2020年04月05日

卒業4652ANGOLA Campo de arroz 440 俺4 田 (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/12/30 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4652京都船旅3552
古譜2552大原練習2452天の下2852 ANGOLA Campo de arroz 440田 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)  青森連幕


    創曲、俺
    造詞、俺
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
青の田を起こす 青い幕張り上げて
幕府 立ての水だし 流れ来る多々のいほ
青い稲 稲荷なる 雷の轟に 来る世は
坂 あが里咲きの桜 メノンのほうれ鈴に
鳴る かけ鈴音

 狐の天気予報。〇r1998/12/30
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

 輪島コネクション


ハード・ボイルド風 音楽による殺菌 目に見えない菌への対処4652節 D
【青田起こし】
 青と白の幕張り、たてよらの水を入れる。田のことという。
御所の水田の話である。横に芋畑が連なる御所っこそれ、
とぞいう。御所見の山のお絵という。めめてるるとん、という。
めっとぶ山のお絵という。御所の水田の起こしの景である。

 青白幕の鶴張りという。鶴が来るお越しの、めむと、という。
めむとれいてる、という。御所の古い頃である。仁武の幕張り
という。じんぶやっき、という、めんすずのおりるり、という。
これを、いよれる、という。めっせぬ・ぺんせる、という。
ぺらっ所、別鈴という。掛け鈴音という、すずねのゆかるれ、
という。鈴音の音みと、という。鈴を掛けて、幕よきに、水を
流し込む行事のような田起こしという。鈴が鶴をとる田のいざ
りる、という。めめそよの田という。田みそゆっきのお書きと
いう。御所田の古い話である。

 仁徳の俺の田という、俺ゆら田の、くいふら、とぞず。
仁徳の田起こしである。起こした後を、帝角という、帝訴とも
いう。訴上の、まなふり、という。田を興すことを、訴という。
帝訴の仁徳庭という、仁徳帝とも。田んぼのことである、庭の
ことである、帝の意味である。仁徳の庭にいる人を、仁徳帝と
いう、その世の言いという。仁徳帝田という。仁徳起こしの田
という、御所の浦の田とぞず。

 山の浜という、山地のいそれ、という。ここの言いの『にん』
という。人をにんという、でんにん、でんじんのたひと、という
。田人。これを、でんせる、という、田のことをいうことを、
じんみつという。にんみつ、という。仁密。田の語りである。
 とっきく、ともいう。田を、とれせめ、という。仁徳期の田
の言いである。

【日 付】2020/03/15 晴 
【場 所】転金地、三重仁徳ごぜ所、丹波ゆったみ
【指 令】持札金増殖 
【特 記】Machine gunによる消毒
【感 想】ウイ世である。
 そうきょうは、よい時です。
 
『そら、ヨイト、ヨイスルッケ、ロッコイサノス
 俺は仁徳、国興し、寝てる丹波の、やれ姿
 津っ所の屋根の、ころげヤナ』

 (津っ所の国・・とも)
  やれ姿:晴れ姿
 丹波じんとみの、よわっせごく、という、津っ所という、
 はれんせの言いとぞず。よわっぺる、とも。
 どんぱんこうろく、という、後、勝節という。
 負節ともいう。にんとくれっくせの歌という、どんぱんの
 仁徳項である。
  
  三重の津殺し--津頃穂国の市--
  津羽の項---津っ所屋根の館市(だてし)、青森だっち津--
  岩手れいぞむ、秋田ろんかれ、ロロックス---
  宮ってら、いばせる茨城、いばも茨巣、いそんす、
  島ぬもっこれ(島根)、とれせ(鳥取)、
  熊っ祖、山っつみ(山口)、おかっくく(岡山)、
  ざっかる(崎の場)、ざっくか(坂の地)、ざれす言いの
  地呼び。川ッ区れいてのヤッショマカショとぞう。
  ヤッショ:よい所の意、やざっく遣りとぞう。
  やっ坂、いよっ坂、ろっくくれてふ、とぞう。
  マカショ:にんでら言い。マカニンの闇言い。
  まけせらの言い。真の願を、マカという。
  『ヨイト、ヨイヤマカ、マカショラセ』
 
 俺の殺菌、頃はノストル期、黒こげの機がやってきた。
これを、養老波ペーストという、俺の三重波の袴である。
 指針殿黒苔指令という。これを、黒夏枢要という。
くろかす用という、クロッカスのおりかわ、という。

 黒を化す花機という。黒花瓶の、切り折り瑠璃という。
かきに、きをそえ田という、これを、にんざま、という。

 菌を殺すという、これを、黒祖という、即刻殺せ、という。
祖国殺しという。国を挙げての殺菌という。ばい菌消毒という、
『ウイ留守がよかろう』、消毒の頃という。
『消毒の頃、し〜や』という、お声がかりである。

 俺は行くという、これを、音無ロイコフという、真心願の
町ゆったむ、という。音による消毒という、殺菌指令の、
くろぜまむ、という。

 養老波のペストは、どうなったか、という、音無指し蕗百合
(おとむさし、ふきゆり)という、これを、クロッカスという。
養老把では黒死病という、黒く死ぬるは、菌頭の矢という。
菌をアローという、これが、夜菌のくろけ、という。

 この菌を、黒櫛のごわれみ、という。これが、串かつの
造りである。串勝ったという、串勝つる、鶴芝闇という、
これを、しようはな、という、がれぞれという。がれという、
俺という、これを、だれという。俺誰という。
誰すれの俺誰という。これを、すいかという。誰何。

 『俺誰』といわれて、『誰何』と答えることを、勝山まれ、
という。『まれは、ろいとせ』という。『俺は、ろりよって、
行くわさぁ』とぞす。これが、三重波の言葉である。
津所にいることを、『津っ所、れーずる』という。
『俺、津っ所、れいぜら』という。

 『金を消毒する』という、これを、消金という、毒金消法
という、この『毒金』を、もね、という。古く、まね、という。
これが、消毒という、戻しの言葉の使いという。

 あなせ山のお型という、あの人の賞金という、これが、消金
の消毒戻しという、言葉を戻すことの用いという。これを、
きんの働きによる、という。

 菌の作用という、黴菌という、少し古く、梅菌という、これ
を、売菌という、金という、金と菌の、うめがね、という。
徳川埋蔵金という、うめがね、という。梅が音(うめがね)と
いう、これを、音による、擦、という。これを、擦音の、
擦きん、という。

 ことによる、殺菌という。ことが、事であり、琴である。
暗殺という、刺殺という、拷問という、・・・・皆、音楽の
殺し屋である。音による殺菌消毒の、ころっきく、という。
健康の話という。

 金が転がり込む殺菌しょうほう、という、これが、転菌で
ある。ペーストまむれむ、という。しょうわほうを、あき・な
う法という。水去りあきない、という。あぁきる山のお絵とい
う。秋に、なうことという。この秋を、ときともいう。

 壬武愁冷の秋(とき)、四月しょわれさ、任としておもむく、
面向という、これを、ジンタックという、壬卓、壬沢。
このタックが、音楽のタックである。タックスレールゥという。

 たっくみかという、たくみの三日という、音の出しを、三日
という、これを、ひぃ、という。時のことをいう。音楽三夜と
いう、三日三夜(みっかみよさ)という、三日三夜の願という。
真心の願という、アーアル・デンズラーという。
殿の面の、あ有りという、阿蟻とも。紫宸殿下の御代波を、
みっかれら、という。カーレルという、かみすよのペレッソと
いう。これを、ペレスプという、後、ペレス・プラッスラーと
いう。ペレスプラの、みんさみ、という。俺の、ガンダムとい
う。真心願を、ガンダレという、ガンダムという。

 この『ダレ』を、俺という。この『ダム』を、和俺(わおれ)
という。これが、女をダムという、女が使う和俺という、
はおれっしょれ、という、はしょっ坂の言いという。後、
はしょという、波所。これが、紫宸殿下の皇地の俺の地下と
いう。この『俺』を、ノスレスという、ノストルという、ノス
トンという。ノーレルろんずうの言いという。ろんかす論と
いう。論・化す、という、論数という、これを、論という。
俺の論である。

 オレノロンという、菌の培養のことともいう。これが、ヘル
ストロン、減るすと論具という。後が、ヘルを、コロふれ、と
いう。コロフレストロングという。オレストロングともいう。
俺頭(おれず)の山という、これが、オーレルズの語源である。
これを、俺語源という。

 俺、津ぅよかった、という、津代の頃とぞう。俺、強かったと
表す、津の場の表しという。『津は、よかった』という俺の
心の波状という、派状という。派という波が出たことという。
『俺、強かった』という俺である。

 津の輪の言い表しである。『つわ』という、強いという。
これを、よわい、という。世の輪の井の有りとぞう。御所の
世輪井い、である、言いである、井意である。

 これが、俺の、まぜらむ法という。混ざれる数物という、数
物理という、理を論という。数物論である。俺が混ぜる人であ
る。これを、マザムという、後、マザームという、マッカース
ゥという。任すにん、とぞう。任すにんを、にんにんム、とい
う、八坂語に掛けた、マッカーサー旋法という。『まかすぁさ
ぁ』という、俺の津での言いとぞう。今も津は、『そうでさぁ
』という所という。マッカーサーの古巣である。この古巣を、
せきすき、という。前方後方えんえん論という。

 えんえんと続く、真心の願う、意という。前方後円墳という、
これを、せきすき、という。古くのコロポックルの言いである。
『頃、穂来る』という、オレノストン・ダーレルという言い方
の、かよられ、とぞう。ストンパーレクの山という。これが、
パレスサイドのパーレクという、晴れ須佐井戸という、パーレ
バという、俺の晴れ場である。俺パー、という。パーである。
パー出という、御所出のことである。

 にん説く論という、俺の名という、名という菜を植えていた
俺である。これを、名菜葉という、葉書という、『葉』が文で
ある意という。言葉を添えて、葉書書きという、これを、がき
書きという、派出の語源である。『俺、ごもっとも』という、
俺、語源という俺である。

 『俺っさぁ、津っ所出っさぁ』という、『私は津の出身です
』という、うたかった言いという、うたかったという、強かっ
たという連想の言いとぞず。これを、津うたう、という、津う
とう、という関西音便とも。

 『つうっとい奴っちゃ』という、『うざい』を、こう言う所
という、津市とぞず。

 俺をのうのしる、という、ののしる俺という。のう汁の家と
いう、せきすきの家(や)という、前方後円墳の中の俺の家であ
る。緑中家という、鳥舞上の家ともいう。これが、紫宸殿正装
の、三重波袴の意味である。にたん羽、にたん跳ね、という。
二丹波の三段目階段である、これが、俺の場である。一単平と
いう、今の世の袴のことをいう。一単平袴という、ヤーバン民
族のはき物である。日本民族という、一単平(いったんひら)純平
という、日本人の別称である。

 これを、俺、津の国という後、角国という、角の数用という。
角数論という。かくの語源である。各。核。

 閣が成るという、角成りの将棋という、正気の床几という、
床几で将棋を指す人を、われさるかま、という。土佐の高知の
城門前将棋という、城が見る将棋という、これが、土佐のしょ
うれん、将連、正連という。輪島ぶっざむ、という。
これを、邦連という、御国づくし、という、国興しという、
丹波寝という、丹波の国という日本のことである。

 やっさむつづれ、という、綴り方の興しとぞう。これを、国
邦文という、俺、パー論という、これを、俺っ句という、俺句
の、おりゃらり、という。和国という、日本とは違うように言
う、ざまさめの言いという、俺っ句である。

 俺、和っ国という、俺は国という平坦な言いである。これを、
納会という、のうえ、のうかい、という。落ちの意である。

 落ち春という、来た春とぞう。
 
『桜満開、この世柄、れいぜのやんべの、ふしみんす、ロト、
 ようれるを、なみよう来たれ』大學小唄という俺である。
 
『ろーれるを、岸辺やん辺の、ざっきゃんこ、ろーせの、
 ゆーらの、るりおんる、こりょ、ようききと、
 ろくろーせのみぃ』しみの歌。始皇帝をしみという。
  ようききという、楊貴妃のことである。
  明治の始楊はぶ、という、『はぶ』が歌である意。
  始楊歌のメッソレという、これを、メンスラーという、
  めったせ山の言い。挨拶という、『始楊・・・』と、
  語頭に言う、明治維新の初めだぜ、という。これを、
  はっしょる、はっしょれ、という。はれせら、という。
  晴れる日の明治という。清明時ともいう。明治御代、
  明治御世という、明治の時とぞう、これをはちじという。
 
 これを、スレーダーの殺音という、月琴のあんだれ、という。
八雲琴の、うんきん、という。雲の柄のあしらい、という。
あしあらいの、あしらい、という。あでの言いという。あ出。
金札山のお書きという。

 札張りの神社の柱とぞう。あで張りという。この行為の元と
いう。俺元の、降り元という。階段のことを、降り元という、
紫檀壇という、四段壇とぞう。よなみ、という階段の四段目の
こととぞう。

 四段目で、げったみを弾くことの意味を、すうはむ、という。
月琴すうはむの殺菌楽という、札金楽という。月琴三味を弾く
意味とぞう。四段目を、殺菌段という、札金段という。

 見えない日の、みまらく、という。誕生四日目を、みまらく、
という、指針目楽という、赤子の楽しみという。

 見えない菌を、せつらく、という、切落。切落菌という。
音による殺菌という。放射能による殺菌とも。楽器を使い、
歌を歌う、殺菌行楽という。放射能浴という。目に見えない
菌への対処の仕方である。ノストンという、ノーレル論勢と
いう。ヨーロッパのノストラダムスのことでもある。
俺のノーストン論である。

『よりややっぱの、ろんきんに、れれせるよっつの、かどら
 れて、こりゃ、ろうとくの、みそよ連れた』とぞ。大学数え
 歌である。おいどもっせの言いという。
 
『俺っつぁー、れんてら、より・るりっとく、ぐっどくると』 
 よい世の話という。上論である。殺菌数用、これなるを。
音による殺菌とぞう。

『俺っつぁー、札金さぁ、だんと持ってさぁ、つぁーれら』
だんとも山お言いという。

『殺菌、四段目で歌でも歌ってろ』、紫檀壇合唱という、
四段合掌ともいう。四拍手の四方拝とぞう。世回りれいぞう
の、よいのう、という。エーノーとも。田舎の言いの、
よいノーである。俺脳山のお書きという。よいのう山ともいう。
【ろどん】
『そら、ヨイト、ヨイスルッケ、ロッコイサノス』、ろどんの
言いという
掛け言葉である。古く、村上地の言葉である。紀州城
とも。宇和島弁ともいう。おどんの言いともいう。
日本、丹波寝の姿という。民謡お大切。
 
『そら、ヨイト、ヨイヤマカ、マカショラセ 
 ガンガン、ガンダム、よいとの世、
 わってめわっかの、よらふらず
 わっせら、こっきょの、よんれがら』

 和っ国わんせるの歌語とぞず。
【メノウ、メノン】 
よいを、『ウイ』という、メノンの言いとぞず。
ウイ世という、よい世であること。メノウの言いとも。
メノウを、メノンという、堺みっ芝、という、みっ芝区の
くみさみの言い。堺せきすきを、みっ芝という。これが、和国の
言いである。ミユン・ユッキスという、わっけすのりもせむ、と
いう。わっせむるうらく、という。わらすての言いとぞず。
歌語の和歌を、れと、れとん、という。これが、和国弓という、
弓を、自分という、和国の言いである。
『弓は、いれゆれ』という、『アイ、ごぅろく』という、これ
を、ろっくす、という。『アイ、ロックス』という、『由美、
行きます』という。弓と、由美の言いという。由美が、現代語
を継げる言葉とぞう。現代語に継げる言葉である。これを、
よっしく、という、よしくのれもん、れもんと、という。
もんせる言いという。れそるそのおき遣りという。えいみそ、
とも。和国録という言葉である。和国録-語、という。
 和国録のゆいまく、という、和国の興しの時の言葉である。
これを、にんさま、という、おひとゆた、とぞず。おひるり、
ともいう。和国の言いの、せめそめ、という。さて山のお書き
という。この『山』の言葉が、和国語である。日本と和国の違い
という。
 おうるれ、という。みっしむそうくく、という。和国のやゆ
せむ、という。れを、れゆ、れゆっとん、という。れぶせる、
という。れゆみのおいそみのこゆきく、という。
おうるれれんばの山という。

 『がれ、はゆら』という、俺をがれという。がれと読む。
『私は行く』という意。『がれは、ゆら』という、がれせるの
切りゆり、という。これを、ロメオという、ロメオのきすぐす
という。きれせるむみせめ、という。がんぜがっくすの言いと
いう。『がれはゆら(garehayura)、ゆらふ』がれんごのべべ
すべ、という、おべきた、という、べべの言いとぞう。べべが、
自分の意である。べれんすという使いとぞ。べべせめの言いと
いう。『おれんぜ、いいそ』とぞず。どれも同意である。
『あい、がゆはれ』の言いとぞう。『私は行くはれ』という、
はれの言葉を使う言いとぞず。『言いなはれ』という、今の
世に残る、がよの言いとぞず。
『言いぬ、よっぱれ』という、言いよくの言いという。
『いよれむ、めっせむ』という。これが、日本の古代語で
ある。八坂語である。やっつるめん、という、言葉の種類で
ある。日本古代山のお書きという。和語ともいう。日本古代
を和という、和語の使われることという。
 めれっせ・るうてる、という、言葉の意味の使いとぞず。
てめっせの山という。てよるりそりそ、という。言葉の名称
である。

 
 正(やなぎ)、A04、ろんとれ。
【御所五木】 
『おどんみょ なんもはれ、おそいそくらす、
 くめせゆらふうる、せみすまれ』
御所五木の言いの歌である。五木の子守歌という。
『おどんも(ん)、りりんたれ、るそめむ、ゆられ、
 れれす、さみしいいす、れれすらるる』
『みっしんむ、そんとるれ、れそるそ、みゆず、
 みれすらゆはむ、いそらくれす』
『おどんそ、れもんする、くれいす、こきる
  こみそ、こいろはむる、せみよらるれ』
『みばる、きじかり、それるす、みらる、れべぜ、
 ばすみはる、れぞゆうられる』

 
 おどんみょうのおべまもう、という。おどんぜという、
みよるっくす、という、御所の下のかごふり、という。
言葉を、どんかわ、という、どんこ、という。これを、
おどん、という。言葉をいう。ことせまのおこと、とぞず。

 おどんめんという、めんつゆの言いで、うどんのことである。
半分のうどんを、べりるはま、という。食べ物をはま、という。
これが、おどんみょうである。おどんみょうという言葉の種類
である。 後、おうどんという、食べ物である、うどんである。

20200330記。
【核弾頭】
2020/03/29
 『あい、みてた』という、日本の古い言いという、私を『あ
い』という、相と書く。この『あい』を『キミ』という、台湾
の『あい』である。これが、英語を掛ける『あい』の言葉とい
う、台湾が英語を使うことという。あい花という、言葉の、あ
いの言葉という、相、合いという、相合の掛けの解きという。
【事箏琴】
 古くの高雄の言葉である。この言葉が、そのまま日本でも使
われるひとの言いである。ことの言葉がこれである。事という、
大きな琴を、事という。事語という、日本人が使う台湾高雄の
言葉とぞ。琴におかれている。このことを、琴語という、古く
の、箏の琴の大きな事という、事箏琴という、台湾の言葉と
日本の言葉の掛け置きである。
【台湾公司】
 これが、茨のむ(霧)という、茨のむ、である。茨木の言葉に
ある台湾の高雄の言葉とぞう、コーシーという、コースーとい
う、台湾公司の言葉とぞう。官庁用語になった話という。
コーレグ、コーレクという、こうすまの言いとぞう。古い寺の
便所という場に使う、コートルミという。キミをいう、公を
キミという、これの使いを、行使という、その場が行司(コース
ー)である。茨木、寝屋川、離れた、栃落ちという、栃落(とち
らく)の場という、栃木の古い言葉にもある、栃乃木の植わる
場の言いとぞう。
【栃の木】
 栃の木を、キリという、霧社という、霧がかりの社という。
これが同じ場である。同堂の場という、屋である。同堂の解と
いう。山口のてよその、という言葉である。山口県である、
『キーミガ、ミテタ』という言いをする、青梅宮(おうめみや)
という、これが、も一つ西の、長崎ずんたっく、という言葉を
使う、朝闇月という長崎南の場所である。『キーミガ、ミテタ』
ということをいう、三重の津の城の言葉である。津城のミルセ
ルという言葉である。津にも、この言いをする所がある。
津の浜の言いとぞず。
正(やなぎ)。M25、れっせれ。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2552大原練習2452天の下2852 ANGOLA Campo de arroz 440田 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou44028
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@441上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/12/30柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@441
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
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