2019年11月28日

卒業4265:イカスミ柳

文だけ

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/08/22 東京都庁。柳。
 2024/11/27 やなぎ。モスクワ支所。

**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 卒業4265 


【創曲】2019/11/27、柳晴
    創曲、紫 寝太郎・正(やなぎ) 
    造詞、伊勢宮 四・正 
    監修、ウインタテリウム・正
    訳、 冴柳小夜史・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
  ACID
  駄作SuperComposer
  バンドインボックス PG Music
【歌詞】創郷
 狐の天気予報。〇r1998/08/22
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
【東大講】
【歌意】

【太子道】
 チェヌホン冠話という、日本を、ジーリバという。
トーシェという、シェーシェーとも、ありがとうと
いう意とぞ。
 東京を、トンホンという、なぬやのそうきょう
という。中国洞庭湖畔という、そうきょう村という
村がある。柳カレという、柳を植える所の冠語とぞう。

 後、南京のようむるという、めよそのあいらぶ、
という、相添う岩山のあいれら、という。これを、
相添うのやめ、という。これの言いの、愛憎という。
相を、とゆけく、という。会うことを、ニーナイと
いう、これが、トンホンの登用という。冠語の中国の
ペーピン・ナヌホンという、平京 ペーピンという、
今の北京という。ここの古い言いである。

 この期の中国の冠語とぞう。冠れまの言いの、アイ
ノヌという。アイリバを、ようこく、という。この
ようこくの用いのあいそという、あい山のお言いとぞす。

 あいそをてそという。てその言いとぞず。あいそ
よい、ということを、マップという、ますてすという。
あい山のお言いのあいれるという。あいそのいもよみ、
という。このあいその言いの、けよるべ、という。
これを、にいよる、という。あい山の藤将という。

 あいしょうのよいを、あいらまという、あいせる
ともいう。あい山のお言いのあいもらるという。
あいもの言いとぞう。あい様ともいう。あいで、あ
い、出会いの意味のあいという。これで、あいそを出会う
意味という。あいその山のお書きという。

 おあいそという、あいその読みのいとゆす、とぞす。
あいそをよいという。これが、あいその意味とぞず。

 チェヌホンの意の中国の冠語の古い意とぞず。
中国をキミという、キミ語の意とぞず。このキミの
古い言いに、キヨという、これを、清う清れら、という。
きようきよれら、という。清(しん)の名の語源である。

 シンホンという、新京の北京という、この北京の
読みに、中音の言葉を使う、ホンヨンの言葉とぞす。
ホンヨンという、清のごろもの、とぞず。日本の日を、
リーという読みをする、リーホンのリーベルという。
ジーベルである。リとジの相の撥音という。
リーベン、ジーベンという、この中国の言いの日本を、
リーベルという、ジーリバの言いとぞう。中国語の
発音をいう。この発音のゆい浜のゆいさむの言いの、
日本の中国語という、これをリホンギという、ジホ
ンギという。ウォー、アイ、ナア、という、私は名
という、意とぞす。『私は、名といいます』という意
とぞず。これを、リムスムという、中国の始皇帝の言い
とぞず。これの言いの治雄語句語を、ナヌホンという。
ナヌホンのチェヌラルという。チェッソのついつい、と
いう。日本人のしゃべる中国語という。ウォー、シャン
という言葉とぞず。ウォーの私という、この私の山の
お言いとぞず。

 これを、韓愈の冠語とぞず。中国の、北京冠話とぞず。
後、かんゆそ、という。漢祖のお言いとぞず。日本の
中国語という。この言いの、チェヌホンという、ほぼ、
今の中国語である。この中国語を、太長という。太長
冠話という。このひの冠話をいう。

 チェンララという、チェンセバのおいふり、という。
この言いの、ふゆりる、という。ふゆふゆのおいゆら、
という。このひに、おご山という、ここの言いの山の
言いとぞず。

 チェヌをいう、チェスともいう。このチェスの意の
チイタルという、ちせまのおい山 という。おいする
やむせる、という。中国の清の頃の子千葉という。
四声を五声にとる、清の言葉という。ルー、サンシンホン
という。サンシンの意のこゆふ、という。こゆふの山の
おい山という。ここのおいの山の言いの、ふふゆる、
という、今の中国の言葉という。日本人の中国語が、
そのまま、中国に通ずる言葉とぞず、チェヌ、チェス、
チェヌホンとぞず。『ウォー、アイ、ナー、ノ』という、
『私はなの名前を言い取ります』という意とぞず。
これを、太子冠長という、聖徳の冠語とぞず。
太子道の冠語という、ここが、私を、ミーという、
『ミー、ファー、ナーラー』という、『私はならをいう』
意という、この冠語の出の場を、太子にする、太子世と
いう、聖徳の太子世の言いとぞず。
『ミー、ファー、ファーナ、フーハー』という、『私は
鼻をいう』 (花とも)という意である。

 これが、冠語の奈良時代の冠語である。太子山お書き
という。やゆやゆの言い、ともいう。御所冠話の古い
言いである。この言いを、のこの冠語、という。
のこ山の言いとぞず。のこ語とととも。

 ヌーヌハーナの中国という、今の中国の清の頃という。
この言いの中国という、同じである言いとぞず。始皇帝
のたい様、ともいう。これが、日本の新しい言いという、
新しいが、中国の清の頃である、冠語がはそれである。
中国の清の頃である、古く明の頃もそうである。新しい
という冠語である。日本の明治の古い幕末という、
江戸のこうゆうという頃の言葉である。

 庶民のカオハンという、冠語をいう庶民とぞず。
庶民が冠語をカオハンという、これを、こんしくという。
こんしくのカオという、カオハンのことである、冠語
である。この庶民が、江戸の太子のはま、という、
そこの民である。今の太子道の人である。これを、
みんたまという、民玉の太子民という、ここを太子
宮町という、今の太子道の人という。ここを、御所が
尊玉という、尊所ともいう。御所外をいう。尊所尊
という。御所の外の人を、尊所在という。尊所の人
という、この御所を、ひよらま、という。ひよの御所
という。中国のことのでもの、とぞず。『中国を出した
』という言いの意味である、中国の言葉を使うことを
いう。

 『中国語を話す』という、『中国を出した』という
言いをする、太子世の言い方という。
『アヌハーラ、すみすみ』という、太子の原の町、そこへ
行くという意とぞず。すみすみという、後、すすみ、
とぞず。すすむの語源である。すむすむ、ともいう。
行くことである。

 アヌ原という、アンの原という場所とぞう。『とぞう
という、これが太子世の言葉である。江戸、幕末、明治
初期である。この期を、めいろる、という。めいろるの
こより、という。『こより』が、頃である意とぞう。
こよりの言葉という、こよりの期という。これを、太子
道期という。太子道の期である。こより期という。
こより語という、チェヌホンという言葉を使う頃である。

 和か宮の話という、若の宮の言葉でもある。若山若狭句
(わかやまわかざく)という、和歌山と若狭が々ような
言葉を使う話とぞり。そり語という、福井の言葉をいう。
フックスという、『そうでぇ、えぇ』という言いをする
福井の地とぞる。ゾットスという言葉である。独特な
延ばしをする福井弁である。
【部落】
 このゾットスを、ナヌッチェという、ナヌチェのおこと
とぞいう。といせる言いとぞる。大和朝の末期である言葉
である。
『そうだ、アーな〜に』という、『そうるら』のお言い
とぞる。この調子の言葉を、奈良の調子の言葉とぞゆ。
奈良朝の言葉である。卑人という言いをする奈良の
ちょうという、今の非差別部落が生まれた頃という。
非差別部落に残る冠語でもある。今は、差別問題は
なくなったという、非人を差別用語として使っては
いけないという時である、部落差別をしてはいけない
という時である。

 部落にかかわらず、言葉を差別用語として使っては
いけないことという。あいそも、そういう言葉である。
部落の言葉という、差別用語であった時という。どん
な言葉も差別用語にしては、使っては、いけないこと
という。

 チンドンの言葉という、朕鈍と書く御所という、
差別をとる言葉という。珍鈍という、チンドン屋の
ことという。朕を、どんという言葉遣いとぞず。
『どんは、行く』という、『朕(陳、珍とも)は、
行く』という意とぞず。ちんどん語という言葉である。

 自分をどんという、鈍行の語源とぞず。朕(陳、珍
とも)行ともいう。れが、差別用語の始まりである
というね部落の発生説という。奈良期に発生したという
一説である。冠語が残る部落という。

 部落が冠語である。通常の言いという、部落を、あざめ、
あざま、あざ、という、部落という冠語の意である。
あざのことを部落という、冠語が元である。

『イッチョン』『チョンガー』という、部落の言葉
である、今は聞かない。これが残っていた期の言葉で
ある。部落解放の結果、なくなった話という。
【古大宮御所】
 チョルヤラの言葉という。冠語の言葉である、
部落の言葉である。『イッチョラ』ともいう、冠語
であり、部落の言葉である。天皇のことをイッチョラ
ともいう、他の意味もある、冠語である。
御所の、ひといまという、そこの碁の言葉である。
 真ん中に打つ碁石という、これを天という、天皇
という、これを、イッチョラという。碁石を打つ人
をもいう。冠語である。石様にや御所という、白川
御所の隣である。大宮御所のある場所である。今の
御所の古い御所である、古大宮という、そこの言葉
である。
『イッチョーラ、ハンナラ』という、清の頃の中国語
とぞも、とぞる。『行く』ことをいう。碁をすること
をも意味する。五をする人を、古く、天皇方という、
これを、のう、という、わしという、碁用の人の言い
という。天皇方語という、古大宮の言葉である。

 そうきようの、よい世間、ありて妙らら、おるる
そよふる、という古大宮の御所の言いとぞる。

 そうきょうのよいお書き、これにて数有。数用の
話である。

そうきょうのよい時は、


です。


そうきようのよい時です。柳うぇ、天神。
//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□■ 
 そうきょうよいお書き、貝を拝む人である。

【日記の効用】 

貝暦、いつもの時間。
  日当たりよい浜、川へ行く。柳。

 ある貝の日記、より。
    
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*La rivoluzione e guadagnare salute e sicurezza.
Strumento di rivoluzione:
Ginnastica -- sano
Musica -- Canta una canzone
Con salice etc.
Tutto ok. Lunga vita.
L'italiano e difficile. sokyo--miglior giorno
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2165大原練習2065天の下2465 ANGOLA Algas marinhas 友ヶ島6海草 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou40158
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@635上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/08/22柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@635
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽