2020年05月31日

卒業6120 ANGOLA Porta 俺120 港 (壮強太陽):イカスミ柳

駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業6120京都船旅5020
古譜4020大原練習3920天の下4320 ANGOLA Porta 俺120 港 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
船旅巡り行く 港には、船が、鏡石の
港 細い川下り 亀岡の吉富の港まで
大きな崖がある 飛行機が飛び立ち
船織り登り行く 階段は急傾斜に

 狐の天気予報。〇r1999/02/23
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
【京都船旅航路】
20200530
 福井県小浜より、熊川宿、大原、京都船津へ行き、かよで
ら、北へ回り、花世浜、京福寄り、今の京北町(当時、京浜)
、北かまよ(今の、平岡辺り)へ出で、平岡から再び、北西へ
出て、進路を西へ回す、今の亀岡の北の、湖のある所、天若
の北を回る、大向山の麓へ出る、八木から葦矢目(おおやめ、
おおやみ、という)そこから、吉富の港。この航路のことを、
きゅうはるという、きゅうはる航路の行きとぞう。とじせま
のお書きという。船が和船様の小さい船である。細い川を、
回り回っていく航路の適した造りとぞう。これを、内陸航路
という、外海の航路の続きという。
【吉富港】
 福井から逆に丹波へ行く、園部で丹波行きに二手に別れる、
この別れ際の歌とぞう。上が、飛行機場である。ここで、上
へ上がる日の、階段という、大杭を打った急傾斜に階段がつ
けてある。人一人が通れるくらいの巾という。ここを、上が
っていく、周りは、土の壁前と後ろが細い空きである。
【大井川川切り】
 この別れ際のもう少し園部の向こうという、ここの工事の
前のことである。後、工事をする園部渓谷のことという。
明智掛かりの大工事である。上に園部城があった日という。
崖ぎりぎりに立ててある園部城という。ここを、ひよ、とい
う。日吉(ひよしのいやり、という。後、ひみすみという。
【天若】
 ひみよのあうすという。はっせらのゆきふりという、こ
この雪という、黄色、青、赤である。三色混ざった色の雪と
ぞう。じじせるおいそ、という。ここの見のうちとぞい、そ
みそみそ。後に川を切る話である。天若のいいせむ、という。
この夜のお書きという。

 律が船の進みである。船の律という。船長谷(ふなはぜ)の
お律という、2拍目の後半分が、ガジャガシャという感じの
船のあたりという、船の進具合の形容である。穂を立てた
和船船(わせんぶね)もある。(駄作歌)

 この和船船という、ろろという名という、ろろ号のお行き
という。船航路である。
【上鯖、下せる】
 オバマから大原までを、上鯖(かみさば)という、下を、下
せる(しもせる)という。今の鯖街道という、その船の道とい
う、和楽という、和楽船道という。今のき八鹿署にある廻船
問屋である、それの内陸版という、西国(さいごく)の船の廻
しである。
【城東日置】
 後、園部から北周り南回りに別れる。北周りをとるこの日
という。北周りで、日置へ行き(今の城東の日置という、こ
の日の北航路である。)、後、篠山へ行く、(今の篠山城の
ある所である。)そこから、兵庫県今田(こんだ)へ行く、兵
庫県今田から、加東町、西の西わま(今の、こうじょという)
、そこの泊で、ここで夜を明かす、ここから西脇へ行く。
この間(かん)、間無里という、間無里という、この言いの
『あの間無里だ』という、『俺が行く』という、おれる川と
いう、川が少し大きく、波が出る。この波、川世波(かわよ
なみ)という、今の谷川という、深い大きな川である。
【谷川】
 この皮の深さで、約、当時50メーターである。大きな岩が、
所々ある日のことという。大きな掛けで、高砂が水面より
20メーター程である。巾は、今の川の倍程である。

 風がヒューという音をたてて、落ちてくる場所という。
西から来た風が半分が、川へ落ちて向かってくる所という。
小さい船で、上がり下がりの大きな所である。前から風、
横から斜面伝いに降りて来た斜め風、崖上は、風邪が吹い
ている。エレベーターに乗っているような感じである。
そこへ行く話という。
加東山お書きという、今も、西脇近辺という、山が
尖ったような所がある。三角山という言いで、今より大き
な山である。

 ここから航路を、南、西、北、という三つに分かれる
所という。西あぜ山お書きという、これである。
京都船旅お書きとも。この歌の拾遺である。古今歌駄作世と
いう。いまわのお絵、これなるを。

名画伯挿絵 sotu6076 の 『港』
  http://akinokori.sblo.jp/archives/20200522-1.html
急旋回で、船をわっていく、半分以上傾く。

 正(やなぎ)。M30

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/02/23 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@439
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2020年05月30日

卒業6100 ANGOLA lama 俺100 泥長世 (壮強太陽):イカスミ柳


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業6100京都船旅5000
古譜4000大原練習3900天の下4300 ANGOLA lama 俺100 泥長世 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 



伴奏譜404-4s-15

    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、雪柳里花雄・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
俺 古い記憶の長岡 ふと訪ね こいしさ
あふれ 君 思い出の竹林の中 歩む道
泥の土煙る 天神池の秋 鯉が顔出していた
  俺 君と歩めば楽しく 丘風に 髪は
  乱れる 君 顔前に手をやり整え
  時折の笑い笑顔には 夢多い未来を
  描く心清らか
ふと 君が歩みをとめれば指差して林の
雀 何思う 蕎麦来てかわいい鳴き
友の丘 ゆくり行く そんな頃
訪ねた君の家 林の奥中

 狐の天気予報。〇r1999/02/23
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【国司】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
 
 
 
京都府長岡京市 11
そうきょう、よい時です。
 長岡天神、竹林で有名な所です。

 京都市、今のままの京都市で古い頃です。
五条飛行場があり、そのままの今の長岡へ行く、北航路と
いう、飛行路の経由で、長岡の飛行場へ行く。この日の宵と
いう。今世のあたゆみという日の飛びという。京都飛行場から
東向き、北へ迂回して、北山奥此原(このはら)上空、急角度
で左旋回、長岡の更上空降下、近くの飛行場へ着陸。長岡の
京都飛行場という、これを京都管制という。

 べんぜらという飛行のかっけくという。れゆるもとゆりと
いう。これの言い山のけこという。これを、めってという。
段原の開け行く頃とじ。この『とじ』が京都管制の言葉であ
る。るるという飛行機の麻遊佐という。るんべるの夢世とい
う。この世のおあるゆきという。此山(これやま)のお書きと
いう。

 その時の飛行のあゆふめという。れを、めよままという。
あてるれのいよすよのいんそみという。こくこてる山のお絵
という。また山のおゆれという。長尾世のお絵とじ。

 そむするれすれるという。てよそのるいはるという。着い
た時の山という。てとんのうちとじ。さますめのおやという。
今の泓の飛行場という。ここの飛行機のといかまとじ。

 今世のあるつとじ。トツーの通信の場の言いとじ。これを
京都間浜(かんはま)という。長瀬沖やら、こゆるれとん、とじ。
泓由良山ありるせよ、とじ。これが、れとんとの京都管制の文
である。わけとじという書き方である。

 長岡ア飯田浜という、長岡京のあるゆることとじ。ねぶせぶ
ろくすという。この時、京都のによう柄という、みよとの
れぶる、すめる、という。これを、とわけ書き、という。

 『と』で分ける柿とじ。ぺぬせむのとじとじという。これ
の出の場の京都管制長世という。長世原の話という。
この世長世のいとという。ままさむ・ろよくという。めっての
おえれという。わたゆたの、あゆて、とくすろくんとじ。

 きみよてのお行きという。京都の紫浜という、この言いの
紫の浜のあることという。紫浜おれるという。これが京都飛
行場の浜である。ここから、とつむつという、飛行の打電を
打つ。これを『打つ』の言いという。言葉の意味を添える
言いとじ。

 様々のことの絵のおえ、という。これが、絵のお絵という。
えのるお書きという。この日の山の絵という。おういる山と
いう。北旋回の絵とじ、これを、けぶっせぶという。

 その音の律である、古く泥の来る律という、タンタタン
タタンという音律である、一つという。『タ』を『ザ』に変
えれば、ザザンという音の形容という。この『タ』を表す、
タタンの里という、これが、ねぶうれる言いという。
長岡をタタンの里という、環濠のことという。京都管制の
長岡という。後、竹林を植えることという、竹を植えること
てある、意味添えの使いである。

 クエスチョン・ニーズという言葉使いである。これが、向日
世という、向日町の言いになる。向日町のこかれくという。
打電の用語という。めっせぶおやりという。向日町の華冠制と
いう。向日山のお絵という。のち 、打電をトツーという、
今の無線発信である。これが無線の出である。京都管制という。

 無線の長岡、向町の話とじ。遠くの長里(ながり、ながさ
と)山という。里めその山という、長里通信とぞそ。長岡の奥
の通信という、今の北条奥という、なん山の通信という、こ
の通信の発信を、れとんという、れぶせむという。

 後、れとんとという。後、トンツーという、トン発信と
いう。これを、どのほめという。澱の発とじ。この澱の
辺りの発信をすいこむという。泥の律のありゆめという。
泥が来るまでのわずかな時間である。リンリンと聞こえたら
直ぐに発信する、受電のことという、手に無線発信器を持ち
同時にスイッチを入れる。受電側の機器という、これを今の
世の機器である、今の無線の機器という。この頃に携帯電話が
あったことという。ポケットに入る小さな電話である。

 京都無線の山という。長岡管制の無電とじ。無電用語の
使いという、今のQ発進である。QQQという発信である。
いまその発信という。めたやたのお発という。これを発信
という。泥の警戒警報である。

 後、飛行機を飛ばす、はこれという。はこゆれという。
無線がゆれることという。ピパという揺れである。後、
ビバという、フランス語の、よい所という意という。

 ピパという安全を期す言葉である。ビバという同様である。
あすれすこよれと、いう。れとん点の使いという、この『
、』である。れとん書きという。人の世の連絡という。
大切なことである。正(やなぎ)。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/02/23 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@244
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2020年05月29日

卒6093 京都府長岡京市 10

京都府長岡京市10
そうきょうは、よい時です。
【天相数】
 これから先は、お化けでも拝んでおればよい話である。
お化け拝みという、天相数(てんそうすう)という。
今のヘドロという、その泥と同じような泥である。この泥を
走り台という、庭のはしりに使っていた、ドロンである。
庭の流しである、流し台、調理の場。この『調理』が、調子
という地名の長岡町の地名である。調子路という、ここの
かかりの友岡である。緑山お書きこれなるを。

『大お爺さんゆ、あれてせ、すすそ、すすゆ、れれる、
 そんとるそばせ、すみすみつゆる、そとすせてそ、るるす
 すみづら、そそゆすせてゆ、そっつくろっく』という、
調子の地名の謂れである。古い御代の話という。

 また行く長岡、若い人がいる長岡である。丸い球体の霧と
いう、土御門の怨霊という、土御門の霧という、霧である。
岡霧という、丘霧という、こうむきゅうむの霧のという。

【円霧城】
 新潟長岡の城、この霧に包まれる城である。円霧城という
長岡やくし、という薬師という表記をする新潟ろろ管制であ
る。新潟のア天地という、後、大道という場の川すりという、
さめすろっとこという、めめゆむ霧とぞす。『とぞす』とい
うろろ管制の言葉である。水上飛行機の用語である。京都長
岡の鴨背の長岡、金原の世の長岡、後、ながせまの言いとい
う、全国の岡の言いである。『〜よ』という言いである、
ながおの言いという。長尾という表記という。長尾ほうゆま
という言いである。岡の言いから全国の言いになる、ほうゆ
まという言葉の延ばしである。怨霊の話のある所の言い
という、お化け拝みという、崇徳上皇の怨霊という、代表で
ある。
【料理をけという】
 話を、はじかみという、食べ物掛かりの料法という、料理
のつまという、『つまい』という、その『すまい』である。
『きにすまい』という『きにつまい』という。これが、長岡
の『け』という、料理をけという。その言いの言葉である。
けじという料理のことである。ろろけじという、けじが道の
ことでもある。新潟大町の大道の言いともず。これを、大町
管制という、大道の道路である。水上機の滑走路という、そ
の後の道である。道まで水があったことという。
【新潟友津管制】
 新潟のかたゆらの言いという。ともづ管制という、かた
ゆらの友津である。そこから発信する水上の発進という。
かんせらの山の絵という、やうての山という。ここの、
けねそねという、けね発進という、けねびるお発という、
トツーのツツーである、二進法の通信の発進用の通信語の出
である。新潟友津管制のことという。
【連絡伝令】
 御所より、赤紙を入れた円筒を落とす、連絡伝令の水上へ
の落としという、筒う、ツツー発進という伝令の発進である。
かたゆなみ、おゆてそのおんけら、という。この『おんけら
』が、怨霊の意という、お化け通信という。金筒のジュラル
ミンの筒という、これを使うことの言いという。つつすとい
う。つつてみのおよる、せとよ、とぞず。この『とぞず』が
大坂の八尾迂回の航路という、一旦、大阪、八尾へ回り、
後、新潟へ向かう赤紙航路という、筒航路という、それを、
知らす『とぞず』という、ともずとぞずの空路語という。
カーユレ・レースという。レレスドレスという、れっての路
とぞもず。ドレットン語という。ノッブコップの英語である。
【水上機】
 ノーカラーという英語の種類である、英語のノットンと
いう後ノットという、これの言葉の元という、ノットという
水に掛かる言葉という。水上機の用語である。縦上がりの
ジェット機にも使う言葉である。ロイスという名前の出とい
う、ロールスの言葉という、ロールス・ロイスという、ノッ
トン城という、そこの跳びの言葉である。
【鳶職】
 後、日本のとび職の言葉という。鳶をロイフイという、
ロフィーともいう、その職業用語である。鳶職人の言葉で
ある。『ジーラ』がそうである。『ジーラジーラ』という、
機の巻き上げの意味である。『巻いて上げ』という意という。

 ノットン城の言いという。『アイロ、ロット、ロール、
ジーラ』という、ロボット小馬を積む水上機でロールという
発信をする城内発進である。『ロール、ウェント』という
過去形を使う言葉の使いという、ノットン城の言葉である。
【パーサー】
 後、パスという言葉になる。『アイ、ロット、パス』
という、発進をパスという、これが後、パーサーという言葉
になる。飛行機用語である。伝令の意味ともいう。
【パン】
 ノットン・ファールレーという言葉である。この期の機を
セットスという、後、パンサムという、パーレルという、
パンの言葉を使う、パン・アメリカという、パン・コリスと
いう、パン・ハリスという、ノットン城の広めという、言葉
の広めという、ノウレル・ユットンという、言葉である。

 主に世界の空の言いの使いになる、パン・コーリアという、
朝鮮の意の朝空という、朝ゆさの言いという。コーリア・
レールという、カデッセンのかゆける、という、この言いの
言葉という、今の朝語という、朝鮮の王宮の言いである。
【朝鮮語】
 『アンモン、ハシヨテ』『アンモン、ハシヨ』という、
李王朝の言いである。少し英語のようなフランス語のような
感じがする言葉の一部という、ノットンの城の言葉である。
ここの言葉の造りという。王宮をノーフーという、韓国の
李音という、キュウをフーという、韓国の朝鮮離宮という、
おざ山のよいふい、という。『オーユー』という言葉を使う
地用船離宮である。『オンヨン、ハッセンヨー』に、受け
が、『オーユー、ローローフー』という、『たくさん、あ
りがとう』という言いである。
【園部】
 上海が少しかかる、『アンヨン、はしひ』という、元、野
の言いという、園部の古い園部城の前の園部城である。
崖横の園部城である、そこの城の言いである、がにょしょの
言いのあんそめの言いという。

 ノットン・ゴリラという、イオン・トートブという言いの
城という、今の大阪の城である言いという。大阪城の城下町
の言葉である。『アンヨン』という言い掛けをする。
大坂の城の言葉である、秀吉の朝鮮征伐という、言葉が入っ
ていくことをいう、『アンヨン』がそれである。『イースン
シン』という、これが受け手の言葉である。『アンヨン』
『イースン』という、言葉のやり取りである。

 古い日の朝鮮高句麗という、その頃の言葉である。ノッ
トン城の言いでもある。『アン』という言い掛けで、『ヨー
』と受ける言葉である。これを、アンヨンという、あんよん
報酬という言葉である。ノットン・コーレルという言葉の
一部である。ノバという言葉がそうである。言葉にかかって
くる言葉である。野の脳という、前脳野という類である。
これを尊ぶフランス語で、『アン、ノン』という、フランス
語の受けの言葉という。ノットン城をシーズ城という、ノー
レルの城という。ノバッサンの所の城という、今の、レス
ター辺りである。自由の女神のレプリカントという像のある
所の城という、そこの言いである。アーシャーという、アッ
サーの言いの麻の言いという、麻の木の所の言いである。
【麻】
 後の、論壇という、半円形の造り全般の言いである。麻山
の言いという。風呂に入る時に麻の木を持つ、おまみまの
風呂という、これの意という、麻の湯という、麻の造りの
風呂のことという。空の東を見るたとえである。朝鮮の空と
いう、これを見ることという。この言葉が『あん』の意味で
ある。朝の東を拝むことという。日の出のことである。これ
の意味である、あんみさという、朝の拝みである。
【グライダー】
 もみという、モーミングという、ジュリー・パッサン・
モームという、あさの拝みである。麻の飛行機という、
朝の木の形をした飛行機という、麻機という、グライダーの
ことである。途中まで、いかげという上げをする、後、平行
に飛んでいくシュリー・ジェットという、いか飛びのことと
いう。

 麻の木を燃料にする機関ともいう。風呂わかしという、
風呂の竹やみおという。竹筒のことである。竹飛ばしという、
丸い形の竹造りの上へ飛んでいく玩具 という。卵のような
形という、これの話である。昔にあった玩具のことという。
これを作る人という、麻屋という、麻屋飛ばしという。
【聚楽】
 家の柱に泥を使う聚楽の柱という、赤い泥を塗る話という、
泥家の造りである。ドローンという、レトンともいう。レモ
ンという、れぞの家という。壁に麻の木を用いるそれに土壁
を使う話という。ドローン・ジェットという、その土壁の中
に細工をする、壁の中のことという。起き上がりこぼしのよ
うなものを入れる造りという。壁から音が出る音壁という、
その音の意という。音が出たら、気候が変わるをいう。
主として朝の日の出に雲がかかる、そういう季節の来る日と
いう。さむ山のお書きという。

 麻のかわりに竹を使う、竹筒の中にものを走らせる造りと
いう。上から下へ降りれば、それを上へ上げる造りという、
壁を半分に切って扉の開ける造りという、時間を計る話と
いう。壁掛けの時計という、壁の中の時計という。
人が挙げる造りという。壁毎回せば、仕掛けの壁という、
しかよまの造りという。忍者屋敷という話である。
【骨董の壁】
 この壁を湯の壁という、湯壁屋の骨董という、骨董の屋と
いう、こうれるのやのややや、という。骨董や四季の造り
という、音を色々出す、音楽壁である。この音を菊こととい
う。菊の壁ともいう。菊の紋の話である。菊字型に紋を入れ
るこの菊の字のように絵が映る向かいの壁の話 という。
この造りがある御所という、これが御所の土御門造りである。
【桃宮】
 長岡の土御門の家である。土御門御陵という、飛行機の
造りである。歩く家ともいう。泥の世の住まいである。
土御門の怨霊や四季という、長柄の王という、長柄山のたもと
という、りん屋、りんりん屋敷という、桃の宮の桜の伍の向
いである。桃の宮の造りでもある、ここの宮の音という、
自動の造りという、壁の音楽という。園部の城の壁でもある。
【泥水発生、園部城】
 ノッキュソーという、篠山の城のレトンという。長岡の
恐風音という、リンリンリンという、澄んだ音という、泥水の
壁の判断という。そういう園部の渓谷である。警告という。
崖の上である。園部城という。周りは崖である。そこの風の
音という、当たる風という、充る風邪、中る風、城がなると
いう、鳴風城という。谷から吹き上げる風という、当風、
充風、中風という。風雲という、ふううんと鳴く風という。
風白(かざしろ)造りという、雲が降りてきて城を取り巻く時
もある。山が鳴る城である。雲掛(くもかけ)城という、
ノッキン・パーズという、サウンド・レーテという、隣の山
崖には、洋状の城が見えた話という。離れた山である。
崖の上の城である。ここをいう、園部城町という、一つ山の
一つ崖に城が立っていることという。飛行機の往来という。
道がない頃である。がらくぜ槍という、槍という尖った山で
ある。せめるのに飛行機がいる話である。城への行き交いと
いう。大軍で行く人である、歩いていけない急傾斜、勿論
道もない、飛行機という、これを、がろう、がろという。
飛行機由良という、園部の話である。
【のっぺらぼう】
 のっぺらぼうという、園部の城の造りをいう、おみつぼう
という。のち 、長岡の埼々の家の造りという。『ぼう』の
言葉の付く地がそうである。棒鼻、坊村、・・・。坊城と
いう、四条岬の京都の城である。

 石沢状という、隙間なく作っていく、自然石そのままの造
りという、のっぺらぼうともいう。そういう家である。全国
津々浦々にあるとという。新潟小町節という、『佐渡へ佐渡
へと草木もなびく、アリャさ』という、おれさ岩の造りとい
う。新潟ののっくるという、のせん造りという。『ぎゃあ
にゃは』という鼻母音の言葉を使う石器時代の人である、
石器のはさみ、包丁とも。おれさいわ、という意である。
俺、幸いという、俺幸波止場という、遠く離れた、サラセン
をいう。ウラジオスクへ行く俺である。岩船枢要という、
サラセン航路である。間宮眺めのおて山海、ネフロン航路
という。らぶってすお行きという。岩船の乗りである。
正(やなぎ)
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卒6092 京都府長岡京市9

京都府長岡京市9
そうきょうは、宵時です。20200529
【京の村上】
 京の村上という。村ゆらのおゆふりという、おゆのふりせ
るという。村上の村のゆれという。このむらかみという、
鴨沂という、『おう』を、きみせみという。鴨沂をきみろく
という。『ろく』という、地のことである。この言いを、
長世花弓(ながよはなゆみ)という。
【鴨背山】
 古い鴨背山という、この山の名をおうせみという。鴨の山
のお書きという。これを、あかという。あかんの文という。
あかせらのよいするとぞそ。赤い山という、鴨背山の色とい
う。真っ赤な色の山である。赤紙の山という。召集の村の
赤磯という、赤闇の村という。打ちをとめるという、このと
めるという意ととぞそ。赤紙の召集という。これをとめると
いう。
【山江】
 たんはんの意という。いよせらという。いみそみという。
ときよきふりすりという。せぶてのよきやりという。はん
たんの言いという。たんはんという意ともとぞそ。
これをはんはんという。これをふんるれという。るれふれの
磯言いという。ものをとめはりという。とめはりすめすらと
いう。ときより山おえという。この『お』を『お』という。
おいふみのお書きという。ときより山をえという。ときおし
のえのよという。山のことを絵という。これを(山エ)えとい
う。(一字、山へんにエ、え)という。これを、さんずいのえ
という。(山エ)のこと。表記に江とする。山の江という。
これを絵という。山麓の言いという。おみつぼうという、
自分のきそけという。これをいわおという。いわお山という。
【帝臣】
 自分のことを、おみつぼという、おみつという、おみとい
う。これを、みかど言いという。帝のおみという。この『の
』は同格の『の』である。帝のおみの意味である。これを
ていしんという、古くの御所の言いという。帝臣と表記する。
帝にいる自分という。これをおみ浜、臣浜という。しんひん
のしんという。そこの帝臣という。

 これが『知らせる』をいう、山つ臣ふみ、という、古くの
鴨沂の山津という、山江という、麓の家という。山津家の
ぺれという。山っぺれという鴨沂の住まいという。鴨背の
山の麓という。鴨山のおおきまという、これを『おおきに』
という、おおきに住まいという。住まう意である。

 『おお きにすまい』という、『きにしないでおこう』と
いう意という。きに住まうことを喜ぶ話という。これが長岡
のおっぱ遣りという言いである。『すまい』という言いであ
る。長岡のぎゃくれまの言いという。そみの言いという。
【帝紀本記語】
 逆れまと書く、さかれまという言いともいう。長岡の『す
まい』の言いという。きにする話という。きよての山の絵と
いう。ルッカル・レックスという。レベセン・ラークという。
ロンゼラパックという。帝紀本記語という。帝の言いという。
これを、こかどの言いという。こかどをおかどという。小門
という表記をいう。これを、つぼやりという。つぼす山の世
という。
【長岡村型】
 『きにすまい、きにすまい』という軽い言いの話という。
木に住まいの気にすまいという。きにする話という、これが、
天高(あまたか)の言いである。この通りのの、木に住まい
である、木の上の家である。気のうえの家である。長岡村型
という家の造りという。この長岡が長岡京市の長岡である。
鴨山の長岡世という鴨の世の住まいという、鴨背山の住まい
という、ここの村の家の造りという、木の上の家である。
天然の木の家という、その上に家を作る村である。鴨背山丁
という、山丁の家という。長岡の家という、家の柱という、
大木の柱の上という、下の繰り抜き屋という、一軒縦二(
いっけんたてふた)という。たてじさんのお住まう家という。
たてにあまという家のことである。
【風澤印】
 大お爺さんのおきの家という。これの言いの、こめこり言い
という。米のなるよと、いう。わかち家という、わかちの
『と』という。とのの山のえという。わかちと造りという、
きの上の家という。これを、赤紙を貼る印という。
長岡と鴨世の長岡という、全国の長岡の風澤という、風澤印
という、これを、ひょういんという。ひょうという、ふうと
いう、馮印(ふういん)の家という、後、封印という。
【封建時代】
 封ずる封建という、封建時代という、山のときよ、という。
山麓のときえである。封建時代という封建の山という。
帝小門(みかどこもん)という人である、かもおれのお書きと
いう。鴨沂の人である、『おぜ』という詩分を表す人である。
『おぜ、山っしょ、しよってら、すわっしょ、せせす』とい
う人である。町の言いになおすという、どのまちの言いとい
う。土御門という所の人である。土で作った家という、土御
山(つちみやま)という、つちはやまとも読む、土御門帝であ
る。長岡にある墓である。
 『あそこ、俺の家やった』と簡単にいう人である。仁徳継
ぎの山という、仁徳の木のお書きという。泥屋敷の赤紙の貼
り家(はりや)という、あそこは赤山という、泥にうもった家
である。
【土御門】
『あの山、越えて、屋根越えて、人は花ずり、泥すらす山浜
 よ』という、に節という。この『に』が『んとくつづき』
という。
『ん〜こ山、はなす〜、れれ、ゆわ晴れる、そそするふう、
 う〜ぅ、ここ、ゆまは〜ら、くゆらぐりざる』という。
歌である、土御門の場の金原の辺りの歌という。長岡町の
金原である。土うんこともいう歌である節である。
【金原】
 アンゴルモアという、土うんこである。泥が流れてきた意
という。この泥、天から降った泥である。アンゴルモアが
やってくるという、天のうんこという、泥が降った地である。
土御門御陵という一帯である。天孫の話である、空の孫とい
う、尼子山という、アンゴルモア山という、ノップラー山の
夜という、その泥山という、そこへ飛行機をとめた人である、
自然飛行場という土御門御陵である。飛行機の墓という、耳
寄山(みみよりやま)という、金原の山である。空のうんこと
いう、空がうんこをしたという、土御門べん、という。
【丸い玉のような霧】
 長六角形の弁当の造りである。これが、うんくらいの歌で
ある。後、周りに家が建てられる、土御門の怨霊節である。
長岡製材の頃である、金ヶ原きんろるという、後、麓東の
友岡麓である、どろっという、泥の頃の住まいである、
ひゅう泥が流れてくる場所である。お泥お方という、泥見島
のゆれという、幽霊のお方という、土御門霧という霧が出る
所という。友岡の霧である。後、京都市内でも泥降りがあっ
たのである。正(やなぎ)
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卒6091 京都府長岡京市8

京都府長岡京市8
そうきょうは、よい時です。20200529
【長岡】
 『とう』をいう。これを、ロット・ロックという。めゆての
くいそる、という。べるすゆそみ、とぞそ。これを、ロック・
ランルーという。
 ロットというわるそるのゆいそみ、という。れるてのゆい
ゆい、という。えるて・ロツクの山という。
 
 『けそ』の意という、これを、りびゆり、という。めよらる
山のせべせという。こいすてのうるせる、という。これの、
れよん、とぞそ。

 イギリスを、モイスキーという。めるせるの言いと言う。
メルれっそれ、という。るるせるあよそ、とぞそ。これを、
みゆにとる、ろろんのれとん、という。

 これの言いの長岡を、きみそき、という。これを、おれす
れ、という。おれを、りよ浜という。りりせのるりせると、
いう。めゆせのおりとと、いう。ぺんぶつのりおと、いう。
ててのくいゆいと、いう。めゆるせせそと、いう。
【表記】
 この『と』を、てという。ててそのくいせと、いう。とみ
せらの読みト、いう。これを、とがくと、いう。れととのう
しおすと、いう。耳を、こめすと、いう。これを、つゆれる
おいふりと、という。みみとのやまという。

 これが、『と』の使いの記法上の使いである。この使いの
てんとと、いう。てんとの使いという、てんととの使いという。
これを、れとんと、いう。れぜっせる論句という。ものを記法
していくことの使いという、れぶさんと、いう。れぶとと、
いう。れぶととのゆみ浜という。ろとんと、いう。

 『やってる、らんかぁふあ』という。めめせのゆいよの、
えてゆたト、いう。これを、そゆれると、いう。これを、泥
ゆまと、いう。『メット、ハンズーララック』という。
【殖産】
めりせのおり という。この『空き』をこみさという。
こみさとの言いという。これを、かぶせる歌という。この
『歌』を歌世(うたよ)という。
文のことであり、この三行の
ことという。この『三行』を産業にする殖産という、卒業と
いう言葉の出という。殖産の卒業という。卒をとる産業という。
学卒という、求人の一方法という。これを、こするゆみと、
いう。弓の出来という。弓道で用いる弓である。これで、
打ちをとる話という、打ちを自分によるえもせと、いう。
【赤紙】
 ものを記譜する譜上のことという。これを赤譜という。
赤紙による招集という。文を作ることをいう。招集令状とい
う。これをする御所という。御所による令集という、召集の
事と言う。招集を令集という。赤紙の意味である。赤をとる
赤床の意という。赤い床の絨毯という。この『赤』を、レッ
ドという。昔、赤い土があった所の絨毯という。この『赤』
を、ほるゆみ、という。これを、ほと、いう。穂みゆらの
きっぱという。赤紙の造りという。赤い紙に黒で字を書くこ
とのゆまという。ゆま髪という赤紙のことである。
この御所を、ご本句々という、後、本部という、後、本営と
いう。この御所の言いの、『と』のことという。

 帝をみかという、みかと いう。これが『みかど』の空き
という。空き山のお書きという。後、『 _ 』で表記する、
御所の帝文という、これを、おみという。帝文を見ることを
帝文見という、これを、おみしんという。これを、おみゆら
ねという。『おみ しんをいう』とぞそ。
このおみが、帝文という印という記である。帝印記という。
この書き方の話という。上の文である。
【おみつぼ】
 これを『おみつぼ』という。この『つぼ』を、窪という。
おみくぼという。これを、御所の言いという。『おみつぼ』
という、おみくぼのくぼせら、という。これを、もきふきと
いう。ふふするかまふみという。かまのふみという。
かまふ山のお書きという。
【御所建立】
 これを長岡のごゆちすとぞそ。この『とぞそ』の意という。
御所発の意である。後、御所出という。ふんのふいゆいとい
う。御所をこるという、御所の建立(けんりゅう、けんりつ)
という。この御所を、ながせらりいという。ながせらの里と
いう、長世(ながよ)の『おみつぼう』という。これが、長岡
の言いである。長岡の言いの『おみつぼう』である。御所の
ながしという。ながし山という、この意のことである。
【召集令状】
 御所の葦の地である所の言いである。この『葦』の言いの
よりを、みよという。みよふみという。召集令状という、
みよふみという。赤い紙の召集のことの言いという。招集令
状がある今の世である。赤い紙の令状という、御所の印を
うたずという。御名御璽をいう、これの打ちという。
召集令状という打ちをいう。おしめさみふらという。
【おおきに】
 これが泥の墨の字である。この地を字という。あざの地と
いう。地を紙という。赤い紙をちゆそという。ちゆそみつぼ
うという。ちゆその召集という。ちゆそ令状という。御所の
発の令状という。これを『おおきに』という。
【鴨沂】
 おおきという地という。京都の鴨沂(おうき)のかもれ山と
いう。鴨世(かもよ)の地という。ここの赤い紙である。
鴨沂発ゆりふみという、これの意のごゆれゆという。ごゆそ
という。鴨世のお文という、召集村のという赤紙の村という。
鴨沂のことである。正(やなぎ)
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