2020年05月16日

卒業6050 ANGOLA voz 俺050 峰の子 (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業6050京都船旅4950
古譜3950大原練習3850天の下4250 ANGOLA voz 俺050 峰の子 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
友の槍 あなふとの 名高い落ち峰
朝の歩みの 清々し木々の植わり
添いの道 駒を連れる よしかざ
みやる ららのお鳴きに らら鳴きの
山声 天に響き鳴き お雄々しき


 狐の天気予報。〇r1999/02/11
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
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20200516
そうきょうはよい時です。 
足利の言葉。
【歌意】
 山の鳴き声、らら鳴きという。京都峰の鳴き声という。
太い大きな声である。ららという、山のことをいう。
友ヶ槍という、京都峰のことという。のこ名前の『友』の付く
地の言いという、山をららという。友ヶ島の言いでもある。
和歌山の友ヶ島である。京都の友いべ、という、友の地という。
友の山のお絵という、山照る日のいよかり、という。いそよ
その朝のアユもとぞう。れれせるおいそよのことという。
りちゃみちゃ、り。
 京都の山の世という、山世のリチャミチャという。道の
ことを、『リ』という。これが、京都峰の言葉である。
『りちゃみちゃ、行きそよ』という、外へ出る意味である。
『あやよや、行くそて、いらすれ』という。りちゃみちゃへ
行きますという意とぞう。みみってのよみすめ、という。
京都の峰のある頃の言葉である。古い京都の話である。
篠町辺り、三重ともいう
 遠くに亀岡が見えた、裾野の見えという。三重ともいう、
亀岡篠辺りである。篠町のことという。古い古い世のこと
である。三千メーター程である。ここの頂にいたことと
いう。今の五条七本松である。ここが頂である。後、沈
下する京都峰のことという。その頃の山鳴きである。
気鳴きの後、一挙に沈んだ京都峰という。あっという間
の出来事である。周りの山が残った話という、京都盆地
という。京都くぼみの地という。

陸環礁
環礁の陸環礁である。環を抱く京都の盆地という、後、
冠皿
かんさら(冠皿)という。盆地を冠皿という、和国の言いで
ある。和国山お書き、これなる。正(やなぎ)。


【【北京】】
 北京を漢大という。この北京の言いを、薨去という。薨花の
いいという。けという言葉という。お爺さんのお足という。
けっそれの歌という。大お爺さん山あるせれ、よりよつうたす
ら、とぞう。べんそれっと、という。べんつの山という。
これを、漢大講義という。北京大学という、そこの講義である。

 日本の歌という、にいらまのよりせれ、という。ホーワン
フーという。けっとの山のお家とぞう。北京大学のなかの
漢大という。後ねたんさん、という。ニーベル・イーサンヨー
という。この『ニー』が、中国語の『ニー』である。わたすの
言いという。またののやのお絵という。レリオンという、れも
その、るりおり、という。めめての、ゆいはま、という。
これを、ろよ、という。
ろよ梅田
 云城の言いを、ろよ、という。ろよ浜という、言葉のことを、
『浜』という。これを、雲浜という、梅田山の御名という。
梅田の雲浜浜(うんぴんはま)の言いという。この『雲浜』が、
京の家のことを、ぴぞふら、という。梅田山がいた、という。
この表現の、あいらく、という、後、相楽という表記をする。
後、この相楽を、さがふる、という、さがれま、という、
さみしょという、さんするという。さべすのお言いという。
『山がいた』という、『川が流れおります』という。
おりたる山のお言いという。れむせる山のお書きという。
これを、天そむ、という。
千(せん)
 この雲浜の浜を、後、せんをいう、川を千という。この千
の言いに、かみするをいう。かみかみの言いという。けれせれ
のゆい春という。この言いの、このらく、という。これを、
けべせ、という。めるてれのおんする、という。れゆての
いみしみ、という。
雲浜、纏向
 これが出た山を、めのう、という。鉄をとる言いである。
雲浜のまきす、という。これを、纏向という、纏向屋のお絵と
いう。纏向のめっぱくる、という、これのことを、うんべる、
という。後、鉄を作ることという。
大槌
 これを、大槌という、おおれるるよん、という。るみすゆの
かよふっきる、という。これが、天を漢という。後、漢天とい
う。この漢天の言いを、ろそふよ、という。天を、ろろ、とい
う。これが、後、天の路という、天を空という言いのことの、
すれすれ、という。これが、ろろ花の言いという。浜を花とい
う。花山のおこと、という。この言いの、えん、という。言葉
を延ばす話という。
衆を惑わす
 漢延漢大という、漢の延ばしとぞう。卑弥呼のまきやみ、と
いう。卑弥呼がまきをとる言いとぞう。槙のことである。巻き
ともいう。これが、卑弥呼の、『衆を惑わす』ということの解
という。

 『衆』が『集』である。この集の『まど』という、これを、
わく、惑という。窓枠のことである。窓を作る話である。卑弥
呼の屋の窓である。これを、梅野山の言いという。窓に関する
ことをする、これを『惑わす』という。これが、雲浜の屋のお
書きという、後、おおずゆという、この文のことである。
梅田雲浜
 大愉のお山という、大愉山のことという。後、この大愉山に
卑弥呼の城という、この城を立てることとぞう。みませらのお
いそり、という。ここの意味の、『しゅう』という。しゅうみ
つという、しゅうすれともいう、しゅうさまともいう。
卑弥呼の住む所である。雲浜の浜の住まいとぞう。梅田雲浜と
もいう言いともいう。なめせらの言いという。この言いの出の
場のことを、おるりり、という。脳の、おれまがりのことを、
いう、おるりり、という。卑弥呼山のお絵という。卑弥呼の家
のことをいう。後、漢大の言いという。これを、るみすみ、と
いう。
おっぺん
 後、卑弥呼のや(家)のお言いという。これが、かんせまの言
いという、後の黒始廟であるそこの言いである。るりおりとい
う、我が脳のことをいう。これの脳の働きの具象を、ぐみふみ
という、ぐれるという、ぐれせという。後、おっぱんという、
後、おっぺんという、のれせれという、のみせまという。
のりとりの山という。
みどりの日
 これが平安京のことの意味になる日の、みど園の言葉という。
後、緑の園という。緑園の平安という。京都山という、京都の
緑の園のことを、へいかま、という。この『へいかま』を、ゆ
みふりという、ゆみせまという、これを、こめふり、という。

 米の言葉の振りという、振りという、言葉を延ばすことであ
る。これのことの、かたよりという。この『かたより』を、
しゅうさむ、という。この『しゅうさむ』が、緑の日という。

 緑の日が、平安の緑の園にいた、おれるれるという。これが、
今の、みどつゆ、という時期である。緑の日が、暦にのせられ
ることという。

 四月をいうひに、四をみどという。これが平安の言いである。
またの山という山の傍の、緑つゆ春、という。この日の鉄の
造りという。鉄を作った日である、緑世という時である。

 これが『緑世の春』という、卑弥呼の歌である。古く、京都
かゆより、という、京都のくぼふり、という、くぼ山のお言
いという。これを、れんせる、という。言葉の振りの結果、で
きた言葉の成り立ちという。後、連絡という。壬生連絡という、
壬生の言葉の出来の説という。おりるりのことという、おれま
がりの発露、放射という。おれまがりで言葉ができたという、
ことという。

 これが平安京の造りに置かれる、雲浜の浜のおよ、という。
雲浜世のはせれま、という。このことの言いである。雲浜世の
はせれま、という、纏向の鉄作りという。緑世のことという。
緑の日に鉄が出来た話という、纏向日という、古い壬生の暦と
ぞう。みどりの日を、天の漢の日という。これが、天漢日と
いう、緑の日のことである。
筍梅雨、菜種梅雨
 この日を、タケノコ梅雨という、タケノコが出る頃の雨が多く
なる頃という。梅雨は知りという、筍流しという、菜種梅雨と
もいう。

 梅雨前線という、この言葉の出とぞう、漢大の出のこととい
う。これが、漢大の置きである。後、北京大学という、この大
学の一部である。漢の大愉という、後とぞう。漢大愉のことと
いう。古く、卑弥呼の鉄の巻きという、この巻きが書物である
こととぞう。鉄巻という、与謝野鉄幹という、鉄巻ともいう。

 大阪梅田の堺路という、これがあるとぞう、めくすくという。
ここの意味のゆれ、という、ゆれを取る・やまるめ、という。
あうせらの言いとぞう。梅田雲浜という、大阪の梅田でもある。
曽根崎の山のお書きという。 

 漢大愉講義という、上文である。後、習 近平(ならいちかお)
という、北京のコミュふりである。北京思想(しいそう)という。
正(やなぎ)。M16

『緑世の春、雨あがり』という、春雨の読みの延という。
『緑世の、春雨あがり』という。
『緑世の春、雨あがり』、さめあがりという読みの類の歌で
ある。
 雨をさめという、あめさめという、これを経て、さめという
、雨のことである。書き言葉を言葉螺する、字の読みから言葉
にする、字からできた言葉の類 とも。緑世という、緑の時、
緑の日である意である。これが、梅田山の言いである。雲浜浜
という、山浜の言いとも。岡よらんせる、という、岡の屋の言
い、とぞず。夢の山のお絵という、夢屋の言いとぞず。
 れれそれのあうてす、という、れとんの屋とも。
ろとす・ふいれか、という。京都五条ヶ丘の歌とも。五条山と
も。平安のゆかやりという、卑弥呼の鉄の歌である。纏向連絡
という。まりせる・るおれ、という、この『おれ』が、『おれ
るれ』である、おれまがりのことである。
 やまっせ・パーハンという。花ぎらの山のお絵という。
 花ゆま山お書き、これぞめ。
 この『ぞめ』の切りを、さめるという、さめ切りという。
後、壬生の切りすてという。壬生の古い言葉である。今の葉山
御所の近辺の言葉とぞ。あっせら・れーれ、の、ゆいふれとい
う。あみせら言いという、葉山辻の言いという。古い日の横浜
の言葉てある。後、じゃんすか、という。じゃんれら、とも。
じゃっじゃんすかのれもん、という、れもん言いという。
れもんの山のおすえ、と言う。
 めんせら風の言いぞよ、という。めゆてすのおいすみ、とぞ
う。これが、『すみ』の言いそめ、という。この『そめ』の切
りである。後、亀岡の霧という、霧がかる亀せる、という。
壬生の切りのすごむ言いという。切りを霧という亀岡である。
言葉の切りであることとぞ。壬生浪人お書きなる。
 壬生の浪切り山のお書きである。浪霧ともいう。これが、
きりきりのまめという。きりきみの山録という。録を言葉とい
う。言葉の集めとも。ろくせら風邪という。賀陽御所の言葉で
ある。
 壬生すいっとん・らーは、という。すいっとんの『とん』が、
言葉である意とも。くらべの言葉という。英国人の『トン』と
いう、主として何使うことという、エリックトン、ワシントン
という、この類の『トン』という。御所の掛かりが出ることと
いう。御所掛けの『とん』という。
『小林屯』『小林とん』という、『小林さん』の意である。

 宮とんという、言葉遣いである。後、宮様言いという、わだ
らせる言い、という。これが、今の方言の、『弥助どん』とい
う、大槌の闇浜の言いという。『つち』『つい』の付く地名が
これを使う。これが方言という、ほうはなの言いという。
宮どんという言葉である、宮方言という、ほっぱなの家(や)の
言いとであっそ。

 この『とであっそ』という、言葉の出の鞍山という、蔵山連
津という、この蔵山が、鴨山の一部ある。鴨川のない頃の鴨山
である。この山を、亀鴨という、後、鴨川という。鴨川連すら
のお言いという、『どん、とん』を『ぱん』という。

 『いとぱん』という、『小林ぱん』という、『いとさん』『
小林さん』のこと。鴨山の頃の京都の言いである。この『ぱん』
が後、いみたまの言いの、京都峰の言葉を宿す言葉である。

 京都峰の『ぱん』という、『おじっぱん』『おばっぱん』と
いう、『おじいさん』『おばあさん』である。これが、鴨川の
かいため、という、鴨川の作りである。鴨川の作千という。
作千の鴨川という。鴨川の歌である、緑世の歌である。
古く、京都峰の、歌遣(うたやり)という、この日(この時)の
歌という、五条みゆれま、ともいう。五条ヶ丘の歌である。

 星が話すという、星が音をたてていた頃とぞず。月飛びと
いう現象があった頃という、星飛び月飛びの丘という。気が
鳴くという、気鳴きの世という。時の時である。

 この頃の傘という。琴傘という、番傘の楕円経で、柄が二本
ある傘という。この傘を、さめせり、さめせる、さめ傘という。
これが、雨をさめという期の傘である。この言葉を使う所を
宮らるという、宮浜という、宮せまともいう。古い京都の、
かんらき語という。かんせまのお言いという。りりせるおきゆ
き、という。栗東の出しという、栗東町に残る、かんらき語で
ある。滋賀県栗東の方言である、雨をさめという。

 栗から言いのかかり絵という、この『絵』が延である。
『そうしたんえ』という、これを『そうしたえん』という。
この言いが栗の言葉がつく所で使われる、栗ゆらかんつく、
という、栗原、栗野原、栗目、鳥所、という。栗田、栗川とも。
栗の木のある所ともいう。『くり』がつく所の場の言いである。

 人の脳の、くりかき、という場の出という。くりかきという、
おれまがりの場である。海馬ともいう。ここの発である。出を
発という言いがこれでもある、くりかきの働きである。
御所出という、御所発である意とぞずすみ。

 『とぞずすみ』という言葉打ちの文、切りを打ちという、こ
の言葉の担い箇所である、海馬脳の馬れる、という、生まれる
に掛かる意とぞず。これを、ごずゆか(ごず床)という、牛頭と
いう表記が、この『馬れる』の場の働きである。ここ発の『
生まれる』である。

 生まれという人の誕生に関してくることという。生まれ語
という、うまやの言いとぞず。後、聖徳言いという、『とぞず
すみ』と言葉を切ることの言いである。厩戸の皇子の聖徳太子
という、言葉を尊ぶことという。

 これを、寿葉(しことば)という、栗村の言いという。栗の
つく所である。ことばんみ、という、ことばみのゆいはると
いう。言いが張ったはる、という、言葉が張ることをいう。

 この言葉の張りを春という。ことはり、という、こと春と
いう。これが、ペッキンスウハンという、数原の言葉という。
今の北京の言葉である、北京を数原という、鴨山の場という。
後、中国の言葉という、鴨山の場ではなされていた、鴨山語
である。この鴨山の場を北京という、ほっきょうという。後、
ぺきんという。この『ペキン』の言葉が鴨山語である。
鴨山数風ともいう。
 
 『スーサンヨー、イイデー』という、
 『ソウサン、ハウロ』
 『そうします』という意である。鴨山語である。
 
 古い鴨山の言葉である。後、江戸という、東京の江戸語と
いう。今の東京の『北』ちつく場所に残る言葉という、方言と
もず。北千住辺り、かも。
 『千』も『かも』も、川になる話という。この『かも』の
使い、断定の使いである、『です』意とぞず。古い鴨山の言葉
でもある。鴨山の北千、北住である。現、京都市の鴨川周りで
ある。

 壬生ひろめのおひろめ、という、賀陽ひろめ、という、言
葉の種類をいう、北千住語という、鴨語という、カーレル・
ロンズーという、カヨッソン・ラークーという。さむてらの
言いという、『かも』切りである。

 『かもっしゅ、そるさく、けられられはな、こようふりよら
  す、とみいしるられた』
歌のような上げ下げで、話す村の頃とぞず。鴨山、北千住が
そうである。後、かつから、というこの調子という。
『そうやあにい』という奈良朝の言葉の調子という、この言
葉の前の期である。鴨山の調子が古いことという。
カーレル・ロックスという、カレードンのトンはむ、という。
『ドン』『トン』も、賭場の意である。かれっせるという話
である。

 北のごゆはれ、という言葉の名称である。『はれ 』が『張
る』である。これを『たた』という、後、『たたご』という、
たたみたの言葉という。これが後、言葉を交わすを、『たた
かう』という、言葉のやり取りである、挨拶とも。

 挨拶を『たた』という、京都の古い言葉である。この類の
系統の継がれることに、戦争という言いをする、言葉を尊ぶ
ことをいう。戦争で、たたかうという、『たたをかわす』と
いう。たたかいという、言葉をやりとりすることをいう。

 朝の挨拶を、早戦(そうせん)という、鴨山の言葉である。
千住語ともいう。この期を、ころるきほめる、という、ころる
期という。人名に『と』をつける言葉である。
『小林と』という、『小林さん』の意である。
大平ゆらの言葉である。大平語という。おひらきおひろの言葉
という。鴨山から出た言葉である。賀陽ひろの言葉という。

 これが後、賀陽の通う歌謡という、北千住という場所を歌謡
という、歌謡せむの場という。これを、ろろ浜という、言葉の
ことの説明である、ろろ浜という。

 ろろ浜を節(せつ)という、これをふしという。歌謡の節で
あることという。ろろらむ浜のお世という。およよ浜のお書き
という。およよという、言葉のことを、およよ、という。
およ、ともいう。京都の古い言いである。

 これを、トッキンほうすく、という、トッキンを東京という
表記である。ペッキン・ラールゴーという、トッキンほうすく
、である。これを、東京方録という、東京方面の言葉という、
なんきん・はんなむ、という。この、なんきんが、今の中国
南京である。南京から北京へ行った人である若い人である。

 南京行司(こうすう)という、なんべら・ハンマーという。
この『ハンマー』が言葉である。南京官話を、なんきん・
ハンマーという。ハンマーを使う、ペッキンラールゴーという、
北京語が、『ハンマー』という言葉を使うことという、
言葉という意味に『ハンマー』という北京語である。
 
 これを、南京ちぬはぬ、という、古い、賀陽御所のことを、
『ナンキン、ホアン、ルーフー』という、南京流布という。
『ルーフー』で、流布という意である、ペッキンラールゴーで
ある。北京語の少し古い形の言葉である。てんしんまあはん、
という言葉である、言葉の種類である。天津真藩という表記
という。言葉のことである。これを、何語という、かご、とい
う、後、華語という、後、中華語、後、中国語である、北京
官話である。

 『ニーハオ、クーヨー』という、天津真藩である、中華語
である。言葉の数原の描きという。これを、数海という、南條
山という、話の名称である。南條洋行という話である。

 東条師範のたたかいの話である。東条という南京の、ひがし
の条、道という、そこの言いである。東条師範ゆっきし、と
いう。ゆっかの山のお書きという。れれその言いという、一般
の言いを、れれそ、という、賀陽御所の言葉である。のち、
烏是(からすぜ)という言いである。
烏の間の言いである、後 、黒始殿という、今の御所の紫宸
殿そめ、である。紫宸殿の言いである、れれという言葉であ
る、賀陽発である。

 『そめ』が発の意である。黒始殿という由縁が、賀陽御所の
出である、賀陽発の言葉とぞず。

 紫宸殿染めという、紫宸殿の染めもある、染殿という、紫宸
染めという、れれそのおそめ、という。これを、烏染めという。
黒染めのことである。紋付き等の染めである。

 建物を染める、紫宸殿ゆらふら、である。真っ黒に染める
指針殿という。黒殿の紫宸殿を、指針殿という、この時、国司
という、国司こうやま殿という、国司の若い人である、俺の傍
にいる人である。おるはれらくのお書きという。
国司正(やなぎ)殿お書き、これなる。
 
 正をやなぎという、紫宸殿の言葉という。賀陽正(やなぎ)と
いう、これを、正(やなぎ)通い、という。御所から賀陽正(や
なぎ)へ通た話という、かよたれいせん、という。
ひやいずみのお京という、御所通いのことという。
通う冷泉という、ひやいずみの話である。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜3950大原練習3850天の下4250 ANGOLA voz 俺050 峰の子 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou58008
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@543上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 2010/02/11 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る



ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@543
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
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