2020年04月20日

卒業4755 俺21 いとまぜっけす (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/01/15 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4755京都船旅3655
古譜2655大原練習2555天の下2955 ANGOLA Cancao 755歌 俺21 いとまぜっけす (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 俺
    造詞、勇野 晴丈・正     俺
    監修、冴柳佐代次・正     俺
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
堺だんじり 岸渡りのさよきび よきはなす
そしそま しるれれれ そわれより ふぬなぬの
きりこゆず ゆるれはられ おいそま そいつそる
いとぜ ぜれるせぜる ふるしる うぬらやる
はるはろ ふるすこのゆ ろろす


 狐の天気予報。〇r1999/01/15
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【堺だんじり】
 堺の山の歌。堺だんじりという、堺ダンテスという。
さんめるの言いという、山をダンという。だれっせの山という。
段丘の段である。だめっせる・らっくす、という。堺とむほのの、
ゆいろん、という。これを、思惟という。山を見ることを思惟
という。せんてむの山のおゆふれ、とぞそ。

 この言いの、ダンテスという、堺の言いの、山ずる言いという。
これが、トムキャをいう、トムのおどんと、という。
御所のおどんせの言いという。ここを、とむらむ、という、弔う
話という。仁徳の言いの、弔いの話である。御祖先という、
御祖の弔いの場のれる、という、ダンテルという、ダンレルと
いう、後、だんじりのだんの一意味とぞそ。だんじりが弔いに
なる、このことの言いを、きしよる、という、後、岸の言いの
弔いという、これに掛かる、だんじりの岸という、岸和田の
だんて、だんと、という、後、だんじり、という。岸和田の
堺のこい原の山という、そこの、ダントルである。弔い話する
ことという、後、とそめか、という、弔いのことである。
【おどんみょう】
 これを、おどん、という、御所のおどんみょう、とぞす。
御所を、てめそめ、という、これが、おどまぼん、という、
御所ぼんのぼんぎり、という、これを、堺が、おめつぇね、
という、堺の岸の言葉という。おめつぇね山という、ヤーレル
・ラッスウという、やむやむのおめぬめ、という。寝が掛かる
言いとぞず。堺ダンテスのお弔いという、後、岸和田だんじり、
という、弔いの意がある、だん、という。祭りを、だん、と
いう、だんぽという、だんぜともいう。だんじりだんのお言い
とぞす。堺の、べっつらぁの言葉である。でめすれんつらぁ、
という、にんべすの言いの掛け変わりという、にんべすの言い
の変わり言いである。これを、にんぱけ、という。堺の屋の
言いという。れべっすらっけす、という、堺ベンツのべりおっ
しん、という、堺を、よみふり、という、岸和田のだんじり祭
りという、だんせむれれつ、という、壇ノ浦の名元である。
全国の、だんのうら、のことである。堺だんの出という、
ダンテムレッスクの出の言葉とぞう。これを、にんべら、と
いう。にんせむ、ともいう、堺を、よりふり、という、これが、
岸和田の言いとぞす。任語という、岸和田の言いとぞす。
 山たれ言いともいう。だんさまの言いとぞず。堺だんの言葉
という。言葉山のお書きという、本文である。
【堺ユーターン】
 堺ユーターンの山という、後、製鉄の堺の言葉とぞず。堺の
言いの、だんの使いとぞず、ユーダンといとう、ユーターンの
ことである。これを、ゆうだんという、ゆうだんの話という。
堺モットルともいう、まんせばの言いとぞず。御所の言いの、
ゆわれら、という、ゆわの言いという、この御所のごもくり、
という、ごせんばのろいほっこす、という、ろいが弔いである
意とぞず。弔いという、祭りのことでもある。堺だんとん、と
いう、 堺れんぶす、ともいう、祭りのことの意の、弔いのこ
とである、祖先への、ゆまら、という、祖先をよぶという、
よぶのことの言いてとぞず。これを、よみ、という。よみの話
という。黄泉という、黄色い霧、黄色い闇とぞず。黄色を『よ』
という。これの意味の、黄泉という、黄色い泉である。

 和泉、泉大津という、堺に掛かる場所とぞず。黄色い闇の場
という。堺段という、堺のだんの言葉の意味でもある。黄色い
太陽という、堺の太陽 という、堺ミックスという、堺ろんの
ロンデルという、太陽のことである。堺ろんそめの言葉である。

 この日の堺、ロユッテという、堺のことである。太陽が黄色に
輝いているという、堺の太陽のことという。黄色い闇の、やら
ろか、という。やらろの日、という太陽である。
【獅子春】
 この『やらろ』が、茨木の『ろろてる』である。ろろ花の茨
木という、大阪の茨木である。茨木から和泉、泉大津という、
堺への道を、ろろてろ、という茨木の言いとぞず。茨が植わって
いる道とぞず。和国のどろっく、である。和国路という、茨数用
の道とぞず。今の大阪駅、ここの槍駅から、堺の、しし春、と
いう、そこへ至る道である、堺を、しし春という、大阪駅を、
槍という、和国の言葉である。後、獅子春ともいう、堺のこと
である。
【岸和田り】
 岸和田ダントムという、だんてすれっせん、という、だんて
すの、ゆいっとれんぶつ、という。えるれるゆいれる、とぞず。
めゆっとらっくすの、れれんせ、という、列車のことである。
和国路である。古い和国の、じぇいざく、という、じぇいざく
道路である。和国路の山という。岸和田の山のお書きという。
【そうきょう国】
 そうきょう国路線ともいう。堺の岸和田の経由点の路線である。
この路線周辺を、そうきょう国という。和国の言いとぞず。
JRの古いJRのも一つ前である。そうきょう・じぇいせむ、
という、じぇいつ、という、この名の興りという、名興りのJ
という、ジャッジェーという、じゃみせるの言葉という、
そうきょうの国の言葉である、そうきょう国のジェイである。
【ジェイソン】
 日本を古く、ジェイソンという、この『ジェィ』である。
ジェィ・アール屋という、古い、古い言葉である。今のJR、
どの古さのJRか、そうきょうのJRの復活である。そうき
ょう国と言うた時のJRである。
【八坂国】
 このJR、やさみさという、換え呼びをする、これを、やざ、
という、古い、八坂の国である、弥栄ともいう。八坂の国の話
という。これが、ジェイパックである。八坂の国のそうきょう
府という、八坂の国の興りという、古い邪馬国である。邪馬を
、ジャマ、という、ジェイソンの言葉である。これが、ジャッ
パンの言いの出である。ジャバクソという、『クソ』が、
国である。これが、邪馬台国の卑弥呼の国の言葉である。
後、八坂語という、二文字の言葉を二回言う、八坂の国の言葉
である。『いよいよ』『まゆまゆ』、えてたたという二回繰り
返しの言葉のことである。
【熊野道】
 熊野道という、京の熊野道の、八坂ぞわひわ、という、
ここの沿いの場を、ぞく、という、後、ぜらむ、という、ぜろ、
という、ぜろ国という、これが、八坂の邪馬の国の言いである。
日本を、ぜろという、ぞろという、ぞいみすの言葉である。
熊野道の沿いの言葉である。
【ぞろあす、ぞろあすた】
 古いそうきょうの言葉という、そうきょう国の言葉とぞず。
ぞろあす、という、ぞろっての言葉という。ぞろあすたという、
山の掛かりの言葉である。古くの山岳の道の言葉という。
熊野道という、和歌山の熊野道という、山の掛かりのことという。
ぞろあすという、和歌山県の別称ともいう、ぞろあすのた、と
いう、ぞろあすた、という国の名である、和歌山県のことである。
【算盤】
 ぞろあすた今日、という、今が、そう今日である。揃う明日
という、これを、そろあす、という、算盤明日という、堺の言
いの、『よよあさって』という、『よあさって』という、『あ
さって』のことである。あさってのあくる日ともいう。そろう
盤という、30桁の算盤を、暦のそろう盤という。堺算盤という、
堺山のお絵という。暦の算盤である。30桁、12の駒である。
時間を表す相とぞず。上2桁別枠、午前と午後である。算盤の話
という。上2桁ある算盤、暦掛けという算盤である。何に使う課、
暦に使うのである、一使用法である、壁掛け算盤という。玉が
硬く絞ってある造りである、暦である。俺様の使いという、
これをトムという、トムかんれる、という、トムの使いである。
【アメリカ・オマハ近リンカーン】
 アメリカの、オマハ近のリンカーンに、この算盤がある、こ
れを、ユーエスという、ユーエス・バックという、古いリンカ
ーンの言葉である。大きな算盤ともいう、壁一面の算盤ともいう。
算盤屋敷の、ユーエス・アバという、こばという、ユーエス・
コバである。こばを木庭という、木の庭に掛けた算盤という、
アメリカのリンカーンの町の名元という、林間のそろ、という。
これを、ユーエス・そろゆり、という、百合の木の玉という、
百合玉算盤という、木と木にひっかける算盤とぞず。暦である
ことという。造りによって、10桁、20桁、15桁とある。
7桁の四段算盤という、この4段を別枠にした造りもある。
暦のことである、日の数えという、算盤の一使用法である。
 この暦の算盤がアメリカのトムという、算盤という町である。
トムを算盤ともいう、古いアメリカの言葉という、暦をトムと
いうリンカーンの町である。
【トム・ポール】
 これを、トム・ボールという、この玉を追うという人の手の
ことという、この手を玉掛の手という、重い物を吊る玉掛と
いう、これが、ヘッド・ダラーというリンカーンの古い言葉で
ある。たくさんあるリンカーンという町という、みな、この言
葉がある、これを、ユーエス・リンカーンという、リンカーン
の町のことである。ユーエスという算盤という、玉掛算盤町と
いう、リンカーンのことである。
【ダラスの算盤】
 ダラスという国の造りとぞず。ダラスリンカーンという、
古いダラス国の算盤作りである。オマハ近くが発祥である。
トム・キャットという、算盤の手の人という、暦の算盤守りと
いう、大事なものである、日の数えの町という、リンカーンの
カウント・ダウン・タウンという、リンカーンのことである。
アメリカの算盤のお書きである。これが、堺のトム・キャット
の意味でもある。堺を、ダラサという、アメリカのダラス国
の呼びという、アメリカが、呼ぶ堺という、アメリカが堺を、
トム・キャットという、ダラサという。これを、日本の御所の
富語(とみご)という。トム・キャットという、御所が堺を呼ぶ
言葉である。アメリカのリンカーンを、トム・キャットという
御所の言いという。古い、穂浦花である、穂浦語である。
【穂浦富の段】
 富の段(とみのだん)という穂浦の海岸の、富の海の辺りと
ぞず。穂浦の言葉である。これが、堺の海辺という、これになる
掛かりという。和国の話である。わ〜こく、という、これを、
ワールドという、世界という意味の英語である。ワールの家の
お書きという。海辺であった我が家という、『いつの御代のこと
でありましたか・・・』という、算盤数えの国である。
 歌は、そういう歌である。(sotu4755)
歌を、後ろから歌えば、ろはな山という歌とぞず。和国の言
葉である。ろはなという和国語である、このままで和国語である。
この歌のことである。後ろからも和国語である。
【堺きゃあ】
 くくくくくと、説く歌である。リンカーン・ラッセルとも
いう、古い和国の林間語である、山の林の言葉ともいう。
熊野道の話という。熊野道を、林間道という、後、全国一般の
山道を、林道という、林間道という。これを、リンカーンという、
リインカーネーションの語源とも。和国を輪廻国という、和国の
話という。黄泉の浜のお書きという、穂浦の黄泉の浜である。
カーナル・レントという、これを、れんつる、という言葉の使
いという、れんべす、ともいう。これが、堺トム・キャットの
言葉である。堺便を、きゃっす、という、堺の方言である。
『そうできゃっす』という、堺の古い言葉である。『そうで
きゃあ』ともいう。

 紀州の城という、きゃあすという言葉を使う城である。
キャッスルの使いという、キャアする使いである。このままの
英語である。穂浦花という、このままで、ほぼ英語である、
穂浦語の一種である。
【俺21】
 俺21という俺の年齢である。俺21歳、若い人である。
『りじんだ、いかさぁ』、堺だんじりという、ふぬはぬの山と
いう。俺のいかである。あの机上の人の墓である、いかという
墓である。墓をいかということとである。いかす人という、
あの机上の墓である、はかす人という、はかせである、いかせ
である、これを、はくす、という言葉遣いである。はかせとい
う、はくしという、白紙の話である。これを、いかす人という、
俺である。いかす人である。いかす身人という、いかすみびと
のお書きという。いかすみの人である。そうきょうのいかすみ
である。墨にいかすみを混ぜる、御所の文書である。後に、徳
川幕府の文書の墨の使いという、いかすみを混ぜる幕府の墨書
きの文書とぞう。公文書、私文書にはいかすみを混ぜる、丹波
市(たんばいち)の墨ともいう。
【奈良丹波市】
奈良の丹波市という、現、天理市の丹波市である、そこの墨と
いう、いかすみ混ざりの墨という。丹波市の墨を使う人を、
はかせという、はくしという。丹波の一のお書きとぞう。
さんざしの木の葉の映りとぞう。丹波市さんざしという、
この木を、いかご、という、さんざしを、いか、という、
いか木の墨とぞいう。いか山のお書きという。
【丹波市城】
 丹波市、天皇査察の城という、四条しめ縄の城という、しわ
ての城という。離れた、奈良郡山である、丹波がわぜる、という
言葉を使う、郡山城である。そこの、こにかり、という、おや
べらず、という言葉の言いせみ、という。この『せみ』、幕府
の、いかのことである。いかを、そき、という、そいという、
そりという、郡山のそりという。これが、天皇見分けである。
江戸城の話という、村上のかみせる、という。
【橇】
 天皇査察番という、この番が盤であることとも。算盤をそりと
いう郡山のそり、という。氷山の橇という。氷の上へ行く、
算盤状の車という。輪島の車である。古く海上兼陸上車という、
氷の地を陸という、南極の話という。そこのそり盤車である。
算盤状の車であり、海へも行く車である、これを、単に、橇と
いう、北極地方でも使う俺 である。堺仁徳のトム・キャット
車である。

 歌添いの、名画家による絵に描かれている、四角い車である。
名画解説である。自分の頭は、とかく大切にということであ
る、健康第一の話である。
【天皇査察風】
 天皇査察という奈良の吹雪である、天皇査察風という、花い
かし、という、花あれ、という。桜散る里の、天皇桜という、
桜の風冠という、その、かんくめ、である、冠をかんくめとい
う、花散る里の言いとぞう。俺の故郷である。黒い梅という、
その産地である。丹波黒梅ともいう、丹波市という、丹波の園
生(そのう)という、京都園部の、丹波でもある、亀岡とも。
だんだん広がる和国である。そう今日の双び広がる、双今日国
であるとも。俺の作りである。任という、そうきょう任とぞず。
仁徳の語源である。そうきょうという、任の国という、ここの
任那である、任の国の一部である。そうきょう任せの俺という。
任俺のお書きという。
【堺だんじり、りじんだいかさ】
 『りじんだいか』という、俺の後ろ読みである、黄室の横の
部屋である、いか部屋という、階段尻である。『堺だんじり』を
『りじんだいかさぁ』という、俺である。俺任せの作りである。
だんじりのことである。
【かいだん】
 『いつの御代のことでありましたか・・・』という、現時の
紀見のことである。『いずれのおほん時にか、にょうご』とい
う、源氏物語の階段である、現時物語の怪談という、五段目の
話である、『いずれのおほん時にか』という階段である。
 うんこにとまる源氏蛍でもある。匂うの黄見という、宮の虫
の蛍という、五段目の蛍見物でもある。紫宸殿の階段である。
うんこにとまって、頭にとまりにくる蛍である。怪談と
いう。正(やなぎ)。

【だんたく】
 だんじりのことを、だんたくという、この時に、や、という、
でっぱの棒である。やっぱしという、やりつという、やれずれの
まわしという、まれるれのおてき、という、これが、和国の祭
りの言いである。まれるれという、祭りである、これを、とむ
せまという、後の日本の富山の言いとぞう、とみだんの富山と
いう、府県名になる前の言いとぞう。古い日本の言いである。
とみ山だんたく、という、だんてむのおまつ、という、祭りの
類の言いである。祭りを、まつ、という言いである。
【よいとまけ】
 だまっせるやっぴ、というこれを、祭りの衣装という、
やっぴを、ハッピという。このハッピが、ハッピイという、今の
英語の言葉である。祭りのハッピイを、まつれ、という。まつ
るつ、という。まてば、ともいう、まってす、という、まて、
という、これを、よんかかの言いという、よんそという言いで
ある。よぞめむのおまけ、という、これを、よいとまけ、という。
【マルセル】
まるれるの言いである。後、外国のマルセルになる、古いマル
セルという祭りである。ホルトギーの言いとぞう。後、ポルト
ガルの、ロメジュの言いという、ローメのいとそよ、という、
これをロメオという、ロメオのことを、マルという、マルジュエ
という、まるすの言いとぞず。メロスともいう、めろれるるいせ、
という、めとよそ、とぞず。らるれるれれてのお言いという。
めるる山のお書きという。岸和田屋の言いという。まるっせる
山、お書きという。この日を、まいれ、という、日を待つに掛
けて、まるせら、というこれの言いをする、せら期という。
日本古代を、せら、せら期という。まられの言いという。

日本山のお書きという。祭りの日本山ともぞ、山車の日本の山
という。にいらるにせて、という。これを、にんば、という。
日本の山のあるをいう、にんばの言いとぞず。

 でくの棒という、棒のことの出を、にませ、という。この、
にませを、にんという。にんのとくの出という、これを、にんべ、
という、にんとくの語源とぞず。にんとくを、にんべという、
にんべの言いのおまち、おまつ、という。祭りのことである。
【宵宮】
 仁徳天皇という、祭りを興す言いである。俺という、俺の
言いとぞず。これが『よいと、まかす』という、『よいとまかせ』
の掛け声という。各地に広がる『よいとまかす』である。この
『とま』が、堺のとまく、という、これを、とまれ、という、
とまく、ともいう。堺を『よい』『宵』という、よい宮の国
という。ここを、よいとまぁく、という。これが、後、りょう
の言いという、このりょうが、陵である。仁徳天皇陵という、
堺のことという。堺にんばる、という原をはるという、新語の
言いの堺任語という。堺レッテルともいう。せんての言いという、
これが、よいとまかし、という、だんれる、だんつぇ、だんそ
る、だんとん、だんぶ言いという、堺の言いである。

 べれっせんらぁくの言いともいう。れるるお言いとぞず。
れてせの言いぞき、という。そっきくれて、とぞず、『そっき』
が、『せき』である。せきそきという、堺の仁徳陵のことという。
そっきるれぇず、という、せてせ、ともいう。るるそるの言い
という。この『るる』が、『るれ』の意味である、祭りを、
るれという。

【るれ】
 祇園会(ぎおんえ)という、祇園祭りのことという、祇園るれ、
という、祇園びしゃの山という、これが、ひしゃのびしゃ、と
ぞず。ひしゃびしゃの、びれん、という、村上城のびれい、
美礼、美霊になる。
【リベラル】
 村上城を、びりおん、という、これを、りべらん、という。
後、リベラルという。めりゆって、という言いの、リベソンと
いう。リベラル・クウツウ(空通)という、空通しのくれゆれ、という。
これを、村上まいそれ、という。空に舞う旗という、村上城の
旗の表しという、これの表しの象という、かたどりを、象徴と
いう、村上の城の象徴を、びれひる、という。びれれ、ともい
う。びそんという言いである、ほにほにという八坂の言葉とぞ
ず。
【袖】
 きれいなたま、という、御霊の山のお書きという。御霊遣り
という、御霊のわかく、という。これを、わっかく、という。
わかせか、という。わかれるそみ、という、わかすそて、とぞず。
袖のわかれ、がこれである。袖をわかやり、という。わかせの
おすとす、という、わかせら、という。めむむせむ、ともいう。
袖のことである。これが、京都のむろちょうの言いである。
室朝。これを、室町の朝という、朝が言葉である意味とぞず。
室朝という言葉のことで、室町期の言葉という。この『期』が、
旗であることとも。旗を出す期という、旗の日のことでもある。

 古く、祭りに旗を掲げたことという。祭りの日には旗を出す
ことという。古くの京の町のことという。祇園祭りといえば、
祭りの旗を出す、これが、るえ旗という、るえの旗の期という。
木でもある。旗を木に掲げる、古い風習とぞず、これを、天の
羽衣という、旗のことである。
【日本】
 『天女の舞いの美しさ』という、旗を褒めることともいう。
旗日を、ほん、という、旗を二本という、これを、二本国と
いう。家の玄関に二本の旗を掲げて、にほんという、これが、
日の本という、旗の日のことである。二本邦という、日本国
である、象徴を、はたほと、という大和言葉である。
 村上はたほと、という、近所周辺を、村と言い、村上に
旗を掲げることを、にち浜ろく、という、にちまん(日満)という。

 これが、日本の満せる、という、マンセルのことという。
旗が掲げられている状態をいう。天王が太陽であることをいう。
これを、まんせら、という、すめそ、という、すめらぎ、とい
う、太陽のことである。日の丸が太陽である。
【デマン、デマンセ】
 これで、一の丸という、城の中の造りにこの言いをすること
を、ディマンショという、デマンという。城をデマンという、
デマンセという、古い日本の言いである。この言葉の流れを、
マンセラるう、という、るるるという、るるという、るという。
るめらる言いという。るるせら、ともいう。せら期の言いであ
る。あっぱれらくの言いという、日の丸を、あっぱ、という、
あっぱす、ともいう。あっせーらの言いという。あっぱす朝と
いう、後、いんど宮の言いという、いん宮の言いとぞず。
みな、日本である、言葉の元という。穂浦が花の解釈である。
【ろんとう】
 みな、英語であるという解釈とぞず、これを、ろんとう、
という、英語を現イギリスの言葉に充てる解釈という、ろん
とうという、これを、ロンドンという、ロンドンモックという、
ロンドン山ということという。
【ダラス】
 みな、ダラスであるという、言葉を、ダールレーというダラ
スの古い言葉の言いという。言葉を、ダーラスという、古い
ダラスの言葉である。これを、アメラル、アメリルという、
アメリソという、アメラル言いとぞず。アメリカン・セイング
という古いダラスである。アメリカが元であるという解釈とぞ
ず。これを、いんかわ、という、アメリカの古い川である、
この川の流れの見の言いとぞず、身とも。流れ者という、
自分に充てた言いの、ダラス・フロールという、ダラス・フロー
という。ダラス語という、ダラスからロンドンへ渡ったという、
アメリカをもとにする、ダラスの古い言い方という、これを、
オールドという、世界をオールドという、ダブリンのアウルド
である。auldという。このアウルド auldが、ノルト・ロンデー
である。ノルマンの古い言いという。アイスランドの言葉である。
アイスルー山のお書きという。あいれる山ともいう。アイス・
ダブリンの山という。さんらるれれれ、とぞず。この『れれれ』
が、歌詞にある『れれれ』である。正(やなぎ)。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
**アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
  著者そうきょう@-292上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@-292
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽