2019年11月25日

卒業4259ANGOLA Vindo novamente 友ヶ島9再来 (壮強太陽):イカスミ柳

卒業4259ANGOLA Vindo novamente 友ヶ島9再来 (壮強太陽):イカスミ柳

 過去をよくする会。日記の効用。過去の日記に、一言、
どこでもよいから、『やなぎ』と書き入れましょう。
これでその日がよくなります。今日も書き入れましょう。先の日記にも
書いておきましよう。先の日記に入れれば、未来の安全健康、
先取り予約、になります。
 1998/08/19 長崎。柳。
 2024/11/24 やなぎ。北京。

**馬にはのらない:健全家
**そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
**字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
**かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
**そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
**天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る


駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 卒業4259京都船旅3159
古譜2159大原練習2059天の下2459 ANGOLA Vindo novamente 友ヶ島9再来 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌) 


伴奏譜

【創曲】2019/11/24、柳晴
    創曲、紫 寝太郎・正(やなぎ) 
    造詞、伊勢宮 四・正 
    監修、ウインタテリウム・正
    訳、 冴柳小夜史・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー カワイ社
  ACID
  駄作SuperComposer
  バンドインボックス PG Music
【歌詞】創郷 
いつの日 必ず来る そう思い暮らして
過ぎに過ぎた 古い子供の日忘れ
広告を見たら ふと 見た景色と
思い出し 行こう 決めて訪ねた
故郷 消えた日が蘇り 我が過去
鮮やかに返る

 狐の天気予報。〇r1998/08/19
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【大和奈良】
【オリンピックに向けて】
安全政府、健康政府。国民皆健康。
【東大講】
【歌意】
【友ヶ島野奈浦、脳】
 脳を思う。
 脳野ことを、うよふ、という、他に、やなふ、やなぎせ、
・・・という。
 この言いの考察を、脳の考察にすることに、やなお、
という言いをつける。これを、メントク、という。
冠語の、ぽいはむ、という。ベルレルともいう。この
ベルレルの考察という。冠語をとる脳のこう山という。
脳の働きの、こうよみの言いとぞず。これを、トモの
言いという。

 『トモ、めれくく』という。トモを自分にとる言い
の、こい浜という。れが、冠語を使う、貝春という、
自分を貝という言いをする、貝場の冠語という。

 冠語を山の言葉として、これを、通常に使う、
冠語を使う意義という。冠語が御所の言葉である
ひぃに、通常に使う言葉という。脳を見る言葉が出る
話という。友ヶ島冠話という、冠するてよはむ、という。

 文を考えるひに、言いをとる脳の考察という。脳を
ゆみはる、という。ゆみの言いに、とうける、という、
めよはむの甥、を言う。これを、れよんす、という。
れれての山のお書きという。文を矢間という、言いが
これである。話とも。
【友ヶ島尤常】
 友ヶ島の言葉の、トモをとる、これで、考察をする
友ヶ島尤常(ゆうじょう)という。トモ語という言葉に
する脳のことを、てゆ、という、てゆさむ、という。
主として、脳を説いていく言葉とする使いという。

『トモ、ゆむる』ということのいいとぞす。
『トモ、よまむむ』、浜を見る話しという。
 これを浜ゆまという、浜の山野おゆやむという、
ややむりりくす、という。りり山という。
 この言葉が出る脳の働きの場とぞす。側脳の山の
お絵という。側脳の働きである。
【側脳】
 側脳の『ト』という、言葉の出しとぞる。側脳から
出る『ト』である。これを、大脳のゆま浜という、
大脳の『モ』という場所の受けとぞす。これで、
『トモ』を出す脳の働きという。

 『ト』が、みるかわという経路を通る道という。
脳の中の脳道とぞす。これが大脳の、つおふま、と
いう、つおの行き、という。つおの行きで、トモと
いう言葉を出す働きの解析という。

 これを、トモのほうきき、という。砲の見を、脳
による脳の、かいさく、という。開く意のかいに、
さくという削る言葉をつける、レンガの加工という。
レンガの加工を、かいむく、という、友ヶ島の言葉
でおく、れんとめ、という。れんとめ語の山という。

 『トモ、ゆられ』という、自分をゆみという、この
『ゆみ』を、高槻語の『ゆみ』におく、これを、
きみさむ、という、きみの意のゆみという。自分の
ことである。きみともいう。

 これが、将校をいう、将校という、将のまさろく、
という。この『ろく』の掛かりが起用殿『ろく』に
なる時が、ゆゆさる、という能の時間という。この
時間を将という。将という、船が着く時間である。
将時という、時が補いの言葉である。この将時が、
正時をいう、正時の言葉の言いである。毎正時と
いう、12時きっかり、という、13時きっちり、という。
【浦帆】
 これが、脳のはもせむ、という、はるれるのかい
ふら、という。かいさまのゆい浜という。ハーレル・
ルースーという。この浦を、うらむめのうの、めめ
せむという。この浦帆という、『この浦帆に帆をあ
げて・・・』という、『この浦、船』を、帆という、
友ヶ島の言いという。浦帆の言いに、かみゆりという、
帆を髪という、人の髪に見立てた、帆の裏山という、
野奈の山である。山颪の風を、やちすち、という。
やちれるという。やちろもいう。この『や』が再び
、風である意とぞず。これが、返し風が吹く、浜の
ことである。髪ふりやりるく、という。髪の歌であ
る。髪振り乱すという言葉がなるとぞず。出ること
をいう。

 脳の髪をいう、脳の側脳を、いよせる、という、
いよせのか、という。脳の側脳をよる全脳の働きと
いう。みずらみずちという髪型の意義ともぞふ。 
側脳をよったみずちという、みずら結いのこもゆり、
という。この言いがトモの言いとぞず。
【こもゆり】
 島では、みずらを、こもゆりという。この『こも
ゆり』が、側脳を意味する脳冠そめという。脳冠の
そめ山という。脳冠が言葉を出すことの言いともぞ。
脳の冠という、脳の幹のいっつという、上である言い
とぞず。側脳の山のお絵という。
【正則】
 そうきょう側という、そうきょう則である。則を
言葉という。正則の言葉という、正しい言葉という。

 外国語のアラビア語が、正則をとる言葉とぞず。
アラビア語を、アラビア正則(語)という、アラブの
将という、アラビア正時という、アラビア語が、
まおゆきの言葉である。『まお』という、紫雪の降る
場のいたふり、という、意味そわのよいはり、という。
ルールルーという、雪をめでる言葉である。

 アラビアの、しっかむ、という場の雪の色という、
紫の色がふる、この紫を、ゆみ紫という。京の青が
かりの紫という、赤むかがりともいう。

 これが、東京の青紫をいう、京江戸むら、という
色という。東京の言葉で京紫という、赤紫をさす場合
という。現、日本の言葉の使いである。
【脳の島】
 脳がかかる紫という、紫の色のこととぞふ。紫を
最高位の色という、言葉の意とぞす。友ヶ島の一意義
である。脳の島という、脳山のお書きとぞず。
【兜貝】
 紫をとる兜蟹、という、かにの貝の言いとぞず。蟹
と、貝をいう。貝を蟹という、野奈の言いとぞず。兜
貝がいる野奈の海という。野奈浦である。浜にワカメ
畑がある話という、この畑へ来て、体を逆さにして、
ワカメを食べる兜貝の姿に、せるれる、という、貝の
言葉をよる、貝せら、という、貝語である。シェーと
いう言葉がそれである、他に、ターという言葉とぞう。
【シェー】
 シェーという自分という意味である。『シェー、ロハ』
という、『自分は行く、たべる』という意の冠語である。
大冠民語という。冠貝という兜貝である。大きな貝で、
30センチ程ある安紋の貝という。紋にした貝である。
たくさんいる貝という。島貝ともいう、島そうのゆま原
貝、とも。『ゆま』を『うな』という、海である意とぞず。

 貝山おり落、これとぞず。貝を尊ぶ貝塚の造りという。
貝の歌とぞず。貝様のうゆすゆ、という。これを、大
冠貝語という、後、介護とぞず。介護冠語とぞず。

 貝という脳より出でて冠語という、開口の山という。
邂逅を、かいごと呼ぶ読みとぞず。島の言葉である。
巡り合う貝という、後、会合である言葉とぞず。

 う山々ありせら、こゆふるせるてる、とすゆす
れれする、すみっつ、という、ここへ住んでいたことの
言いとす。言葉が、貝山冠語である。『すみっつ』
という、みっつ掛けの言葉とぞず。炭、墨、住み、の
意とぞず。
【やな、やなせ、やなぎせ】
 脳を、やなという、やなせという、やなぎせという、
他にもある、脳の言いとぞず。やなぎという言いという、
やなぎせ兜というこれを、かんむる、かんせる、とぞず。
冠という、柳冠である、正冠ともぞ。

 柳という言葉の出の文とぞず。やなぎを重んずる御所
である。尊所という、柳の植わる野奈浜の場とぞず。
尊所柳という、尊所正の場である。やなぎ冠の浜と
いう、正当の言葉の出しである。しょうかり、という。
仮冠島という、加冠島、蚊冠島という、三つのか、と
いう、みっつ掛けの縞の呼びという。山禍島ともいう。
かわふる山という。トモの言葉の島ともぞる。
【島冠】
 友ヶ島、島冠るく、という、島冠島の友島のお書き
とぞず。島冠という、山形の冠である、三角帽とも、
島冠という。頭に蟹のような表しをする、子供の折り紙
遊びの帽子とぞず。幼稚園へいけば教えてもらえます。
大人の共用という、折り紙の三角帽子である、子供
あやしの若い人という。

 昔の鶴の折り紙という、下へずうっと繋がるように、
足を出す折り紙とぞず。上へひっかけて、下の折り紙を
吊るす折り鶴とぞず、友が下折りという、友ヶ島折り
とも。

 そうきょうの島という、この島の言いとぞず。
『おりてそ』という、このひの言いとぞず。竜の子
島という、竜子島という、友ヶ島のことである。
子供を竜の子という言いである。その言いの島である。
【竜子城】
 古い日の行きという、竜の子島の、竜子城とぞず。
島全体をいう、この島の城という、浜から三角の城
様の建てとぞず。電波塔の建てという、これを城状
の城とぞず。山頂に三角形の屋根の城である。
五層の屋根である。
【みずら】
 みずらという、卑人髷、非人髷である、卑弥呼の
卑である、この髷の貝である。自分を貝ということ
とぞず。
『貝、しょうす』という、『貝、しょうざく』という、
貝の解きという、髷を解く、解消という。梳くの意も
ある。貝を梳くという、『すく』と『とく』の同意
ともぞ。貝の地という、頭の髷という。貝髷という、
みずちの結いである。この御所を、友の御所という、
貝の御所ともいう。御所の池にいる貝である。皮に
もいる貝という。からす貝という、からす髷の
からすみずち、とぞず。からすみのすみという。
からすみ料理の御所という。貝料理という。
からす丸貝という、兜貝のことでもある。出しに
使う貝である。

 そうきょう側脳よいお書き、はもゆみ。
【日記の効用】 

貝暦、1959/12/18、昭和34年12月18日いつもの時間。
 山茶色にして、水、透明である。柳。

 ある貝の日記、より。
    
*****
革命とは、健康と安全を得ることである。
その方法は、体操、音楽、柳を手に、等々、よし、長生き。
*The revolution is that you would get health and safety.
Tools of revolution:
Physical exercises -- energy
Music -- sing a song
Willow -- with willo, plant willow tree
etc.
All right. OK. Long live. sokyo--the best day
It is difficult for me to write english.
english ---- difficult
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "ANGOLA report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜2159大原練習2059天の下2459 ANGOLA Vindo novamente 友ヶ島9再来 (壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou40098
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者そうきょう@402上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1998/08/19柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。楽譜の作曲者名、作詞者名等は
もちろん、私が勝手につけた名前で、ええ加減に書いて
あります。実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、
本ブログ著者小林壱裕です。記事は架空です。
著者@402
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽