ柳


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6790京都船旅5690
古譜4690大原練習4590天の下4990  俺790 鉄砲水(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
今日の八時ころにリンリンと鳴く音が
聞こえ 高台へ行けば 山を越えて
向こうの下から黒い泥の水が流れ
ここ西陣の丘を越え来た 
昔の今日のことでした
跡、灯篭建て


 狐の天気予報。〇r1999/04/25
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200531
【歌解説】
京都府長岡京市
 長岡の暦、5月みの日。今の京都府長岡京市7月30日。
長岡の花槍という、今の西陣という場所のこと。
天三のかおひき、という、この大きな流れの水である。鉄炮
水という、晴れた日の夜のこと。澄んだ、綺麗な音が聞こえ
外の高台へ出た若い人と言う。岡の頂を越え、やってくる
水という、その水の音、リンリンリンという、鳴き声という、
鉄炮の水の音である。長岡一面泥の海になったことという。
長岡京市西陣
 西陣という少し高台という、その丘を越えてやってきた
てんさん、天三という、水である。かおひきという、水の
形容である。水の顔という、ひいた顔という、その表しの
眼 という、水の目が見えたという。西陣の丘という、
後に灯篭が建つ場である。

 ここを、『ほうぶ』という、後とそ、北条という。『原
闇川ぜる』という場所である。私の好きな北条という若い人
とぞう。『となる川揺れ』という、『怒鳴る川』という、
北条の『となる』という、怒鳴るという意味である。
 澄んだ音の言いという、『となった顔』という、目が二つ
見えたという、複眼流という、後、北条の津という、この
『津』の字に、山を付ける字という、『津』の下に『山』を
角字という、これを、かんたく、という、北条の古い字であ
る、『つ』と読む字という。
 後、干拓をする、その謂れの、かんれぶ、という、とうふ
かんれぶ、という。
がいぜん
 漢詩『偶成』『・・・・<階前梧葉>已秋聲・・』。
かいぜんのごよう、という、これを、『がいぜんのこよう』と
いう読みをする北条の地とむいう。『がいぜんの、ごよう』と
いう読みともいう。『階』を『がい』という読みの、夜という。
夜の出来事である。
鉄炮音という、リンリンリンという澄んだ音である。
ぐうじょる
 天三のごよふき、という。ごみせむの御地という、おちゆ
ち、という北条の地の古い呼びという、これを、よひふひ、
という、かんため・むごわ浜という、後の言いである。この
地を、かんため、という。泥池という意味である。そういう
鉄炮水の勢いである、これを、『ぐうじょる』という、鉄砲
水のことである。
北条冠白
 偶成を『ぐうじょる』と読む、北条かんふぁく、という、
北条冠白の言葉である、これを北条の言いの、かんご、と
いう。この『かんご』が、御所のきたゆま山の冠語である。
御所を京都御所という、この時の御所、天三黒(てんさんこ
く、あまみくろ)という、みくろの書きという。
乙訓、おとくに
 後、みくろという、みろくらんけのお言いという。これ
を、音という、この音を、落ちに掛けて、この地を『乙』と
表す、『乙る字(おつるあざ)』という、おちあざ、という。
北条の地である。乙村という、字の延伸という、乙郡(おと
ごおり)という、後とぞ、おとくにという、乙訓と書く、
訓読みの地という、おってんぱっかく、という、書きと読み
の言葉である、後、おってんという北条の地という。これを、
落ちる天という、この天の意に、点という、おつてん、落つ
天、乙天、乙点、落点・・・・という。これが、おってん
ぱっかく、という読みともいう、後、訓読みという、あま
みくろという地である、北条の地のことである。

 これを、てんさんこく、という、暦のことという。長岡の
北条の暦である、御所指針殿という指針という、しんでんの
暦である。天三黒の暦という、指針殿こよふり、という。
『こよ』という、今の暦である、この言いを、御所はもせる、
という、御所の円頓冠語という、円冠という、冠の造りの場
の御所という、円冠らんざむ、という言葉である冠語という。

 この円冠を、地に充てる、北条冠白という、円という名の
付く地名がこれである。円明寺、円角連地、まどか山という、
名の山の傍の言葉とぞう。円角寺という、後、乙名(おつみょ
う)とむいう、北条名附という。
北条師範
 長岡を古く北条師範という、名の山のお絵という、える川
闇山という場所の地の、しこく、という、これを、しのこく、
という、後、死と表す、死地という、長岡の言いという。
長岡別藩という言い方である。この『死』が、はじめという
意味を持つ『死』である。これが、後、ぶっとめという、
ぶっとくという、ぶっすぶという、仏教の初期のことである。

 キリストの死という、これをはじめという、復活の意とぞ
う。アフリカのファラオという、『ファ』がこの意味である。
音楽のファから始まるへ調という、この『ヘ』をふぁふぇと
いう、平均という、ひょうきんという読みの、ひょうじょう、
という、西洋音楽の平調である。
雅楽古平調
 雅楽平調という、『レ』の音から始まる平調という、これ
を、古平調という、壱越調である。『越(こつ)』を『えつ』と
いう、これが、いちえつの古平調である。天三の雅楽とい
う、指針殿の言いである。いちこつちょうという言いであ
る。いちこつちょう言いという、これが、いちえつの古平調
という。
めのと
 この楽の雅楽を、天三学という、後、いちこつちょうという、
壱越調という。この『こつ』の読みが北条の地の言いという、
北条訓という、『がいぜんの、ごよう』という、読みの謂れ
である、北条の訓読みという、これが南条という、北条の南
の所を南条という、めのと、という。この『めおと』が、目
を見たという、目の音という、めのとという。これが、『南
条』を、『めのと』という北条訓である。川の水が盛り上が
って目のように見えることともいう。
張春、長春
 『めのと川はり』という、言葉である。川が張るという、
ここの春を張春という、はるはり、という、はりはる、という。
これが、張晴の意味である。はるはり、はりはる、北条訓であ
る。後、『はる』という、後『はると』という、これを、長春
と書く、北条春、北条張、という、後、北条華(ほうじょうは
る)という、北条訓である。

 この『華』を、竹の華という、後、竹を植える地という。
長岡の竹林である出来初めである。出来祖という地である。
北条出来祖という、これを『おやのち』という。『祖』を
『おや』と読む北条訓という。『出来祖』をおやの地と読む
北条読みである。

 この読みをいう、北条だんれる、という冠白である。冠白
読みという。『北条だんれる』は、天三冠語である、指針殿
冠語という。これを、北条指針という、指針冠語という、
古い長岡の北条の地を指針という、指針冠語の御地という。
蒼郷
 これが、後、蒼(あお)という、蒼地という、ここを蒼郷
(そうきょう)という、蒼郷ほうれるという、蒼郷冠語の言
いという。蒼郷の暦という、天三の暦である。古い長岡の
北条を蒼郷天三という、ここを蒼い竹の地と、後でいう。
『まさきく竹』という、『まさおの竹』という、これを、
まさおの言いという、まっさおという言葉という。
まっさお竹の蒼郷地という、蒼郷北条という、この奥を
土御門という、土が青みがかった土である。これを、北条
師範土という、北条もろつち、という。北条もろみあお、
という、土の一種の名とぞそ。

 古聚楽第という、この土御門を指す場合がある。これを、
土門という、土門天土という、北条聚楽という、聚楽の
あおぜき、という、青席という、せいせきという、落点の
成績という、これを、楽天という楽点という。

 これを、浪華の曽根の引き上げてん、という。落ちた
てんを、励ましてヨイショトナと掛け声掛けた浪華の曽根
埼という。ヨイショトナという、イオン・トーブトという、
イオン・トーブの音という、長岡を、テオン・ハープと
いう、和国の言葉である。新潟の長岡市ともいう、長岡京市
である、これを、蒼郷の地という、この地を値という、
青郷らくてん値という。

 これが、双ぶ天地という、ちち浜の言いという、地値浜、
値地浜。長岡を値という地という。これが、らんどもうの
らんどあもみ、という。ランドレーゼーという、後、ランド
ダブルという、ランドレーゼーの意という。長岡をランド
レーゼーという、この言いのロング・ヒルという、長岡の
意という、長岡をロングヒルという、これが、そうきょう
用語という、。ランドを乱土と書く話という。乱れの山と
いう、長岡乱れという、のち 、藤原種継の乱という、
薬子の変という、乱土変山という、長岡のやまい直しという。

 これの復活が、青髭診療という、長岡医学という、長岡と
いう医学の関連が出ることという。青髭という言葉である。
この『青』が、土の髭である。青土を青髭という、土門の青
門という、後、東大の青門という、これを蒼門という。青蒼
槍という、東京大学を青蒼という。

 蒼石で、そうはる、という、これを、蒼華という、そうげ
こうがく、蒼華向学という、そうきょうじっぱむ、という。
蒼郷論学という。

 東京を、そうはま、という、これを、ソウピンという、
大學に充てて、ソウピン・ユニャーという、これが、北条早
雲の言葉である。にゃーままという、鼻母音の掛かる言いと
いう。古く、北条を、ながれ、という。雲が流れるという
言いの元である。井伊直ユお話という、東大講義の第十五
講である。井伊城の彦根城という、長岡を、にゃまーはと
いう、にゃーはまという、これが、彦根の蒼郷言いである。
『守』の字の付く所
 字に『守』という地名という、この字の付く場所を、
にゃーにゃーという、みょうみょうという、にゃあみょうの
地という、鼻母音を使う地でもある、鼻母音の紅葉という、
歌に使うことという、健康の意があることという。
『そうぎやあにゃあ』というそうきょうの言いともいう。
長岡の古い言いである、長岡のびぼれ、という。びぼれ音
という。

 秀吉の言いともいう。ひよ浜の岡の生まれという、豊臣
秀吉のことである。ひ浜ともいう、にゃあらら、という、
ほうじょう御所の言いである。御所に、ほうじょうの豊か
がかかる、豊穣の言いという、びぼれのことである。

 『あーるぎゃあにゃあ』という、『あるがな』という、
その言いである、しょうぎゃくの言いという、しょう華
がく』と表す、『華がく』を『きゃく』と鼻母音で言う、
これが、『華』を『はる』と読む、北条訓という。
はるはな山のお書きという、はなはりともいう。これを、
華春と書く、この読みが、ほうじょうという、これが、
かがくほうじょうという、華学の豊穣という、豊穣華学
という、科楽という、音楽の学問という。音のがくと
いう、今の音楽である、学を含んだ音楽である意という。
鉄炮水お書き、これとぞよ。『とぞよ』という秀吉の言い
である。正(やなぎ)。J30

しっぽん
 附け、『豊仁』、ふれゆきと読む、『豊人』をゆたかと
読む、秀吉から出た読みである。北条の人という、
北条早雲の掛かりの読みである。しっぱん、しっぽんと
いう言う意である。『出版』、しっぱん、しっぽんという
言いである、しつで言いともいう。
『出発』を、しっぱつという言いである、読みとも。
鉄炮読みという、鉄砲水から出た読み、言いである。
長岡しっぱんという、長岡の出発である、これを、しっぽん、
という、古くの船出のことである。しっぽん港という、船出
の港であることとぞよ。

 しゅっぱつこうという読みが、はのふり、という読みであ
る、今の通常の読みである。
 浪華を『なみはる』という、曽根所の云いという。
曽根崎なむ、という、浪をなむという、なまともいう。
なむなみ、という、古い祖根、祖寝という。曽根の場所という。
そしん・かっくれえ、という、そっかくという、そっかくの
言いである。そかく山の言いともいう。そかくの言いである、
組閣という言葉の出とも。建物を建てることとも。
軍艦島、組閣島
 輪島軍艦島を、蒼郷という、組閣島という。『ソール、ソ
ールケ』という、後、『ゾルゲ』という、輪島香記言いとい
う、『おれがさと』という所である。
正(やなぎ)。J30.
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "KOREA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/25 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@352
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年07月29日

卒業6780 俺740 花竹(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6780京都船旅5680
古譜4680大原練習4580天の下4980  俺740 近江山(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
おかえぜら行けば 花咲き 町は
秋篠の花竹 忍び草の花 藤原の
古い宮の地偲ぶ よりけびのよりかる
竹の花由良 織りなす色添える
いしさゆり

 狐の天気予報。〇r1999/04/24
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200531
【歌解説】

 いしさゆりという、石の百合の花、これを、『石』という
コンピューターの技術者の言葉という、コンピューターの
部品である。けび石という、石のことという。メモリーの
部品という、マイト・ビットという、日本の言葉の逆入り
という。これを、けび石入りという、言葉のことである。
 後、マイトをK(ケー)という、マイト・ケーという、
1024マイトルという、技術の呼びの、ケー(K)という。
K単位という、倍の計算の単位という。これが、後、
1ケー・ビットという、今のコンピューター用語である、
1024ビットのことである。これを、石毛という、石の計算
の単位という、この石を、けび石という、藤原山の石毛山
という、そこの勘定という、石毛勘定という、これのこれ
の、曽呂利という、江戸朝の曽呂利門左衛門という、頓智の
ような話という、アメリカのサンノゼという、マック・パー
という言葉の使いという、マック・パー・ビットという、
これを、コンという、コンマックという、コンマックのパ
ーレカという。後、パーティションという、パーレル・パ
ーゼーの、よりかる、という。最大のことをいう、これを、
マック・パワーという、エンジンに使う言葉ともいう。
マック・パワー
 古い日の音速にとる、航空機のエンジンの最大出力という。
技術者の言葉である、石よらし、という日本語という、石よ
らの言葉という、藤原宮の言葉とぞう。
長岡京
 古い日の長岡京である、京都の長岡の町の言いという。
マック・レンセーという、マック・テンションという、マ
ック・レーゼーの石水の計算という。これの歌である。
 石の中の水の計算という、鉄砲水が場所のことの言いとい
う、マック・ウォーツという、この『ツ』である、津という
表しとぞ。山の津である(サンズイ偏を、山と書く字、津、
山-津のサンズイを消す。)
藤原鎌足
 この津が後を、もみやみ、という。もみやみ津という、山
の津である場所という。これが、やみ、闇という、場所を闇
という、藤原宮の言葉とぞず。藤原鎌足という日の、闇よら、
という、藤原鎌足の足の向かう 場という、行き先という。
 藤原鎌足の行く場所を、よりかる、という、よりかる闇、
という、行き先のことである。
 そこに石の花が咲いていた、石に咲くゆりという、花の
ことである。これが、よりかる花という、行き先の花という、
場所の目安である。藤原鎌子という人の話である。
藤の花原、薬草の藤
 『よりかった』という言葉の出の宮という、藤原京の長岡
京のことである。『藤原鎌子花行』という、かこうらんぜむ、
という、長岡京の冠語である。藤原を、こむみる、という、
こんそめ、という、藤の花のある所 という、藤さ原ゆり、
という、藤の原の花という意味である。これが、藤原の名元
である。藤という花の言葉という、この花が咲いていた場所
とぞう。さんみるやっき、という、藤原冠語の長岡京の建物
という意味である。薬(やく)という薬草である、藤の花とい
う、やっき草という、薬草である。

 藤原くすし(薬師)という、後、種継という、藤原の名とい
う、薬になる藤の花のことという。藤原鎌子の花名という、
花の名を名乗る若い人という、鎌子という人という。

 歴史の取り入れの駄作である、本文という。薬子の変、
種継の乱
という、咲乱れという、後、種継の暗殺という、
本曲を聞いていたのである、藤原花史にそう書いてあるこ
とという。藤原薬子が変わったという、病状がよくなった
話という。日本薬草という話である。有名な話という。
藤原花史編纂委員である若い人という。

 花詞という、この頃の歌の歌詞である、はなしという。
花史。藤原話の歌である。頃は、コンピューターの話と
いう、この頃のコンピューターである、1024ビットという。
藤原コンというコンピューターである。
凛々鉄砲水
 鉄炮水が出る場所である。鉄炮水とは、何の予兆もなく、
突然出る水である。晴れも曇りも雨も、天候に左右されない
鉄炮水という、凛々という言葉という、このような読みの
音という、音読み水という、凛々鉄炮という、水である。
リンリンと音がする話という、この音がすれば、すぐに
高台避難することである。鳴き水鉄炮という、鉄砲水で
ある。山食らいは、越えてやってくるのである。

 長岡かまれむ、という、鉄砲水のことである、藤つ
わらはる、という、藤の原々という、一面泥の海である。
鉄炮水の都である。藤原種継という今の藤の花という、
子孫であることという。花史。
サンノゼ
 サンノゼのマック・バレーという、シリコン・バレーの
話という、石のことである。石の谷のお書きという。石岡
というサンノゼの一角である。これが、病を治すコンピュ
ーターという、病の治るスピードを、マック・キュア・
ランという、ラン・ナンバーという、マック・パーという、
古いサンノゼの医師という、そういう話である。

 コンピューターを医者が使う話という、マック・ツール
という、コンピューターのウィルスという、石から薬を作る
インターフェロンという、石の中の水をいう、鉄砲水で
流れる石、その中の水という、パッと治るインターフェロン
である、サンノゼの医学という、マックを医者という替え
言葉である。

 パット・マックという、これが、長岡の古い医術である。
みっする川ゆり、という、藤の花の川の花という、川添いの
花である、これを、いしの花という、花史草という。
はなしぐさである、本文である。インタフェロンのインターと
いう、花、石、技術、という、文である。コンピューターを
介した話という。

 駄作者の脳である、健康を期す話という。偉大な話という、
医大菜話という、藤原草という、医大草という別名である。
医大草という、医大文である、総合科学という、コンピュー
ターによる芸術でもある、音楽という、挿絵付本譜とぞ。
付、アメリカ・サンノゼ寸景。
正(やなぎ)。J29
*********
【コンピューター、御マイクロソフト】
 御マイクロソフトという、日本語英語混じりを使う人であ
る、若い人である。
日暮れの町、サンノゼ
 サンノゼの日暮れという、ここを、マイクという、マイク
ロソフトという、きぼろくの日暮れという、これを、マイ
クロデー、綿山の出の日の出という、これを、日暮れにとる
言いのマイクロソフトという。マイクロラックスという、
くすらりのらり反り、という。マイトの英語という、『アイ、
マイト』という、『マイト、ビー』という英語の発祥の場と
ぞそ。

 これが、コンピューターの、うとそと、という、コンピュー
ター周りの用語の発祥をいう、うとゆとの言いという。
『マイト、ヤング、ミー』という英語の使いの場所という。
この場所をマイクロユリという、ユリの花の言葉という。
ユリを、マイト、シックという、マイクロの技術という。
マイクロソフトを、マイト・ロングという、長生きの技術
という。これが、コンピューターの健康である。

 ウィルスをいう技術がここから出る、ウィルスの機械の
ウィルスである。これを、いち、という。ウィルスをいちと
いう、ワンという、ワン・マイクロの技術という、技術の
やのおいや、という。この『おい』が、『老い』にかかる、
長生きを『オイル』という、これが機械の言いである。
オール・ロングという、オ・ロングという、マイト語と
いう。英語のロングの機械に使うサン・ノーズという、太陽
の鼻という、花の掛かりという。どちらも、フラワーと
いう、これを、サン・フラワーという、太陽花という言葉
という、サン・ノーゼの意味である。ノーズという、知識の
表しという。

 後が、像の花の山という、ロング・ノーズという意味
の町の名という、これをとるマイクロソフトの名という、
名の由来という、ソフト論の山という。ソフトラックという、
マイクロラック論語という、マイトという言葉という。
 技術者の英語という、『アイ・マイト・ユーズ』という、
使いをする技術者の機械用語の取り入れという、メイをマイト
という使いという。『アイ・シンク』という、『アイ・マイト
・シンク』というギシュツ者のことばのことという、これを、
マイクロソフトという、リノーの英語ともいう。マイト論語と
いう、技術者の言葉をいう。
サンノゼ市
 この技術が、コンシンの技術をいう、後という、後に、
コンタクトという、シンタクの言いという。技術者の交友と
いう、シンコンの交友という。これが、コンピュートピア
という、交友界をいう、技術交友のことという。
 マイクロのやのお書きという、技術のめでの話という。
マイクロ連絡という、マイクロソフトのコンピューター連絡
という、今のメール、ホームページという、マイクロ連絡
である。これが、音を伴う、アカンパニーという、同伴の
技術という。技術者のくといき、という、技術を、く、と
いう、技能の快楽という。技能をとるマイサムという、マイ
クロの古語である。サムが親指である。親指の技術という、
 これをマイクロソックという、マイクロソフトの技術と
いう。退散山という、これが、技術の退避という、技術を
退避させる山揺れという、山が揺れた地という、サンノゼの
日暮れ時という、山が上下に揺れた地である。盆地のよう
な場所がそうである。マイクロの場所という、真の井黒で
ある。井戸のように暗い町の一部分という、これを、日暮
れという場所である。サンノゼという場所のことという。

 ここの技術を、サンクスという、陽が沈むという意味で
ある。ありがとうに掛けた、サンクス・ロッコクという、
サンクスの国という、日暮れの国という、サン・マイクロと
いう、日暮れの国という意味という、サンタムという、
マイクロソフト・サンタムという、これが、マイトの英語で
ある。技術者の英語という、サンタム・イングリッシュという。
御マイクロソフト流、長生き
 エイリアスという言葉ともいう、エイリアス・イングリッ
シュという、イングリッシュの使いである。ここの英語という、
マイクロソフト・イングリッシュである。
 『アイ・マイト・ビー・ロング』という、長生きの技術と
いう、マイクロソフトの技術である。コンピューターによる
健康である、安全ともいう。これを、人の世という、これを、
一夜という、ワン・ナイトという、長生きの夜の町という、
技術者の長生きである。これが、サンノゼの町の人の長生き
である。ロング・ライフ・ワン・ナイトという、技術一夜の
町という。このワンをあるという意とぞ。ある夜の町という、
技術の発祥の日暮れ町という。サンノゼの町である。

 盆地のような町の一角という、そこの日暮れの所という、
早く日が沈む、山に囲まれたような所という。長生き所の
一角という。マシン・カードという、マシン・カーブという、
所である。機械をめでる所という。これを、太陽の目という、
人を、太陽と表す所という、サン・フラワーの言いという。
 技術者の花のひまわりである、太陽話ひまわりという町と
いう。ひまわりの町というサンノゼという町とぞ。
五連符
 ゴーオン・マイクロという、ゴーの里という、これを、
技術のゴー郷という、ゴーゴーの技術という、サンノゼ・
ユーズという、マイクロ律という、マイクロのリズムという、
音楽の五連符という、技術者の歌という。

 ペンタ・パットンという律である。音楽の五連符である。
コンピューターを音楽の補助用具に使う技術のこととも。
五連符の歌、マイクロ・リズムという、マイトムという言葉
ともいう。オン・マイクロソフトという、御マイクロソフト
という、オーマイクロの山という、四つの山の岡という、
日暮れ町というさんのぜのことである。

 真井黒の井戸という、真井戸という、毎度の意味である。
マイクロ。デーの話という、ここの町の技術のことを、マイト
という、真糸の蛸糸という、これを、マイト・カイト、私の
都会という、日本語交じりの英語という。マイトガイという
日本語の英語という、都会の人という日暮れの民という。
マイトガイ・ナイトという日本語の英語の発祥である。

 日沈タウンという、日暮れの生まれの町という、技術の
発祥をいう言葉という、日沈みという。サン・セット・タウン
という、セブンズ・タウンという、七つの海の技術という、
世界技術のという。世界に普及するコンピューターという。
マイクロのやという、夜という、都会の夜という、ハウレル
という言葉の意味である。ハウレルの技という。杉の木の
意味でもある。杉の木の技術という、ソフト論である、
本文という。マイクロ技お書き、これとられよ。
これを取る文である、技術者の言いという、『とられよ』と
いう言い表しである。
正(やなぎ)。J29
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "KOREA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/24 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@559
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.

posted by 秋残り at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年07月28日

卒業6770 Korea  소리 俺770 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6770京都船旅5670
古譜4670大原練習4570天の下4970 Korea 소리 俺770京城の蟻(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、小林  茶・正(やなぎ) 俺
    造詞、小林 一茶・正     俺
    監修、雪柳 里花雄・正    俺
       小林 一服・正
    訳、 冴柳小夜香・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
俺が行く キン京城の  キンの村字
真中 遠くに山立ち ハッソム峠に
アリランの歌の村 トラジの唄が流れ
くるよ 御前、睡蓮の池宮 京城

 狐の天気予報。〇r1999/04/23
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【歌詞解説】
キン:京城の一部。キン京城。
   トラジキン、アリランキンという、歌の形ともいう。
   キンという。日本語でもある。均と表す。これが、
   均形という、音楽のスラーという、タイである。
   そのことの意味である。
    キンファンという、琴のきんという読みのことと
    いう。このことを、スリという、韓国の音楽のス
    リである。タリヨンというスリロンの音楽という
    、韓国の曲をスリという、日本語の言葉という、
    朝鮮語である。
    朝鮮語が、スリを日本語という、意味という。
     スリハッキンという、これを、和琴という、大
    和琴の一弦琴という、後、和琴イッパンをいう。
    ソントという和琴のことという、朝鮮の官邸用
    語である、宮廷の官邸という。この官邸の歌で
    ある。アリラン、トラジと歌詞になる。このこと
    の歌詞である。
     アリランキン、スリランという景福宮の宮と
    いう。大院君の宮という、その宮のことを、き
    んはる、という日本の当地のことという、統治
    とも、この統治、言葉をのことである。日本語が
    通じることを日本統治という。韓国語が通じるこ
    とを韓国統治という、一種の言葉の使用法である。
    戦争が、他を耕すことという意という、これと
    似た使用法である。現在では、この使用法をし
    ないことという。『戦争へ行きます』という、
    『韓国は日本統治下です』という、『韓国で田
    を耕す、言葉は日本語を使います』という意味
    という。一種の言葉の使用法である。今は、こ
    の使用をしないことという。
ハッソム:挟むの意とも。地名。
正(やなぎ)。2020/07/28 14:30
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
そうきょうはよい時です。20200531
【学校】
 若い人はいう。『学校へ行く』という。『学校』という家
である。若い人の住む家である、学校という家である。
 馬がいた、動物の馬という、納屋があり、若い人が寝起き
をする所がある、これを寝興部という、寝室、居間である部
屋である。寝興部がある、若い人の学校という家である。

 馬に挨拶をし、馬の体を洗ったりする人という。この馬の
部屋である、馬頭やりすり、という。馬が起きている時に
いる馬の部という、部屋のことである。外へ出たりする馬と
いう、この馬の名という、しきさき山という、茶色の馬であ
る。
 かよのという、馬の雌馬の名という、かよの号という、
しきさきという雄馬と一緒に暮らす馬である。子供も二頭いる。
しきかみという雄の子供という。かかよらりという雌の子供と
いう。お馬の親子のいる部という、ここの部屋の造りという、
馬宿造りという。馬宿のおいはりやりという、造りのことで
ある。馬する山のお書きという。
【竹鞠沢、検非違使】
 この地域を、王手山浜という。若い人の住む学校の地域で
ある。この王手山浜という地域の住まいとぞそ。
 学校の前という、竹鞠沢という、竹宮の言いの使いの言葉を
使う竹鞠沢である。これを、検非違使(けびいし)という、
検非違使の竹鞠という、この『検非』に、けんぴという読み
をする、学校という場の言葉である。これが、竹鞠沢学校と
いう学校の名である家の名である、建物の名という。
グリー語
 『学校へ行く』という、『竹鞠沢学れく』という、この『
れく』という、後、れくそくという、これが、れっくの言い
という、れくの言いという。ろっくそっくの言いの、レク
ションという、これを、れっくみやり、という、後、レックと
いう英語のような言葉という。これが、グリーン栗という、
グリーン語という。
 自分を、れっくという、レクションという、グリー語とい
う、このグリーをこまれるという、こまれるのおこと、とい
う。これが、外交の言葉の使いという、外交という馬と一緒
に外へ行くのである。馬部屋へ行って、馬を出し、馬と一緒
に散歩をするのである。これを外交という。グリーという
意味である。

 グリータックという、外交の言葉である。これを、グリー
語という、後、グリーン語という、後、グリーンランド語と
いう、緑土語という。これの掛けべをいう、グリーンランド
という外国の島という、これが、グリーンランドの興りであ
る。

 若い人がいう、『こりょが、グリーをとる』という。
グリーを使うことの言いという。これを、『タックス・グリ
ーン』という、グリーンランドの、とめはる、という。グリ
ッス冠白という言葉である、後、冠語という、これを、グリ
ー官話という、グリー冠語という。
 後、タックスという言葉をとる、モーゼの互譲という、
ことよの使いに取り入れた言葉という、モーゼルやっぴ、と
いう言葉の使いとぞそ。後、タックスが英語という、英語の
言葉の一語である。グリー語という言語である。
設楽文字
 グリータンホアという、たんせるおつゆつ、としいう、こ
れが、グリー語で書かれる、若い人の書記という。文字が、
グリーンラッセルという文字である。この字の造りという、
おかぶられ、という、おかぶら、という。丘闇の字という、
岡闇とも書く。後、おからぎ文字という、岡の字という、後、
しだきやりという、後、設楽文字という、設楽文字で書かれ
た、この文という、若い人の書記である。この設楽文字を
少しの期間使う若い人である。
篠山英語、COX ENGLISH
 篠闇花という、篠山の英語のコックスという、この言葉を
設楽文字で書いている若い人である。書記文字という、設楽
文字をいう、若い人の書記の文字である。花字ともいう、若
い人という。この頃の若い人の書記という、設楽ロームとい
う、英語を初期する時の字である。これが、グリーンランド
字である。若い人の書きという、私の家の書きという、
家お書きという、若い人とぞそ。

 後、検非違使の書の書きに使う人である。けび、検非という
大和なめゆり原の朝廷の職務という、これに使う、初期の文字
である。大和なめゆり原の一部を馬宿る地という、馬宿地とい
う。後、これに相前後して、厩戸皇子(うまやどのみこ(と)、
うまやどのおうじ )という、この大和なめゆり原の官である。
書記官という若い人の日々の仕事である。後、検非違使という、
この地を、検非違使という、検非違使地の学校家(がっこうや)
という。若い人の住まう学校である。

 ここの官の延伸という、こうという、後、こうくという、後、
高句麗という、任那の地の官という、これを、韓という、韓国
という任那の地のことをいう。任官の書記という、古い任那の
ことが書かれていることという。

 この韓を、後、ふっこる、という今の復活という、復活さす
韓国という、この韓国を、大韓という、今の大韓民国である。
この説き、日本のことの琴という、寝興琴という、これを、使
う、若い人の琴の仮名でという。今の、くやという、くや琴と
いう。若い人の書記の琴という、ことである。これが、大韓民
国の親子氏という、寝興琴のお書きとぞそ。後、五帝泉のおと
ないという。訪れる韓国京城である。この日の京都の日本とい
う、京城という京都の一時期の名である。

 京城の韓国という、京都の日本という、これを、英語的使
用という。当用、日本の京都という、韓国の京城という。こ
れが、グリー語の公のお書きという。若い人の書記とぞそ。

 今、書いてます、後、『どうしてる』というツィッターと
いう、若い人お書きである。ツイッターという、グリー語で
ある。〇〇〇という、グリー文字である。

 三丸緑地という、エイムズという、グリー語の地である。
この〇〇〇が置かれた地である、グリーンランドである。
今のヨーロッパ北のグリーンランドである。

 今書いてます、ちょっと休みますお書き。
 2020/07/28 11:54 正(やなぎ)。
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革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "KOREA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/23 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@272
Notice:Writer says,
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Matters are not real.
posted by 秋残り at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年07月27日

卒業6760 Korea 俺760トンシャォ(壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click muisic score, music start.
音楽
【曲名】 卒業6760京都船旅5660
古譜4660大原練習4560天の下4960 Korea 俺760トンシャォ(壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
    There are flint sounds in music.
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
俺が京城へ行く時 あれすめ
手には 巻き脚絆 唐人編み笠
アンヨンハシモニカ 韓国の
宮廷の言葉 鮮やかな朝に
着くと 唐の着物のお爺さん


 狐の天気予報。〇r1999/04/22
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【曲解説】
 あれすめという、日本の、こんちぎという、韓国の着物で
ある。作務衣に似た着物である。韓国の李村着(りそんぎ)と
いう。李(リー)という、李氏朝鮮の頃の韓国である。
 リ・パウハウという、李村の言葉という、意が、そいはみ
という。そっとの言いとぞそ。『パーユエロンハウ』と
いう中国語のような言葉である。これを李朝廷冠語という。
れいゆるやっかんの言葉という。れとその言いという。
ゆえゆえの山という、パーユエという、パッセンラールゴー
という。ごーみの言いとぞそ。ゆえの言いともいう。李朝の
宮廷冠話である。

 日本の御所を、パーハンという、パッセムという、李朝の
宮廷の言いとぞそ。リーハンルラーともいう。わがとみやの
磯部という、磯野のかんはむ、という。磯の野原の言いという。
韓国れってむ、という、あれすの言いと言う、これを、あれ
すめという。『め』という、言葉を表す、古い李朝の宮廷で
ある。これを、日本の統治下という、日本語が通じることを
いう。これを、えいまみ、という。日本語が広まっていく話
という。

 英国のオーストラリア統治という、オーストラリアで英語が
広まり通じることをいう。言葉の話である。日本語が通じる
オーストラリアという、日本軍の侵攻という話である。
言葉が広まることをいう。いおふという、言葉の広めという。
【インド・アッサム】
 アッサム山のおか鋤という。インドのアッサム王朝という、
後、ヒンズー語という、英語が掛かる、ヒンズー語とぞそ。
英領インドという、言葉がつうじる、英語の侵攻という、
英軍の支配という。言葉のことである。

 アフェラールという、れんての言葉の言い表しという。
インドシナにフランス語が通じるという、フランスの侵攻と
いう、言葉の話である。
 古い日本という、グリーンランドの言葉が通じることとい
う。『わたせって』という、これが、グリーンランドの言葉
という、渡すという意味の日本語の意という、これを、
『わったす』という、私の意味である。『わったす、そっく』
という、グリーンランドの古い言葉である。緑土国という、
今のグリーンランドである。ここに、リオ打ちようの言葉が
ある、『わっ』という言葉である。これが、英語のアワーの
掛けである。クリーブ・ロットンという、グリーンランドの
言葉である。私の花という、言葉を鼻という、フラスレーと
いう、フラワーロン・ランゲージというグリーンランド語で
ある。

 朝鮮李王朝のかかしまという、かかしまのことばという、
かかしまというグリーンランドである。このグリーンランド
のたたはみ、という、たたせるたよくみ、という。『たっさ
れて』という、れてやたのおこと、という。れゆれゆのくい
すり、という、この意味の言葉が 、ニューオリという、ニュ
ー王のことばという、ニューきみしま、という。入と書く。
これを、『せめとれ』という、グリーンランドへ行くことと
いう意である。グリーンランドの南の辺である。

 ちゅうはまの言いの言葉の入れという、グリーンランドの
言葉の取り入れという。グリーンランド語に英語が入り、朝
鮮語が入ることという。これを緑土戦争という、言葉の入れ
と取りである。言葉が外国語を取り入れて、豊かになるをい
う、これを、みよはま入れという、みよはま取りという。
 はまの取り入れという。れぶんそうみな、という、日本の
礼文の言葉という、一部、グリーンランド語がある。『めっ
かみ』という言葉がこれである。冠語の言葉である。

 グリーンランド語の『かみ』という、後、『ごれ』という、
グリーンランドの古い言葉である。
 『アンヨンハ』の『ヨン』がこれである。朝鮮李王朝の
言葉という、クリーンランド語という、日本礼文島の言葉
という。京都の御所 の友の世まま、という、まま冠語とい
う。その頃の朝鮮の宮廷用語である。『アンヨンハシ』とい
う、ハッショムという、これが、インドのハッショカという、
【あしょか王】
あしょか王という、釈迦の父という、アショカ大王とぞそ。
ショウカラショウクウという、インドの古い言葉という。
日本の御所を、まるたり、という、これが、古いヒンズー
語である。英語で、ラウンドという、ラウンダリーという、
この英語が、今の英語である。らっぷん・はっぷんという
英語である、古い、英語のコックス英語である。『アンヨン』
の『アン』である。今の英語のアンである、ワンという意味で
ある。これが、言葉を浜という、言い表しである。京都弁を、
京浜という、英語で、キョート・ショアーという、これを、
チョッソンラールという朝鮮の冠語である意の京浜冠語とい
う。御所の磯部ゆれ浜という冠語である。これらが、掛かる
『アンヨンハシモニ』である。これを、李朝冠話にする、グ
リーランドの浜語である、オーストラリアの英語の介しとい
う。オーストラアの掛かりである。
【アーサー大陸】
このオーストラリアを、
古いアーサー大陸という、英国のアーサー王の大陸という、
英語のコックスがあるオーストラリアという。英語が侵攻
した言葉である、これを、英領オーストラリアという。
【アーサー王の英語】
オーストラリアの英語が、古いコックスである、英語の古い
コックスという、言葉である。、コックス英語という、
『アイ、ダンラル』という、『アイル、ダン』という。
『アイ、ウィル、ダン、ニッ(ト)』という。アーサー王の
英語である、古いコックス英語である。コックスというアー
サー王の住まいである、円卓英語ともいう、アーサーらーる
語という、ダックスレーレという、日本の御所のかんせらる
うという。コックス英語を、かんという、かんせらるうともい
う、磯野原のおことという、言葉をことという、篠山の磯野浜
とぞう。いそゆそ(いそゆさ)の言いという、コックス英語で
ある。
【篠山英語】
兵庫県篠山の英語でもある。これを、篠山イングリッ
シュという、今のコックス英語である。

 『アイル、ドゥ、ダーン』という、『ドゥ、イッ(ト)、
オールライト』という、オーストラリアの英語である。
アーサーズ・ワードともいう、アーサー王の英語という、この
頃の話である。
 イングリシュ楼閣の、コップンカウフラーという、これが、
コップカムという、コップの英語という、コーリル・サン
フラーという、こうさまの英語という、カウスの絵甥御とも
いう、後、インドシナへ渡る英語である、英印という、英領
インドシナという、後、フランス語が入る、仏印という、仏
領インドシナという。英語の話をいう、言葉のやりとりであ
る話である。

 この歌の、五連符という、その所が、この文の意味である。
九、十小節である所という。五連符でわからないほどの違い
という、このままの上記の外国語である、アンヨンハシモニカ
という言葉である。上文である意とぞそ。
 李王朝のシェーハマ-という、← 伸ばしの違いという、言
葉のことという。ーと−の違いである。こういう感じの違いの
五連符である。あすれめの言いという、伸ばしの違いである。
正(やなぎ)。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willow, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write English.
English ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "KOREA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/04/22 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@617
Notice:Writer says,
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Matters are not real.
posted by 秋残り at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽