2020年05月12日

卒業6030 ANGOLA Cancao 俺030篠木遣り (壮強太陽):イカスミ柳

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音楽
【曲名】 卒業6030京都船旅4930
古譜3930大原練習3830天の下4230 ANGOLA Cancao 俺030篠木遣り (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
蒙古の原下り ふるすぺど かきさび
こる乗るふら いおめ 甕が世の日々に
おいさまし 飛ぶ飛び てのみゆら 
あしかみ れせめ せめるるらら
すゆずてか ふんまれ 足利地るらぎ
こせゆらめ とみず

 狐の天気予報。〇r1999/02/07
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
20200512
そうきょうはよい時です。 
足利の言葉。
【歌意】
蒙古:今の亀岡市、篠町辺り。この辺一帯を蒙古と言う。後、
 篠木という、ここの遣りである。律が、山得という律の歌。
 三等分の音符である。跳ねたような感じの所という、これを、
 みよれく、という、8、16分のところである。この歌の出の
 調とぞず。へもれら、という。後を、よいかり、よいかみ、
 という。せんそるのゆい山という、『山』は話であることの
 意。ゆいかみの山という、ゆいかみの話である意。その意の
 歌とも。これを、歌めら、という。歌語の歌の手法とぞず。
 ゆいかみ調ふれ、という。歌の出の意図という。れれての
 言いという。これを、せんばく、という、いっせんばく、と
 いう。言い手の意図を知らすことという。れれてそん浜、と
 いう。『浜』は文の意。とみさずの言いとぞず。後、津とい
 う、歌の一般のことである。蒙古やんばる、という、めすゆ
 すのおいっとも、という、いともののおいみ、という、意味
 である。これを、それろく、という。れすれるとっぽん、と
 いう、どぼん、という。
どぼん 
  歌のことを、どぼんという、とっぽんという。ぺんさめの
 言いという。これを、れよはる、という。『れよ』という歌
 である意ともず、これをはる歌張りという、歌を、こっぺ、
 という。こっぺ歌という、こっぺ張りという、歌の意ともぞ。
 こっぺ蟹という、こっぽのれんふれ、という。この意味の『
 蟹』を、歌ゆと、という、歌ゆ、という、歌せら、という。
 歌みとの山という。歌のことを、みんせま、という。この『
 みん』、後に、『明(みん)』の国の名になる、中国のこと。
ゆむ 
  歌の中国という、言葉が、上げ下げのアクセントの言葉で
 ある。これを、あよせ、という、後、あしせ、という。
 これが、足利の地の言いになる。あしせの篠めむ、という、
 『ゆむ』が、遣りであることという。これの言いを足利言い
 という、後、あし山のことの意になる。足利の名の由来とい
 う。亀岡を足利地という、これが、高う、という、高え、と
 いう、高いことの意である。亀岡が高い所にある意という。
 一般に、高い所を、めよさら、という、めんすめ、という、
 めりるれ、という。亀山の丘の言葉という。これを、ろっく、
 という、亀岡の亀山という。古くの亀山である。ここの、
 足利の地の歌である。蒙古山の歌ともいう。もりせるらんそ
 る、という、この『そる』が歌の意である。
篠町、篠之
  歌れざま浜、という、歌のさまの歌詞という、浜である。
 浜という、言葉の綴れという。つみつれのお言いという。
 歌を、つみつれ、つみ、という。たれっせまの言いという。
 これが、時の語の言いという。足利世の言いである。
 足利にいたことという。亀岡住まいである。詩のれるの住ま
 う沖やき、という、篠の沖にいた意とぞう。篠沖という場
 という。今の、篠町である。現、山を下りた所である。
 山麓の篠之(しのゆき)という場所である。足利の浜之(はま
 ゆき)という。場所のことを、之(ゆき)という時の言いであ
 る。とっくらせいめい、という、とくゆくの言いという。
 れれての花山という、れそれるうれすれ、という。これが、
 まんせの言いである。よりまんという、よりみという、より
 るという、るりよりという、寄り合う意味という。るりよっ
 た話という、これを、るり山という。るり寄りの足利という、
 後、足を組むことともいう。るりよるという話である。
 歌の意とも。
 
ふるすぺど:古須辺土、ふるすへんど、ふるすぺどという、
 足利下りの言葉。足利の言葉という。
 『ぺっぱら、ぱんぱ』という、平原の原のぱん、という。
 原のことをいう。『ぱんぱみお』という、『原を見る』こと
 である。原見の言いという。パーレラサンズという、これの
 延びが、今の 中南米のパンパという野原を表す言葉である。
 篠つゆという言葉である。篠の言葉である意とぞず。足利の
 言葉の延という。この『延』を縁という、縁語という、原語
 のことという、パンパセという、パンズレという。原の言葉
 である、これを、ダレノスという。ダレが、原の際立った所
 である、崖であることとも。ダレという一般の、崖の言葉で
 ある。後、ガレという。山崖の、山げみ、という、カレのこ
 とである。これを、ふるゆみ、古弓というね古い言葉の意で
 ある。歌語のことを、古弓という。これを、しんはり、とい
 う。古弓の言葉の、張りをいう、出張る張りという。言葉が
 延びていくことをいう、これを、せめ、という、攻めるとい
 う。言葉が攻めることという、言葉が張っていくことを、
 とどめる、という。とどめの山という。
  英語が張る、という、これを、英語が攻める、という。
 日本語を、てもせめ、という。日本語を、手の平の言葉とい
 う、手の言葉という。手を花という、花ひらの意図をいう、
 この糸を表す、表現という。手の平語である。二本の手と
 いう、二本の腕、う手、うで、という。これが、攻めるとい
 う話にかかる言葉である、言葉の進展をいう。
  言葉が広まっていく有様を、とのゆり、という、喇叭のよ
 うに広まる言葉の形容である。
 
  英領インドシナという、英語が通じるインドシナという、
 仏印という、フランス語が通じる印というインドである。
 インドシナである。言葉の話である。これを、ふんめる、と
 いう、言葉という、これの表しの手の書きという。文手とい
 う、後、言語の著書という。ふんめるお文とちいう。これを、
 すぺしゃ、という。著書をすぺしゃといい、著者にも使うこ
 とという。これの言いを、スペシャル、という。すべの話と
 いう。すぺしゃる山のことという。すべの著書である。
  言葉のことを説く述という、述とも、すぺしゃるのことで
 ある。すべし原という、すぺしゃるの原という、これが、篠
 つゆ、という、篠の地の言葉という。篠津言いという、篠つ
 ゆの山のことという。この歌の山の言葉である。
篠津 
  Fで出出しをとる、意味という、言葉の意味の歌である知
 らせという、駄作者の造りである。かよすの造りという、通
 う、歌謡、造りとぞず。通う、歌謡が言葉の意味である、言
 葉が歌謡話という、これの歌謡である。記紀歌謡の一意味と
 いう。へらふれの調子である。ハヒフヘのヘである。音階の
 ことである。このF調を、篠津出し、という。つのだし調と
 いう、『つの出せ、やり出せ』歌の意ともず。始めを知らす
 話という。これを、とっこす、とっこる、という。
 とこすのおしゆし、という。これを、篠の津のゆり、という。
 歌の調子を、ゆり、という。れれての言いのおらる、という。
 たちゆき山のお書きという。
 
 言葉が張っていく意味の歌でもある。いくさゆき、という。
 攻めるという意味という、自分の行きを攻めという。これが、
 じめふれ、という、地を揺り行くことという。地へ行く話と
 いう。ちおみらの山という。
 
  著を書くことを、地、という話という。文行という、これ
 を、筆の攻め、という。筆が攻める、文ができていくことを
 いう。文筆の攻筆という、後、ぶんざれ、という。文去とい
 う。『去』が『行く』の意である。文がいく、筆がいくとい
 う。この表現の、せん、という、戦争という意味である。
 
  日本語が広まり、英語と出会うとの形容とぞず。これを、
 戦文という。言葉のやり取りのことである、戦争という話
 である。

  平家と源氏が争うたという、言葉のやりとりをした話とい
 う。合戦という、戦争という。話し合いのことである。
 それとも地をとりに行って喧嘩をしたか、という、建物を
 とりにいったか、という。蛮民の俺は、こんなことはしない、
 という。言葉を使い訪ねた話という、攻めに行ったというこ
 とである、この表現の使いという、古く、壬生の言葉である。
 新撰組が、バサッときったという、言葉の区切りのことをい
 う。新撰組切りという区切り方である。言葉の話である。
 『・・・、という、・・・』という、これを、新撰組という、
 切り組の話である。切り込み文という。切って入れた話とい
 う。どこまでも野蛮な俺である。バサバサ切る話という。
 文に点や丸を使うことである。言葉の伸展、進展を戦争とい
 う。言葉の見合い組合である。これが、大惨事世界戦争と
 いう話である。
 
  原子爆弾を落とすことが俺の戦争であるという、どこに
 落とすかいう、ダレノガレの話という、野蛮な俺である。
 歌をやりという、俺 という。足を曲げる足利という、
 立ってて一本の足を曲げる足利である。かかしの恰好という。
 一本足のかがし、という、あしかがし、という、俺である。
 おれまがりの脳の働きの言葉の解釈という。戦争の解釈であ
 る。『攻める』という言葉の解である。大虹大戦は、そうい
 うような話である。原子爆弾が落ちた話である。いろんな
 戦争がある話という。
  平和主義者がいう、戦争という。
  野蛮な俺がいう、戦争という。
 アホくさい話である。アホいくさという、『俺っつぁ、
 攻めらさぁ』という、ホアーな俺であるという。
 野蛮な俺をホアーという。中国語の出来の地とぞう、亀岡の
 篠の言葉である、中国語を足利語 という、かかし語という。
 『ホアッルー、スーフー』という、中国語という意味である。
 
 『ちゃんスーラ、はってよ』という、中国語のような日本語
 という。『スーラ、ホートー』という、中国語のように聞こ
 える言葉と言う。中国語である話という。『ホートースー
 ヨー』という、俺の南京官話である。南京政府の言葉である。
 これを、東条師範という、中国のことを東条という、中国語
 師範である。
らむ 
  駄作家が俺を書き立てるのである、歌にも出すのである。
 俺へそまがりという、足利の恰好である。立って片足を足前
 へ曲げる、への字の曲げ、という。これを、足利攻めらむ、
 という。足の曲げを、らむ、という。
 
 『攻めらむ』という、文語の解釈という、『攻めに行こう』と
 いう、野蛮な俺である。
 
 あの駄作か家のダダイズムである。歌にまで引き出しやがる』
 という、野蛮な俺であると、書き立てるヤツである。
 『けしからむ』ヤツである。『けしからん』という『ん』が付
 く、これを運という、けしかの運という、何度も書き消すヤツ
 である。隣は云城という。隣雲の云いという。云言のおれまが
 りという、『む』と『ん』のことという。俺造りである。
 けしからうん。けしからん。
 
  おれまがりの脳は、このようなことを考える。おれない闇
 という。云城の言葉遣いという、城内の『ない』である。
 俺内城という、オレガイタことという。亀岡下りととぞそ。
 篠城足花言いという、ダレノガレの言葉である。ガレの言い
 という。足曲げた恰好を、足花という、への字の恰好である。
 これを、くそ曲げという、へそまがり、という。ダレノガレ
 の言葉である。
見身 
 江戸城攻め、薨去攻めという、城へ行くことをいう。薨去は
 いそめそという、磯に建つ城を薨去という、薨に居るという。
 薨居へ行くことを、しわせら、という。これが、雲城の言い
 である。雲城と云城を、二乗という。これを、二乗状という。
 人の立った姿である。城に立つというオレガイイという、
 こうれをみてた、という、キミガミテタの見立てという。
 俺の見立てという、これを、身立てという。見身運という。
 自分のことを見身という、見身を運ぶ、自分が行く意である、
 見見運という。
コル、コルト
  見身運二乗の亀岡越えという。雲城から行くことを
 笑む詩、笑詩という、これを、笑む言いコルという。
 自動車のことをコルという、コルトという、自動車に乗る
 ことをいう。これを、笑む詩の二乗という。二乗車 という。
 城を車という言いの、コルテッサーという、コルツァーとい
 う。これを、いいんすてん、という。ステムソンという。
 茎の邑という、邑状の二乗城という。これが、城槍の語源で
 ある。槍状の城という。
 
  二つの城をモツという、モツ造りの城という。うんせら、
 という、城の造りを含めた、城の呼びである。E=MC2
 という、いいんす、という。いいむす、という。これが、
 引力という、自動車の万世吸引という、城の建て方の方
 程式である。
 
  江戸城攻める式という。やぶそれ山のお書きという。
  
  江戸城攻めという大きいことをいう人である。E=
 MC2の式という。城を舞台に立つという、松の廊下の
 電柱という。『殿。電柱でござる。』 足利闇の薨去の
 庭という。この薨去が、霧原である。闇の霧を、薨霧
 という。薨霧かかる衣白(きぬしら)という。
 衣白城
  衣白城という薨居の名である。ここを、せめるれ、
 という。御所冠去り、という、御所冠去里という。『去』
 の意は『猿』である。これが、御所猿をいう、『猿』の
 意は『きょらぎ』という、『きょっせ』という、『きょず』
 という、これが、きょらせの猿が辻という。薨去を、水引く
 、という。みずひく薨去という。死に際の水をいう。
 薨去の言葉である。あばせ山らか、という言葉の出の意と
 いう、薨去のことという。甍(いらか)の波の話という。
 薨甍(こうぼう)という、香華ということの意味の元である。
 
  城に立つ人の言葉であるという、『人は石垣、人は城』と
 いう。冷和なお人という。これが、城の建て方である。見見
 の山という。城を、ベロ、という。べろみれ、という、めめ
 せむの言葉とぞず。城中家老という、家老という、おいたち、
 という。いたち建てという。城を、いたつれ、という。板の
 建てという。いたちの山という。だれそめ、という、このこ
 とを、だつれ、という、だて、という。駄作という、城の
 ことを駄作という。駄作状という、城のことである。
 
  文を城という、これを駄作という。駄作文という、駄作状
 という。作庭のことという。これを駄作亭という、住まいの
 ことである。これを、にんめ、という。人の目という。二乗
 に立つ人という。城を、ノルレ、という。ノイソルという。
 ノイホンという。のれそれのいか造りという。城の中心の
 柱という、これを、ノイという、おれまがり、という。
しゃちの飾り 
 おれまがりの城けれ、という。これが、けりらるれせ、とい
 、うけりをつけてという。どこのことであるか、ある所に
 ある、ことという。おれまがりの脳内の話という。
 けっぺられの脳という。城の天守閣の、まがり飾りという。
 これを、しゃるけ、という、シャチの飾りという。
 これの言葉の出である、おれまがりである。おれまがりから
 出る、しゃるけの言葉とぞう。シャルルという、チャールズ
 という、城の飾りのことをいう。類しゃるる、という。
 城の飾りの色んなシャルルである。その城は切腹したかどうか、
 見分けの話という、城が切られることという。切られたかど
 うかの見分けという。
  これが、おれまがりの脳の使いの話である。中脳の使いと
 いう。中脳から出た言葉という。これの見分けである。
 ルイ・シャールズの絵という。こもんれる、という。
 お家の山のお書きという。
 
  俺の野蛮な言葉という、これが、御所紫宸殿にある、鴨の
 お影という。えいらむ山という。英覧の山という。そこにあ
 る、かっぱである。かつせらの山という。亀山の造りとぞう。
 御所夜学の講義とぞう。薨去花れる、という。華の夜学とい
 う。桜の木の下のはせめる、とぞう。健康の話である。
 薨去の見当という、見分けの言葉の使いという。健康に通じる
 話である。甍の薨去という。人の住む家を薨去という。坂道の
 家を皇居という。薨去の健康という。これを、御身という。
 身体検査の語源である。薨去検診という、病院の診察である。
 病院の冠語である、薨去という、健康を指す言葉とぞう。
 古い健康の言葉である。新語の冠語で、診察をする御所見当
 という、健康のことを薨去という、この冠語を、しん、しん
 ため、という。返って、薨去をしんという、しんためという、
 健康のことという。これを、御所検診という、ばろせらの医
 学という。
 
  この医学も、放射能のさつをいう、殺菌のことという。
 放射能を説く医学を、薨医という、この薨が、校である。
 学薨という、古い表記の学校である。学校に健康をよる、
 学校の検診である、この医学の入れである、光を伴う薨を
 甍という。光甍という。光甍の夢枕という。御所寝の子守歌
 という、これを、薨歌という。今の校歌のことである。
 甍白の山のお書きという。薨去にある山である。一つが、
 亀山である。亀山天皇という皇居の天皇である。
 薨去の天皇は山である。この山を、甍録という。甍録山と
 いう、皇居の中の小山である。
 
  江戸城にある甍録山である。亀ぜら見、という。これが、
 くだい冠話である。公代冠話。
 
 その古い亀山の城である。亀岡城という、皇居山という、足
 利の言いという。かかしという言葉の出の話とぞう。コルト
 という、コルテスという、これが、コロポックルの言葉でも
 ある。古弓の言葉 という。足利城の言いである。コルテス
 という薨居城という、これを居城という。京都峰の頃の言葉
 である。
 
コル:自動車
いおめ:風
らら:山
すゆず:天、山の天、天頂
てか:行動、行くこと。
ふんまれ:留まる
るらぎ:揺らぎ、
るらぐ:揺らぐ
こせ:木の葉
ゆらめ:そよぐ
とみず:断定。『・・です』とも。    
正(やなぎ)。M12
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/02/07 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る



ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。著者@317
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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