2020年05月27日

卒6085-6 京都府長岡京市6

京都府長岡京市6
【新潟の津波】
 新潟で津波が発生し、三条見付けから見えた波の高さとい
う、これを、新潟市の村上世という場所という、そこが発生
場所である、土佐ゆっかしという、土佐の大津波という、
この日の、津波岩が流れた話という、村上の土佐よき、とい
う、よすきすの大世津波という、大網つなという、ベルレル・
オリラレという、酒田の山の出来という、山形を新国といって
いた頃である。これが酒田の山のできである、酒田市のおかか、
という岡をおかという、おかかと表記する、おかという読みと
いう。か抜き酒田という、後、よどめるという、澱(よど)の
酒(さか)という、新潟市のむらかみという地区である、
そこから、坂が見えたという、酒田まき ろり、という、
この『ろり』を、『つなむ』という、つなむろり、という。
泥山の出来という、大きな津波である。後揺りが新潟地震である。
【イオンハーブト】
時間をろって来る、ろりくり、という、ろみという、澱と表す、
おでんあげという、酒田の家の造りである。おでんしたの岩手
という、おでんなみという波が来る、これを、よどまむ、という、
よどなみという、なみすよのお行き交いとぞ。おそろしい波
という、おでんおっとす、波という。地球を回る波という、
ロール波という、ろりろる波より、という。この警報という、
大阪より発したことという、大阪の曽根崎のイオンハーブトと
いう、イオン波のことという、このイオン波、後に地震がくる
ことという。この時に曽根崎の水浸かりである。今の梅田世と
いう、梅田の海という、この海の時に警報を発した計奉還とい
う、和国の津波の見という、ロール波の見分けという、これが
陸上を海にする、茨木海の繋がりの梅田海という、船場の波
という、波の発生を策定する、和国管制観測法という、大砲を
打つという観測である。波がどういう働きの結果、できたか
という、考察という。船に乗って大砲をどんどん打つ、
これで、川津波の発生をいう、観察である。

 長岡泓の水柱上がりという、長岡の片泓(かたふけ)という
場が水であった日という。ここの水柱という、川の真ん中に、
ずらっと、一直線に並ぶ、高い水の柱である。上がってずうっ
と立っている柱である。これが出る泓という更という地名で
ある。淀ともいう。京都の淀から流れる、淀川である。ここ
を、船で航行し、大砲を打つ、ひっきりなしの打ちという。
そして船の前に水の壁を作る、この壁の高さを読む、これが、
後の、船が回る操縦という、船を回し続けて 、その壁がどこ
まで続くか、同じところをぐるぐる回っていく、川の底まで
見える回しという、これが壁が底までつづいている日という、
後に地震が発生することの予測という。壁が途中で切れて
いれば、発生は、小規模であり、小さい地震である、地の見
を見ずという川の大量な流れを充てる見方という、深さが約五十
メーターの川であるこの日の淀川長岡泓の場である。大砲を打つ
その後の水の上がりという、高さ約十五位である。深さ五十の壁
という、この壁の強さという、水流が速い速さである。これに
持ちこたえられる壁という、これが底まで続いていた壁の観察
という、後、大きな地震が発生する、この時の泥ながれという、
内陸の鉄砲水である。この時京都峰が沈んだことという。
四回目の沈みである。これを、予想という、泥水の鳴きを、
ろり鳴きという、これが、おでんした造りの岩手大槌である。
鉄の屋敷である。このロルである。この日の大槌という、
砂浜へ着陸した、東大講義中の大槌行きである。東大裏の川
という大きな川があった時である。この東大の川、いまの
たよせ山という、その麓の川である。片翼の、反対側の
後ろに翼の機である。

 これが、新潟三条見付けという、この津波が見えたという、
新潟市で発生した津波である。酒田の泥山が出来たことという。
淀川の船を回転さす、壁の観察という、この観察の予測が、
新潟のこの津波である。村上城から飛び立った飛行機のオス
プレーという、これの上がりの角度の割り出しという、長岡
京の鉄砲水の音を聞く、観音の察知という、鉄砲水がでる、
地震の発生が、後で来る音と言う。後、終わった後の気鳴き
という、いろんな鳴き方をする空気である。
【新潟市発生の津波】
 酒田の泥山が出来た新潟市発生の津波という、後で地震が
来ることという。これが長岡管制の、鉄砲水の後の地震の予
測である。長岡の三条という、この日の新潟に行き合わせた、
津波が見えたという、この事実に出会う、長岡の鉄砲水観察、
泓の水壁の観察という、長岡の津波を見た原因である。後、
アメリカ行きの途中に発生する世界一の大悪気流という垂直
降下気流へ突っ込んでいく、無事脱出する飛行機という、
ボーイング七〇七の飛行機である。長岡の管制官時代に得た
観音の観察である。鉄砲水のことである。ほぼ私の人生の話
になるこの話である。皆自然を尊ぶことである、この結果の
生きともいう。土佐の高地の岩山から見た地震による津波と
いう、岩山の麓まできた津波という。今の高地の市電が走る、
裏の川が海であったことという。桂浜はなかったことという。
大きな船が浮かぶ、後、銀川という、今は小さい川である。
市電がはしっている道が浜であった頃である。土佐地震という、
新潟の津波という、新潟津波が少し早かったことである。
どちらも見た、大阪曽根崎の船の出向という友ヶ島めざしの
時という。曽根から出向したのである、青い雪が降る曽根崎
の雪という、曽根雪という。船へ乗って来て跳ねていた魚の
挨拶という。その跳ね、青雪をめでる跳ねである。京都峰
陥没の頃である。和歌山友ヶ島から打つ大砲の弾という、
土佐の高地の桂浜の小さな祠の前へ落ちた打ちという。
将校という日の打ちである。これが計算できることという、
桂浜の弾を探さなくとも、祠の前であることという、弾が
あった場所である。

 地球がいを整えて行く日の出来事である。亀岡管制とい
う、京都西山西の亀岡管制という、国司管制の壁、ともいうべ
き、亀岡ガレリアという、そこの飛行機の乗りという、
篠瀬を越えて急降下して谷の中へ行く、両側土壁の中の
壁の観察である。わずかな時間である。園部渓谷の大井川
川切り四連の大砲の打ちという、大砲のめでをする、約百門
の大砲の居並びという、大切な道具である大砲という、
漢の和の名の国という、漢対和国という、和国管制官、国司役
である、私という若い人という、隣に仁徳帝のお方という
仁徳帝居のお方である。そのお方のお伴記である。

 また、壁造りの時がやってきた、アメリカの壁という。
秦始皇の壁の造りの続きであるという。
【大槌打ち】
 亀岡の壁、オールドレスという。オール・ドレスか、
 オールド・レスか、俺の傍にいる若い人という。
若い人が、俺を、オールドレスという、漢大愉大臣という、
清大納言という、、大納言小豆の亀岡のガレリアという辺り
の土壁の崖という、篠瀬越えゆら、とび行く飛行機という、
その飛行機、だんとんざっかくという名前である。
ノッペンフェラーという、飛行機である。その地、園部渓谷の
大槌打ちである。亀岡大槌内もある、槌という食いである。亀岡
渓谷を切り開く大槌である、大杭の大納言という、亀岡の小豆
の話という、饅頭杭台地である、飛行機を食う食いがけという、
崖掛けの文章である。甘い駄作という、亀岡管制の駄作ふみ入
りという。ここを、亀岡屋の飛行場という、崖の上の小さな
平地である。東の朝日に向かい、右手後ろにそびえる槍という、
丹波峰という、丹波の切り開きという。明智のまっさるという、
まっさく台地という。崖が険しい頃のガレリアである。現、
ガレリアという所の亀岡市内辺りである、九号線沿いという。
長岡亀という、長岡の藤原卿という、藤津わら原のだんてそ、
という、堺だんぎり、という。丹波峰を切り、丹波平地を作る
大工事である。明智の謀反である話という。
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卒6085-5 京都府長岡京市5

京都府長岡京市5
【ぼうぜき】
 亀岡藩と言うた時の長岡である。
 西陣槍という高さが五百位である。ここを越えた長岡槍と
いう、これが、沈んだことという。今の柳谷観音という所へ
行く道である。ここへ、柳谷へ向かっていく 、学校がある
辺りが少し、低くなっている、池があった場所である。
この池の以前が、小さな山であった時という。山が沈み、
後、くぼ地になり池という。その手前を西陣張場槍(にし
じんはりばやり)という、西陣張場槍を柳谷へむかって
越えたが、池になった、ほうぜき、という。
ほうぜきの『せき』が、山の時の山菜である。
ほうぜ山という、ほうぜせき、ほうぜき、という。
ほうぜきの言いで、ほうぜせきという、これを、長岡弁浜
という、長岡の読み方である。ほうぜせきを、ほうぜきと
いう読みという。この時に『ほう』を少し延ばす言いである。
このせきが、高さ二百位である、今の池の底からの高さとい
う、この高さの言いを、ながお言いという、長岡のながお言い
という。ほうぜきの生まれという、鳳凰の言葉の出の山である
。鳳凰を、ほうぜきという名が丘の言いの出という、ながお
言いという。
【乙窪】
 長岡の地のながおという地とぞず。これを、乙窪という、
乙窪の後をせきという。
【鉄砲水】
 このせきが、その昔、鉄砲越えという、鉄砲水が、西陣張
場槍を越えてきたことという。鉄砲水の出る所をせきという、
これが、亀岡の、京都の西山を越えた京都側からの鉄砲水と
いう。この鉄砲水が環頭という、山の頂を環頭という時の、
鉄砲環という、この鉄砲水が出る所を環地という、この環地
が大きな連なりをつける長い山を、巾広に越えて行く、この
鉄砲水を、てっそい、という、かなかん、という。この『か
な』が、環濠集落という、石組みを作る、環濠の村の始まり
という。これを後、村上環という、今の村上市の辺りという。
【長岡かんとく】
この環濠集落を、かんとく、という、長岡かんとく、という、
後、管領という。ここを、環頭という、環頭管領の謂れの
場という、のち 、天神地という、天神池という場という。
この天神を長嶋という、長嶋天神という、環濠の
後の場を天神という。これが、亀岡藩 という、古い長岡の
長岡京という、後、一時期、長岡w、後、長岡亰、長岡京と
いう、これが、藤原京の次の長岡京である。この時の、
ほうぜき、である。ほうぜせきという、『せ』を抜く読みと
いう、これを、ぼうみる、という言葉の読み方という、字の
読み方という、この棒を、みつぼう、という。長岡亰の
『亰』の中の棒である、字のことである。
【密謀】
 これが、密謀と表記される、長岡の『亰』字という、
鉄砲水の出る所を意味する字である。これを、京時という、
後、短く間、狂時と表記する、鉄砲水の狂い水という。
これが、後に、『水』を掛ける言葉という。
『来るう』という『くるう』になる、来るう水、狂水という、
後、亰水という、長く、亰水卿と言っていた、長岡の地とい
う。これを、今さとという、今里卿の地という、卿が地を
表す意味の使いである。
【亰水連続】
 長岡町を、亰水連続という、、泥を一緒に流してしまう地
である、泥の地という。一時期、蓮植えの地という。これが、
長岡が自分を亀岡という、亀長地という、亀永が亀名がよい
地という、後、亀名宵地という、長岡の天尊濠という、これ
の天尊を天つる言いという。天祖天流という、後、天祖町と
いう、遣槍がたくさんあった長岡である、槍という山である。
ここを、槍連続という、槍の連なる場所という。この槍が
一夜にして消えて行く、陥没という、場所である。陥没した
所をせきという。ほうぜきという長岡の方言であり、場所で
ある。これの坂という、坂に帰るという、帰り山という、槍
続きの頃の言いという、ほうぜきのことという。
【長岡還暦】
 この後に、坂を小里に帰る、こざと偏の字という、これ
が、今里の地名の一由来である。阪里という、呼びの、この
期の長岡京である。藤原京の次の長岡京である。この次を継
という字を充てる藤原種継という、この継を、老(おい)と
いう時にする、この施策を、謀反ゆらふり、という、
おいだのたねだという、老田の読みという。
これを、長岡弁さる、という読みである。ぼうぜきの『せき』
に統合する、長岡環統合という、この時期の暦という、長岡
還暦という、暦である。鉄砲水が出た日の暦である。
【環濠光帯】
 前触れがなくて、突然の水という、雨も降らず、雲も覆
わずという。鉄砲水の後、光の帯という、真っすぐな地に
平行する、光帯という、巾、四十メートルの高さ巾の環濠の
周囲という。環濠光帯という、
これが、ずうっと、後まで続いた日という、日の長さが約十日
である。だんだん遠ざかり消えて行ったことという。長岡京の、
こにすみ、という、場所である、ここで見ていたことという。
鉄砲水を逃れた、少し高い所である。ごついという場所という。
後、五辻という、長岡の天神奥である。
【北条】
ここを、後、北条という、北条の前の峠を碓井(うすい)峠と
いう、この鉄砲水を、碓氷水という、横に幅広で山を越えて
くる鉄砲の水出し地という。この日の長岡京を、長槍広巾と
いう、巾張(はばはり)という、これが碓井をいう、碓氷と
いう、氷状の井戸巾という。はばれるという、京都の言いで
ある、京都の鉄砲水の出という日の言いである。横幅に広く
水が突然出てくる町という、これを、亰という、京という。
来るうという、来るの意が混ざる長岡のほうぜきである。
【砲関(ほうぜき)】
 後、砲関(ほうせき)という、ほうぜせきと書いて、
ほうぜきという読みという、鉄砲水の言いという、読みとい
う。後宝石という、宝の石茂り、宝石茂(ほうせきも)という。
後、奉還という、環濠を奉る場という、代表の天神という。
環濠の祭りの継ぎである。大政奉還という、祭りごとの政治と
いう。政治の初期という。これが、藤原京の祭りを継ぐ長岡
京がれ、という。ガレが、泥という、泥の崖という、長岡泥
町という。密謀の謀りという。逆に結びつかず、坂に結び付く
ことという。逆を坂と表記しないことという、藤原京の種継
の言いという。

 藤原種継の謀反という、このまま、謀反に使う言葉遣いと
いう、謀反が造営という時の暗殺という、暗殺されたという
話のことという。謀反が造営である意である。物を企てる
ことを謀反という、造営という、これが怨霊をいう、長岡の
怨霊という、意味が、浦見の魂という、この浦見を、鉄砲水
という、鉄砲水を予測する浦見を、怨霊という、音の響きを
聞くことという。鉄砲水が出る時に響きが澄み渡るという、
響きが高い音を呈する現象という。音を読むという表現とな
る。読音町という、どくいん、どくおん。藤原京の時の同地
の地名である。
【澄んだ音】
 音が澄んだ響きが出たら鉄砲水が出ることがあることとい
う。家で毎日、拍子木等の音を出すことという。
硬い響きの出る拍子木を使う、音が、やわむ、という。
今の仏寺の拍子木の音と言う。これを聞くことという。
前触れもなく突然の水の予測という、音による予測という、
硬い音が出る拍子木を使う、本門経という、ここの寺の拍子
木の音という、この音を聞く話という。本門仏立構の拍子木
の音という。同時刻にすることという。
朝のみさの頃の音と言う。この音を観音することという。
軽い音と言う、柔らかい音では、見分けがつきにくいことと
いう。長岡の拍子木という。観測拍子木という。宗派でいえば、
本門仏立宗の拍子木とぞそ。

 京都の本願寺の拍子木とも。硬い音の使いという。前触れ
がない鉄砲水という。地震もなければ、何もない時の、水を
いう、鉄砲水である。泥町お書き、これなるを。
【打屯水】
 長岡はこの鉄砲水がよく出ていたのである。山を乗り越え
てやってくる水である。長岡の打屯という、打屯水ともいう。
竹林を植えた施策という、竹で泥を止める話という。木を植
え、その合間に竹を植えていくことという。一つの泥への対
策である。竹が泥を止めることという。竹の山という、京都
の四方を取り囲む山に竹を植えたことという。
鉄砲水の対処策である。
【長岡打屯】
 『そうだとん』という言いをする場という、東京の
『そうだよん』の意という、『そうだよ』という意である、
この言葉を使う葉所、鉄砲水の出があった場所という、長岡
打屯という言葉使いである。開きの町ともいう、開の字のつく
所もそうである。皇屯という、打屯点流という。岩があれば、
岩も一緒に流す程の勢いという。岩が山を越えてきた場所で
ある。うひょうという、碓氷(うすい)峠という、話との場であ
る。氷が岩を表す意味ともいう。氷岩という山越えの岩であ
る。がぜという崖の岩のことともいう。がぜ岩流をいう、
これを、だっつ、という、うだつの語源である。岩が立つと
いう、ストーンヘッジという、ストーン・サークルという、
泥ながれに乗ってきた岩である。イギリス・グラスゴの崖であ
る。石がたっている場という、辺りが泥地であった場所であ
る。サークル・ロックという環状列石という。京都にもあっ
た話という、鉄砲水が出た日である。

 真夜中の音という、真夜中のいどそれ、という。それ音と
いう。音がした時には水が来ていたのである、泥水である。
リンリンと鳴く泥水の鉄砲水である。音が軽い柔らかな音で
ある。どこからともなくも、この音が聞こえたら高台へ行く
ことである。和国国司、注意警報お書きという。
 警報の役をしばらくしていたのである。全村安全であった
日という、合計十二回程の警報である、十二回泥流である。
ひと月に四回あった頃である。皆、高台へ逃れ、皆、せいふで
あったという、長岡の管制官である。音が聞こえたら、同時
打報である、藤原京の頃である、藤原種継の謀反という、
謀反の知らせである。泥水到来を謀反という、長岡管制官の
言葉である。

 建物に、高い建物を拵え、大きな柱の上に住まいする、
これに高台への橋を架ける、高天(たかあま)の拵えという、
ここの柱の下に住み時間を見計らい、上へ行き、辺りを見回
し、音を聞く、音が聞こえたら、すぐ打電である。この打電、
トツーという、少し大きな無線発信機である。受電側へ流し
続けるのである。橋を渡り高台への避難という、藤原京の頃
の長岡の住まいという、後、蓮を植える長岡である。私の好
きな長岡、段明けという、段々に夜が明けて行く、何回も夜
が来る長岡の更夜という、泥海の長岡である。新潟県長岡の
一部地域という、村上管制六根の地という、ムルッセルラック
スという、長岡かんしょうという、かんせらのお造りという、
環濠のことである。村上の長岡という地名でもある、
パスという言葉である、アンパッスーという、長岡英語の
英語である、打報をパスという、アンファクという、あんめりの
あんよど、という、この『よど』、泓という、ふけ、さら、
よど、ふみ、ふず、やほ、やみ、よれ、よる、よろ・・・とい
う、更、澱とも。亀岡藩方、お書き。国司。署名である。
正(やなぎ)。
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卒6085-4 京都府長岡京市4

京都府長岡京市4
【みさしぐれ】
この『おとみさ』をいう、駒音かけて、下駄ばきの天神詣
での、みさしぐれ、という。曽根雪をみさ雪という、この
『雪 』が行きに掛かる、コントッセという言葉を使う、
天神みさ、という。大阪の神輿のローレルという、ローレライ
という、『ローレローレ』の掛け声という、コントッセという、
『よいしょ』のことを、『こんとっせ』という掛け声という。
『れろん』ともいう、ろくそくという言葉である。
【樺太】
 古くの大泊の言葉である。この大泊、樺太である。間宮海溝
という、これを、会構という、後、海峡という、海峡の
はざまの航行の時の、安全をとる航行用語である、海に関する
言葉で安全を期す言葉という、こんとせ、という。
 水泳へ行く時、こんとせと言うて行く、安全になる言葉と
いう。こんとせと言うて船に乗る、安全を得る言葉でという。
【安全を得る】
 飛行機がこれを使う、『こんべす』という。
車に乗る『べら』という、自転車に乗る『へら乗り』
という、こんとせの言葉である。乗り物に乗る時に『べ』と
いう、『べべ』という、安全をよらす言葉という。
【食前食後】
 これを、食べ物に使う、べべたこ、べたこ、べた、べた焼き
という、皆、安全を持つ言いという。食べ物屋を『べた屋』と
いう、食べる時に『べとう』という、『しょうぜん、正膳、
しょうぜん、せいぜん』という、これを、こんそめの言いと
いう。食べる時に『こんそめ』という、安全を期す言いであ
る。コンソメソースを食べることの意味とも。
【テレホン】
こんとせから出た食前安全である。これを、食後に得る
『テレホン』という、食膳に『こんそめ』といい、食後に
『テレホン』という、安全を期する食事砲という。
これが、大阪の、リオンロル、という言葉である。
リオンソンともいう。
『ゴリオンハン、こんそめ』という、
ごりおんはんが『みとせ』という、
安全の受け答えの言葉である。
【天神こみん、福島遊郭】
『ごりおんはん』を、人一般に使う、天神こみん、という、
天神みさの言葉という。天神参りの人を『ごりょう』という、
『ごりよん、こりおん』という、これらのやり取りの言葉を、
ゴリラという、大阪の福島の遊郭の言葉でもある。
大坂の遊女という、ハッピー・戦乱、という言葉の使いという。
朝日の当たる福島楼の言葉という。

『 There is ahouse in new Orlean・・・』
『 私が着いたのは、ニューオリンズの
  朝日楼という名の 女郎屋だった・・』
という、アメリカのニューオーリンズのはなれ屋という。
『 おれがいったのさ、ニューオーリンズの
  あさまやり浜の おみなやりよよの
  おかゆれる 浜ゆらる亀のかいそわる』
 という、俺のあっつ論語の訳である、『拙訳で、
 おありんさ』、あっつの言葉である。
 
 後、『ありんす』という、俺を慕うオナゴという、めろう
 ゆられの奴という、亀の貝そわ、という。亀に貝がくっ
 ついていたあっつつき、という、これを、おかむろゆれ、
 という、女郎棚という、海の段壇なめらか浜という、これの
 言いの、あっつき集という、言葉の集めという、字天能と
 いう、天皇の頭という、自分の頭を、おかむろ、という、
 幼児語である日ぃに、大人が使うことを、めろるれ、と
 いう。『おっこちょ』という『おっこさん』という言葉の
 ことである。再び子供のことに使う『おこちょ』『おこさん』
 という、これが言葉の行きつ浜である。
 【はまも、会教】
  脳の中を、はまもという、はましげという、間宮の医術と
 いう、間宮海峡の、言架橋の字の意味の元である。会教と
 いう地である。古く、海峡、はざま、浜の灘、沖という、
 会教という、場所、地のことをいう。
 『京都へ行く』ことを、『京都会教』という、後、
 介抱という、会報という言葉の語源である。
 『教』を『地』の意味で使う遊郭である、遊郭地を会教と
 いう、あっつ島の遊郭である。ニューオーリンスという、
 旭楼という、オーリンが、楼閣の蝋の意味である。蝋燭と
 もした、楼という、この蝋燭を旭という、旭光の環状光で
 ある、オーロラをオーリンズという、ニューオーリンズと
 いう、そういう意味である。
【女郎屋】 
  蝋燭燃料の飛行機という、置き場所である、旭楼である。
 俺を慕うオナゴという、尾長の飛行機である。トンボ型とい
 う。その蝋燭燃料の造りである、オナゴという造りであ
 る。蝋燭燃料を作ることをオナゴという。蝋燭屋を、
 女郎屋という、『他に意味でもあったかいな』、
 オナゴとぼけ という。とぼけ造りという、蝋燭のことで
 ある。女郎機という蝋燭燃料の乗り物一般のことである。
 
 『ほかに、意味でもあったんかいの』というおとこ山という、
 せめのそめ、という、言葉遣いである。
 全文安全をとる文章という、べこ文という、『こういう意
 味がある』という、八尾遅れの遅れ書きである。八尾フォー
 スという、遅れる、遅れたい人の行く所である、八尾の
 安全である。『ヤオハン』という。『ややとよ』という、
 『やとみ』という、『やれせ』という、安全を手に得る
 ことという。『あのオナゴ』という、俺の安全と言う
 オナゴ山・数服という、オールドレスという、
 オール・ドレス
 オールド・レス という。英語ようを、なぎなた切りを
 する、『オナゴ切り』という、『弁慶がなぁ、ぎなたを
 持って』という、そう山のお書きという。
 【オールドレス】
 オールドレスのドレス霧という、衣切れの霧という、これを
 着れ、という、切りを』、きれ、衣、というあっつ島の言
 葉である。霧隠れの脱出という、『よく、やりんなはった』
 という、隣のキスカの島豊録という。豊録島というキスカで
 ある。
 『うっちゃ、しらんわの』という、玉打ちゃ、きりだった
 という。
 『何がきれたか』『きれたたま』という、たまたまのお書
 きという。輪島コネクションは、オナゴという金のことと
 いう、マネーのことである。マナメム、という、後、マム、
 マミーという、銭のことである。
 
 絵画ついていた、銭亀の天神造りという、なのっしょの
ろいこし、という、あっつ島の祭りである、神輿をろいこ、
という、ろいこし、という、『ローレルローレル』という、
安全声掛けである、ロイヤルともいう、安全がかかる言葉で
ある。
【俺、ローヤル】
『俺、ロイヤル』という、おれの 安全という。あっつ島の
玉と砕ける、波のことである。玉砕波という、これを、オン
・ローレルという。船の安全用語という。
タクシーの運転手のことばでもある。スチュアート期の英語
である、コクニーという英語である。古くのロンドン城の
言葉である。グラスゴーのノップラー語という、ノン・ロー
レルの言いという。
タクシー・クルーズという、ハットンという、『ゲット・
ライト・オン』という、オン・ライドの、タクシー・
ブーランという、たくせるお言いという、れってす言いと
いう。

『ウッドゥユー、ロット・オン?』に
『アイ、ミ、サー』という、オン・ローレル・ゴーロン
という言葉の使い方という、ロンドン城の古い言葉である。
ゴーロン、ロンというピリオドの意味である。
クルーズ・ローレルの英語という。ローレル・イングリッシュ
という、ロイアルという、ロイアル・イングリュである。
安全を期す言葉が入る言葉の使いという、ロンドン・カーと
いう、ニューヨーク・タクシーともいう。
『フォロー・ザ・カー』という
『ロイシュ、OK、ネー、サー』という、『ヌンベロ、アイ、
ダブル、アイ』という、88 ハチハチのことを、ヌンマルと
いう、ノップンコップンのノップラーという。ノップラー
城の英語である。エイトをアイトという、ダブルアイトとい
う、ノップラー城の城番である。ロンド・こめそめ、という、
ロンドン・ポタージュという、れおとせのおいそみ、という。
【ドレッサー】
 このノップラーを、ドレッサーという、隣のトゥエーン城を、
アイ・ドレスという、絹の霧城という、れんぶすの城という、
これを、ロンドン・キャスル・コネという、コネクション・
ナンバーという、ヌンベロ・カックー、カクストン冷静と
いう、クール・ドレスという、城を着物という、ベロッセン・
スカイという、アップレス・ドロットンという、ドロットンの
城曳きという、れおれす・こんすけ、という。
【サスケ】
 これが、アメリカ・スリーマイルのサスケである。グラスゴ
ー掛かりのスリーマイルという。川合いの城づくし、という、
高山振番、高山城の陣屋敷の和国の俺の仕事という、俺がいた
ブラック・ハイ・リッカーという、リッカートン・ラックと
いう、高山の中橋たもとの港という、中橋がなかった頃の
高山の住まいという、そこにいた、川巾がもっと大きかった
頃である。のち、陣屋敷に寝起きしていたのである。
中橋のかかりにすんでいた、後、各所である、この
頃の黒い松である。松の葉が黒く、木も黒かった頃である。

 夏雪の古頃である。厚い時に降る雪である、降れば、もっと
熱くなる、ここ経由の、大阪曽根崎からの蝋燭機の航行である。
村上へ行き、網走へ行く話という、輪島らんどん、という。
【ノップコーン】
 輪状の城という、これを、らんどん、という、これを、
ロンドンのことに充てるノッポン・コップルという、後、
ノップラーという、ここの地名の振り番という、ヌンバラ
という、ヌンベロという、ヤンキーをヤという、この『ヤ』を
アイックスという、レーテルロンという。れれせのおいっそみ、
という。88番を、ヌンベロ・アイティ・アイトという、
Nummber of eighty eight 古い読みである、ノップコーンの
英語ともいう、コクニーというロンドンの英語である。
一番に安全を期していく英語の使い、その英語である、
ノップコーン、ノップラーという。城代冠白という、
おな言いの日本語である。
【人形姫】
 人魚姫の像ある一角、コクニー英語を使う所である。
オランダのデンマークという言いの、とめせの言葉の入れ
という、コクニー経由の入れという、日本の長岡をいう、
オランダの商館の入れという、アイネマーという、アイヌの
掛かりの入れという、逆に日本に進出したという、これを、
デンマークという、これの掛かりの入れである、言葉の
延ばしという。ロンドン・コクニーの頃の話である。
ロンドンコックスが一部あるデンマーク語である。ノッカー
という、ノックトの入れという。ノーゼル・ブーゼルの
話という。ノップコーンの地という、デンマークの人魚姫
である、かんせむ拝みをする、旅行の安全のことという。
正(やなぎ)。
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卒6085-3 京都府長岡京市3

京都府長岡京市3
 およそ、長岡から網走まで、20分である。京都の長岡
から北道の網走である、今の北海道の網走である。気流航
路という、飛行機の航路である。こうして網走で生活して
いたのである。網走の地に、『ごにょろる』という鼻母音
の言葉がある話という。
【華冠制】
 ここが後、長岡華冠制(かかんせい)という。網走の飛行
場を、北東冠すめ飛行場という、これが、後、あつる島と
いう、あっつ島という、長岡管制である。古く、亀山藩制
監督という。北方の島である。環太平洋リニア網の走りで
ある。気流に乗る飛行法とぞず。

 今の『ボーリル・ランホア』という、ちゅうたらの言
いの置きとぞず。この島の名前である。華冠島という名前
である。のち 、あつ島という、厚島という、後とぞず、
ロヨソという、ろみん、ロブー、レメ、レプソンという、
沢山の名前が島である。やも山お書き、これなるを。

ノップラーの掛かりが出る島の名である。ノップラー英
語が通じる島でもある。古い日の亀岡の英語である、この
亀岡、京都が自分を亀岡という日の亀岡の英語である。
ノッコンという、ノッソンという、ノッソスの言葉という。
後、ギリシャ・クノッソスになる、ここもノップラー英語
が通じる島である。

 自分を『ノム』という、華冠島、クノッソスの言いである、
英冠話の部類に入る言葉である。掛かりが『蓮』である、
蓮をくの、くのる、くね、という。五条管制亀岡寄の地と
ぞず。ウラン機関区という、古い言いの軌道敷区の言いである。

 ノッソン・ファールレーという、脳の司りを言う言いの
英語とぞず。古くのノルマンジーという、ノトルダムという、
ノーマン・コンクェストという、1088の掛かりとぞず。
ブーゼブラという、ブーブーブーというフランスの活用の
英語である。長岡の英語でもある、この長岡、新潟の長岡
ともいう、京都の長岡でもある。
【コントーブ】
 コントーブの話である、イオントーブのこんぱらの言い
ともぞ。こんぱらという、青い雪が降った日の原である。
大阪曽根の南の葉所という、イオントーブの東辺りとぞ。
人形屋という、そこの言いでもある。『メ』という、
自分話いう、自分のことを『メ』という、メーレル・
ブアンズワという、めゆっそんのおむい、とぞず。
人形浜の磯である。大阪松屋町筋である。人形屋が多い
所でもある。人形の造りの青土がこれである。まっさか色
という、松屋町色という、青い色のことである。
この人形屋の技術の言いである。人形冠話という、浪華冠
の言いという。『メェ、ソッテル』という、『自分は行く』と
いう意とぞず。『メー、ソッテス』という。大阪御所の
出しである、とんどやっきす、という、めゆってという。
『おれ』を『おぜ』という、『おぜ、めゆってす』という、
『メー、ホッセラー』という、のちち 、スペインの掛かり
とも。『ホセ』がこれである。スペイン人名に多い言葉で
ある。のち、ポルチョンという、ポルトガルの『ホセ』
という。長岡の英語の一部掛かりである。

 『ホセメ、ハンベサ』という、『自分はお行く』という、
お行きゆっきのあおてせ、という、あおてす、とも。
『トンツワッソ、ホッセ』という日本の冠語の言いである、
後の、キガッジラという、御所の大阪御所の浪華はんせぶ、
という。この『ぶ』が、『ブー』である、フランス語の
ブーという、ホセブーという、自分を、やおとよという、
ホセブーが掛かりである、後、八尾フォースという、
【八尾管制】
八尾管制の飛行語というね東大阪の八尾である、八尾の
朝吉(あさきち、あさよし)という、モームル・ハットと
いう、朝という冠語である。『モーム』が朝である。
モーパッサンという朝発の飛行機である。朝まだきという、
夜明け時の発進という。主に、九州鹿児島、大隅、屋久島、
沖縄、タイ、方面へ行く機が使う言葉であり、時間である、
朝発のことである。ロブットン・パックスという、かん
されの言いとぞず。やおとよ、という、おとよとよの
言葉はとぞず。
【島原】
後、京都の島津原という、今の京都の
島原という、そこの娼妓の言葉という、舞妓を娼妓と
いう、京都島原の遊郭語という、主に、おかむろを連
れた時の娼妓の言葉である。メム、メメ、メメメ、モム
という自分のことである、出が、きたゆらの言葉である。
『めめめ、ゆられ、いきそ』という、おかむろという、
小さい幼児の言葉である、これが娼妓が使う、島原の
遊郭の言葉である。太夫がこれを、『ゆゆす、ぺれぱら、
、めよれ』という、おぜが、これを『めれて、せむる、
ろいおい』という。
『せむ』が、掛かりの浪華尤情という、
『おぜ』が、掛かりの朝発音(ちょうはつね)、東ゆらる
      言葉という。
『俺』が、掛かれば、天神朝ゆる、という、天神参
      りの朝参りの言葉である。
【コントーブ】      
 これが、大阪の城のコントーブの言葉である、大阪城でも
このコントーブを使う。浪華人情の歌舞伎、人形歌舞伎
ともいう、この歌舞伎の言葉が、『おとみさん』という、
この『おとみ』が、長岡の鉄砲水の音見という、この解の
言葉を、こんとよ、という。こんとよ語が今の浄瑠璃の
言葉である。正(やなぎ)

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卒6085-2 京都府長岡京市2

京都府長岡京市2
 京都が毎日景色が変わっていた土地が隆起陥没を繰り返
す時の、その合間の時である、京都飛行所場という。京都峰が
大きかった頃である。

 この時に長岡の飛行場という。もちろん舗装も何もしてい
ない地のままで、山の斜辺に飛行機を止めることという。少し
なだらかになった所という、ここを、さかれ、という。
【鼻母音】
 この飛行機という、この一つが、片翼である、反対側に、
後ろに小さな羽をつける、この出来の飛行機とぞず。燃料が
ウランである。長岡が崖がたくさんあった頃である。
 西国(さいごく)街道という道が出来る前である。ここの、
一文字という、これが、大きな谷であって、高さが五、六
百である。切り立ってたにがどんと落ちている、二つ並んだ
槍と表現する山という、ここの橋という、山の中腹に掛ける
橋である、この橋を『ぎゃにゃは』という、『がぎゃなさ』、
という、鼻母音である言葉という。後、この鼻母音で掛けた
東京江戸である。江戸に残る鼻母音という、今の東京である。
【長岡列柵】
 この頃の御所という、ここも御所である、橋を渡った所が
大きな木造の四回建て建物である。周りに楓が植わっていた
ことという。この木造の建物の大きさという、山一つ跨いだ
造りである。これが、住まいである、ここの奥に『う』とい
う書きの碑がある、石碑である。この石碑がいくつも建てら
れていた、これを、柵という。長岡列柵という、ここの言い
の、『にょにゃぁにゃぁ』という、『にゃあにゃあ』という、
この『にゃあ』が、風の鳴き声である。にゃあ風という。

 この風がある日ぃ、有る時である、まよふぁっくすという、
まっさむの華がある所という、この『まっさむ』が、『つく
まさり』という花である、今の大きな葉の蓮に似た花である。
直径3メーター程である。高さ、2メーター前後。茎の太さが
直径50、60センチ程という。

 この花を持つ人という、『つくらす』という、今の庭の
園芸家という。この日の山である。家にいて山を跨いで向こ
うへ行く、行った所が、なだらかな平地である。がらりと
変わる岡の景色である。別世界へ来たような変わりである。
手前は切り立った崖である。

 この平地が施工後の地である。今の長岡の一文橋東辺り
である。ここの言葉という、『がにょ〜ら』という、
『が』が付く言葉と、この地々をいう。

 東の、もっぺ、という、場所という、ここの言葉が『
ごによしょ』という、鼻母音である。この『ごにょしょ』
というこの辺を、向かい世、という、後、向日町である。
【上植野】
 今の上植野辺りである。ここの磯という、周り泥沼である。
ここの泥が、風邪に吹かれて流されてくるのである。この
流れが、今の京都の五条通り位まで流れてくるのである。
京都峰の沈み始めの頃である。
【畳】
 これで、畳を作る、『ヒュウ〜』と言えば、泥が立って
波のように流れてくる。これで、泥をひゅうという、海の
波のように龍のである。横に長い巻波である。それが押し
寄せてくる、きたら、畳を重ねる、20、30枚と重ねて行く、
京都、長岡、木津辺りまで、泥の海である。この畳を長年
使っていた若い人である、畳の雑巾掛けしても、泥が浮い
て来る、ござをめくれば、細かい泥が積もっている。そんな
畳という。拭いても拭いても雑巾が黒くなり、泥が雑巾に
つく、仕方がないから、座れば服に泥がつく、そんな家で
ある。泥がこなくなってからも、この畳を使っていた、
『お泥小石や、ほうやれほ』という、そんな上座敷である。
【ウラン機関車】
 この頃に、あった乗り物という、板を泥地に敷き、上に
木のレールを付けるのである。ウランム機関車である。
大きさが、ほぼ今の電車である。上に乗るのが、期の車輪
である。深さが胸位まである泥という。木の板を重ねて、
あるいは、石を敷くその上のレールという。この頃のレー
ル道という、一直線に、長槍まで、長岡である。

 西に西山麓千代まで、南に交野平(かたのだいら)という
枚方辺りになる枚弓(ひらゆみ)という、そこまであった
、れろるう、という、れろ道である。この電車という、
オール木造である。東へも来たへも敷いた話という。

 この頃に、ひこりや、という、今の飛行機である。これ 
も木造である。この頃に電気はあったか、今のウラン灯で
ある。電気そのものにウランの発電機がついている灯である。
他に、泥廻しの水路という、ここで、水を作りそれを、生活に
利用していた。

 はて、このウラン灯といい、発電機という、木の造りのれろ
道という、木造のウラン車という、これが、今でもあること
という。地が平であった頃の泥の中の造りである。今も、日本
にこのレールがある、ウラン車がある。
【桃の宮】
 この平であった頃の御所という、ここの言いが、ゆまれら、
という。ウランが流れていた御所という。今の御所の前の御
所である。この御所を、ひみせら宮という。中に桃の宮が
あったことという、隣が桜の伍という、この桜の伍の書き
である。北白川宮という、紫宸殿という、ずうっと
新しい話である。
【木のレール】
 木のレールという、ウラン機関車という、この頃を桓武
朝という、東にそびえる槍という、比叡山の南である。尖っ
た山があったのである。俺のちょっと後である。
【京都府長岡京から網走】
 さて、長岡の城から、山を跨ぐ住み家である、ここから、
平地のほうへ出る、飛行機が止まっている。この飛行機と
いう、今のジュラルミンの飛行機である。今の中型旅客機
位である。網走へ行く、気流が平行気流が流れている、こ
の気流に乗るウランジュラルミン製飛行機である。高速気
流である。これが、環条光の出た時の気流である。長岡の
鉄砲水が後である。今でいうオーロラの円形型である。
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卒業6085 ANGOLA Colina 俺085ぼうぜき (壮強太陽):イカスミ柳

京都府長岡京市1
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音楽
【曲名】 卒業6085京都船旅4985
古譜3985大原練習3885天の下4285 ANGOLA Colina 俺085ぼうぜき (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
亀岡 長岡亀岡 山が沈んだ西陣
張場槍 今里 大きな掛け越えて 楓
そよ吹く 風笑う 長岡の谷夜越え
風邪が笑ってる ぼうぜせき 
長槍の後の池

 狐の天気予報。〇r1999/02/22
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【京都府亀岡市、南丹市】
 現、9号線を西へ、西山を越え、篠へ、篠越えて、4キロ程
そのまま西へ、その辺りが大きな渓谷がであった所である。
亀岡管制という、亀岡に大きな渓谷があった頃で、谷に流れ
る川が大井川で、その西に園部渓谷がある。その頃である。
亀四十メーターという亀がいた所という。
 園部へ向かって左側、崖であるが、その上が飛行場である。
京都五条管制(現、JR丹波口駅)から、西少し南の葛野飛行場
へ行き、南の桂の自衛隊へ行く、また、葛野へ戻り、亀岡へ
行く。この亀岡にいくつか飛行場がる。このガレの飛行場で
ある、ここを、亀岡管制という。この亀岡管制から、少しの
大きな八木の飛行場へ行く、ここが気流が発生する所である。

 この八木の飛行場で、行き先が分かれる、京都の北の、京
北町へいく、京北町飛行場は、現、京北町の役場のある所で
ある。
 もう一つが、城東飛行場という、現、日置町辺りである、
ここから、小さい飛行機へ乗り換え、篠山の飛行場へ行く、
この篠山の飛行場という、篠山城内のことである。そとにも
飛行場はある。これが園篠航路という、航空路である。
 道もなく山も崖のように切り立っている。この頃のことで、
園への城が、崖のあったことという。城の横が崖である、大
きな崖で、ここを、がもせら、という、野を『がる』という、
『らみ』ともいう。『また更(さら)』という。この『更』が
『野』である。ここの崖の下に今の大井川が流れている。
この大井川を切る工事という。深い大きな谷で、今の園部駅
という、これがなく、まだ線路が通っていない頃とぞず。
この工事を『さるさら』という、さられるおこう、という。
これをねして、園部の町を作る話という、これが、古座れら
(こざれら)という、町の言いの元の言いという。古座という
所が園部ある、この頃の京都という、山が隆起し、また、陥
没し、これを繰り返す頃という。道もない頃で、飛行機を利
用することという。
【京都府長岡京市】
 この長岡の藤原という、現京都府の長岡京市である、そこ
も亀山藩というたのである。長岡が自分を亀山、亀岡という
たことという。この長岡の頃の言いに、鼻長韻という、声を
鼻に掛けた、『そう〜だにょ〜』という言いという。これが、
亀山の亀岡という、後、ここも、亀岡藩という、亀山藩とい
う。長岡藤原京の少し後の頃である。京都が隆起を繰り返す
頃の現、長岡である。この長岡が崖であることをいう、大き
な崖で、山が切りたっていることという。ここの町を、おこ
ゆま、という。昔の長岡の地をいう、同時に、自分の話す
言葉をいう、これで、言葉をおこゆまという。
 この『おこゆま』が、当時の長岡の言葉という、弁という、
便という。『なもんさあるれ』という、『なばして』という、
『延ばして』という、言葉を延ばす言いという。『さあるれ』
という『さ』が伸びた部分という。この頃の長岡である、
『がにゃは』という『が』を鼻母音という、この『が』を延
ばす『がぁにゃぁはぁ』という、これを園部の『がにょしょ』
という。のち 、この長岡から亀岡へ行く道がつく、この道を
丹波街道という。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/02/22 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る



ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@434
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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