2019年06月22日

卒業3828ItaliaNortololl 北の商(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3828京都船旅2728
古譜1728大原練習1628天の下2028 ItaliaNortololl 北の商(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/22、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 
北の町、商 はわぜ咲く 田中 夏風
通う 室の山 ここへ降りきたら 大木
楠森 木見 葉は豊かに世 ゆらす東風
空 青い風吹く 川に とりどり集う


 狐の天気予報。〇r1919/03/17
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【御所】
【オル】
 若い人はいう、『せは、行く』という。八坂語の'せ'である。
そして言う、『'せ'は行くという意味である』という。『せっせ』
という。そして、また言う、『せっせっせ』という。

 これを、八坂みっから、という。みから語という。これが朕と
いう言葉をつかうまでの御所という。御所があった頃という。
『せっせと行きます』という、せっせっせの御所という。
これを、いみゆわもや、という。京童の、せっせっせ、という。

 せっせと行きます、この語源が、この、せは行くという、
言葉である。せせという、私は行くという意味である。
せせせは行く、という、という。せせせせは行く、という。
これを、ぜんぱ、という。ぜんくくの言い、という。

 私は行く、というのを、せせ、という。かよふす、という、
みたび屋のいそゆり語という。せせ、せせせ、せせせせが、
私は行くという意味である。

 『私が行く』、これを『行く』という。これがみたびの言い
という。私が行く、これを、また、繰り返すことの言いという。
行くを、繰り返す言いである。
『行き行きて、また、行き行く』という、『行行重行行-こうこう
じゅうこうこう』という、『行行復行行-うこうふくこうこう』と
いう表現という。

 『こうこうじゅう、ふくこうこう』、重複行行という、これを、
通勤という、今様の人である。『せせ、かよう』という。『せせ』
が、私の意味で使われた話という。

 『せは行く』という、これを、背の君という。『せっせっせ』
という、おじゃみ遊びの京童という、遊びの中の言葉という。
御所があった頃の言いとそ。

 これを、きょうま山という。『せは行く』という。後に、
赤ちゃんを、背の君という。これで、背の君に敬語を使う
京都という。『この人は、いかはるんや』と京都方言の敬語
である。

 さて、君という人は、偉い人という、明治の君という、大君
という。背に抱かれた赤ちゃんを指す、大君という言いという。
京都方言の、赤ちゃんに使う、我が子に使う、敬語である。

 これを、大君の都という。御所の初期の頃である。この御所を
大君の御所という。『我が大君は、いでまさね・・・』という。
紫宸殿の言葉である。『行って、今は寝ておられる』という意味
という。これが、紫宸殿の、まさね(正寝)という。

 この解釈は、ついの御代のことか、紫宸殿があった頃という。
紫宸殿の初期の頃である。御所がなかった頃という、ここの現時
の君であるという。

 これを言う、幸の井にいた若い人という。『我が大君は、
いでまさね』と言うた人である。おじゃみ遊びをしていた若
い人という。おじゃみを玉と言うた、おじゃみ千本という
遊びである。

 若い人のいう明治時代である、幸の井の横という。
この御所を、おじゃんぱ、という。しのほうとく、という。
おじゃれら、ともいう。

 しっかりと明示する現時である。若い人のことである。かの
帝(みかど)を掃く、という、これが古い京都の言いである。
箒を持つ人を、帝方(ていほう、みかどかた)、という。

 これを、ほう、という言いとそ。『ほう、持ちて』という
掃除には貴重なものである、箒のことである。

 みかど三味線という、箒の音という。そういう頃である。
紫宸殿は、そういう所である。

 紫宸殿御所という、前身を、みかどろうほく、という。
御所の初期である。

 この頃という、若い人は言う、『せは行く』『せせ、行く』と
いう。『せせ、ためり』という、背の君という御所という。
こういうて、ジェット機に乗った人である。

 『ためり』という、ジェット機へ行き、それに乗ることをいう。
 
ジェッセブリッツクという。めゆれ、という、ジェット機のこと
である。紫宸殿御所では、そういうのである。これが、にやさよの
言いという。ににぎの前のことである。ににぎのという、にに
ぎの原という。御所のなかった頃という。そこの『にや』という、
宮のことをにやという。ににぎのにや、という。原っぱである。

 若い人とのいる所とそ。ににぎのにや、にいる。これを、
きにいる人という、きにいるひや、という。木の下にいて、
ひんやりしたことという。山谷に室があるという、名歌に歌
われた、木の下という、サヤニムの豆が 植わっていたという
、さやよはの機という、ジェット機である。

『せは、行く』というためりせの人である。横に鉄閣があり、
トラック・ボールという、せよれら、という。紫宸殿御所で
ある。

 せは、言った人である。紫宸殿御所へ行ったひとをせという、
せせる山のお書きという。私はせ、という意味である。せは、
わたしという話である。

【商音】
 北の商という、商の町という、そこの若い人である。
羽柴秀吉を、 ハムゼ・フードーという。
織田を、   ヨリヤラ
徳川を、   ハロー

にんれまという読みである、商音という。

ハムゼ御所という、羽柴秀吉の御所という、羽柴御所という。
紫宸殿の読みという、ハムゼという読みである。羽柴ながゆり、
という、はおすくれる、という。めるれるせてゆ、そそす。

【劣等御所】
羽柴秀吉を、 ハンソム という。
織田を    ソリ
徳川を    メズ
京を     レ
これが、ソテレという読みである。ハンソクともいう読みとそ。
この御所を劣等御所という。オトルという、自分を表す言いである。
『オトル、ハッツ』という『自分は行く 』という意とそ。
『オトル、ロ』ともいう。ロメセフという、劣露御所である。
『ルーリラー』という、リリカラという、りんりての読みという。
カラを越え、音という。カラオケはこの御所の言いである。音の
ことをいう、クーリルという、クーセマの声音と言う。カラオケの
一解である。 

そうきょうのよい話である。

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Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1728大原練習1628天の下2028 ItaliaNortololl 北の商(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou8288
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2019年06月21日

卒業3826ItaliaInterrun インターラン・サヤニム(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3826京都船旅2726
古譜1726大原練習1626天の下2026 ItaliaInterrun インターラン・サヤニム(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/21、柳晴
     創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】イタリアン・フィナーレ
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 
山谷に室がある 入ればひんやり冷たく
夏に来る 周りは緑木々 北の山から吹く
風に誘われて 再び来た山奥 ああ愛しい
木々よ 木々よさん 葉がささやけば
夏こそと 凸凹道を走り来た 岩室の
空気温泉

 狐の天気予報。〇r1919/03/16
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【御所】禅山御所
【瑞典】
 若い人は言う、『今日は瑞典を見る』と。
瑞の山をみたとそ。これを、こいはな、という。瑞山楽家の歌
という。能を催した、とそ。これを、もうて、という。はな
よもの能という。ずみくの板の間という。

 そこで、すおみを舞うという。今日は、ろろゆらのかぐろ、
とそ。かぐろれっかの歌という。れんべるという、すきすわの
そち花という。花れる山という。花の山の宇という。めるふる
れえすのこんぴく、という、瑞の舞いという。
スタック・ローレン・ファールグとそ。すたれるさんすう、と
いう。二千円の舞台という、これを、宴場という。二千円の
スタンツという。スタンに見る能という。これを能ふ、という。
ノーレルソンズーの歌という。ゴーマのゆき、という。
ゴマ寺のふ、という。ふりふむ、やおとせ、やおとよのいっぱぷ
という。ここを、めせふくという。北の山のお書きという。
能をたっとぶ舞いという。舞いらるさまのうき、という。

 うき花の世のこといき、という。スタック・アインツの御場と
いう。円筒上の宴盤という。これに、舞うという。思えば、
月を夢と言うた頃の宴上である。宴上というスタンソの位置と
いう。

 この宴盤を操るという、トラック・ボールの歌という。
『我が世ありて花げ、ととよするるへ』、とみとよをとる
れと山げ、せせるす・すむるけ、これを、よんめ、という。

 若い人が舞いを舞うロトロソの舞いという。めつめつの山と
いう。いの花の歌という。操縦を舞いという、この日の
おてゆたという。

 スタック・ロンズーという、スタッセル・すす花という。
周音の国へ行くという。瑞典をそみという読みの国である。
すおみという、そせの山という。ここに、せりくり、という、
ゆとせらのゆ、という、これを、ぐぜくり、という。
スタック・ローホンの山という。

 宴盤をレフという。レフらるとんぺ、という。スーレル
レースーのついほ、という。これを、ノーベルという。
ノーベルレンの山という。そみしょよ、という。れつふつの
山という。周せられんのいきふり、という。スイスイ国
お書きという。

 ノベラスイの数御霊という。スイを、みかゆき、という。
これを、数霊語という。すめらすい、という。すべ山の絵
という、かずれるれむそ、という。
これが、全部周音の言葉である文という。
一部、数霊語が混ざる文である。ここ花のお書きという。

 ズロッスという、御母の御霊という、尊いものとそ。これを
置く花の屋という。スーレルロンレールという。レテそめろう
のやと、という。めるれるれっすのくゆふき、という。周れる
山のお書きという。

 ここ、ストックホルムという、スオッピーという、れれふ
るの瑞典という。瑞をあげる、という。機は、垂直にたって
海をいく。はじかられる海という。浜辺へ大きな岩をあげると
いう、添いの浜辺という。大きな石があげられ、機と同じ高さ
まで、あがってきた、ジエット機の航行である。

 石は喜びに手を上げ笑むをいう。機による石のうわ飛びと
いう。ここを、瑞典邦という瑞典の浜である。ズミックロークー
という、瑞所の山という。これを、瑞を見るという若い人の
言葉である。

【石舞台】
 石舞台という、石が舞うという、石舞台の日出葦という、石が
舞う舞台である、石舞台の名の元とそ。瑞典墓という石舞台の
ことである。葦之ヶ原の石舞台という、日出葦の舞いという。
御母の御霊という、石舞台である。能の江という、能江山石
舞台という。

 ストックという、すりれるすみ、とそ。ストックを御霊という。
れいせらの山という。れいせらの宮という、この宮をいすという、
みへつの山のお言いという。古く、霊をいすという。いす宮とそ。

 能が霊をたっとぶ、礼の山という。これを、ノールという。
のるれるはほれる、という。レースの言いとそ。

 ジェット機を立てて行く、スミズという航法である。ジェッ
トを霊という、ジェット機乗りの霊である。これを、霊屯という。
周音のジェットをいう。咸という、咸都という。

 この咸都を、すとめ、という。これが、京宝の言いである。
スンメルラッツという、レブソンレックという。れれろくという
都である。

 フランス、オーベルニューという、ここをパリと言うた日の
オーという、古フランクの日である。クールロックという、
火上げる火山を見、ロボの駒を駆ける夜である。人休みして、
始祖鳥ととも休み、山空挺より来たる円筒という、宴盤という、
これより発進した、ジェットでもある。ここを、クールロック
という。瑞典邦の行きという。

 この舞いという、能のスオミという能である。足を少し
つまだて、手を前後に水平に握る場とそ。これが、機と石
を表す下りである。石が機と同じに飛び上がったこととそ。

 ジェットふ、という。ジェット機の墓という意味である、
スオミという言葉である。スウェーデンのスオミという所
である。

 その東岸という、石上げの場の名とそ。そこがくく山の
絵という。めるせるゆゆゆ、とそ。瑞典の霊邦という。
これを、ストックホルという、ホルレという、瑞浜のロックソク
という。ソーレルルースーという。

 漢音で、かんとという、咸都邦である。咸都国とも。古くの
瑞典の名である。ストックホルムという、霊のホル都という。
ホルという尊をいう、周音である。ムという、夢という字である。
夢をムと読む収音である。漢音と同じである。ストックホル宮と
いう。尊霊のまのよる、うよすゆ、という。うゆすゆ、とも。

 この場を、れとせ、という。れれつ、ともいう、むっとび、
ともいう。この御所を、尊家という、敬石御所という。御所の
初期の場である。禅山ともいう、禅山御所ともいう。

 石飛の宮という、『瑞を見る』という若い人である。1メーター
程の石が機まで飛んできたという、あなとうとの石という。
これを前石器時代という。黄色い大きな石である。カントロン
ルックという、30分程の話である。能の一動きである。

 前石器時代というね黄色い石で作った石器という、敬石御所の
食器である。両手に二本の箸を持って、礼霊の織という。重たいから
持てないこともある。石器時代のジェット機の話である。和国数と
いう、和国の鑑暦である。今日をトという。

 『トは、いかめら』という若い人という。今日は、胃カメラを
飲む健康の日である。つゆとみの日という、敬石御所の暦である。
古くの、たてやり、という、1年350日の暦である。

 大正の暦を使う人である。若い人は書かれたのである。
『自分は明治時代の教育を受ける』という、駄作家の若い人の
冒頭である、御学問所の若い人である。明治時代の暦を使うの
である。そよまの日という日である。今日の事である。
6月21日お書き、これなるを。さやにむの日という、sotu3826
による話である。さやにむという、さやえんどうのなる頃
である。さやえんどうを、さやにむ、という、さやにむ豆
という、これを、ストックニングという、さや豆の軽石をいう
風呂でつかうストックニングである。軽石という意とも。
ストックニングという、さや豆の意である。

【軽石御所】
 後、軽石御所という、ストックニング・パレスという、
パーローハンという、軽石の石器もある。頭の軽い人である、
能をたっとぶ人という意とも。

 そうきょうのかる、柳石文である。柳葉入り石、軽石とも
言う。軽石家、軽石自動車、軽石船・・・いろいろある
石器時代という。懐かしむ人である。石器時代の今、現時
である。軽石っさんという現時の君である若い人である。

 軽石石器という、八坂語を使う国である、広く八坂語に
含める。前記、ストックという軽石である八坂語である。
周音より出でたストック、八坂語より出でたストックもある。
ムーリルレースという、軽音の石である。音楽のどれ則という、
ミーファルランデーの歌という。ファをフアルという音楽の
軽音語である。ドレラスという、ミービーという、ミシとも
いう、ミシレスゆか、という、ユーリルロンズーのけけかか
という、これを、八つ坂という、八坂という、言葉では広く、
八坂語に入れる。現代国語では、範疇にはしないことという。
 
 石器時代の軽石石器時代はいつですかという、今、現時の
答えである。うつし世のことである。古そうな言葉を使う駄作家
である。

 京都をケイシと読む周音で、これの八坂語(軽石語)が、
きょうろう(京郎)である。かるみという、軽音語(音楽語)で
ある。

【八坂語】
『せ、もっきく』という、『私は行く』という意。
音楽語であり、八坂語である。広く、くずほめ、という言葉で
ある。
『せ、もっきく』 私は行く
『むめ?』     どこへ?
『きょうほう』  京方
京宝言いという。
『せみな』  京都  八坂語
 京方という、漢音使って、京方京都という、これが、時と場所を
入れた、京方という言葉である。『今日は京へ行く。』
都方の場合もある。京方使いという、八坂語である。

メンラール・メンテという、めにっしばの言葉という。

『やつ、もっは』という。この'もっは'が私の向いという、
これをじめという、自分をじめという。
'やつ'が自分である。八つ坂、八坂という場の人と言う。
『やつ、もっは、きょうら』という。これが、'きょうら'で、
講をいう、古くの寄り合いである。組、組合、甲、集まり・・
という、きょうらという。
 'きょうら'が、時を入れる場合という、入れない場合もある。
これを、黄石という区分という。黄石をきという。
『きょうら、き』という、今日、行くという意とそ。

きょうらき焼きという七宝焼きの古い言いで、京洛のことを、
きょうらきという。黄石の言いという。オーホンルックという。
ルーミルレーゼーという。冷静宮の言いである。

黄石市という栃のまの、いわはね、という。医師が飛んだをいう。
とんはね山という、とんべやぁま、という。これが、やみ
なま語という、ヤンゼルルールという、レムソムのゆいって、
という。るるはるという、めすゆすの山という、レーレル
ロンゼーという、レムソムのゆいっくす、という。れが、'うぃ'
をいう、ういぞの語とい、初の意味である。

『うぃ、ほら』という、手のことをほらという。黄色い石を
使う碁の言葉という。これを、黄石碁という碁という。
この碁をつかう自分を『みもま』という。

『みもま、ほみ、よんれい』という。学校へ行く話という。
黄石碁の使いという。幕末の頃の言葉である。鴨寺論の山
という。

『カンスーハー、ロークー』という。ジェット機と、行く場所を
混ぜた言いである。
『めまれて、そみやら』とそ。これを、ノンビレーという、
ノーメルスンスーともいう。周れるかんすー、という、かん
れらの言葉という。かりられ語ともいう。奥御所の言いである。
どちらも宮へ行くという意とそ。

 インターファーロンという薬がある。石の水で作った薬と
いう。黄石薬という、いそすそ、という、みみせらのお薬
という。薬石の山という。インターローともいう、薬の名前
になる黄石語である。きょうらの薬という。きょうらのいみ
そみ、とそ。

 健康の革命とそ。今日、ラッキーという話である。
『今日の都、てふてふ飛び交い』という即平氏の言いである。
平将門さんという、平清盛さんという京童の、陽をほめる言い
である。平現時という平原児である。平かなという、穏やかな
という意とそ。平清常さんという、平に清く常、という
木の葉隠れの人という、ジェット機に乗って飛んで行った人と
いう。ジェット機記を木のはという、平忍法である。
このはがくれという、あっという間の飛び去りという。
ははは発進ともいう。ジェッパ論風の山という。
机上の空論という、ジェット機乗りである。

『今日は平日である。』日を褒める言葉である。平清盛さんと
いう人である。サヤニムの丘のお方という、太陽のことという。
sotu3826論丘という、光氏の住む丘という。光丘という、平の
台地である。蒲鉾道へ行く、平清常さんという、平常の記とそ。
平常暦という太陽暦も使う人という。平道行さんである。
これが、軽音楽である。平衡進行という、Am、エーマイナーの話
である。野外音楽の清常日和という、聞く耳は、エーマイナーと
いう、Amの和音代表の進行という、平衡調の進行ということと
いう。これを、ツェッペーという、音楽日和という、ツェー論
という。晴れた日を、チーソムという、音楽用語である。

 チーソムは、平半間隔という、平常ルーの流れという。音楽の
半音をへい川という、音楽の用いという。チーソムの先天という、
天気用語を平常に使うビーフラ先天という、音楽が埼になった
ことをいう。弦楽器の琵琶の用語である。

 ビーフラで平という、平常調という琵琶のドンという、ド
レミのドである、レとも。この二つの音から始まる琵琶の平衡
という、ドンデラという、ミミックスともいう。琵琶山の言い
である。

 音楽によって体を見ることに進展する。ノストラダムスという
平清常さんという、平清盛の楽という、祇園精舎の鐘の声・・
という始まりという。この書きを、病のいゆ、という。
斜め読みをすれば、健康になることが書いてあるという平家
物語という、安心健康の話である。

 祇園精舎という、ギールーモーレーという、音楽読みとそ。
ギールーモーレー、ヨースーローという、平家物語の読みで
ある。これを、エーマイナーという読みである。

 オールルロックンという平氏派の読みである。音楽を主に、
医術を説く論となる。これを、平氏医術という、オールの
意味である。これを、そうきょうという、革命の医術という。
命を持たせる意の医という。これを、セイランという、晴嵐と
書く、精錬の山という。石を見ることに使う、これの読みを
インターという、インターンの語源である。

 インターという、薬、医・・の意味がなる、インターファー
ロンという、ノストラダムスという話ともいう。ヨーロッパの
古い頃の医者という、音楽が出てくる話という。ノストラ
ダムスの話という。ノストラダムスを御者という、御医とも
いう。音にかかる御のおんという読みという。平家物語の
平清盛さんという、清常さんの横顔という、革命医術とい
人である。平氏医方の話という。

 漢文平家物語のギールーモーレーという読みである。琵琶の
打ち方の唱和でもある。爪弾き月琴にも用いる読みである。
エーマイナーという連の弾きという。

 馬頭琴のビーミナーという音楽書の平家物語という光氏録と
いう、ミービラの遣りという、ミンシスにここをいうことの意
という。

 孔子のオーラルロンルーという論語の読みがそれである。
子曰くという、山々の音楽である。リンファーと読む、
『リンファー、コーファンファー・・』と読む読みである。

 白文論語を、そのまま漢音でよめば、医術が混ざる言葉が出る
。學而時習之、がくじじしゅうし、という。これが、平氏医術の
言葉である。主に外界をみる、コックという、これの意味が
医を操す、医操カンファクというミーラルの言葉である。
ダレスという、ダムスの音便が出る。これの解きが医方の
解きになる。・・・中略・・・

 医術に音楽が混ざる話が、これの進展という。医者の
中に音楽を説く人が出てくる。音楽と美容器を調べていく
考えが出る書になる、代表が、論語である、平家物語の
漢文である。シソーラスという、メッパンラーベルの言
葉が出る。インターファーロンという言葉である。
古くの壬生ゆらせ、である言葉とそ。

 操今日と書く人という。たくさんのそうきようと
いう場がある、中国洞庭湖の場という。インターローラルという
中国医学発祥の場手ある。周語が中国語ににた言葉という
解でもある。

 若い人の革命でもある、そうきょうという話である。

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1726大原練習1626天の下2026 ItaliaInterrun インターラン(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8268
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/16柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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2019年06月20日

卒業3824ItaliaStacEintz スタック・アインツ(壮強太陽)鳴恭川世讃歌):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3824京都船旅2724
古譜1724大原練習1624天の下2024 ItaliaStacEintz スタック・アインツ(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)

【創曲】2019/06/20、柳晴
     創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  @Music Score3、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 



 狐の天気予報。〇r1919/03/15
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【御所】
 若い人は言う、『今日は自衛隊へ行きます』と。そういって、
縞黒のジェット機に乗った。発進所という、烏丸さっぷく、と
いう場という。トラック・レバーという乗りの言葉という。

 乗れば、右に鉄閣がついている、短い鉄の棒のレバーである。
左に、トラックとそ。トラック・ボールという、コンピトーと
いう木の向きを変えるものがついている。

 今のコンピューターの、トラック・ボールという。この
ボールを回して、機を操縦する機という。この日は、垂直上昇
するや、ほどという頃に、トラック・ボールに手をやり、右の
鉄閣を後ろへ曳いた。木は螺旋状のような航行をする。自衛隊
へ降りた話という。ここを、航空レーククという。

 『ヨッソマー』という、船のヨウソロのこととそ。レルン
ファーレルという、機の操縦である。

 『ペイ・ヨッソー』という声とそ、いう間もなく直に進んで
いく。レッテル・ローレーのかおふく、という航路である。

 5分程という、花ごの江という所の自衛とそ。自衛隊へ行った
のである。

 『ペーブラ』という、沖のこみ入り、という。機をそのまま
にして、降下さす操法である。名を『テン』という場の着地と
いう。クミロッカンという。飛行舎である。

 思えば宴盤から発射されたジェット機でもある。ジェミソと
いう円筒を下につけた円盤という。スタック・ファーレルとも
いう。ベブリンの山という。沖ゆてしふき、という。

 もう帰ってきたのである。木は平に置かれている。平三条の
山という。陽は、『網を見る』という、若い人の用とそ。
アロンレーという、古フランスの言葉という、アロンジーと
いう、『そこへ行きましょう』というた人という。往復
10分もかからない所である。ジエットの場のお書きという。

 ここを檸檬是(れもんぜ)御所という『帰れ帰れ』と歌に歌
われた檸檬僕という。檸檬の木の下という、僕という場所で
ある。僕という木の下という。木の下を僕という話という。

 檸檬是の山という。京都会議のある瞬時である。レオンと
いう操法クーレクという、新語である。この新語で操縦する
御所発進のこいという、こい山のお書きという。

 恋が水より跳ねて高く上がっている、そのような発進である。
『あなあな、たうと』という、発進の楽とそ。『あな、とうと』
という、発進の楽である。雅楽である。鯉機発進という楽で
ある。宴盤数用という話でもある。
劣るお書き。劣るという名をいう、立山劣りの若い人である。
宴盤に乗る時にそういう人である。『劣る』と言うて乗る人で
ある。サーヤニシと言うて、その方角へ行った人である。
sotu3824。西南西という、さや西の方とそ。セイセイルーの
方ともいう。ジェットロッキーの山という。

 ロッキー御所ともいう。行った御所を、ソンテクという、
ソンラクともいう。ジェッソン・パールという、真珠貝の
江である。恐竜真珠貝の正則している所である。

 『網を見る』という人である。真珠の養殖の場である。
自衛隊の真珠という歌とそ、この文である。

そうきょうレーテル、これなるを。

『若い血潮の真珠貝・・・』、この日は黒い貝であった話とそ。
若い人記。

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1724大原練習1624天の下2024 ItaliaStacEintz スタック・アインツ(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8248
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/15柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
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卒業3821ItaliaTerelo ロキ(壮強太陽)鳴恭川世讃歌):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3821京都船旅2721
古譜1721大原練習1621天の下2021 ItaliaMontagnaレブランの山(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)

【創曲】2019/06/20、柳晴
     創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  @Music Score3、シルバースタージャパン社

【歌詞】創郷 
ソミミソファル ちくすいみ ソファれるシシ
ソリルサンふられ すしはま いれはらる
そいするるはり そみれれゆいす ツォンめふ
スウラ スウシ ららうすうられ しおりはざ
そみそらぐあざ


 狐の天気予報。〇r1919/03/15
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【御所】
題名は、イタリアのテレロという道のこと。
『ユオレンテス』という歌の意。レレブズの山々の歌の一とそ。
ルックルックの山という。えるやら、おっすす、とそ。
'おっす'が、推す、押すである。ユッパというメスコスの山の
ゆみふり、という。れれそゆっかむ、くむかむの山という。
ベルらる山という。おいっこすれって、ゆったた、たたはるの
ゆりむま、とそ。レッツのそんぴく、という。ゆたゆた山の
お書きという。

【秋田オットト】
 『秋田おっとと、ゆわっとと』という。ペベセの山という。
ここの、ゆいそめ、という。モンレロという言葉を出す。
ゆんじょれっぱつ、ともいう。

 『むいユッスー、スッススー』という。めんてむの山という。
めんふるそつれつの山という。壬生のおんぺば、という。
これを、コースレーという。ペルゼルヤップという。

 壬生のおんも、という。あんよ、という。壬生を世という。
ここを、コーリルカッフ、という。マレスレーのゆみふり、
という。みとゆたのれれそめ、という。これを、ルンバという。

 ルーメルスースーの山という。
 
 『秋田ゆったこった、れれそめて、そみゆられ・・そそれん
つるろっぐ』とそ。大和朝の壬生縞れる、という。コーサム
ケーケーの、くりすき、という。おば(御場)という、みだい
どころ(御台所)の周りをいう。

 『日出葦という葦がいた』という。葦江という、葦の植わる
江という。水浪(みずなみ)という、ハレスレのこみふり、
という。ここを、みずとみ、という、後とそ、みずと、という。
後、みな、という、後とそ、みなと、という。みなとレーテの
山という。

 瑞浪(ずいろう)という、葦が植わった、水の江の場とそ。
川、池という場の御場という。これを、おんばら、という。
バラという原のことをいう、この原の、ふすまという。原を、
ふむまという。ふむゆき、ともいう。ハーレルレールゥという。
原に、晴れを掛けた言いという。晴れた原という、御場の
みんてく、という。この『みんてく』を、『べま』という。
ベマレルロンズーという。この、ロンハナを、ルミッスという。
これを、ルーラルー、という。ルーレルとも、ルーテルとも。

【秋がずれた】
 秋ずれた花の山という。『秋がずれた』という、秋しの山と
いう。ここを、秋氏という。これを、秋子見、という。秋子の
見のききという。ききという、季節をいう。季節をききという、

みな(水)の言いという。水をキーセルという。水ゆりのお浜と
いう。水の江の浜である。デシットミッツの山という。シット
レッスの言いという。

 ここの秋のことを、秋ふる、という。秋しべ、ともいう。
秋ぞ、という。これの意味の秋である。季節の秋ずれ、という。
メルレルセンズゥという、キーミマのアールサンフーズーと
いう。これを、アルという。アルミナという。あるはるの
みんふり、という。れれてすのゆいそみ、とそ。

 秋しべのゆまれるはお、という、花、ともいう。花れる、
という、花語の意という。ハーレルルンズーのおいっそす、
という。秋しばのみながわ、という。みなをみずという。
水をみなという。秋しばのみながわ、という。

【れる】
 これを、江の鑓という。鑓れる、という。ヤンビルビーズー
という、秋田の江という。秋田れるの山という。れるを言葉と
いう。べんつつのれむそ、という。京都れるという、着ようと
語という意とそ。

 『レーレルスンファーズ』という、れむそめ、という。
京都れるの言葉という。

 「みぶスンファールラー』という、壬生っ手の、ポイふり、
という。ミーレルレンレーの山という。壬生すきのいや花、
という。ミルセレルやっくす、という。やくしま、ともいう。

 これが、壬生語の言いという'ひ'の山のおるす、という。
'ひ'を時という。後、宮言葉という。『行くひ』という、『行く
時』という意とそ。

 これを、エルスルという言いという、宮言葉のことという。
おば(御場)という地をいう、宮言葉のおばという。地をいう話
という。今は、この意では、使われない言葉という。

 この言いを、中落という、中落言いという。後、京落という。
京落の'落'を、らくという、京都へ行くという意味がある、
これを、といめま、という。付随する別の意味という。言葉の
話である。この'落'が、後、洛と場を表す、京洛という。

 らく、楽---と表す、がく、楽---という。これを、音ゆた、
という、後、音楽という、
 音洛という、音の場という意とそ。今のホールである。この
'ホール'を、ゆまという。ゆまれま、というホールのことであ
る。この'ホール'を、めどべ、という。これを、ベーラマという。
ベラレル・ベンルックという。

 エルサンファッルッルーという、大和則という大和語の促音
という。大和朝の言葉という。促音を多用する大和の頃の言葉
という。

 やっま、という、山のこと。 大和朝
 やあま、という、  "    奈良朝
 
 そっだ、という、そうだのこと、  大和朝
 そおだ、という、そうだのこと   奈良朝
 ・・・・
 ・・・・
 
 声の音からみた一つの解とそ。
 
 エルサンファッルッルー という、促音則という、大和れる、
という。
 エルサンファールーラー という、長音れくという、奈良れく、
という。
 レーブルロワンズーという、レールスーラーという。
 レーセルロンゼーの山という。れるれる語のせおれる、とそ。
 
 花れる、という、花語という、
 英れる、という、英語という、 'ひ'に、ならずという場
 という。これを、ならつみ、という。これを、せうとす、と
 いう。セームルレーレという。れが、鎌倉の言葉である。
 鎌倉期の言葉という。テーテルという、レムセルのユイット
 という。ルリレルルワッソウという。
 
 エムスンレックの山という。イーミルというバゼラムのすよ
 ふる、という。これを中逸という。古いかませという鎌倉の
 ことをいう。現、鎌倉市の言葉のことを中逸語という。
 レファンラという。れっつれる山という。鎌倉のメンブル
 という。カーレルレールゥともいう。

【鎌倉中逸の南無般若】 
これが、『かえ〜る、れ〜れ』という音楽のような歌のような
調子の言葉という、南無般若の鎌倉大浜という、大せるの山と
いう。七里ガ浜の磯づたいという、磯山の歌という。鎌倉の
歌である。

【れる】 

 この'れる'、新語です。
 
 語う-かたう、
語い-かたい、という言葉で、レレレンという、レレ山の言いで、
語うという、これの古い言葉が'語る'になります。

 原、これを、ハルと読み、いう、これも新語です。大和朝の
過ぎた頃の、ルリレラという期の言いになります。
ハラと言うのが、古い言い方になります。大和朝以前から使わ
れている言葉です。


後、録音にします。あの名僧の読経です。声ももっと高く、
もっと低くと、鎌倉中逸の読経です。よんふれという、
きょうぼんの御経(ぎょきょう)という。れれすおんずうという、
おんてら山の山という、音の上げ下げを、やま、という、
その頃の、うたわれ、という、わったむ、ともいう、わるせる、
とも。

『わく、いっく、やっやっやぁ』という。私が行くという意
とそ。『おぎ、いっそ』という、うたわれの言葉とそ。
『おんみ、はんまぁ』という、れれそ語のことという。
れれんてるの山という。この'山’の言いが、寺を山という、
神道の御神体の山をいう、どちらも山という、今のことです。
山拝みとまとめて言う若い人という。自然崇拝という、宗教に
入った自然崇拝の一部という。『私が行く』という意味である。

『わりゃ、かむく』という、アイゲナという、アイカムの
おえいよ語という。かかせるろっく、という。恐竜所の立て札
という、これを、つとめつ、という、立て札をつめという、
恐れる立ち、という。恐竜注意の場所という。
『おきょうさんが、出てきます』という度胸のある人である。
読経という人である。
 どきょうもっそく、れんれつ、この文です。
 『私が行く』という意味である。
 

ここを、あきぞく、という、秋田みっとみ、という。みみせの
ゆゆす、という。秋田のおきよう御所という。恐山数用の話
という。『わぎ』という御場である。私のことをわぎという。
『わぎ、れん』という『私が行きます』という。
『わぎ、しっぱ』という、『わぎも』という、わぎるきのお行き
という。『私が行きます』という意味である。

【秋田おっとと】
 読経はじめを『しんみ』という。しんみというて、読経する。
『秋田おっとと』という、『り〜アル、サンファン・・』という、
秋の人という、読みが新録読みとそ。『南無、はんづき』の経
という。ドレミのお経ともいう。ドレミの音階に合わせて読経
する、これを、しょうりり、という。秋田もっさくという、秋田
おっとと、ともいう。しょうれん、はんらぁ、という、めゆ、
という。これを、きょうめ、という、経目という。レーフル
レンレーのお経である。
 『ミーユル、サンルー』という、樺江戸(かまえと)経という。
仏典の、『南無般若』である、かまえとと読む、川山行の歌とも
いう。ミッファラールゥの山という。オッソルレーレという。
れれ花経ともいう。秋田のごぜくき、ともいう。くきゆみのおけい
らく、という。おきこくのうむすむ、とそ。うむれれ山のお書き
という。樺江山の歌という。お経である。

 この御所を、津軽ごいかく、という。ごめそめ、という、
ごぶれれどん、という。秋田のどんの言いとそ。『〜さん』
という意とそ。『ゆっすゆっす』という、どすこいの
秋田恋さん、という。秋田へ行けば恐れる人である、という。
恐れる山という、秋田恐山の歌という。

 歌はじめに『ゆっす』と声をかける、これを恐山という。

 読経はじめに、『きょう〜』と声を出す、ゆっしば山という。
ゆしふしの出発という、これを、モツムルという。モノ浜とも
いう。これを、すっ飛ぶ、という、すっ飛びの語源である。
秋田さんの話という、秋田山である。秋田どんという、山を
どんという、わかりに、秋田やまどん、秋田さんどん、という。
これを、どん発という。

 大砲を撃つことを、どんぶ、という。秋田ほう落という、
がい山やっきという。都の西北という、秋田のお米のどん食い
という、とっせという食べである。秋田のっぺら山という、
秋田空食(くうしき、くうしょく)という、空食の山という。
給食の語源である。若い人が教鞭をとる料理砲を、秋田めん
こく、という。御学問所の語学教室である。これを、先生と
いう、秋田どんべっくの話とそ。

『秋、田どん』という切りがある。これを恐れ切りという。
『なにしたどん』という秋田竜という、タドンという恐竜と
いう、恐山のお歩きという、そういう竜という。

 麓には赤いうんこ、という。匂うの里という、どんばら
の山という。うんこを、たどんという、そういう恐い所で
ある。そそぎ歩きの注意報という、これを砲という書き方
をする、恐山の山という。うんこを砲という、砲門所という
、この御所を、きょうまという、きょうま御所という。
せっちんゆきがくれ、というどん受けの山という。

 無量所の便の統計という、東経御所の山という、秋田報
落という、ドンドンパンパンである。これが、糞尿の語源でも
ある。

 『言葉をうつ』という。憂鬱の語源である。憂という自分を
表す言葉である。ここを、憂宮という、夕闇という、ゆうろく
山のごま、という。ごまの言いゆま元という。ごま御所という。
ロッキンパールレーという。パールレーのごまという。
蘊蓄の言いである。秋田をトーレという。トーレごっこみ、
という、『私が行く』ということを、『うつ、ゆっつ』という。
秋田ゆんれく、という言葉である。私を'うつ'という。
私のことを、うつ、という。これを、しっぱ、という。
しっぱれの山という。

 『うつは、みらはる』という、私は行きます、という意とそ。
 『うつ、みばれら』という、『私は、くむきす』という、
 ドンパの山という、おっそるれくのいこくき、という。
 東京らんめの、、秋田ベークレという、この'クレ'をいう。
 たどん取りという。『〜するべぇ』という秋田の方言という。
 これを、『〜するっくれ』という、『行くっくれ』という、
 恐山の言いである。
 
 これが、くれるけ、というばみの言いという。バーレルスンハー
という。ちゅうれる、という。ちゅうはな、という。
 
 『どんばらえ』という大砲を撃つ時の言葉である。
 『とんぱらって、みらっしょ』という薩摩弁の山という。
 大砲の言いである。薩摩ゆうく、という。薩摩のごわどん
 という。ごわれずらず読みという。維摩という、『南無
 はんにゃら』という、お経を、ごるれ、という。ごるれ読み
 という。大砲の言いである。お経をごっぱんという。
 ごうはら、ともいう。
  『どん』と言うてお経を読む『南無はんにゃら、
  そうろうふ・・・』という読みという、『ぜえぜえ
  はぁりゃあ、はぁらぁぜえぜえ』という読みという、
  ぜぜはなの経という。
   仏教の針打ちの針治療の読みである。どちらも針治療の
   言葉である。
  『なむはんじゃく』という漢音読みの流れという、呉音
  流れという、呉音の読みでもある。
  
  周れるの言葉である。周音の使いの言葉という。これが、
  『扇子・せんす』という読みという。呉音でもある。
  仏法山のお絵という。これを、ぷんぱ、という。
  プンレマルースゥの山という。オウデルラックのいと、
  という。病直治しの意図という。仏教の長生きの場の解
  という。これを革図という、お絵革めという。健康の話
  である。弥勒菩薩のこととそ。
  
 いきそという御所のことをいう。いきそめとねともいう。
 そうきょうすうるうの山という。そうきょう御所のお書き
 という。


 これを、総教という、自分を拝む人である若い人である。
自分を祭っているという人である。自分と書いた紙を立てて
いる人である。社の中という、ヤットコセェのお者という、
いやとこしえに、とそ。健康という話とそ。若い人である。


な〜む、ぜ〜じゃぁ・・という秋田ごんるれのお経もあります。
読みが、新れ、といいます。新れのみっそんの読みという、
メレセンルーという読みとも。

 るるれらのみっそくれく、というよみるるれれそのゆい、とそ。
 
 かまんくそ、という、カマバックレールゥの山という。この
'カムバック'という、くむみく、という、オーレルサンスーと
いう。メユッテソンの場という、ベレレルロムレとそ。ロン
ベルということの山という。これを、ロムロキという、メレ
レルの山という。れれるそんてのおゆっと、という。
レスの山のお書きという。



//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1721大原練習1621天の下2021 ItaliaMontagnaレブランの山(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8218
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/15柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2019年06月19日

卒業3811ItaliaCampo pulito 正野(壮強太陽)鳴恭川世讃歌):イカスミ柳

文だけ

馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3811京都船旅2711
古譜1711大原練習1611天の下2011 ItaliaCampo pulito 正野(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)

【創曲】2019/06/19、柳晴
     創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  @Music Score3、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 


 狐の天気予報。〇r1919/03/14
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【御所】
【立政御所】
 こを、正野とそ。これを、そうきようとそ。御所のなかった
頃という。せと花の山の絵とそ。

 山をとくという。てせそせのえてゆるすむす、という。
ここを、せんぬぬやみゆき、という。ユーレルルースーという。
野のことをメンとそ。メンツェーともいう。

 ここへ行く、メーレルとそ。行くことをメッペという。
メスエテともいう。これをペという。野辺のノッペという。
野辺のことをノッペという。メリルファールレーとそ。

 メンをこくという。メレスレーという。めびてつの山という。
岡屋山のお書きという。藤原の宮という、みじ原の宮らる、と
いう。富士つわら原、ともいう。これを、ワラッペという。
ワラセルルックスという。後に、流れゆき、という、流れの山
の絵という。

 この富士つわら腹を、おこもく、という。後という、める
れるすむす、という。れてゆてのおっくす、という。ここを、
おくすりら、という。これを、ばられるりり、という。
ばらめるゆきく、という。ゆきそろくの山という。

 メンファールという、正野の原という、こに、リラを添う
という。リラを植えるをいう。これを、ことべく、という。
リラ植えである。この日のリラである。のち 、バリルケと
いう。これを、バラという。後とそ。バラリラともいう。

 正野のありふり、という、あやふり、ともいう。あやせ
つるれる、という。わてのすれす、という。バラを植える
はっぺすむ、という。えすりすのゆきふり、という。

 バラのござれき、という。バラを植えた話という。こい川
の山という。古い日の新しい日々という。新山(あたらやま)の
おりれ、という。れとれすてす、という。これが『です』の語源
である。今の『です』という言葉である。

 リラを、デーリクという、バラを、デオンソという。メルステ
の、メランペという。めっそゆっすのめるふる、とそ。バラを
植えた場所である。幸の井の場という、後である。

 ここを、けんずる、という。バラをけんという。けん木という。
けん木の山のお書きという。けるせという、ペセユセのロメヨキと
いう。ここを、ロメという。ロメの山の絵という。後、ロメオと
いう。イリスルレールの言いという。

 ロメオサンファラーという、ハーレルのゆおそす、という。後、
ばら巣山という。ばられるの山という。れおすての言いそ、とす。
これを、トーベルという。とす、という、とめの言葉である。
文をとめるとす、とそ。これを、とすれ、という。とすゆすの山
という。めるせ山のおりいす、という。

 ですの前の言いである。ヨッペラという言葉である。このペラが、
今のペラペラしゃべるという言葉のペラである。よりんおんるく、
という、ここを、ごぜやら、という。ごぜ、ともいう。後、御所と
いう。これを、よめるく、という。よわんせのおい書きという。
れつるつの山という。これを、にせ山という。ここを、にせ、
という。にせの御所という。これを、にぶれる、という。
ににすの言いという。にぎ山のおすれ、という。にべての山
という。今の烏丸の御所である。

 正野原という、正っ原の、おきゆれ、という。原を沖すゆ
という。この言いの御所を、りってる御所という。りっつ、
ともいう。りっつ御、りっつ御所である。

 りっせらっつの歌という、ぶみふみという、ブーレル
ルースーのそみゆれ、という。この日の原という、原を
よこきか、という、原横という、今の、ただす門の場所である。

 めよふる山のお書きという。めめすの山という。御所の話で
ある。

 『ここにいた』という若い人という。『あではくやらず』と
いう場とそ。『あで野ただしのゆ』という、これを、ゆんも
という。ゆみゆまのおられ、という。おられたバラという、
バラをあでゆき、という。あでしの、という、バラの園と
いう。バラ山のいそくく、ともいう。このれの言いという。
後、このえ、という。このおの言いという。

 あでし野の山の世という。御所の建つ前の地である。万縁
元年という話である。ばんせまのゆってか、という。
万縁元年のよろしうれし、という。よろし野という、うれし野
という。ここを、ようふる、という。

 あでし野ゆき原という、歌に『あでしの行きつ、えれせ
ゆゆらる、うれるるやまる』とそ。七七七の言葉という。
これを、あでし野ゆまれく、という。れってすうゆう、
という。新語の歌である。意を、『あでしのへ行った』と
いう。

 ゆまという、馬のことをいう。ゆうふるれく、という。
れれすの言い、とそ。若い人の詠んだ句である。後、
紫つゆ野という。『紫野ゆき、標野ゆき』という。
先の世のこの世である。オッ゜ラの山という。

 ペラペラ喋る音楽劇という。あかにの歌という、ここを、
せきらま、という。よしなの山という、あかめまのゆゆれる、
という。古代大和朝廷という。なげらみのおやゆや、という。
つい、最近の話である。『野守はみずや、君が袖振る』とそ。
もうじき、大勢復古の人が、これをやる、『こっちおいで』と
いう、『こと吹かば、匂おこすを』とそ。袖に入れた匂草の
話である。北野天満という人である、若い人である。

 ここを、天そくれく、という。後、天庭という、山の頂と
いう。後、天つる、という、天ぴさ、ともいう。いた動物を、
ゆま、という。恐竜のゆまである。大きな馬である。トリケ
プスともいう、後という、トリケラトプスという、出世獣と
いう。これを、ゆま、という。今の馬である。出世獣の
一種である。北野天のお獣という。

 古い日の正野という、正野獣ともいう。トリケプスの真野と
いう。少し北にいた話という。北野天という、天満獣ともいう。
恐竜のトリケラトプスである。天にいた北野獣のトリケラトプス
という。後、恐竜所という。恐停所という、恐竜停所の山という。
北野大明神という、おそれ多い恐竜である。この頃、恐竜をカミ
という。竜をカミという言い元である。竜をカミと読む周音である。
大和朝廷の役人である若い人である。

 これを、ただし野という、後、京の七野という。まさ野ただし野
という。よろし野うれし野である。おそれ野、来た野、北の天に
いたという、これが獣(じゅう)である。自由に歩いていたのである。
だから、てんまんという、天真爛漫の獣である恐竜である。

 これを、標野行き紀行という。標野という間さののことをいう。
野守は見ずやという、若い人が見たのである。野盛りは水や
という、標の野のことをいう、湿った野である、だから恐竜が
板のである。水があったという、川流れである。

 君が袖振るという、袖古現時である。大勢復古でだれでも
見られる光景である。だから、野の盛りという、七野のことを
いう。あちこちに飛び離れた野という、辺り一面の小区画で
ある。

 標野に立つという若い人とそ。洋服の背広である。大和朝廷
という大勢復古の一時である。君が袖振るという大勢復古である。
これをトリケラ獣の尾という、これが、復古されて鳥停所という、
鳥獣の山という。バラの木という、ここが茨木という。古い、
御所のできる迄の、所という。御所のなかった頃である。

 鳥ケラという大きな鳥のケラ獣という。トリケラトプスの鳥と
もいう。今の子孫という、アヒルという鳥である。四つ足の
トリケニトプスもいる。真東の山のという、東山のお蝶と
いう。1メーター程の蝶々である。標野蝶という。

 『君が羽振る』という、蝶の羽という、後に平清盛の紋に
なる。この日のア揚羽蝶である。大和朝廷の復古という、
平将門が暴れていた頃である。

 火を恐れている若い人という。トリケラトプスは水を
飲んでいた。像のような大きな襞のある獣である。
天満の宮という、天真爛漫の動物である恐竜がたくさん
いた紫野標野という、野が盛られていたという、七野の
野である。

 そういう大和朝廷の記という、歌入りである。大国主命が
手を振っていられた話とも。後は、北野政所という日出葦が
植えられる話である。この葦を、足の葦という、後、芦野と
いう葦野である。葦の植わった所を歩いている若い人で
ある。

 ここを、匂うかおめる、という。かばのようなトリケラが
いた所である。匂う話という。ふんである-区、という。御
所の一区である、後である先である。匂うの宮という
建物がある所という。

 これを、匂い所という現時物語の便所である。匂うの宮と
いう、だれでもそういう復古言語である。

『匂うの宮へまいられ』という、近いところに藤が植えられ
ている、藤壺御殿という、匂うの宮横丁とそ。桐壺の山という。
大きな便所という、トリケラトプスの便所である。鳥停所の隣
という、仮想の建物の話である。宮というのは先のことである。

 この日はうんこのにおいが漂うていた。御所の前の地である。
御所がなかった頃である。正野獣の地という所である。
紫野ともいう、露草の御所という後のこととそ。

 若い人は平将門を逸一生懸命拝んでいたのである。ドカンと
来る。地の噴火という。トジカンと来る地の糞花である。
トリケラトプスの糞という、紫の花という、上品な若い人で
ある。今現時の人という。

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Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

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秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1711大原練習1611天の下2011 ItaliaCampo pulito 正野(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
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 仮想店 出品 ID:Kyou8118
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


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***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/14柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.
posted by 秋残り at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽