2020年04月07日

卒業4670ANGOLA Ferro 670みよてららぞん (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/01/01 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4670京都船旅3570
古譜2570大原練習2470天の下2870 ANGOLA Ferro 670みよてららぞん (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、過去由 巴・正(やなぎ) 
    造詞、勇野 晴丈・正 
    監修、冴柳佐代次・正
    訳、 冴柳小夜文・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
堺 製鉄の大きな町の人 京の日は
鉄を作り 産業の町始まる ダッタムの
堺 俺の家 緑の中 あばら屋には
足跡ある 訪ね いにしえの匂いする

 狐の天気予報。〇r1999/01/01
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風日記
2020/03/29
  さて、日本の能管を、どういうか、ミーターから出すこと
 という、ミテルタという、横笛一般のことである。横笛を
 吹くことを、『ミーター』という、吹き手を、論者という。
 この論者を、ユメレムという。横笛をメユという、メユレム
 ともいう。これが、音楽の救いの論を出すことという。
  ミーター・ロンスクという、能管の能の話という。これを、
 のえ浜という、後、のうえの節のだしという、のうえ節である。
 これが、能管から出ている。『やってさ』という、言葉の出の
 出しを、ヨイハムにとる、ヨイハムに受け取る見方という。
 みれせる・やみそる、という。古い、めっかくの言いという。
 ミーターという脳の周波をいう、これを、先の、秋波という。
 秋波の見の、周波の見という。これが、脳に海を入れる、脳の
 部分の名称という、海馬という、脳の一部がこれである。
 海綿体の、そんぱり、という、これを、バーセル、とぞす。
 めんるれ、という、めすてのゆいふり、という。これから、
 脳に、秋波という、海にかかった波という名称が出る、周波
 になる、脳の周波という。脳の周波を、脳波という。波の
 一種にとらえる診療の一種という。
  脳から判断をしていく、一つの一手段という。脳を脳波
 からみていく、一手段という。これの手段が、能管を、みっ
 せば、という古い医学の、脳の言いである。
  脳の部分を、場にとった言いである。みせ場という、脳の
 一部という。名かがわからない脳を、脳葉から、判断する
 ことという。みせ場の意味である。能管の音にこれをわる
 見方という。能管をミーセマーという、ミーターという、
 言いのことという。
  脳の一部を表していると見る、一判断思考の法という。
 これが、のうえ節の中にある、『山の丘から、ノウエ』と
 いう、下りという。これを、脳幕という、脳の幕の造りを
 見る、これの脳波の意という。脳の幕の、脳幕れく、と
 いう。脳の働きの表しという。脳波に現れることという。
 これの、具現を、脳けっぱく、という。脳波を見ることで
 ある。ビブレルけみそく、という、脳波の見のことという。
 あるてる山という、あんりる数有という。脳結束の山という。
 放射する脳波という、これで、脳波をとらえていくことと
 いう。
  放射能という、能脳のかかり、という。放射能の働きと
 いう、脳病に関することという。脳の働きの具現の能という、
 とらえ方である。行動が、能の働きの結果である、こと
 という。これが、脳病に放射をいう、能ほる、という。
 ノウエの言葉がそうである。脳の働きの、脳能である。
 これを、ノウエという、能重の山という。しっぽれ、という
 脳の働きである。かっぽれが、そのしっぽれの一部である。
  これを、脳居間という、場で表す言葉という。
  脳居間が、脳居間う、話という。舞う舞いの能という。
 脳部の脳の働きの意味とぞず。能の一部にあることとぞず。
 民謡の、ノウエでもあることという。能山のお絵という。
  脳居間が、脳の場である、部分である、のうよき、と
 いう。良き好き、という、よきせば、ともいう。脳の部位を
 いう。海馬という部位という。脳波の放射の部位という、
 海馬より出て居る脳波という、これを、ぶいるり、という。
 この『るり』が言葉である。海馬より出る言葉という。
 ノールックという、脳流句の山という、脳流区とも。
 この『ノー』が、いいえという脳の部位である。
 いいえ、よいえ、という言葉の出しの話という。ローレル
 という、ロイセルのやみふりという。これが、脳のびぶせべ、
 である。今の海馬である。海馬の脳のことという。
  インソック・ルックスむという、このままの脳の内部の
 そくのく、という。側脳という能のこととも。側を即という、
 表しとも。そくのうが、山祖の言葉である。山の麓の言葉
 である。ゴーレル・センパックという、ゴーが脳である。
 ごもすめ、という、われかんの言いとぞず。ゴメス、ゴッ
 キスという。どちらも脳のことである。御所の御でもある。
 自分の頭の御所という、頭をたっとぶ話という。頭という
 意味の御所である。これが、御所の脳論を出すことという。
  これが、屋根の音という、脳を家の屋根にたとえる見方
 という。能束という、屋根のことをいう、軒という言葉の出
 という、海馬の出の言葉である。海馬から出たのきである言
 葉とぞ。脳の部位の話である。やまと言う言葉が、この脳と
 いう言葉にかかった言葉である。天ともいう。人の頭のこと
 である、脳のことである。言葉を考えていくことの話という。
 脳の働きを見る一手段である。
  放射能による脳の治療がある話という。 
 
  古い、ノストンという、後、ノストレーという、音楽の奏
 の初めを、ノス、という。音を合わす、音楽演奏の初めとい
 う、音取り(ねとり、おととり)の管弦楽の最初という。
 この音が、スモイカ、という、スモウ絵という、これを、音
 の絵という。演奏会の初めである。
 
  この音に、ミーと出す合わし方という、ファーと継ぐ、音
 取りの一種という、これが、ノスという、ノストン楽という、
 この音取りから始まる曲という。これをする楽という、病封
 じをいう、後、ノストラダムスという、医者の掛かりになる。
 音楽が流れている医局という、医局方音取りという。音取療
 法という、発展した姿である。音楽による病の封じであり、
 予防、治癒である。
 
  現代の学問では、音楽では、病気については、関係あると
 も関係ないともいわない、論にいれていない現代の学問とい
 う。これが、音だけに特記をする現代の音楽の学問分野であ
 る。他学問もそうである。
 
 古い書という、『火を制するに、音を用いる』という、表記
 がある、これの言いの類である。アンゴルモアがやってきて、
 炎天下になるという、音楽を聴かすノストラダムスという。
 やませらむ、という、やまの言いのノスという。この論が
 ある言いという、祭りの、たれされ、という、『たれぞ、
 おってか』という、『誰か、いるか』という意の言いの、
 たれぞの『ぞ』である。ノスのぞ、という。古い音楽のゾの
 音である、ソの音である。ミファスラという、ノスの解釈
 である。ミファットン・レーブスという。現代の病院が音楽
 を流すことという。一つの現れである。 
 正(やなぎ)。A06。
**************
 音楽に現れた、暗殺、刺殺という、これも、現今は、こんな
言い方はしない。スレーダーという言葉も、使わない。
現代は、ギター奏者という。ギター奏者を、暗殺者とは、言
わない。現今の話である。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2570大原練習2470天の下2870 ANGOLA Ferro 670みよてららぞん (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou44208
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@513上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1999/01/01柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@513
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2020年04月06日

卒業4660ANGOLA Bem 460 黄室物語 (壮強太陽):イカスミ柳 文だけ


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1999/01/01 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る



【曲名】 卒業4660京都船旅3560
古譜2560大原練習2460天の下2860 ANGOLA Bem 460 黄室物語 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談

 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】


輪島コネクション 黄室


ハード・ボイルド風日記 

【きんを制するに、音を以てす】
2020/03/29
キンを制するに、音を以てす。
『音楽の頃、し〜や』という消毒のことという。菌と戦う音と
いう、音楽の音である。
 ギターのスレーダー・カットという、切音という、カッティ
ングという、古く擦音という。キラーレズという、スレーダー
のことをいう。ギタキラーという。
【黄室、三重波、四段桐】
 これが、黄室の、俺の英語である。紫宸殿の四段桐という、
桐の琴ともいう。これを、カット相風という、『寄らば桐』と
いう、俺の三重波袴という、三重波墓という、そこの間である。
三重波墓の間という、階段四段目である。ここで、桐下駄を置
く。これを、スロットという、俺のスラセラーという、これが、
仁徳言いの一種である。薄い下駄である。
【アンゴルモア謁見の場】
 この下駄を履くときに少し音がでる。この音の言いを、ス
ロットンという。古い黄室の音でもある。これで、俺は、スロ
ットン・カクカクという、カクカクという音がする。この音で
ある、アンゴルモア音ともいう。
 アンゴルモアへ行くという、アンゴルモア大王の謁見の間と
いう、ここを黄室という。
 『うんと、お気張りやっしゃ』という『うんうん』という
俺の声である。アンゴルモア・カットという、うん切りの
音という。桐の木造の大便器お書きという。木造の黄室であ
る。これを、おうしつという、こうしつという。一般に、こう
しつを使う俺である。紫宸殿の便所を黄室という。
 アンゴルモア大王という、うんこのことである。これを、
切り落とす、うん切りという、ふん切り、後、ふんばる、
きばる、という。うんこをすることである。

 この切りに、擦音という言いをする、うんこのことを、
おん、という。このことを、スレッツという、スレッツレラ
という。つれたうん、という。うんこづれ、という。
 これで、琴の奏者が、擦音といえば、くすりと笑うことも
ある。この笑いを、えみてらる、という。うんこを、えみ、
という、この『えみ』が、黄室の言葉である。
【フランス革命経験者】
『えみ、ゆたか』と言えば、気張り後の安堵の話という。
安心という。これで、大便後を、あん時という。うんこの
ことを、あん、という。アンゴルモア大王という、黄室
用語である。俺のフランス黄朝という、健康なフランス革命
という。うんこを切り落とした、あん切りという。アンゴ
ルモア大王を切り落としたという、革命論である。アント
ワネットという、うんこ受けの、ツボの網である。
アントワネットの断頭という、うんこが落ちて網にかかって
すり抜けることをいう。これが、フランス革命の経験者と
いう俺である。黄室と深くかかわりがある話という。
【現時の黄身】
 俺のフランス黄室という、桐の便所の物語という。桐
壺のみかど、という話という。桐の紋が入った便所の戸と
いう。俺が深く関わる現時の黄身である。便所身の俺である。
深くあいしたアンという、壺深く落ちていったウンコである。
あいしたという、相、下、話である。これを、そうげ、と
いう、切り離したうんこのことである。現時の黄身という
俺である。有名な物語に出ている話という。

 『あれは、いつの御代のことでしたか…』という、書きの
所とぞう。フランス革命の書である。これが、枢要である。
 ルイのおうきみ、という、鍵の手の人という、鍵づくりが
うまかったという、『大便時には、鍵をかけるように』という、
ルイ黄朝の黄室である。またの名を、ブルボン黄朝ともいう。
 フランス革命期のおう室である。便所の話という。
アンゴルモア大王とは深いかかわりのある黄室である。
皆、健康のことをいう、アンゴルモア大王の話という。

 ペストという、ノストのアンコという、ノストのうん
このことである。黒塗りの桐の黄室という、ここを、黒
始廟という。アンが落とされたという、黒始の黒歌所と
いう。アンもなかの歌という、歌を歌う俺である。
あん切り横丁の歌という、『あん切りよってさ、見てさ、
それを、両手が、ちょいと、かおす』という、紙大切の
歌という。
 紙きらせば、大変換である、大変革という、大変という、
俺、語源の話である。祈ってやまず、という話になる。
黄室での祈りという、これを、黒始廟のミサという。
『俺の身さ』という、これが祈りである。御身大切という、
黒始廟堂の話という。ペースト紙という、黄色い紙である。
ペストがみ、という、紙である話という。

 黒始廟のミサがかりの紙である、ペストがかりともいう。
フランスのノストスの話である。同じ、黄室である。
ルイ王朝というフランス革命期のことという。今のことで
ある。
 仁徳の俺という、俺の黄室である、暗黄期ともいう、便
所へ行く袴着のことという。この時の心構えという、
【黄室心得】
一に袴を脱いだという、二に、下駄を履き替えるという、
三に求める、四に居なおす、五にきめばる、という、
五箇条の御誓文、清い文という、黒始廟のミサの祈りの
文という。俺の五箇条である。
 古く、村上の便所の書き物でもある。これが、俺の
『たうと』、である。とうといことという。大事なことである。
仁徳領お書きという、便所の要領書きである。

 どこの便所でも、書かれいわれたことである。古い京都は、
便所を黄室というのである。今でも、このように言う所は
たくさんあることという。
 仁徳便所という、便所の造りもある。網受けのある便所
である。仁徳帝お書きという、仁徳の庭のお書きとぞ。
たっとい文である。後、公衆便所になる、仁徳の便取りと
いう。便所掃除である。大切なことである。

 ギターのスレーダーという、うん切り音という、これを、
ノンメルという、ジャーン、ジャッという、じゃ切という、
じゃ切の切りという。桐の木で作るギターを、ヘという。
へもせば、という、桐の弦楽器の造りとも。
 音が、健という、健のすこやか音という、これが、健康
をいう、ギターの弾き手の奏する音の出しという、健康音
の出しという、ギターションレルという、レル音という。
 これを、げんきん殺、という、げんなま、という、ギ
ター音である。『げんきんな奴』という、『げんなま
ふぜい』という、ギター奏者のことでもある。スレー
ダーという、スレーダーの奏者である。
【げんなま】
 げんなまが、健康を呼ぶ言葉である。やなみらる、と
もいう。やなぎぜのぎたれく、という。ギターのやなせ
音という。弦楽器一般である。音による健康という。
健康がある音楽である。殺の言葉がこれである。札の
言葉にもある。神社の札とも。殺菌の話である。
音による殺菌という、古くノストという、後、ノスト
ラダムスという、フランスの医者の名という。
ペストがかかり、こくしびょうがかかる、みさの
かかりともいう。ノストルのお解という。

 紫宸殿階段四段目の話である。三重波の袴の話と
もいう。身おーえの前方後円墳とぞう。和歌山の
堺たっかく、という、ユーターンという、堺の
ユーターンという、リインカーンという、リンカーンの
町の、リインカネーションという、輪廻のことという。
うんこを、輪回しという、これを、リベレン、という。
後、リベンジという、後、リボルバーという、後、レボ
ルーションという、英語の掛かりの言葉という、俺の
えいはな落ちである、落ち語という、稚語(ちご)という。
俺は、英語元、という。『俺、はなふさ、ごもっとも』
という、現時の黄身である。

 俺の、落ち語である。
 ここまでは、輪島コネクションはさみ、である。
 後は、輪島コネクション本編である、前話の続きである。
 俺、予告。予国者という、よた者である。
【五黄】 
 『はっ、よたよたよたよたぁ』、俺始めという、黒始めの
俺である。黒い三重波である。よった波という、派波という、
大きな波である。見え初めという、初派の波という、きんじの
えり波という、三重波の衿という。下駄を、さはるる、という、
俺、仁徳の言葉である。ばくろうという、ごもっとも町という、
町子草という、雑草の聞くである。Mという、ごMottomoと
いう、五つの数の意味である。もっとも数という。中心である
意とぞ。これを、五黄という。黄室の五角相という。ペスト
レンという、ペンタゴンという、ペストという、五つの意味で
あるとも。五黄の話という。卵を五つ並べて、輪状にする、
【算盤】
これを、糸で結わえる、これを、ペストスレッドという、
五糸輪状という、このままゆでる料理を、五つ玉茹で浜という。
五つ玉算盤の出来という、玉に掛かる棒を糸という、五糸算盤
という。この、算盤を、さんばん、という、三番叟の、俺の
スト論という、ストローの弾という、ストロングの言いの英語
という、これを使う外国の国の言葉を、鋭語という、鋭国とい
う、ストローを、ストロングという、イスラエルとぞう。
これを、俺、語鋭という、語良いを、語エイという。
護衛という、エイエイオーという。はちいつという論語の
はちの意ともぞ。五の意味があることともいう。
 エイエイオーのオーが、その意味である。OKいう、手平を
たてて前に出すしぐさという、これを、町子草という、競りの手という。
古い株式市場である、魚市場の競り市場である。競り手という、
町子草の手ともいう。
【やなっ単やなぎ複】
 この町子草の手を、てで、という。手々。出町柳という、町
名の興りである。手を、やなよみ、という。『やな』の複数を、
『やなぎ』という、やなぎ手という、これを、てで、という。
手を振ることともいう。やなぎ手遣りはり、という、町を、
上文の五つ玉の町状にする町づくりという。丸い町という、
これを、みんたま、という、えん玉町という、後、円町とぞう。
【南面俺北面寝、なんめんがれおれめん】
 算盤の玉状に重ねる町を、棒状という、串町という、くしげ
通しという、櫛笥(くしげ)町、京に残る俺の町造りである。
仁徳京という、これを、マンダムという。マンダム造りという、
俺の造りである。勝ち通しの、俺負け町という、ヨイトマケ
という俺の、まいた種という、種町造りという、札幌ヨイトネ
という、この『ネ』が、寝るである。北寝(きたる)町という、
南面の俺という、これを、北面寝という。

 紫宸殿の、折り入れ混ぜの言葉をいう、紫宸殿は、そう
いう言葉である、折り入れ混ぜ言葉である。ペスト・ミサ
混ぜという。まぜらす俺という、これを、おれ入れという。
マドロン・パックの、マドラスという、ナイト・ガイを、
マイト・ガイという、マイトガイの俺である。
【真糸】
 真糸外という、糸だし算盤の、折れ入れ骨という、骨
という細い棒である。この算盤の造りとぞ、俺の考案である。
考えて出したうんこという、うんこ玉算盤という。五つ玉の
算盤である。これを、運指玉という、算盤の音を入れた曲と
ぞう。南米の楽器の、ぎめせめ、である。ギロという。
 その町の造りが曲である。大曲(おおまがり)の地名の話と
いう。おーれるロンレーという、算盤並びの町造りとという。
各国にある五番街、五番街町という、ペンタロンルレーとい
う。札幌がその一つである。算盤を札という、札幌の言葉と
いう。町子草の言いである、ばくろうの言いともいう。
まくろうという。『巻いて行く』を、『巻くろうて行こう』と
いう、札幌の五の言葉がつくところの言いという。
【札幌ベンタム】
 札幌を、ペンタムという、古い日の札幌の町とぞう。
このペンタムという、まくろうの落とし眉、という、辻上げ
顔の、おとりす、とぞう。りす町という、英語のリズがこれ
である。鋭語とも。俺、はなふさの解釈である。
リズタウン、うんこがかりである、リズ手のリミソルという、
言葉である。町子をリズという、言いをする、これを、リッツ
という。リミトスという、算盤立町という、算盤の添え具で
ある。この添えの町のことを、リズ町という、リズ手の造り
という。札幌がそれである。幌という算盤の添え用具である。

 リズ手いらず、という、いらこ草の町造りという、いらこ
という。町子に類する言葉である。この『いらこ』を、
すっぴんという。横浜べんびす、という、水に掛かる所の町
造りの、一用語である。造町論とぞず。平安京の造営、俺で
ある。

『桓武がおってさ、りってさ、やいてさ、』、津っさり歌と
いう、この桓武の造りの、仁町という、仁徳の語源の出とぞう。
これ、俺、桓武という。俺、仁徳の言いである。かんむりが、
それである。そのかん・むりである。『俺が、やらさぁ』という、
みえをきるという、三重波の着である。これを、後の平安と
いう。ごっぱんの平安京という。古くの長岡京である。
【新潟長岡】
 新潟の長岡京でもある。かんむり朝という、桓武の里という、
これを、かんむり、という。新潟の長岡の、ごっぱんれっく、
である。無里の里という、時間の空きの時のことを、空きかん、
という、そのかん・むりである。かんむり朝という、俺の
替え名である、仁徳である。広く、ひろのり、といっいた俺
とぞう。ひろのりという、広く乗るという、ジェット機の
空路である、これを、あきのそら、という、安芸の空の
迎という、空が出迎えるとき、という、これを、秋という、
ときあきの時秋という、時空の興しという、片翼三角、片翼
半月円であるジェット機のことという。前方後円墳の造りと
いう、円の所の設計とぞう、ジェット機の航路である。
ジェンジェフという、ジェックスという、せきすき、という、
海外にある、前方後円墳ともいう。エジプト・スフィンクス
がそれである。マーレルボエンという、母円の造りとぞう。
めぶっすうという造りとぞう。これが、エジプトのクレヨン・
パックである。たくさんあるスフイーとぞう、ピラフの楯宮
という、三角錐の宮とぞう。四角錐ともいう。

 三角錐を、モンピラーという、かんむり語である。、かん
語ともいう。冠語。モンピラーが門平の話である。
平見土(ひらみづち)という、ピラミッドの造りという。
エジスト、エジスという。おみせまのことという。
おかざりのま、という。部屋飾りのことである。ピアフ連里
という。四方に張った、エジプトのピラミッドという。
いじれるらんくう、という、みだるみそら、とぞう。
らんけき造りという。世界のかん、という。観。世界観の
造りという、世界論のおるれ、とぞう。世界を見る、おれんり、
という。連立の世界という。国際連の造りという。
アメックスという、アメノカの主という。アメリカが、主になる
ことという。アムレスという、アメリメックスという。メロックスが
主である意とぞう。アメリ風という、アメリのいよるり、という。
俺の話である。

 アメリという、上空に服風とぞ、竜巻のひの、横竜巻である。
すわんするう、という、スルーの英語である、俺、造りである。
横便落としという、する便という、するうれる、という、うんこ
風という、横竜巻である。長いウンコを横へ落とす、空襲である。
この便の落としの造りの風とぞう。空から降りて来て横竜巻になる。
これが、縦に並んだかさねぎ風という、これが、紫檀壇着である。
階段四段目の俺の清掃とぞず。そのかんむりである。うんこ冠と
いう。うんこの飾りの恰好という、それの斜めの冠とぞう。
紫檀段のつむじ風着という。三重波合わせ環頭着という。一般の
環頭着がそれである。ムームーという、あれを、横にした形という、
ムームー風という、環頭着風という、横竜巻のことである。

 ムームー風の言葉という、そのかん、という、むりである。
むり風という。そのかん・むりである。間無里相の風という、
かんむり風という、その冠の造りとぞう。斜めの円錐である。
段付きとも。これが、風の冠である。風暦山のお書きという。
みすこ町が、これである。長野諏訪とぞう。すわの地名の所が
それである。風の町という、アメリカの、『り』とつく場所
である。フロリという、メリルという、マルーという、マル
ーリの町とぞう。ファッセバのスペインの町である。

 イタリア、フロレンリ、後、フロレンスとぞ。
 ローマのロリ花町という、ロマノ町とぞう。南アメリカの
ペルー、ボリ・ビア、ぼみふみのお町という。たくさんある場とぞう。

【大切】
俺、大切なこと、『黄室は、王室より、えらいのや』という、
『これ、うんうんのこと』、大常識という、古くからの、
紙ながらの未知である。かんながらのみち。
本俺、のりなが、という、フランス国学を、おりまぜての御解で
ある。

 音階という、音のする階段、シシいでん、という。猪上がり
、ししあがり、という。ドレミのミは、どこであるか、3段目、
あのうすっぺらい下駄の音が、身の音である。カタカッタン、
カタカタカタという、木本の音という、
【三重波甍いらこ】
 三重波音という、古く仁徳音という、イに、し〜え、という。
いにしえ音という、色波づくしの音波、これが、いにしえよりの
見え波という、甍の波の音という。アメリ風、音、解という。
音の解の段、家並み履きのみかどてい、とぞう。

 屋根に落ちる雨だれを、玉音という。甍の波を履くという、
甍の波の拍である、音拍釈という、黄室の拍釈である。
便所で、うんこに一礼という、うんうんうんこのうん物語と
いう、音拍取り入れての、みえ会談という。お化け解釈という、
いらかのいらこ、という。そこの住人の脳使いである。

 これが、俺の、にん解くという、まかせとくの、とく使、
という。詩のぶん、という。
しのぶん・いにしえ、という。何事も、混ぜる俺である。
俺の脳という、脳中の、中心の脳、中脳の脳の働きである。
脳の、ここ・ろ、という、色波という、脳波のことでもある。
折れ曲がったという、脳の部分である。ブーメランの形という、

 みえ色波という、みえ色という、甍の波の色という、これを、
音の色という、色相楽という、ギターのスレーダー音という、
『よれば、すぐに殺す』、殺菌名手の音楽家、直殺(ちょく
さつ、ちょくさい)音弾観という、弦楽器の奏者を、ダンカン
という、甍の波の音を、詩(うた)という、雨音の『たうと』
という。これを、今上の垂れゆり、という、いにしえらしく、
いう俺である。

 あたら・いにしえ、という、今昔ものが垂れ、とぞう。
誰ともいう。今昔者が誰、という、勿論、俺である。
これを、勿・論という、俺、語源である。持論という、
スレーダー論拍という、ギターの爪弾きという、雨の音の
表しという、色相である。音楽の音の色、という、カタカッタン
カタカタカタという、そういう、ギダづる・スレンドという。
スレーダーという、かっそんれいてく、である。ギターの
テクニックである。殺音のことである。

 うんこま、という、黄室の隠しテクニックである。これ、
バラスという、バラの音あい、という。バラバラバラと
聞こえるギターの音という、古くの、じゃれじか、という、
ギターを弾くことの色よりの解とぞう。

 じゃーれじ・便富む、という、カタカナ書きをする俺で
ある。ベントムという、色相豊かな書きである。田んぼの
中の便べん豊かな俺である。

 ばらせる・ごんたきのお書き、俺なるを。
【色をいらという】 
 色を、いら、という、あの、かんむりという、冠語では
なく、間無理語という、かんを方言という、かんむり語と
いう、方言のことである。方角をいう、その場へ行く間の
ことを、かん(間)という、これを、いらの言いという、
いらという、間であり、方角である。そこへ至るかんを、
じ、という、道と書く。道をじと読む論とぞ。これが、
俺の論じである。論道という、ロンドー・メンソレという、
田の中の便所面向き、おもむく、はよれる、じじ運びという。
自分を、はこ、という、じじはこ、という。うん持ちの体と
いう。便所前の自分という、便所後の自分を、たみはき、
という。・・・・・・
・・・・・・・・・・、点の部分はもじである。
うんこ論相、たくましく、天誰点とそう。あまだれの垂れを、
誰という、これを、誰何という、水下という。誰何点山と
いう、和国録のお書き様とぞう。

 殺菌名手という、これを、そうさい、という、相殺(そうさ
つ、そうさい)の読みという、世を見るという、ギター・
レッスン・パークスという、イギリス、カレードンラックの
庭園という。日本の造りとぞう。日本風の造りである。

本編。
【弾琴、刺殺】
 これが、和国の古い日台貿易という、日宋ともいう。日宋語
という、貿易用語という、乙中という、沖士という、言葉の類
である。高雄語の訳しである。古い日の台語という、台湾の
ことである。琴でもあることという。事箏琴の台湾の琴という、
小さい琴もある、台湾の、みよまむ、という。日台盧溝の琴と
いう。盧溝琴という、日本の煬帝琴(ようだいきん)という、
大小の煬帝の琴である。この琴の弾きを、やかく、という後、
刺客という、刺殺という、刺殺者という、台湾のオーカルと
いう言葉である。
【久世、救世、くぜ】
 琴を弾くことを刺殺という、弾きてを、殺犯という。殺犯者
という。音楽の言葉である。琴の音を、くぜ、という、京都の
言いという。久世(くぜ)。これが、救世(くぜ)である。

 事の音をひくという、亡者の弾きという、目の不自由な人と
いう、その救世である。音楽に救いという、ことという。
【喇叭、救者】
 これが、喇叭の管楽という、ピッコロという、弾き頃である。
ピッカムという言葉の出来とぞ。
 喇叭手を、救者という。
 弾頃手を、援者という。
 楓手を、助者、助手という。フルートという、楓管という。
  これが木管の言い元である、楓管という。
 管の救いという、ファゴトという、ファの音の由来という、
 ミーファーという、歌語の意味でもある。
  ターユーという、相手をいう。
  ミーファーという、自分のことである。
 管楽の相手を、ミーターという、歌語の音楽用語である。
 この『ミーター』という言葉は、どこにあるか。茨の場に
 ある。茨管という、ファゴットという、ゴット管という。
正(やなぎ)。M25、れっせれ。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2560大原練習2460天の下2860 ANGOLA Bem 440穂浦・友の井 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou44108
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@-92上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1999/01/01柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@-92
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年04月05日

卒業4652ANGOLA Campo de arroz 440 俺4 田 (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/12/30 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4652京都船旅3552
古譜2552大原練習2452天の下2852 ANGOLA Campo de arroz 440田 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)  青森連幕


    創曲、俺
    造詞、俺
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
青の田を起こす 青い幕張り上げて
幕府 立ての水だし 流れ来る多々のいほ
青い稲 稲荷なる 雷の轟に 来る世は
坂 あが里咲きの桜 メノンのほうれ鈴に
鳴る かけ鈴音

 狐の天気予報。〇r1998/12/30
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

 輪島コネクション


ハード・ボイルド風 音楽による殺菌 目に見えない菌への対処4652節 D
【青田起こし】
 青と白の幕張り、たてよらの水を入れる。田のことという。
御所の水田の話である。横に芋畑が連なる御所っこそれ、
とぞいう。御所見の山のお絵という。めめてるるとん、という。
めっとぶ山のお絵という。御所の水田の起こしの景である。

 青白幕の鶴張りという。鶴が来るお越しの、めむと、という。
めむとれいてる、という。御所の古い頃である。仁武の幕張り
という。じんぶやっき、という、めんすずのおりるり、という。
これを、いよれる、という。めっせぬ・ぺんせる、という。
ぺらっ所、別鈴という。掛け鈴音という、すずねのゆかるれ、
という。鈴音の音みと、という。鈴を掛けて、幕よきに、水を
流し込む行事のような田起こしという。鈴が鶴をとる田のいざ
りる、という。めめそよの田という。田みそゆっきのお書きと
いう。御所田の古い話である。

 仁徳の俺の田という、俺ゆら田の、くいふら、とぞず。
仁徳の田起こしである。起こした後を、帝角という、帝訴とも
いう。訴上の、まなふり、という。田を興すことを、訴という。
帝訴の仁徳庭という、仁徳帝とも。田んぼのことである、庭の
ことである、帝の意味である。仁徳の庭にいる人を、仁徳帝と
いう、その世の言いという。仁徳帝田という。仁徳起こしの田
という、御所の浦の田とぞず。

 山の浜という、山地のいそれ、という。ここの言いの『にん』
という。人をにんという、でんにん、でんじんのたひと、という
。田人。これを、でんせる、という、田のことをいうことを、
じんみつという。にんみつ、という。仁密。田の語りである。
 とっきく、ともいう。田を、とれせめ、という。仁徳期の田
の言いである。

【日 付】2020/03/15 晴 
【場 所】転金地、三重仁徳ごぜ所、丹波ゆったみ
【指 令】持札金増殖 
【特 記】Machine gunによる消毒
【感 想】ウイ世である。
 そうきょうは、よい時です。
 
『そら、ヨイト、ヨイスルッケ、ロッコイサノス
 俺は仁徳、国興し、寝てる丹波の、やれ姿
 津っ所の屋根の、ころげヤナ』

 (津っ所の国・・とも)
  やれ姿:晴れ姿
 丹波じんとみの、よわっせごく、という、津っ所という、
 はれんせの言いとぞず。よわっぺる、とも。
 どんぱんこうろく、という、後、勝節という。
 負節ともいう。にんとくれっくせの歌という、どんぱんの
 仁徳項である。
  
  三重の津殺し--津頃穂国の市--
  津羽の項---津っ所屋根の館市(だてし)、青森だっち津--
  岩手れいぞむ、秋田ろんかれ、ロロックス---
  宮ってら、いばせる茨城、いばも茨巣、いそんす、
  島ぬもっこれ(島根)、とれせ(鳥取)、
  熊っ祖、山っつみ(山口)、おかっくく(岡山)、
  ざっかる(崎の場)、ざっくか(坂の地)、ざれす言いの
  地呼び。川ッ区れいてのヤッショマカショとぞう。
  ヤッショ:よい所の意、やざっく遣りとぞう。
  やっ坂、いよっ坂、ろっくくれてふ、とぞう。
  マカショ:にんでら言い。マカニンの闇言い。
  まけせらの言い。真の願を、マカという。
  『ヨイト、ヨイヤマカ、マカショラセ』
 
 俺の殺菌、頃はノストル期、黒こげの機がやってきた。
これを、養老波ペーストという、俺の三重波の袴である。
 指針殿黒苔指令という。これを、黒夏枢要という。
くろかす用という、クロッカスのおりかわ、という。

 黒を化す花機という。黒花瓶の、切り折り瑠璃という。
かきに、きをそえ田という、これを、にんざま、という。

 菌を殺すという、これを、黒祖という、即刻殺せ、という。
祖国殺しという。国を挙げての殺菌という。ばい菌消毒という、
『ウイ留守がよかろう』、消毒の頃という。
『消毒の頃、し〜や』という、お声がかりである。

 俺は行くという、これを、音無ロイコフという、真心願の
町ゆったむ、という。音による消毒という、殺菌指令の、
くろぜまむ、という。

 養老波のペストは、どうなったか、という、音無指し蕗百合
(おとむさし、ふきゆり)という、これを、クロッカスという。
養老把では黒死病という、黒く死ぬるは、菌頭の矢という。
菌をアローという、これが、夜菌のくろけ、という。

 この菌を、黒櫛のごわれみ、という。これが、串かつの
造りである。串勝ったという、串勝つる、鶴芝闇という、
これを、しようはな、という、がれぞれという。がれという、
俺という、これを、だれという。俺誰という。
誰すれの俺誰という。これを、すいかという。誰何。

 『俺誰』といわれて、『誰何』と答えることを、勝山まれ、
という。『まれは、ろいとせ』という。『俺は、ろりよって、
行くわさぁ』とぞす。これが、三重波の言葉である。
津所にいることを、『津っ所、れーずる』という。
『俺、津っ所、れいぜら』という。

 『金を消毒する』という、これを、消金という、毒金消法
という、この『毒金』を、もね、という。古く、まね、という。
これが、消毒という、戻しの言葉の使いという。

 あなせ山のお型という、あの人の賞金という、これが、消金
の消毒戻しという、言葉を戻すことの用いという。これを、
きんの働きによる、という。

 菌の作用という、黴菌という、少し古く、梅菌という、これ
を、売菌という、金という、金と菌の、うめがね、という。
徳川埋蔵金という、うめがね、という。梅が音(うめがね)と
いう、これを、音による、擦、という。これを、擦音の、
擦きん、という。

 ことによる、殺菌という。ことが、事であり、琴である。
暗殺という、刺殺という、拷問という、・・・・皆、音楽の
殺し屋である。音による殺菌消毒の、ころっきく、という。
健康の話という。

 金が転がり込む殺菌しょうほう、という、これが、転菌で
ある。ペーストまむれむ、という。しょうわほうを、あき・な
う法という。水去りあきない、という。あぁきる山のお絵とい
う。秋に、なうことという。この秋を、ときともいう。

 壬武愁冷の秋(とき)、四月しょわれさ、任としておもむく、
面向という、これを、ジンタックという、壬卓、壬沢。
このタックが、音楽のタックである。タックスレールゥという。

 たっくみかという、たくみの三日という、音の出しを、三日
という、これを、ひぃ、という。時のことをいう。音楽三夜と
いう、三日三夜(みっかみよさ)という、三日三夜の願という。
真心の願という、アーアル・デンズラーという。
殿の面の、あ有りという、阿蟻とも。紫宸殿下の御代波を、
みっかれら、という。カーレルという、かみすよのペレッソと
いう。これを、ペレスプという、後、ペレス・プラッスラーと
いう。ペレスプラの、みんさみ、という。俺の、ガンダムとい
う。真心願を、ガンダレという、ガンダムという。

 この『ダレ』を、俺という。この『ダム』を、和俺(わおれ)
という。これが、女をダムという、女が使う和俺という、
はおれっしょれ、という、はしょっ坂の言いという。後、
はしょという、波所。これが、紫宸殿下の皇地の俺の地下と
いう。この『俺』を、ノスレスという、ノストルという、ノス
トンという。ノーレルろんずうの言いという。ろんかす論と
いう。論・化す、という、論数という、これを、論という。
俺の論である。

 オレノロンという、菌の培養のことともいう。これが、ヘル
ストロン、減るすと論具という。後が、ヘルを、コロふれ、と
いう。コロフレストロングという。オレストロングともいう。
俺頭(おれず)の山という、これが、オーレルズの語源である。
これを、俺語源という。

 俺、津ぅよかった、という、津代の頃とぞう。俺、強かったと
表す、津の場の表しという。『津は、よかった』という俺の
心の波状という、派状という。派という波が出たことという。
『俺、強かった』という俺である。

 津の輪の言い表しである。『つわ』という、強いという。
これを、よわい、という。世の輪の井の有りとぞう。御所の
世輪井い、である、言いである、井意である。

 これが、俺の、まぜらむ法という。混ざれる数物という、数
物理という、理を論という。数物論である。俺が混ぜる人であ
る。これを、マザムという、後、マザームという、マッカース
ゥという。任すにん、とぞう。任すにんを、にんにんム、とい
う、八坂語に掛けた、マッカーサー旋法という。『まかすぁさ
ぁ』という、俺の津での言いとぞう。今も津は、『そうでさぁ
』という所という。マッカーサーの古巣である。この古巣を、
せきすき、という。前方後方えんえん論という。

 えんえんと続く、真心の願う、意という。前方後円墳という、
これを、せきすき、という。古くのコロポックルの言いである。
『頃、穂来る』という、オレノストン・ダーレルという言い方
の、かよられ、とぞう。ストンパーレクの山という。これが、
パレスサイドのパーレクという、晴れ須佐井戸という、パーレ
バという、俺の晴れ場である。俺パー、という。パーである。
パー出という、御所出のことである。

 にん説く論という、俺の名という、名という菜を植えていた
俺である。これを、名菜葉という、葉書という、『葉』が文で
ある意という。言葉を添えて、葉書書きという、これを、がき
書きという、派出の語源である。『俺、ごもっとも』という、
俺、語源という俺である。

 『俺っさぁ、津っ所出っさぁ』という、『私は津の出身です
』という、うたかった言いという、うたかったという、強かっ
たという連想の言いとぞず。これを、津うたう、という、津う
とう、という関西音便とも。

 『つうっとい奴っちゃ』という、『うざい』を、こう言う所
という、津市とぞず。

 俺をのうのしる、という、ののしる俺という。のう汁の家と
いう、せきすきの家(や)という、前方後円墳の中の俺の家であ
る。緑中家という、鳥舞上の家ともいう。これが、紫宸殿正装
の、三重波袴の意味である。にたん羽、にたん跳ね、という。
二丹波の三段目階段である、これが、俺の場である。一単平と
いう、今の世の袴のことをいう。一単平袴という、ヤーバン民
族のはき物である。日本民族という、一単平(いったんひら)純平
という、日本人の別称である。

 これを、俺、津の国という後、角国という、角の数用という。
角数論という。かくの語源である。各。核。

 閣が成るという、角成りの将棋という、正気の床几という、
床几で将棋を指す人を、われさるかま、という。土佐の高知の
城門前将棋という、城が見る将棋という、これが、土佐のしょ
うれん、将連、正連という。輪島ぶっざむ、という。
これを、邦連という、御国づくし、という、国興しという、
丹波寝という、丹波の国という日本のことである。

 やっさむつづれ、という、綴り方の興しとぞう。これを、国
邦文という、俺、パー論という、これを、俺っ句という、俺句
の、おりゃらり、という。和国という、日本とは違うように言
う、ざまさめの言いという、俺っ句である。

 俺、和っ国という、俺は国という平坦な言いである。これを、
納会という、のうえ、のうかい、という。落ちの意である。

 落ち春という、来た春とぞう。
 
『桜満開、この世柄、れいぜのやんべの、ふしみんす、ロト、
 ようれるを、なみよう来たれ』大學小唄という俺である。
 
『ろーれるを、岸辺やん辺の、ざっきゃんこ、ろーせの、
 ゆーらの、るりおんる、こりょ、ようききと、
 ろくろーせのみぃ』しみの歌。始皇帝をしみという。
  ようききという、楊貴妃のことである。
  明治の始楊はぶ、という、『はぶ』が歌である意。
  始楊歌のメッソレという、これを、メンスラーという、
  めったせ山の言い。挨拶という、『始楊・・・』と、
  語頭に言う、明治維新の初めだぜ、という。これを、
  はっしょる、はっしょれ、という。はれせら、という。
  晴れる日の明治という。清明時ともいう。明治御代、
  明治御世という、明治の時とぞう、これをはちじという。
 
 これを、スレーダーの殺音という、月琴のあんだれ、という。
八雲琴の、うんきん、という。雲の柄のあしらい、という。
あしあらいの、あしらい、という。あでの言いという。あ出。
金札山のお書きという。

 札張りの神社の柱とぞう。あで張りという。この行為の元と
いう。俺元の、降り元という。階段のことを、降り元という、
紫檀壇という、四段壇とぞう。よなみ、という階段の四段目の
こととぞう。

 四段目で、げったみを弾くことの意味を、すうはむ、という。
月琴すうはむの殺菌楽という、札金楽という。月琴三味を弾く
意味とぞう。四段目を、殺菌段という、札金段という。

 見えない日の、みまらく、という。誕生四日目を、みまらく、
という、指針目楽という、赤子の楽しみという。

 見えない菌を、せつらく、という、切落。切落菌という。
音による殺菌という。放射能による殺菌とも。楽器を使い、
歌を歌う、殺菌行楽という。放射能浴という。目に見えない
菌への対処の仕方である。ノストンという、ノーレル論勢と
いう。ヨーロッパのノストラダムスのことでもある。
俺のノーストン論である。

『よりややっぱの、ろんきんに、れれせるよっつの、かどら
 れて、こりゃ、ろうとくの、みそよ連れた』とぞ。大学数え
 歌である。おいどもっせの言いという。
 
『俺っつぁー、れんてら、より・るりっとく、ぐっどくると』 
 よい世の話という。上論である。殺菌数用、これなるを。
音による殺菌とぞう。

『俺っつぁー、札金さぁ、だんと持ってさぁ、つぁーれら』
だんとも山お言いという。

『殺菌、四段目で歌でも歌ってろ』、紫檀壇合唱という、
四段合掌ともいう。四拍手の四方拝とぞう。世回りれいぞう
の、よいのう、という。エーノーとも。田舎の言いの、
よいノーである。俺脳山のお書きという。よいのう山ともいう。
【ろどん】
『そら、ヨイト、ヨイスルッケ、ロッコイサノス』、ろどんの
言いという
掛け言葉である。古く、村上地の言葉である。紀州城
とも。宇和島弁ともいう。おどんの言いともいう。
日本、丹波寝の姿という。民謡お大切。
 
『そら、ヨイト、ヨイヤマカ、マカショラセ 
 ガンガン、ガンダム、よいとの世、
 わってめわっかの、よらふらず
 わっせら、こっきょの、よんれがら』

 和っ国わんせるの歌語とぞず。
【メノウ、メノン】 
よいを、『ウイ』という、メノンの言いとぞず。
ウイ世という、よい世であること。メノウの言いとも。
メノウを、メノンという、堺みっ芝、という、みっ芝区の
くみさみの言い。堺せきすきを、みっ芝という。これが、和国の
言いである。ミユン・ユッキスという、わっけすのりもせむ、と
いう。わっせむるうらく、という。わらすての言いとぞず。
歌語の和歌を、れと、れとん、という。これが、和国弓という、
弓を、自分という、和国の言いである。
『弓は、いれゆれ』という、『アイ、ごぅろく』という、これ
を、ろっくす、という。『アイ、ロックス』という、『由美、
行きます』という。弓と、由美の言いという。由美が、現代語
を継げる言葉とぞう。現代語に継げる言葉である。これを、
よっしく、という、よしくのれもん、れもんと、という。
もんせる言いという。れそるそのおき遣りという。えいみそ、
とも。和国録という言葉である。和国録-語、という。
 和国録のゆいまく、という、和国の興しの時の言葉である。
これを、にんさま、という、おひとゆた、とぞず。おひるり、
ともいう。和国の言いの、せめそめ、という。さて山のお書き
という。この『山』の言葉が、和国語である。日本と和国の違い
という。
 おうるれ、という。みっしむそうくく、という。和国のやゆ
せむ、という。れを、れゆ、れゆっとん、という。れぶせる、
という。れゆみのおいそみのこゆきく、という。
おうるれれんばの山という。

 『がれ、はゆら』という、俺をがれという。がれと読む。
『私は行く』という意。『がれは、ゆら』という、がれせるの
切りゆり、という。これを、ロメオという、ロメオのきすぐす
という。きれせるむみせめ、という。がんぜがっくすの言いと
いう。『がれはゆら(garehayura)、ゆらふ』がれんごのべべ
すべ、という、おべきた、という、べべの言いとぞう。べべが、
自分の意である。べれんすという使いとぞ。べべせめの言いと
いう。『おれんぜ、いいそ』とぞず。どれも同意である。
『あい、がゆはれ』の言いとぞう。『私は行くはれ』という、
はれの言葉を使う言いとぞず。『言いなはれ』という、今の
世に残る、がよの言いとぞず。
『言いぬ、よっぱれ』という、言いよくの言いという。
『いよれむ、めっせむ』という。これが、日本の古代語で
ある。八坂語である。やっつるめん、という、言葉の種類で
ある。日本古代山のお書きという。和語ともいう。日本古代
を和という、和語の使われることという。
 めれっせ・るうてる、という、言葉の意味の使いとぞず。
てめっせの山という。てよるりそりそ、という。言葉の名称
である。

 
 正(やなぎ)、A04、ろんとれ。
【御所五木】 
『おどんみょ なんもはれ、おそいそくらす、
 くめせゆらふうる、せみすまれ』
御所五木の言いの歌である。五木の子守歌という。
『おどんも(ん)、りりんたれ、るそめむ、ゆられ、
 れれす、さみしいいす、れれすらるる』
『みっしんむ、そんとるれ、れそるそ、みゆず、
 みれすらゆはむ、いそらくれす』
『おどんそ、れもんする、くれいす、こきる
  こみそ、こいろはむる、せみよらるれ』
『みばる、きじかり、それるす、みらる、れべぜ、
 ばすみはる、れぞゆうられる』

 
 おどんみょうのおべまもう、という。おどんぜという、
みよるっくす、という、御所の下のかごふり、という。
言葉を、どんかわ、という、どんこ、という。これを、
おどん、という。言葉をいう。ことせまのおこと、とぞず。

 おどんめんという、めんつゆの言いで、うどんのことである。
半分のうどんを、べりるはま、という。食べ物をはま、という。
これが、おどんみょうである。おどんみょうという言葉の種類
である。 後、おうどんという、食べ物である、うどんである。

20200330記。
【核弾頭】
2020/03/29
 『あい、みてた』という、日本の古い言いという、私を『あ
い』という、相と書く。この『あい』を『キミ』という、台湾
の『あい』である。これが、英語を掛ける『あい』の言葉とい
う、台湾が英語を使うことという。あい花という、言葉の、あ
いの言葉という、相、合いという、相合の掛けの解きという。
【事箏琴】
 古くの高雄の言葉である。この言葉が、そのまま日本でも使
われるひとの言いである。ことの言葉がこれである。事という、
大きな琴を、事という。事語という、日本人が使う台湾高雄の
言葉とぞ。琴におかれている。このことを、琴語という、古く
の、箏の琴の大きな事という、事箏琴という、台湾の言葉と
日本の言葉の掛け置きである。
【台湾公司】
 これが、茨のむ(霧)という、茨のむ、である。茨木の言葉に
ある台湾の高雄の言葉とぞう、コーシーという、コースーとい
う、台湾公司の言葉とぞう。官庁用語になった話という。
コーレグ、コーレクという、こうすまの言いとぞう。古い寺の
便所という場に使う、コートルミという。キミをいう、公を
キミという、これの使いを、行使という、その場が行司(コース
ー)である。茨木、寝屋川、離れた、栃落ちという、栃落(とち
らく)の場という、栃木の古い言葉にもある、栃乃木の植わる
場の言いとぞう。
【栃の木】
 栃の木を、キリという、霧社という、霧がかりの社という。
これが同じ場である。同堂の場という、屋である。同堂の解と
いう。山口のてよその、という言葉である。山口県である、
『キーミガ、ミテタ』という言いをする、青梅宮(おうめみや)
という、これが、も一つ西の、長崎ずんたっく、という言葉を
使う、朝闇月という長崎南の場所である。『キーミガ、ミテタ』
ということをいう、三重の津の城の言葉である。津城のミルセ
ルという言葉である。津にも、この言いをする所がある。
津の浜の言いとぞず。
正(やなぎ)。M25、れっせれ。
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2552大原練習2452天の下2852 ANGOLA Campo de arroz 440田 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou44028
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@441上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/12/30柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@441
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年04月04日

卒業4650 俺4 三重しらふま(堺こっしぎ)(壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/12/29 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4650京都船旅3550
古譜2550大原練習2450天の下2850 俺4 三重しらふま(堺こっしぎ) (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


  創曲、俺・正(やなぎ) 
  造詞、俺・正(やなぎ)  
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
半月機に乗りこみ  せきすき 下に 俺の
家は緑中 踏み入れば 蝶が飛ぶ 舞い上がる
鳥の挨拶に応えれば 国達興り来る 雲の白雲
思う父祖の地ぞ 守れ 紫宸の三重のしらす

 狐の天気予報。〇r1998/12/29
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
 ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風
20200404記。
【三重(さんじゅう)の前方後円墳】
せきすき:前方後円墳のこと。堰巣机、せきそうき、
 とも。堰巣つくえの造り、とも、後、明日
 書き読み、という飛鳥浄御あすかきよみ、
 という。緑中の、そう浜という。勉学の
 梅川見という。川由良春由良という。はりせる
 かっせず、という、春のういゆい、という。
 この梅の菌のことを、梅金という。梅のサルノ
 コシカケの菌という。はるせる、ろいほい、
 という。これを、ほぎかね、という。ことほぐ金
 の、闇そみ、という。これが、金を消毒する、
 きんぱき、という。後の、金春という。能の金春
 の流儀の意味という。のうののうの、という、
 『よいぬなは』という、『ぬ』を、野という、
 『な』をのという、『は』を葉という。
 よい野の葉という。これを、脳野、脳葉という。
 脳と野とがかかっている言葉とぞず。前頭葉、
 後頭野という、脳の見の、野の見とぞず。
 これを、『のうののうの』という、『ぬなの』と
 いう、よいのうの、という、『よいぬなの』という。
 ぬなはのお書きという。仁徳山のお絵という。
 仁徳の置いた残しという、仁徳帝の、みかどなぬ、
 という。庭の野という。
 ていやばんぜら、という、るるてるゆいさら、という。
 後、皿を作る土の見角という、けんかくのみかど、とぞず。
 
俺の啖呵 三重若山のお歌。
春霞 鴫立つ沢にジェランの飛び行き
堺みおくせ べっくせま 腰拳銃
靴音カッカカァ みどりぬぅ やられら
おりゆっとせ 満月の世の 添いすかれ
みみたみ ありらん れれるそいほれ
きるゆれんせらの歌。

俺 、語元(おれ、ごもと)。少なく切ってある
短歌の家という、うりみよらん、るりよって、
行き来(いきく)。フッフフウ。

革命の世である。梅金が転がり込むとぞ。
消毒の世、之れ、落ち春。金の消毒、
ゆゆ楽しきをば、語り語り、ゆいすま、
ありるられれ 、ヨイトショ。

そら、ヨイトヨイヤマカ、どっこいさのせぇ。
俺の啖呵は、あけぶすま、機ぃに乗ったる明け
時が、れぇせるろんすの、よみはるり(黄泉
葉瑠璃)。
音で金を制するとや。

『よみはむ、るりされ』という、よみのおおすられ、という。
おおすみ山のお書きという。おおるられれす、すみそつ、
れれて、いよよっとす、かみそゆれれそ、れそす、せてれ。
とよとよのよみの、ふりるり、という。るりふりの、
ありるらる、ろろす、とぞう。
歌の意である。
【青森秋田】
 青森秋田の、いよはんぬれ、という。いよの青ゆり、
という。
『おいら、りっきの、こみさむれ、ろうれるたんぬの、
ろろはぐぜ、れれてるさんめの、るりおんず』という、
瑠璃音という、青森のいだち、とぞず。いたつむいたち、
という。青森のいんさる、という。いんみのいよんず、
いよんのいっぴし、という。ひしらく、ろりるり、という。
言葉を、ろびつ、という、青森の古語という。青森の歌という、
青森の古語の冠話せら、という、かんぬやるの言いとぞず。
青森のずうずう便のことである。かんぬせら、という。後、
青森桓武という、かんせぬ山るら、という、これを、桓武朝
という。京のずうずう便という。べんさむのお言いとぞず。

 びんせまらっくの、ろんそむ、という。後とぞず、ろゆって
、という。ろんびす、ともいう。れれそる、いんさみ、という。
さみだるれんせる、という。まむすてのお言いとぞず。
青森の歌という、
『・・・隣のとうちゃんも、あっかした、、さむせるつっつの、
 みっかざれ』とぞず。仁徳の言いの歌語の青森のつっ、という、 
つつらつ、いいそむのおいそる、とぞず。
『おいら、りっきの、こみさむれ』という、れっとの言いの
みゆらく、という、青森ろろはんの、ごいよっくく、という、
くくれるるりはり、という。青森のずうずう便のことである。
句々張りという、くくちょうの山という。くくすむれんとめ、
という、とめらるるりそり、という。後、橇のことともいう。
 
正(やなぎ)。A03、そんす。そんず。

*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より
  秋残り世界文学全集 巻2
  『余は機械である』
   蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
   秋残り市史編纂員、余。
   秋残り市史篇絵巻物
***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2550大原練習2450天の下2850 俺4 三重しらふま(堺こっしぎ) (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou44008
   画商『曽端』俳画専門
   豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@619上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine 


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/12/29柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@619
Notice:Writer says,
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Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2020年04月03日

卒業4642 俺 堺ダッタム (壮強太陽):イカスミ柳


 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/12/29 。その日の記****。柳。 
**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
Click music piece
音楽
【曲名】 卒業4642京都船旅3542
古譜2542大原練習2442天の下2842 俺 堺ダッタム (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


    創曲、俺・正(やなぎ) 
    造詞、俺・正(やなぎ)    
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】火打ち石の音が入ってます。
【場所】
【作成ソフト】 
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
【歌詞】創郷 
俺の機は飛ぶ 前、雲の海 進み
行けども闇 雲の闇 切り抜けて行く
懐かし 故郷 優しい人 面影浮かび
遠くの雲が あの人の 微笑む顔描いて

   俺に手を振る人 よい笑顔 腰に
   拳銃 足 軍靴履く 機を降り
   歩む 懐かし 君の家 杉戸を開け
   藁葺き屋根の土庭 たすき掛けの君
   赤い帯がにおうて
   
『来たぜ』俺言い 君、うれしさに声は
はずんだ 紅紅に黒髪豊か しばしの語らい
笑い声の一時 遠い思い出 俺の故郷は
深い心奥底

 狐の天気予報。〇r1998/12/29
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
 そうきょうよい時です。
【和国、翁長国】

輪島コネクション


ハード・ボイルド風
20200402記。
【三重(さんじゅう)の前方後円墳】
21:17 2020/04/02
三重(さんじゅう)の前方後円墳、これを三重(みえ)という。
俺の墓所である。これの貝を、兜貝という。こうようの貝という。
三重の兜貝という、この言いに、友の島の言いとぞう。かぶと
がに、という、これを、仁徳訛りという。『俺ゆられる』という、
かいにの言葉とぞう。かいれる山のお絵という。
れれてのいいそみ、という。仁徳の俺の言いという。
 俺を、ゆうれる、という。この『俺』の言いの、貝を
『かに』という。三重の仁徳帝という。この三重を、仁徳浦
という、三重の古い名という。
 仁徳浦の、居れ浦見という、浦を見る、仁徳のいいゆみ、
という。いいそのれるふれ、という。れるっすれてふ、すみ
すれゆれ、とぞう。仁徳の浦見小山という、にこふるれゆれ、
そめるるれるふ、とぞう。
 ここを、みゆ浜という、みゆ浜の見えという。おーりる
山弓という。降りた機の弓はむ、という、弓はむけよくる、
という。これを、りゆっふ、という。りゆふれれむす、という。
俺のゆい春という。これをみた、という、花ゆなの、あうれる、
という。せゆせろろする、という。だまり山のおき、という。
めたの言い、とぞう。

また行くみやまの、沖の浜の絵の世、とぞう。
仁徳の行きという。古く、神乙(じんおつ)のお行きという、
今の、熊野古道である。深い山の家(や)という。山をろくとい
う、ろくるれてふ、という、俺が行く意味である。
仁徳の家という。めゆらるおけれ、という。
 また、堺の行き戻りという、これを、ゆたん、という。ゆ
たんの場の越え行きという。後、りたんばく、という。リター
ンバックの堺という、堺のユーターンである。
ゆたんりっくのお行きとぞう。
 鉄の町のお書きという。鉄工の興しという、後、製鉄という。
堺の寝の譜という、堺寝の譜という、仁徳の寝る堺の町とぞう。
これを、堺闇という。ここの闇のお書きという。本書である。
黄色い闇という、闇のお迎えという。迎えを後にする、堺闇の
遅れという。

 古い、八尾の遅れとぞう。八尾の遅れ町という。堺遅れの、
だんせむ、という。これを、遅れだんじり、という。遅れる
だんとむ、ともいう。
 遅れの大阪のいわれである。大阪そっほく、という、大曽
根の言いの紫の雪の降る曽根の崎の言いとぞう。曽根崎である。
この埼が、遅れ埼である、咲とも。遅れて咲く桜の、あまふめ、
という。遅れ咲きを、あまふめ、という。
 この『あま』が、落ちた天である。落天の曽根崎という。
落ち堺という、曽根崎である。この『落ち』が、咲くを遅らす
埼という、咲く埼の、しらりる、という。りるを、こいそみ、
という。小磯のゆっふら、という。ゆふらめとれの、おいふり、
という。この意味が、ゆふらのりり原という、曽根崎の原を
りりという。

 りり原の小曽根ゆり(おそねゆり)という。ゆりらる、俺揺れ、
という。『俺』が花山であうる言いとぞう。これを、曽根俺と
いう、曽根やらの俺らる、という。天が折れたという、小曾根の
言いのいとゆれ、という。後、はんそむという。はん曽根の
言いゆら、という。ゆらの言いに、おそゆりをいう。これを、
小糸山という、小糸の山という。曽根崎前の山である。後、
槍とぞう。小糸の槍という、後、和国家の槍より、という。
輪国を、つよふり、という。この言いの、堺を、にんふり、
という。にんふりの浦という、にんの浦のいよ花、という。
はりるりやらの言いという。
【三重波】
 これが、にんの言いより、とぞう。後、仁徳である。これで、
おわひま、という。おわれる山のお書きという。これの言い様と
いう、これが、俺の言いの様似の言いという。いいとせ、という、
言葉尻という。『俺、いいとせ、ゆいゆい』という。
俺の言いという。京の、ごぜ山句という、言いである。
 仁徳の御所とぞう。三重の浦波という、袴の、三重波とい
う、三段の袴とぞう。三重(さんじゅう)の袴ともいう。紫宸殿の
俺の正装である。三重波浦袴という、三段折れの袴である。
二丹波の袴という、四段壇の折り浜という、紫宸殿の降りた
所である。
 ここを、仁徳わっきそ、という、紫檀殿という、仁徳の
言いとぞう。三重の家(や)の言いである。三重山お書きとい
う。紫宸殿の京服という。からやま桜という、
この絵の服である。わゆれるおりらら、という。えよ
の桜という、ワオン・キッカスマという。ワオンの
言いの、イオン・トウブとぞう。ワオン・イオンという。
これが、、エーマイナーという、ビナマの言いとぞう。エー
マイナで、音楽の和音である。これを、イオントウブ音という、
和音言いという。
 エーマイナという、絵間の居間という。これを、エーマイナ
という、音楽室である。紫宸殿の奥である。俺の部屋という、
われせるふみゆり、俺の浦見という、俺の言葉の言い様
という。『このあのゆれふれ』という。
【机下】
 『このがきゃあ、なにさらし』という、何をさらすか、という。
この『がき』が、天端の言いである。『このがきは、・・』とい
うこのきか意味という、机下という意味である。『このがき』と
いう、机下の語源である。
 『このがきゃあ、何さらしやがって』という、『何を致しやら
るか』という、机下の言葉の使いとぞう。今の世の言いの、つい
はり、という。私の言いとぞう。この言いから、私という、
公用の私という言葉の出しという。公用語の出の、机下の言葉と
ぞう。これが、がき、の意味である。
 古くの俺の言葉の使いとぞう。『がきめら』という、自分を、
きがふり、という、古い山背の言いという。山背大兄という、
皇子(みこ)の言いである。山背大兄皇子という、堺のたんはみ、
という。堺の、がやりる、という。がっきゃらそんはむ、
という、言いとぞう。
【山背大兄皇子】
 山背の国の、たうと、という。たうと(ta-u-to)の言いとぞう。
『あな、たうと』という、催馬楽の言いの一種である。がっきゃ
すらっく、という。がきめく、という。
がれやらの言いという。『何さらすね』という、『さらしてや
がる』という、『何を致しあがれ』という意とぞう。『がっきゃ
せ』という、こわせる言いともいう。こも山の言いともいう。
 これを、俺の言いより、という、後、るりより、という。
さらす山のお書きという。今浜山のお書きともいう。
いかすかの言いともぞ。
 いかす俺という、ジェット機を、のめろる、という、じぇん
そむ、という。じぇらつ、という。じぇらく、という。ジェット
機のことである。これを、機という、記である。仁徳機の話とい
う、ジェット仁という、ジェットの機のお書きとぞう。仁徳帝の
言いでもある。『なにすわ』という、仁徳の言いの、でめすめ、
という。この『すめ』が、すめらるという言いの、すみである。
すみつぐという、すめらぎの意味とぞう。すみつぐの言いという。
すめらぎのことである。帝降地という、皇地の低い所である。
紫宸殿の下の皇地である。
【墓服】
その皇地の低い所を、墓服という、ここの着の服とぞう、
墓吹き服ともいう。帝皇服という。これを、こう山という、
こう山服という、唐草模様の服という。唐草模様の風呂敷の模様
の服である。おもゆらめ、という、おもやらの服山という、さら
す山という、さらせん、という。さらせん山のお書きという。
さらめるゆいゆい、という。
 おっきゃなに、という、沖縄の言いの出とぞう。おっきゃさま
りる春という。岡浜の言いという。おうゆる山という。おや山の、
おやふり、という。これを、みんらく、という。この言いの、
『さらしやがる』という、がるの言いの闇浜という。古い言い
の、こうはき、という。こうはきの言いという。これが、こう山の
言いである。
【うい】
 『ういして』という、ういういの言いの山浜という。ぜつの
うち、という。ぜいたすの山浜という。うちが行かない言いと
ぞう。さまのお言いの歌という、のをこす言いという。やめると
いう、やむたすの言いとぞう。それの山のおやお、とぞう。私を、
れお、という、れおんの言いとぞう、これを、りょう、という、
りょうぜる、という。りょう浜の言いとぞう。おりる山のお書き
という。おやまのふいうり、という。とみそゆの山という。
もういく山という。もうせるお言いという。がっきゃすいよむみ、
という。がきがきの言いという。めゆたす山という。もや山のお
言いとぞう。もういく話という。

 ふくみの山の家という、紫宸殿のことである。がきゃせる、
いいだつ、という。いん山の言いとぞう。今の山のお絵とぞう。
 小崎ゆらの、ごませま、という。くろせる言いとぞう。くろい
言いともいう。くろ山の言いという。いいせる山ふら、という。
後、侠客とぞう、侠客の言いとぞう。後、くゆせる、という、
これを、舎弟という、舎弟屋の言いとぞう。後、射程である。
薬の効きを舎弟という、射程ともいう。薬を射すという、
射薬という、この言いの薬のこととぞう。インターフェロン
という、御所のインターの意の引田である。
引田の山という。しゃたいのお書きとぞう。
【侠客】
 侠客を薬屋という、古い日本の言いとぞう。よく利く薬の
話という。侠客の薬という。
『なに、ざっかさ』という、侠客御所の言いとぞう。この言いが
かかる、『俺、きゃっくす』という、これを、ウイリアム・カク
ストンという、英国人の菜とぞう。ウィリールックという、英浜
の言いという。ういはいまな、という言いである。
『ういはい』という返事である。『うい』『はい』『ういは
い』という返事である。『ういよ』ともいう返事という。
『はいよ』という、『ういはいよ』の返事という。
侠客の薬屋の返事である。『うい』という返事をする、
ぞけごま、という。うちの言いとぞう。
御所内の言いとぞう。またの山のお書きという。ぬやら言いと
ぞいう。この『とぞ』の使いが、まゆせむ、という、またれる、
という使いである、古くの、さちの井の傍の屋の言いとぞう。
さちの言いという、明治世の言いとぞう。さっきゃすれっく、
ともいう。しんだ人という、におくのひとの弓、という。荷を
置いた人の言いとぞう。荷物という言葉の出という。荷をおく、
ということである。
 仁徳の『に』という、この『に』の意という、これを、
 仁(にん)という。にをおく仁徳という。荷物を
持つ人を仁徳という、御所の言いとぞう。からふりの山の
お書きという。
 この歌である話という。ジェット機のお書きかとぞう。
 さらせんの機ともいう。仁徳機という、シェット機のこと
という。 
正(やなぎ)。A02、わんれ。

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革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2542大原練習2442天の下2842 俺 堺ダッタム (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou43928
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@-90上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/12/29柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@-90
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽