過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
1999/01/01 。その日の記****。柳。
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る
【曲名】 卒業4660京都船旅3560
古譜2560大原練習2460天の下2860 ANGOLA Bem 460 黄室物語 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】
輪島コネクション 黄室
ハード・ボイルド風日記
【きんを制するに、音を以てす】
2020/03/29
キンを制するに、音を以てす。
『音楽の頃、し〜や』という消毒のことという。菌と戦う音と
いう、音楽の音である。
ギターのスレーダー・カットという、切音という、カッティ
ングという、古く擦音という。キラーレズという、スレーダー
のことをいう。ギタキラーという。
【黄室、三重波、四段桐】
これが、黄室の、俺の英語である。紫宸殿の四段桐という、
桐の琴ともいう。これを、カット相風という、『寄らば桐』と
いう、俺の三重波袴という、三重波墓という、そこの間である。
三重波墓の間という、階段四段目である。ここで、桐下駄を置
く。これを、スロットという、俺のスラセラーという、これが、
仁徳言いの一種である。薄い下駄である。
【アンゴルモア謁見の場】
この下駄を履くときに少し音がでる。この音の言いを、ス
ロットンという。古い黄室の音でもある。これで、俺は、スロ
ットン・カクカクという、カクカクという音がする。この音で
ある、アンゴルモア音ともいう。
アンゴルモアへ行くという、アンゴルモア大王の謁見の間と
いう、ここを黄室という。
『うんと、お気張りやっしゃ』という『うんうん』という
俺の声である。アンゴルモア・カットという、うん切りの
音という。桐の木造の大便器お書きという。木造の黄室であ
る。これを、おうしつという、こうしつという。一般に、こう
しつを使う俺である。紫宸殿の便所を黄室という。
アンゴルモア大王という、うんこのことである。これを、
切り落とす、うん切りという、ふん切り、後、ふんばる、
きばる、という。うんこをすることである。
この切りに、擦音という言いをする、うんこのことを、
おん、という。このことを、スレッツという、スレッツレラ
という。つれたうん、という。うんこづれ、という。
これで、琴の奏者が、擦音といえば、くすりと笑うことも
ある。この笑いを、えみてらる、という。うんこを、えみ、
という、この『えみ』が、黄室の言葉である。
【フランス革命経験者】
『えみ、ゆたか』と言えば、気張り後の安堵の話という。
安心という。これで、大便後を、あん時という。うんこの
ことを、あん、という。アンゴルモア大王という、黄室
用語である。俺のフランス黄朝という、健康なフランス革命
という。うんこを切り落とした、あん切りという。アンゴ
ルモア大王を切り落としたという、革命論である。アント
ワネットという、うんこ受けの、ツボの網である。
アントワネットの断頭という、うんこが落ちて網にかかって
すり抜けることをいう。これが、フランス革命の経験者と
いう俺である。黄室と深くかかわりがある話という。
【現時の黄身】
俺のフランス黄室という、桐の便所の物語という。桐
壺のみかど、という話という。桐の紋が入った便所の戸と
いう。俺が深く関わる現時の黄身である。便所身の俺である。
深くあいしたアンという、壺深く落ちていったウンコである。
あいしたという、相、下、話である。これを、そうげ、と
いう、切り離したうんこのことである。現時の黄身という
俺である。有名な物語に出ている話という。
『あれは、いつの御代のことでしたか…』という、書きの
所とぞう。フランス革命の書である。これが、枢要である。
ルイのおうきみ、という、鍵の手の人という、鍵づくりが
うまかったという、『大便時には、鍵をかけるように』という、
ルイ黄朝の黄室である。またの名を、ブルボン黄朝ともいう。
フランス革命期のおう室である。便所の話という。
アンゴルモア大王とは深いかかわりのある黄室である。
皆、健康のことをいう、アンゴルモア大王の話という。
ペストという、ノストのアンコという、ノストのうん
このことである。黒塗りの桐の黄室という、ここを、黒
始廟という。アンが落とされたという、黒始の黒歌所と
いう。アンもなかの歌という、歌を歌う俺である。
あん切り横丁の歌という、『あん切りよってさ、見てさ、
それを、両手が、ちょいと、かおす』という、紙大切の
歌という。
紙きらせば、大変換である、大変革という、大変という、
俺、語源の話である。祈ってやまず、という話になる。
黄室での祈りという、これを、黒始廟のミサという。
『俺の身さ』という、これが祈りである。御身大切という、
黒始廟堂の話という。ペースト紙という、黄色い紙である。
ペストがみ、という、紙である話という。
黒始廟のミサがかりの紙である、ペストがかりともいう。
フランスのノストスの話である。同じ、黄室である。
ルイ王朝というフランス革命期のことという。今のことで
ある。
仁徳の俺という、俺の黄室である、暗黄期ともいう、便
所へ行く袴着のことという。この時の心構えという、
【黄室心得】
一に袴を脱いだという、二に、下駄を履き替えるという、
三に求める、四に居なおす、五にきめばる、という、
五箇条の御誓文、清い文という、黒始廟のミサの祈りの
文という。俺の五箇条である。
古く、村上の便所の書き物でもある。これが、俺の
『たうと』、である。とうといことという。大事なことである。
仁徳領お書きという、便所の要領書きである。
どこの便所でも、書かれいわれたことである。古い京都は、
便所を黄室というのである。今でも、このように言う所は
たくさんあることという。
仁徳便所という、便所の造りもある。網受けのある便所
である。仁徳帝お書きという、仁徳の庭のお書きとぞ。
たっとい文である。後、公衆便所になる、仁徳の便取りと
いう。便所掃除である。大切なことである。
ギターのスレーダーという、うん切り音という、これを、
ノンメルという、ジャーン、ジャッという、じゃ切という、
じゃ切の切りという。桐の木で作るギターを、ヘという。
へもせば、という、桐の弦楽器の造りとも。
音が、健という、健のすこやか音という、これが、健康
をいう、ギターの弾き手の奏する音の出しという、健康音
の出しという、ギターションレルという、レル音という。
これを、げんきん殺、という、げんなま、という、ギ
ター音である。『げんきんな奴』という、『げんなま
ふぜい』という、ギター奏者のことでもある。スレー
ダーという、スレーダーの奏者である。
【げんなま】
げんなまが、健康を呼ぶ言葉である。やなみらる、と
もいう。やなぎぜのぎたれく、という。ギターのやなせ
音という。弦楽器一般である。音による健康という。
健康がある音楽である。殺の言葉がこれである。札の
言葉にもある。神社の札とも。殺菌の話である。
音による殺菌という、古くノストという、後、ノスト
ラダムスという、フランスの医者の名という。
ペストがかかり、こくしびょうがかかる、みさの
かかりともいう。ノストルのお解という。
紫宸殿階段四段目の話である。三重波の袴の話と
もいう。身おーえの前方後円墳とぞう。和歌山の
堺たっかく、という、ユーターンという、堺の
ユーターンという、リインカーンという、リンカーンの
町の、リインカネーションという、輪廻のことという。
うんこを、輪回しという、これを、リベレン、という。
後、リベンジという、後、リボルバーという、後、レボ
ルーションという、英語の掛かりの言葉という、俺の
えいはな落ちである、落ち語という、稚語(ちご)という。
俺は、英語元、という。『俺、はなふさ、ごもっとも』
という、現時の黄身である。
俺の、落ち語である。
ここまでは、輪島コネクションはさみ、である。
後は、輪島コネクション本編である、前話の続きである。
俺、予告。予国者という、よた者である。
【五黄】
『はっ、よたよたよたよたぁ』、俺始めという、黒始めの
俺である。黒い三重波である。よった波という、派波という、
大きな波である。見え初めという、初派の波という、きんじの
えり波という、三重波の衿という。下駄を、さはるる、という、
俺、仁徳の言葉である。ばくろうという、ごもっとも町という、
町子草という、雑草の聞くである。Mという、ごMottomoと
いう、五つの数の意味である。もっとも数という。中心である
意とぞ。これを、五黄という。黄室の五角相という。ペスト
レンという、ペンタゴンという、ペストという、五つの意味で
あるとも。五黄の話という。卵を五つ並べて、輪状にする、
【算盤】
これを、糸で結わえる、これを、ペストスレッドという、
五糸輪状という、このままゆでる料理を、五つ玉茹で浜という。
五つ玉算盤の出来という、玉に掛かる棒を糸という、五糸算盤
という。この、算盤を、さんばん、という、三番叟の、俺の
スト論という、ストローの弾という、ストロングの言いの英語
という、これを使う外国の国の言葉を、鋭語という、鋭国とい
う、ストローを、ストロングという、イスラエルとぞう。
これを、俺、語鋭という、語良いを、語エイという。
護衛という、エイエイオーという。はちいつという論語の
はちの意ともぞ。五の意味があることともいう。
エイエイオーのオーが、その意味である。OKいう、手平を
たてて前に出すしぐさという、これを、町子草という、競りの手という。
古い株式市場である、魚市場の競り市場である。競り手という、
町子草の手ともいう。
【やなっ単やなぎ複】
この町子草の手を、てで、という。手々。出町柳という、町
名の興りである。手を、やなよみ、という。『やな』の複数を、
『やなぎ』という、やなぎ手という、これを、てで、という。
手を振ることともいう。やなぎ手遣りはり、という、町を、
上文の五つ玉の町状にする町づくりという。丸い町という、
これを、みんたま、という、えん玉町という、後、円町とぞう。
【南面俺北面寝、なんめんがれおれめん】
算盤の玉状に重ねる町を、棒状という、串町という、くしげ
通しという、櫛笥(くしげ)町、京に残る俺の町造りである。
仁徳京という、これを、マンダムという。マンダム造りという、
俺の造りである。勝ち通しの、俺負け町という、ヨイトマケ
という俺の、まいた種という、種町造りという、札幌ヨイトネ
という、この『ネ』が、寝るである。北寝(きたる)町という、
南面の俺という、これを、北面寝という。
紫宸殿の、折り入れ混ぜの言葉をいう、紫宸殿は、そう
いう言葉である、折り入れ混ぜ言葉である。ペスト・ミサ
混ぜという。まぜらす俺という、これを、おれ入れという。
マドロン・パックの、マドラスという、ナイト・ガイを、
マイト・ガイという、マイトガイの俺である。
【真糸】
真糸外という、糸だし算盤の、折れ入れ骨という、骨
という細い棒である。この算盤の造りとぞ、俺の考案である。
考えて出したうんこという、うんこ玉算盤という。五つ玉の
算盤である。これを、運指玉という、算盤の音を入れた曲と
ぞう。南米の楽器の、ぎめせめ、である。ギロという。
その町の造りが曲である。大曲(おおまがり)の地名の話と
いう。おーれるロンレーという、算盤並びの町造りとという。
各国にある五番街、五番街町という、ペンタロンルレーとい
う。札幌がその一つである。算盤を札という、札幌の言葉と
いう。町子草の言いである、ばくろうの言いともいう。
まくろうという。『巻いて行く』を、『巻くろうて行こう』と
いう、札幌の五の言葉がつくところの言いという。
【札幌ベンタム】
札幌を、ペンタムという、古い日の札幌の町とぞう。
このペンタムという、まくろうの落とし眉、という、辻上げ
顔の、おとりす、とぞう。りす町という、英語のリズがこれ
である。鋭語とも。俺、はなふさの解釈である。
リズタウン、うんこがかりである、リズ手のリミソルという、
言葉である。町子をリズという、言いをする、これを、リッツ
という。リミトスという、算盤立町という、算盤の添え具で
ある。この添えの町のことを、リズ町という、リズ手の造り
という。札幌がそれである。幌という算盤の添え用具である。
リズ手いらず、という、いらこ草の町造りという、いらこ
という。町子に類する言葉である。この『いらこ』を、
すっぴんという。横浜べんびす、という、水に掛かる所の町
造りの、一用語である。造町論とぞず。平安京の造営、俺で
ある。
『桓武がおってさ、りってさ、やいてさ、』、津っさり歌と
いう、この桓武の造りの、仁町という、仁徳の語源の出とぞう。
これ、俺、桓武という。俺、仁徳の言いである。かんむりが、
それである。そのかん・むりである。『俺が、やらさぁ』という、
みえをきるという、三重波の着である。これを、後の平安と
いう。ごっぱんの平安京という。古くの長岡京である。
【新潟長岡】
新潟の長岡京でもある。かんむり朝という、桓武の里という、
これを、かんむり、という。新潟の長岡の、ごっぱんれっく、
である。無里の里という、時間の空きの時のことを、空きかん、
という、そのかん・むりである。かんむり朝という、俺の
替え名である、仁徳である。広く、ひろのり、といっいた俺
とぞう。ひろのりという、広く乗るという、ジェット機の
空路である、これを、あきのそら、という、安芸の空の
迎という、空が出迎えるとき、という、これを、秋という、
ときあきの時秋という、時空の興しという、片翼三角、片翼
半月円であるジェット機のことという。前方後円墳の造りと
いう、円の所の設計とぞう、ジェット機の航路である。
ジェンジェフという、ジェックスという、せきすき、という、
海外にある、前方後円墳ともいう。エジプト・スフィンクス
がそれである。マーレルボエンという、母円の造りとぞう。
めぶっすうという造りとぞう。これが、エジプトのクレヨン・
パックである。たくさんあるスフイーとぞう、ピラフの楯宮
という、三角錐の宮とぞう。四角錐ともいう。
三角錐を、モンピラーという、かんむり語である。、かん
語ともいう。冠語。モンピラーが門平の話である。
平見土(ひらみづち)という、ピラミッドの造りという。
エジスト、エジスという。おみせまのことという。
おかざりのま、という。部屋飾りのことである。ピアフ連里
という。四方に張った、エジプトのピラミッドという。
いじれるらんくう、という、みだるみそら、とぞう。
らんけき造りという。世界のかん、という。観。世界観の
造りという、世界論のおるれ、とぞう。世界を見る、おれんり、
という。連立の世界という。国際連の造りという。
アメックスという、アメノカの主という。アメリカが、主になる
ことという。アムレスという、アメリメックスという。メロックスが
主である意とぞう。アメリ風という、アメリのいよるり、という。
俺の話である。
アメリという、上空に服風とぞ、竜巻のひの、横竜巻である。
すわんするう、という、スルーの英語である、俺、造りである。
横便落としという、する便という、するうれる、という、うんこ
風という、横竜巻である。長いウンコを横へ落とす、空襲である。
この便の落としの造りの風とぞう。空から降りて来て横竜巻になる。
これが、縦に並んだかさねぎ風という、これが、紫檀壇着である。
階段四段目の俺の清掃とぞず。そのかんむりである。うんこ冠と
いう。うんこの飾りの恰好という、それの斜めの冠とぞう。
紫檀段のつむじ風着という。三重波合わせ環頭着という。一般の
環頭着がそれである。ムームーという、あれを、横にした形という、
ムームー風という、環頭着風という、横竜巻のことである。
ムームー風の言葉という、そのかん、という、むりである。
むり風という。そのかん・むりである。間無里相の風という、
かんむり風という、その冠の造りとぞう。斜めの円錐である。
段付きとも。これが、風の冠である。風暦山のお書きという。
みすこ町が、これである。長野諏訪とぞう。すわの地名の所が
それである。風の町という、アメリカの、『り』とつく場所
である。フロリという、メリルという、マルーという、マル
ーリの町とぞう。ファッセバのスペインの町である。
イタリア、フロレンリ、後、フロレンスとぞ。
ローマのロリ花町という、ロマノ町とぞう。南アメリカの
ペルー、ボリ・ビア、ぼみふみのお町という。たくさんある場とぞう。
【大切】
俺、大切なこと、『黄室は、王室より、えらいのや』という、
『これ、うんうんのこと』、大常識という、古くからの、
紙ながらの未知である。かんながらのみち。
本俺、のりなが、という、フランス国学を、おりまぜての御解で
ある。
音階という、音のする階段、シシいでん、という。猪上がり
、ししあがり、という。ドレミのミは、どこであるか、3段目、
あのうすっぺらい下駄の音が、身の音である。カタカッタン、
カタカタカタという、木本の音という、
【三重波甍いらこ】
三重波音という、古く仁徳音という、イに、し〜え、という。
いにしえ音という、色波づくしの音波、これが、いにしえよりの
見え波という、甍の波の音という。アメリ風、音、解という。
音の解の段、家並み履きのみかどてい、とぞう。
屋根に落ちる雨だれを、玉音という。甍の波を履くという、
甍の波の拍である、音拍釈という、黄室の拍釈である。
便所で、うんこに一礼という、うんうんうんこのうん物語と
いう、音拍取り入れての、みえ会談という。お化け解釈という、
いらかのいらこ、という。そこの住人の脳使いである。
これが、俺の、にん解くという、まかせとくの、とく使、
という。詩のぶん、という。
しのぶん・いにしえ、という。何事も、混ぜる俺である。
俺の脳という、脳中の、中心の脳、中脳の脳の働きである。
脳の、ここ・ろ、という、色波という、脳波のことでもある。
折れ曲がったという、脳の部分である。ブーメランの形という、
みえ色波という、みえ色という、甍の波の色という、これを、
音の色という、色相楽という、ギターのスレーダー音という、
『よれば、すぐに殺す』、殺菌名手の音楽家、直殺(ちょく
さつ、ちょくさい)音弾観という、弦楽器の奏者を、ダンカン
という、甍の波の音を、詩(うた)という、雨音の『たうと』
という。これを、今上の垂れゆり、という、いにしえらしく、
いう俺である。
あたら・いにしえ、という、今昔ものが垂れ、とぞう。
誰ともいう。今昔者が誰、という、勿論、俺である。
これを、勿・論という、俺、語源である。持論という、
スレーダー論拍という、ギターの爪弾きという、雨の音の
表しという、色相である。音楽の音の色、という、カタカッタン
カタカタカタという、そういう、ギダづる・スレンドという。
スレーダーという、かっそんれいてく、である。ギターの
テクニックである。殺音のことである。
うんこま、という、黄室の隠しテクニックである。これ、
バラスという、バラの音あい、という。バラバラバラと
聞こえるギターの音という、古くの、じゃれじか、という、
ギターを弾くことの色よりの解とぞう。
じゃーれじ・便富む、という、カタカナ書きをする俺で
ある。ベントムという、色相豊かな書きである。田んぼの
中の便べん豊かな俺である。
ばらせる・ごんたきのお書き、俺なるを。
【色をいらという】
色を、いら、という、あの、かんむりという、冠語では
なく、間無理語という、かんを方言という、かんむり語と
いう、方言のことである。方角をいう、その場へ行く間の
ことを、かん(間)という、これを、いらの言いという、
いらという、間であり、方角である。そこへ至るかんを、
じ、という、道と書く。道をじと読む論とぞ。これが、
俺の論じである。論道という、ロンドー・メンソレという、
田の中の便所面向き、おもむく、はよれる、じじ運びという。
自分を、はこ、という、じじはこ、という。うん持ちの体と
いう。便所前の自分という、便所後の自分を、たみはき、
という。・・・・・・
・・・・・・・・・・、点の部分はもじである。
うんこ論相、たくましく、天誰点とそう。あまだれの垂れを、
誰という、これを、誰何という、水下という。誰何点山と
いう、和国録のお書き様とぞう。
殺菌名手という、これを、そうさい、という、相殺(そうさ
つ、そうさい)の読みという、世を見るという、ギター・
レッスン・パークスという、イギリス、カレードンラックの
庭園という。日本の造りとぞう。日本風の造りである。
本編。
【弾琴、刺殺】
これが、和国の古い日台貿易という、日宋ともいう。日宋語
という、貿易用語という、乙中という、沖士という、言葉の類
である。高雄語の訳しである。古い日の台語という、台湾の
ことである。琴でもあることという。事箏琴の台湾の琴という、
小さい琴もある、台湾の、みよまむ、という。日台盧溝の琴と
いう。盧溝琴という、日本の煬帝琴(ようだいきん)という、
大小の煬帝の琴である。この琴の弾きを、やかく、という後、
刺客という、刺殺という、刺殺者という、台湾のオーカルと
いう言葉である。
【久世、救世、くぜ】
琴を弾くことを刺殺という、弾きてを、殺犯という。殺犯者
という。音楽の言葉である。琴の音を、くぜ、という、京都の
言いという。久世(くぜ)。これが、救世(くぜ)である。
事の音をひくという、亡者の弾きという、目の不自由な人と
いう、その救世である。音楽に救いという、ことという。
【喇叭、救者】
これが、喇叭の管楽という、ピッコロという、弾き頃である。
ピッカムという言葉の出来とぞ。
喇叭手を、救者という。
弾頃手を、援者という。
楓手を、助者、助手という。フルートという、楓管という。
これが木管の言い元である、楓管という。
管の救いという、ファゴトという、ファの音の由来という、
ミーファーという、歌語の意味でもある。
ターユーという、相手をいう。
ミーファーという、自分のことである。
管楽の相手を、ミーターという、歌語の音楽用語である。
この『ミーター』という言葉は、どこにあるか。茨の場に
ある。茨管という、ファゴットという、ゴット管という。
正(やなぎ)。M25、れっせれ。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
『はっ、たなびいております。』
『あれに見えるは放射傘雲』
『これに見えるは、手乗り雲』
『これっ、悟空、放射能は如何に』
『放射の山のおきたりて乗り乗り』
『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
秋残り世界文学全集 巻2
『余は機械である』
蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
秋残り市史編纂員、余。
秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***
秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2560大原練習2460天の下2860 ANGOLA Bem 440穂浦・友の井 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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仮想店 出品 ID:Kyou44108
画商『曽端』俳画専門
豪華額縁付 2000円ヤナギ
著者そうきょう@-92上巣真芯
UESUMASi W.E.州 Machine
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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1999/01/01柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@-92
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
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