2019年06月30日

卒業3852Italia cachi 柿(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3852京都船旅2752
古譜1752大原練習1652天の下2052 Italia cachi 柿(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/30、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
【歌詞】創郷 
城大和車 名古屋戻り 師府に行く
晴れ日に いそずみるふめ こする
柿の皮を ステゴにやれ 食べるとの
あまめ  すてごどん せなの剣おいに
ひとみの藤 震える日 揺れる地
藤見は 山笑み 書き食べる我が世


 狐の天気予報。〇r1919/03/25
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))
**柿のことを、柿の皮という。

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【平安京】
 若い人はいう、『今日は、平安京へ行く』と。そういうて、
朱雀大路を車で走った人である。平安京住まいの人である。

【革命の平安京】
 この一角を革命屋という、革命と書いた城様の建物という。
東邦の山という、後とそ、朱雀大路にイージスが浮かぶ。
この日、京を、うくという。うくの世という。城様の革命屋と
いう、後の世に、革命家という提灯が吊るされる御背(ごぜ)
という、後とそ、おじろというね後という、山背(やましろ)
という、山を城という日という、この日を改革という、
平安改革の、平常という、革命の平安京という。

 平安のはけるけという。平安のごもくせという。
平安改革を革という、あらためを雪山という、かせの山のお
ゆふれ、という。平安京という、古く、卑弥呼城があった日
でもある。纏向という、まきふるの山という。

 ここを、おんたき、という。おぶれるのゆぜはむ、という。
纏向の平常の山という。まき山うくれむ、という。この、
うくれむのうき、である。京をうくという。うくすれく、
という。平安京の、きょうからの呼びという。

 うくやら、すすやら、まきをそけ、という。そるくの山と
いう。平安京のうす浜という、平安京の言葉である。
『よし、せゆれふ、はるはら山』という、むきやら山のおくふ、
という。むせゆかのせせから、という。これを、から、という。

 平安京の時という。『春日野ゆや、ありてそ』、そっくすの山
というここを、そくれく、という。平安京の興しという。平安時
という、若い人のいる御園という。御園京という、平安の前の時とそ。

 ここを、まきよりみヶ原という、古いあさ山という、
纏向のや、である。纏向朝という、纏向時代という、この日
の京という、平安語録という、あゆふれる川という。

 川語という言葉を使う町である。これが、平安京という。
みかどという、これをとという。れむそむのおすけす、という。
れてふて山のおれるら、という。るれ原山語という、帝を世
という。世ほ私という、私の平安という、これを、帝平常
という。後、定平という、帝の世という、平安ごれくり、
という。帝を庭という、日本庭国という、庭の国という。
世の山のお書きという。

 日本庭園という、世界各地にある、平安の頃である。
これを、安心という、平安という、革命の世という。
日本庭園という、これを見れば落ち着くという、これを、
ハイデラットという、ハイゼルとも。ハイメの山のお書き
という。

 人の家の前の庭を、前庭という、ぜんていという、脳の
言葉の話という、前庭葉という脳の部位とそ。これを、
にわぎ、という。にわぎのおあれ、という。頭のことである。
これが、平安朝の脳の言葉である。後、おつという、おつれ
という、おつむ、という、平安朝の言葉である。

 この説きを、平安のとうほうという、東邦の山という。
ひめくりという、日をひむという、ひむかりく、という。
日の航行をいう。後、ひむがすという、ひむかしという。
これを、纏向の言葉という、纏向の日の呼びである。

【纏向卑弥呼】
 纏向卑弥呼という、纏向朝の平安という。平安の屋、
これなるを。平安庭という庭という、ここにいる若い
人とそ。平安の日々という話である。御世の屋とそ。

 板宿という、板の宿という、板背山原(いたぜやまはる)
という、この原を、はると読む読みという、平安朝の纏向
時代である。

 纏向という、鉄鋼、製鉄の意味がある。鉄器を作って
いた纏向という場所という。平安京郊外郊内とそ。卑弥
呼の伊予という、卑弥呼の鉄器という、製鉄所をいう。
そこで船を作った話という、卑弥呼船という船とそ。

 海の水という、この水を京へ引くという、引き水やの
水とそ。水屋という、今の戸棚をいう、食器入れの
戸棚である。

 今にある石器という、石の茶碗という、その類とそ。
たくさんある石器時代の道具である。石のはさみという、
これも石器時代の道具である。

 火打石という、紙に火を落とすという、石器時代の人と
いう。一打二打の火興しという。木と木をこすり合わせて
火を興すという、一こすりという、そういう時代である。

 20分も30分も、ごしごしこすり合わせていないのである。
石器時代の人という若い人である。1秒位の話である。
背広を着ていた人という、そういう時代である石器時代である。

 平安時代という、今のガスライターがあったのである。
若い人の一こすりという。スマホを見ている若い人という。
コンピューターも串していた大和朝廷人である。空には
ジャンボ機が飛ぶ話という、低空飛行のジャンボ機で
ある。

【目交い大路】
 朱雀大路というこれに交わるめがい大路という、ここが
ジャンボの滑空路である。もちろん平安京を下に見る話
である。纏向で作られたジャンボ機という。今のジャン
ボ機である。ロボット操縦もある機である。

 ウルトラマンの恰好をしたロボット操縦士とそ。大和
時代という、平安朝という、そういう時代である。
牛に牛車を曳かせて曳かせて、それに乗るという、
そんなことはしない人である若い人である。朱雀大
路を自動車で走る人である。ドアの半締めがあれば、
自動車は発進しない装置もあるも平安朝の自動車である。
もちろん、ナビもついているのである。

【鉄車二輪】
 鉄車二輪という、鉄の車輪にもう一重ね鉄輪をつける、
二重の鉄輪という、鉄車二輪という言いをする若い人と
いう。、平安時代のある一種の車である。京都から東京まで
一時間である。ロボット操縦の車もある時である。

 30分も40分もかかって火を興すというゆうちょなことを、
古代人はしていないのである。
一時間もかかって火を興したという、そんなこと、やって
られまっかいな、という、この期の言葉である。宴盤が飛び
交う古代期とそ。古代人の話という。

 ジャンボジェットで、京都会議に出席という日の京都の空は、
ジャンボ機が低空に飛んでいた頃とそ。

【モボガル会議】
 アフリカ・モボガル会議という、ジンホという所の会議
とそ。メメキットという、アフリカのむれらるという、
むうるるの川江という、メヌヤムの原という、ここの会議
もある。ヒーイル・ロンドンという。山やらの会議という、
平安会議の山という。若い人の日である。原子力の灯が
灯っていたアフリカである。世界自中に原子力発電機
はある、大和時代からあるものである。

 竜の落とし子のようなジェット機、後ろ上がりの階段状の
ジェット機、大和朝廷のジェット機であるという、これに
乗る人である若い人である。

 マンモスで貨車をこよなく慕う人である。この日の静原平安
という、山麓の大和平安という、東邦平安栄という駿府の
近くである。

 平安緒末期の令和という、大和朝の初期という礼和という、
これを、令人という平安京内裏の役人である若い人という、
この暦である。今日(6月30日)を、朗という日である。
朗日という、末日をいう。平安京の言いである。
令の字に丸を書く紋のような紋様という、これを、紋様紋という、
それを印にする人とそ。革命家という平安京の一角である。
革命家という革命屋の人とそ。家屋という革命奥家という、
かくめいおうの山という、平安という健康の話である、
革命ともいう。冷と書く、礼と書くのもある、霊・・・。
紋章でもある話という。

【零戦】
 零戦という、一戦という、二戦という飛行機という、平安
朝にもある、あった話という。木造戦艦大和という、木造
イージスもある頃である。平安京朱雀大路にある木造戦艦
大和とそ。それに載っている若い人である。

 トリケラトプスというステゴドンという、ステゴノおっちん
獣という、大和朝での呼び名である。戦艦大和を見ていた話し
という。

 そうきょうのよい革命、わが手にあり。
 健康を期す。

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□
■■■■//■■■■//■■■■//■■■■//■■■■/■■■■//
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1752大原練習1652天の下2052 Italia cachi 柿(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8528
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/25柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2019年06月29日

卒業3850Italia A Sizuhara 静原行(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3850京都船旅2750
古譜1750大原練習1650天の下2050 Italia A Sizuhara 静原行(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


名伴奏 404-4s-7

名伴奏 404-2s-33



【創曲】2019/06/29、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 
城は行く 君が見る 青い富士
お台場御殿場の裾の浦 始祖鳥が
羽振り 後ろ大きいステゴノドンが
大き電車に 乗りくつろぐ 旅の道の友
行き行きまた行く 静原 駿府過ぎ
大和御国 興す


 狐の天気予報。〇r1919/03/24
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【城曳き】
 大和へ行くという若い人である。昔の大和とそ、今、行く
人である。花のおいやらという、若い人の大和行静原である。
うちはたの世見(よみ)という。なびく旗の、旗の下並みという。

 八車線の鉄道という、静岡行のれいとうざんという電鉄と
いう。花ゆなろろふ、けれるれ、るんす、ればつ、ればる、
ゆんみす山のお書きという。

 大きな車体である。それを連れる城とそ。城の後ろについて
いる、連結車両とそ。歌の調子の進みとそ。そういう進み方を
した大電車連隊である。

 大船弓ありてそ、れれるすむす、という。れるっそのくい
ふり、富士が揺れたという、沿線のしこる、という。牛馬畜類
という。ここは、静らるせもる、という場の意図の言いとそ。

 静らるせもという、静かな山という。始祖鳥が飛び、また、
台電車に乗り、また、飛ぶ、静原という場所である。イタリ
アろんめくの山という。イタリルルーという所である。

 いっそみに世見(よみ)をいう。ろろゆらゆら、ことれるれ
とそ、るるっくす、しすゆれれふ(しすゆすれれ、とも)という。
れれる山のお絵という。イタリーツァーレラという。イタ
リルの山という。お台富士由良とそ。

 山砂のあすゆれ、せろろれんぶる、れれんす、という。
ヤットコセの大和という。ここを、大和の国という若い人の
今である。大和朝廷の頃という。今のことである。まんとる
山のお書きという。

 柿食えという場所とそ。柿食え場の人である。柿の大和と
いう。柿大和応調という、柿食いの落ちという。武者武者と
味がする音という。味の武者という若い人のいで立ちである。

 静原ゆそという、登呂の遺跡の城という、登呂へ立ち寄って
言った人である。登呂屋を曳いておいた人である。コンピュー
ターの置かれた登呂屋敷という。手にはスマホを持つ人である。

 ふんふんふんと言いながらカメラのスマホという、昔様の
人である。大和朝廷のスマホという、電子手帳という日本語を
使う人である。手帳写真機という、富士を背景にスマホをかちっ
と押した人とそ。富士裾野のおゆれ山という。富士がゆれたと
いう、ぐらっと来た日である。ぐえらるの山という。

 ぐらげるれとふの、そゆてす、とそ。ぐえという野ぐえの山
という。ぐえという山震えである。野ぐえという野震えである。
富士山大地震という、城も電車も止まっていた時という。

 屈んだ鏡の御子(みこ)という、若い人である。鏡御曹司と
大和朝廷のことである。鏡御草紙というお書きである。屈み
が原の屈原という場所である、鏡原ともいう。屈鏡山の御
奏之という、手に持つテハフという楽器を奏した人ともとそ。

 自身がぐらりした原の演奏という。良き世の中である話とそ。
そうきょうの良い音である。静から山ゆれゆれという人の世の
お静由良という、後、静子山という、富士山のことである。
静子さんありてありるそわよわ、れれとるすすむ、ろくす、
という、静子山麓である。

 山々の静かな台地という、静る山れわ、と。れわという、
麓である。ぐえれわ山のお柿、という。柿ぐえ山ぐえのかき、
である。駿府の山のお言いという、ぐえの山、ぐえの柿とそ。

 かゆかゆえる、ろくす_ろ、という。ろろ花のお台という。
御台という場所である。御台場山、静子山の歌である。ステ
ゴノドンがいたという若い人の同乗の電車という。
八車線の大電車である、動力を原子炉という、大和朝庭の人
である。大和朝帝の頃から、原子炉を使う人である若い人で
ある。ぐらっと来ても大丈夫であった日という。原子車両
お柿という、柿を食べていたステゴノドンである。

 城曳家の提灯という、大丈夫であつた話という。先頭の
城に吊られていた提灯とそ。ゆらゆら静まりの、おとうち
ょう、という。テハフの調子である。音楽の調子という。

 くねった拍子という、3段目の調子という、そういうよ
うに、柿を食べた人である。ステゴノドンの柿食い調子
である、若い人の調子でもある。

 sotu3850、卒さわご丸という船も積んでいた電車連隊で
ある。卒騒丸ともいう。そういう、食い書きである。
番号を食べるという書きである。

 そういう日の遠方という、朋有り遠方より来たる、
という、友の蟻が喜んで寄って来た柿である。漢文に
くわしい人である。曲解という、音楽家の解説という。

 sotu3850の曲解である。
 
 そうきょうは良き日である、今日(6月29日)の旅という。
曲解の人である好い人である若い人である。
 

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□
■■■■//■■■■//■■■■//■■■■//■■■■/■■■■//
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1750大原練習1650天の下2050 Italia A Sizuhara 静原行(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8508
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/24柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2019年06月28日

卒業3848ItaliaRivoluzione del legno 木材革命(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3848京都船旅2748
古譜1748大原練習1648天の下2048 ItaliaRivoluzione del legno
 木材革命
(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/28、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 
よもはぜこりく そみそやれ ふすれさろ
そみそすしらず それよらふれ けれぎしら
るらせきすらめの 木を切る機器見る
おいらぜの 彫り機つる刀 音はこりこれ
すきみ それる木も かえる木もありらるる

 狐の天気予報。〇r1919/03/23
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【城曳き】
 若い人がいう、『城を曳いて、おうきょうへ行きます』と。
城から出た城という、これに連なる電車とそ、家の形をしている。
滋賀へ行き、安土へ行き、彦根へ行く。城ごと城へ入るひととそ。

 安土の城、みつゆそ、という、みみてるややのおはむ、とそ。
これが若い人の旅行である。『朕、こいほも』という、ほね
ゆらの言いとそ。御所の言葉をまじえて言うた人とそ。
この御所を、とうめくという、とうれらのおせるやゆ、とそ。

【東海道行】
 唱和という歌を歌う、若い人と言う。歌が『ねんね』という
歌である。わとという、わみののあんつ、という。わみのゆゆ
れる、という。東海道という、古い道へ行く城という。大きな
城である。

 ゆがそゆがねな、ありす、ろとる、れのよ、これを、ろっく、
という。けてむてのおりりる、とそ。れれそのおしれる、という。
つばさ来たりるら、ろくす、れんぞる、翼が来たを向く城の翼
という。ヨイトホセという掛け声の山車とそ。

 これを城遣りという。『そうきょう、みてそむ』という。
みてやら浜のおいい、という。けらせ山のおすそ、とそ。
ろいろいの揺るるる、という。やゆせら夜、ここにやをとめ
という。やのの山のおけるる、という。ここへ、城ごに泊る
という。れてほてのれれするれずる、という。れずれる山という。

 唱和の歌という。後とそ、あきらせまの山という。歌を山とそ。
『ややや』という歌である。ロンドンふくせまの歌である。ビ
ーワンラックという。びのそめの歌という。ここで、とまった
人という。今の、お題場という、後、御殿場とそ。富士の裾で
ある。しずつみ山のお書きという。城が泊った話という、
城どめ山という。山々の城である。後、この経路を東海城という。

【城線、状線】
東海城線という、単に城線という、状線とも、後の世の東海道線
である。お台場もっこすという、城やらのふつゆつという。める
れるそっかま、という。これを、そこれく、という。あつれつの
山のお絵という。お台の御殿という、お台御殿場という。てん
ぜらのふれずれという。めめすふるれつのうゆする、という。
北の絵のれこ、という。

【御殿場】
 富士が目をあけたという。富士見のお台御殿とそ。東海道城
旅という。これを、みたせら、という。せら旅のゆりゆり、とそ。
うちず山らら、そすゆ、れとす、この言いのお台御殿である。

 また見る山という、富士の高ゆむ、という。藤山高れく、と
いう、さるれるせもるれ、という。これが、お台御所の言い
である。みみ浜のおすゆす、という。

 大きな始祖鳥が空を飛ぶ、まゆ鳥がはけをいう、はけという
声とそ。豆踏みのおがれく、という、めるれるせもれる、と
いう。小さなステゴという、ステゴドンという恐竜の子供とそ。

【行燈】
 城住まいの旅という。これにシャチという、シャチの大魚と
いう。これを連れる旅である。『旅は道連れ』という、『よわぬ
人』という。シャチ山の音猿という、天井に吊るす音入れの
行燈である。これを『こうとう』という読みを、とそ、する旅
である。行燈旅行という。うちの花山の歌である。動く城と
いうわためなのそも、という。城をめという、の時の『こう
とう』である。

 『あん』と言うたステゴドンという、ステゴドンを『あん
どん』という。これを、行燈--こうとう、という、若い人と
いう。あんどんの読みという、ステゴドン読みという。城旅の
読みともいう。東海道の話である。

 行燈をよれという、よれの読みを殷読みという、後、という。
東海道四谷獣という、ステゴノドンという、ステゴドンとも。
四つの大きな背のひれという、その合間のちいさいひれとそ。
こうとうのお書きという。四谷怪獣の段とそ。スステゴノ
ドンのことである。我が背を、剣世という、剣背の獣という。

 恐竜のお居間という、城である。足跡を残す、この獣とそ。
あの城の前という、1メーター程の足跡である。これをたくさん
残した獣である。獣行道という、城前の道である。この城の周
りにたくさんある足跡とそ。

 隣の御所という、ここへ通う怪獣である。御所住まいでもある。
ステゴノドンおいらる話という。思えば城を曳きつ曳く日の恐竜
とそ。日をこう闇楽という。恐竜の背の皮に似た材とそ。これで、
造られた三角琴とそ。恐竜の恐れ弾きという、後、そうきょうる、
という。そっきょる、ともいう、そうのそっという言いである。

 恐竜がこの歩きをする、恐竜歩語という、そうきょうという
言葉とそ。後、琴の操狂弾きである。鯉がくるくる回るという
恋の回し弾きという、琴の手の動きという。

【キンシャチ】
 東海道を、琴弾き線という、今の東海道である。東海道へ
進み行く御所ともいう、城ともいう。これを、東海道ゆっきく、
という、お台御所の言葉という。後、台所である。しゃもじ回し
という、琴の弾き方でもある。しゃもじ様のもので、琴を弾く
ことという。この琴を、キンシャチという、きんしゃのお琴
、という。金襴御所の琴である。

【扶桑】
 この琴に合わせる扶桑という楽のきらく、という。扶桑という
楽器である。先程のステゴノドンの楽器という、ステゴノドン器
という、一名に、しゃっこす、という、しゃこ琴という。バチも
ステゴノドンの皮に似た材で、三角という、大きな山と小さい山が
きってあるバチである。弦を、いまやる、という材が、やとのえ、
という。金気入りの線弦である。今の、今のギターの弦である。

【弦白琴】
 ギターに使えば、げんぱく、という、弦白とそ。弦白琴と
いう、この弦を使う楽器の総称という。弦白を、『そうきょ
う』という読みを、殷泉音という、しゃち音ともいう。金銀
しゃちの山とそ。

 東海道、音ゆみはるけの旅とそ。頃は春やよう頃という、
これを、弥生という、この楽を弥生楽という。東海道弾き
ゆきの楽である。若い人のお話という、若い人の道中講義
である。道歩む共に話すことの若い人のいうことである。
御所の中の同行の友である。京都会議の夜という、あの晩
の話である。

 大きな楽器もあるステゴノドン器という、ネッシー楽に
使うこととも。
そうきょうのよい楽器ありてあり、城行きのよい時とそ。 

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□
■■■■//■■■■//■■■■//■■■■//■■■■/■■■■//
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1748大原練習1648天の下2048 ItaliaRivoluzione del legno
 木材革命
(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8488
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/23柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 16:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2019年06月26日

卒業3846ItaliaPalazzoComunicazione4 御所連絡4(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3846京都船旅2746
古譜1746大原練習1646天の下2046 ItaliaPalazzoComunicazione4
 御所連絡4
(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/25、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 



 狐の天気予報。〇r1919/03/20
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【物木御所】
【健康橋】
 革命橋、revolution bridge、という、どこの町でもある、
賀茂支流かいせらかわ、山科川かい川、・・・健康お橋とそ。
ハドソンの2キロ上という、そこを、ハドソン・レボという、
ハド大橋という、そこの橋である。夜明け橋という、革たる
橋とそ。平氏山麓という、場とそ。小ペンタという建てという。
ロツキーロックの山という。

 『また来る』という水の音という。『アイ、シャル、レット』
という古い町とそ。第一次大戦前である。円筒『日美』の
お行きという。
 
『革命橋を渡れば』という、リバーの語源の箸とそ。以前は、
ルーレルという、ルーラーともいう、その頃のろくれらふまの
山という。リバットソンという、バーレルスーユーの町とそ。
革の字の町という、革下町という、ハドソン河畔である。

 らるせるれっけの歌という、第一次網のじわくつ、とそ。
ボートレットの山という。木登り山、別名という。そこの
水である。論鼓の山という、ロンロン山の言いとそ。リバー
ことをいう。赤い水という、意味の流れの言いとそ。
赤い水をリバという、リバ津という、川なみの山のありせ、
とそ。革命橋のおつるるるはる、とそ。ロンドン橋落ちたの歌
という、リバットばっとという、アメリカの古い橋とそ。
ロンドンミックスという、アメリカの歌である。ミズリー川
ともいう、若い人が、また行くという、ニューヨーク・アイ
ランジーという、ファットワットの山という。

 フォースやっぱの言いふれ、という。そこの言葉のことを
いう。アメリカの言葉という、こめ語という、水をリズという
所である。古い日のアメリカ、我が故郷という、メという
お書きという。京都花の、リットル・キョウ、という。
古い日の京都の京とそ。京都会議の連絡という。

【フォートワース】
フォートワース、ダラレル行きの、フォーセラルールという、
円筒の航行路とそ。ユーレルワースの歌という。ろん春の山
という。フォートワース会議の後という。

 フロリダ山のお書きという。海岸の町のフロリダである。
長生きのアメリカの場所である。長生き路という、円筒航行
の航路である。革命筒ともいう。

 ロンドンのリーレルともとそ。ロングリブの山という。
ロングリブという、この言いが、ロングセル、ロングセラと
いう、木の香ごる(きのかごる)という御所の説き所とそ。

 木の香御所(きのかごしょ)という。海貝のいる所という。
日本へ連れてきた貝である。大きな貝という、1メーター
程ある貝とそ。御所にいる貝である。たくさんいる話という。

 マッコー山お書きという。ユーフアーレという貝である。
大きく口を開けて目を出す貝である。貝座山お書きという。
はくまるの山という。はれるれのゆゆれるせ、とそ。

 革命の世界、レボルーション・パーレルという。大きな
真珠貝である。これがいる川である、革命の山お書き、
これとそ。恐竜がたくさんいたアメリカとそ。

 恐竜の世界、これを、ればれるせ、という。リバーのゆり
とそ。恐竜をゆりという、ゆりの声をゆりろ、という。
『ユーフォー』という恐竜という、オッペラという、ステ
、プラッキオという、ステラマ獣とそ。

 るり原のダラセラゆら、という、ダラスラ山のお書きと
いう、フロルー室という町の名という。室山ロンドという、
『だってだって』という民謡の出という。アメリカ民謡で
ある。

 するりるくめる、クラベの股のはむれ、という、股という、
段のことをいう、谷のまた、とそ。段のある谷とそ。
せむっするかわという、ここを、エドワード空軍という。
ジォルセル山という。アメリカの古い話である。

【地鳴り】
 若い人の地音という、地鳴りがあった所とそ。
『ホーフワー』という地鳴りである。ぱっ飛ぶ山という。
エドワード砲という、これの音の出る砲とそ。
エドワードの歌という、三角形のバラライカ風とそ。
ここの民族楽という。ふるれるよっつ、とそ。
四拍子の出の場である。三半余りの拍子である。
吹奏が、巻き川器とそ。あと、打楽器に、ボンという
音がする打楽器という、オーレル山のお楽とそ。
カーネルナーリという歌という。エドワード空軍の
所である。懐かしい山麓という若い人の振る山である。

 『イヨッソフ』という発進の声という、空を行くものの
発進である。若い人のトラックボール、ジェットである。
アメリカ北宅山お書き、これなるを。フォートワース会議の
一日である。カナデーという日である。

 ここを、スイという、スイ山の麓の村とそ。空軍のある
場所である。夏のや、これとろふるせせのや、という。
めめする山のお書きという。若い人の故郷である。

 この日の地鳴り、アフリカのモロコ揺れという。
モロッコのカザという町である。海岸のベンという町とそ。
どちらもモロコと言うた日である。砂漠のある所という、
きれやらのいる所という。三つこぶ駱駝という、花背駱駝
という、これを、キレ獣という。

 これを、連れて行った人である。同行の駱駝という。
小さな人形を背に乗せ歩いた人という、若い人である。
駱駝を思う人である。駱駝の背に載せるこぶ守りとそ。
人が乗るものではない、若い人は乗り物に乗る、動物を
いとう人という、大切人である。

【全者、全物革命】
 革命、健康は動物にも及ぼすという、機械の革命ともいう。
機械化の山とそ。機械の健康ともいう、機械による健康、
機械を大切にすることとそ。機械にも及ぼす革命の人である。

万物の霊長という、動物の脳の働きを、我が能の働きにもする
脳という、レクソルという言葉の意味とそ。

 レクソルという神殿という、動物をたっとぶ神殿である。
ヒエログリフという、それがその意味を持つ自である。
脳の偉大さをいう神殿である。ラムセという、ラムセルという、
駱駝の背である。ラムという駱駝である。

 革命は動物連れとそ。動物様の機械という、動物型の機械で
ある。これを、スイという。

【アフリカ】
 アフリカの御世の日々、キリマの御地という。遠いケラの山
という、ワンホーのべ、という。ベンともいう。ベンという、
水が連なる意とそ。ベンガシ、卞川(べんが)・・とそ。

 ベンケラレムさめら、という、海岸町のレマの世とそ。
ここをベマという、おベマや、という。遠いアフリカと
いう。日本語に似た地名がある所という。ベンセマレル
という言葉を使う山の人とそ。アフリカのヘン方言という。

 ベラボラという、ベンの言いのキリマという、この『キ
リ』が、ろくという意とそ。記録の録である。動物の脳を
とるたっとび、とそ。動物能の働きを自分の脳がする、これを、
きれるれという、霧の御所のお書きという。

 きれるれのごはれ、とそ。霧のかかる山の麓のことの読み
とそ。ベンの川のある所という、霧がかかる所とそ。
ここの、ベホメミという言葉という。方言である。

【駱駝】
ベホメミの言葉の『キリ』という、動物の脳という意味である。
日本語の『きりめら』という、駱駝の脳という、これをたっとぶ、
言いとそ。気象をよる駱駝の脳という。天気予報の脳がある
駱駝とそ。駱駝の背がそれを表す、駱駝のいじょう背という。
駱駝を、いじょう、という。いじょうの動物という。

 これが天を読む言葉である、いじょうという言葉とそ。
ラッセムルークーの山という。ベンの人の言いが、駱駝を
たっとぶ言いである。大便小便の話でもある。排便をたっ
とぶことという。天気が備えをいう、天気を見る能とそ。

 駱駝の背の山こぶ、という。これが、天という、駱駝の
こぶを、天という天山ともいう。いじょうのせけん、という。
駱駝のせけんをいう、これを拝見、背見(せけん)という、天気
を見る山という。駱駝の優れた知能である。
ベンの地のお書きという。この御所を、くご、という。のち、
くぜる山という、山名御所という。山をたっとぶ御所である。
山府ともいう。御所内山という。御所の中の丘状のある意とそ。
ユンモのお書きという。ユンルル花山背とそ。駱駝の背をいう。
大きなひとこぶ駱駝もいる御所という。

 天気の勉強という、駱駝を天気解心という、この花のごも
れく、という。花の御所という、動物をめでる御所である。
京録山お書きという。

 ベンタムバレスという、花屋敷とそ。御所のことである。
【陋習】
 この漢音である、陋習という、旧来の陋習という、これをいう、
明治維新とそ。陋がこの菅野意味をいう。隋の絵という。
みかさらきという、三笠とそ。この読みが陋をいう、陋宮と
いう、ここを、きゅうらうという、きゅうろうという読みとそ。
これを、旧来の陋習という、旧来の陋習を破りの意味という、
旧来の陋習をこうむられ、とそ。これが、陋習である意という。

 きんらんの言いという、きんらん御所という。ぎょくという。
これを、魚句という貝とそ。魚を陋という、この漢の陋である。
この陋習という、魚の餌付けという、これを、たませ、という、
これを、魚の背という、魚による解という。旧来の陋習をやぶ
るを、こうむるという意という。こうむる晴れの世という。
これを、パレ世とそ。晴れた日をいう。

 晴れた日を、こうむるという。こうむるやざ、という。
これを、破るという蛇足の話である。旧来の陋習をよるという、
天地の公道とは、一般道路の一般河川の添い道とそ。
古い習いのことを、旧来の陋習という、これを破るという、
古い習いという、貫禄という、これをこうむり、とそ。

今様の解に、古いしきたりを破るという、こうむるという
読みという、古い道を新しくするという、道路の保安をいう
下りという。しきたりという、道路の凸凹の畔をいう、これを
平にすることという。京都会議のことである。維新という
大きな道ができたのである。維新道という丸木山御所という、
御池の日陽ヶ丘のことをいう。若い人の住んでいる家である。
平になった日陽ヶ丘という。

 瓦山背町という、今の河原町の前である。ここを、公という
公場所という。太陽が燦々と降り注ぐ日の丘の公道を天地の
公道という。公という細い畑道である。日陽ヶ丘、瓦山背町
の辺りである。これを、改めて大きい平地にすることである。

 五個条の御誓文という、やはり、五がつくことという。
ファイブロンセル浜の言いとそ。ファイブローという、
五つ笠宮という、低い丘を笠ということとそ。

 アメリカのファイブ・ヒルという、後、ファイブ・トン
という五番街という。ニューヨーカーの言うトンの意と
いう。街という意がある。ワシン街という、ワシントン
とそ。タウンの、トンというワシントン・ニューヨーク
という、そこの場の言いとそ。ニュートン、ニューの
街とそ。ワシンシトン習という、、デシという、アメ
リカのデシの方言である。デシ・ワシン街という、現、
ワシントンDCという。これを、ビリという、ビリ言いという。

ワシントンっ子という、ワシントン・ローという。この『ロー』
が陋である。これを、米陋という。アメリカ陋津という、古い
ハドソンを陋津という。陋花語という。ヤンキーという、
言葉の意味がこれである。

 陋花を浪花という、大阪のヤンキーという、岸をいう。
海の入り江の河口の記しをヤンキーという意味ともとそ。
大坂弁という、大阪山のヨットハーバーという、これもそういう
意味とそ。

『ヨッソヨッソ』という船漕ぎの掛け声とも、ヤンキーという。
弁天という弁天掛け声という。祭りにも使うこととそ。

天辺の場所を弁天という、ニューヨークを天都という、ソーラー・
スカイ・ラーという、ニューヨークの古い言葉とそ。
海がかりのことをいう。波が高くあがる場所である。大阪浪
花の海という、天浪という、ニューヨークの古い言いの、
スカイラーである。

 五か条の御誓文は、ニューヨーク発であるというローン
レンジャーという、道路工事の人という。道路工事は安全に
ということが書かれている。

【金襴御所】 
 ファイブ・アイテムという、五条の陋習という、山の背の
五つ山の御池周りの地とそ。京都会議をしている所である。
れを金覧御所お書きという、金襴御所とも。

 金襴という、竹、木、金に金色を塗る細い垣立のような
ものとそ。これのある場を、ゴレという。のち 、御所に
含める、キンランサーという、サーレルという、垣のよう
なものの立てをいう。ランサーというのが立っている棒
という意とそ。
 
 金襴サーと言葉をきれば、金襴のサーマという、金襴
というしとりという、しとねの周りとそ、紫禁城という
意味とそ。北京造りという、金襴の意味という、サーマ
という、様のことである、状態のことである。これをサー
という、ニューヨーカーランディーという。カーランレル
の山という。ゴールデン・ホ、という。ゴールデン・
ホットという、金きらという意である。後、金閣という、
金閣御所という、金襴御所である。

 金閣寺という所がある。金襴御所から金閣寺へ行く、
これを、かなぐわの道という。北の商から金閣へ行く道、
これの三角形を、かなぐわめ、という。

三角地域を一般に、よりかな、という。よりかなべ、という
ここを、三角御所という、三角野郎という大坂の花言いという。

【路面】
 三角錐のおりろ、という。きんせわらん、という。ふく
すいという。かなの三角町という。三角陋閣という。路面
邦(路面方、ロメンホウ)という、金閣御所へいくこととも、
金閣寺ともとそ。

路面方、御所へ行くという意味である。のち路面と書く、
路面電車の路面である。陋面という古い表しとそ。
陋の字の使いを、陋習ともいう。

【三角測量】
 この三角形を三角陋という、地面の三角形である。三角
野郎のいうことである。おすみさんという、三角測量とそ。
金襴御所の意味が、測量である。後、地図方という。

 これを、いのわれ、という。いのその山という。いという、
地を割書きして測ることとそ。伊能という人の測量である。
能方ゆっきくのおは、とそ。おるれやさ、という。おるする
れんる、とそ。

 御所連絡の文という。そうきょう測距という、ソーレル
おいほり、とそ。伊能山という御所の中の丘である。ここを
三角山という、サンレルという、サンスミという。れっする
れっと、とそ。三角測量の御所とそ。

 大日本国、大日本帝国という三角碑を作った三角点の御所
とそ。明治維新の頃という、旧来の陋習を、という話という。
京都会議のことである。

 サン・ロイヤルとそ。太陽の花のごれ、とそ。御所とそ。
ロワイゼラーという、ロワンの山のおちる地、という。樺太の
測距という、しばらん山のお書きという。

【北商】
 北の商の町という、樺太の町である。樺太を北商という
せっくの山という。ほくれくれとるれんせらのゆいける、とそ。

大お爺さん、大お婆さんという、福沢という御所の一区の大お
爺さんという。像の大お爺さんである。機械の大お爺さんもあ
られたこととそ。ロボットの大お爺さんである、30メーターの
背丈という大お爺さんである。

 そうきょうの大お爺さんさんという、今日の話である。明治
維新を復古するという、大お地位三という、若い人という。
第三の人である。大お爺さんの話という。
じいたられっくのお書きという。

 たくさんおられる、大お爺さんという、革命の言いである。
今の事という。操今日という、若い人という。大和時代も、奈良
時代も操今日のことという。

 健康の操今日をたっとぶお書きとそ。


//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□
■■■■//■■■■//■■■■//■■■■//■■■■/■■■■//
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1746大原練習1646天の下2046 ItaliaPalazzoComunicazione4
 御所連絡4
(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8468
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/20柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

卒業3844ItaliaPalazzoComunicazione3 御所連絡3(壮強太陽):イカスミ柳


馬にはのらない:健全家
そうきょうのよい思い出し:高瀬川行代
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 正
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:ドクダミ薫
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業3844京都船旅2744
古譜1744大原練習1644天の下2044 ItaliaPalazzoComunicazione3
 御所連絡3
(壮強太陽)
鳴恭川世讃歌)


【創曲】2019/06/25、柳晴
    創曲、至宮マサユ・正(やなぎ) 
    造詞、石・正 
    監修、えりまきとかげ・正
    訳、 冴柳一郎・正(秋残り市在)
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【ファイル】sm3ファイル
【作成ソフト】
  Music Score3、シルバースタージャパン社
  バンドプロジューサー
【歌詞】創郷 



 狐の天気予報。〇r1919/03/20
 狐と。 過去をとく、という。
 場所、そ。 狐言:こって。
 狐晴れを、柳世葉とぞ。
 桃晴れごぎつね、秋晴れごん
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))

【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山
品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲
Be in Ideal town.
【J家言】今様(こんさま)、詠。
【京都会議】
【ムー大陸】
【物木御所】
【三角形】
 細い所へ行くという、間の三角形という、三角錐の家の
お書きという、三角形の地域を立てる人である。御学問所
へ行けば、机の上に、黒い木の三角錐に、当と書いてある
という、当番の印という。三角錐の建物があったという
御所内の人である。雅な人という、三角錐雅御所という。
御所見聞録、当番の三角錐を見ることである、三角錐が御所
という。三角錐が御所である。

【木内御所】
 御所の木内(きだい、きうち)という、木内御所の
お書きという、この言いをする人である、『細川さんへ
行く』という、紀見井の若いである、旅である。
紀見井行と誘う人である、間の三角形へという。細川さん
という言いをする、細川三ともいう、木内茂(きだいも)の
御所という。君憩う場のお書きという。

 トリレンブラーという紀見井の話である。ユーターンの
堺ともいう。これを御所の内という、各地にあるレント、
連都という、レントロットという、堺弁のめでという。
堺方言をレントという、さんの意味があることとそ。
へんへんこつきいめ、というきめをきいめと言う言いとも。
ローゼルロンゼーの山という。

 堺のことを、ロンセラ、という木内御所の、英ロック語と
いう。後、英六という、英六御所という木内語とそ。
木内御所の言いである。
『大阪さんレ 』という、大坂三箇所を見る意とも、
『大阪へ』という意ともとそ。

【登攀】
 『京都三』という、これを、登攀という、登攀路の
造りとそ。登攀車線のことである。単に『サン』という
の堀道をいう。『京都のぼり』という意とそ。
反を、『京都三子(きようとみこ、きょうとさんし)』と
いう、『京都くだり』という意とそ。
両方合わせて、『京都連三』という、『京都のぼりくだり』
往復のことという、往復路を連三路という話とそ。
これを、登攀、という。下りも登攀である意とも。
朱として、上りに使う昨今である。

 京都連三という、維新蜜という、みっとというせのえの山
という、つらぞうさんのお書きという。

 『大阪さん』という意の、人の意に使うことを、キメた
人という、大阪連続という、大阪城内の御所れらの日である。
紀見井山の人という、明治維新の御方という、木内御所
(もくだい、とも)の人とそ若い人である。若山さんという地域
である。松の木ともいう、黒松林の木という。黒松御所ともいう。

サヤサムという、ナンバーリングという、抜き打ちという、
たんばぜらロンフックという、木内御所の英語という。
きだい連はる、という番号打ちである。

卒のうち、というサヤサムという講である。言いがめっそくの
言いである。意を『そろう』という意とそ。サヤの山の書きと
いう豆山である。

 そうきょうの御所、京都御所という、各地にたくさんある
そうきょう連絡という、れんごの山という。『さん』が若いを
意味する語とそ。若い人さん、若い人である。

 マットンポーラのポトマックという、松林もあるポトマック
という。ゆきらられんれくのペンタゴンとそ。

【ファイブ】
 自由の兵士は叔母の御光を受ける、五香の宮という、、
アメリカン・ファイブ・フローという、ニューヨーク五番街へ
入った人である。リッツ・ワッツ・ゴーオン、という、五音の
人とそ。ペンタ行という、三角形の下のペンタゴンという、
三角錐の話とそ。三角錐のあるペンタゴンという。

 大お爺さんおられおられ、大お婆さんおられいられ、ペンタ
行き、丸を打つ文という。O'uncle・lon、これなるを。
ロンドン・モーラカ、ヌークレック、エーリル・ロンラック、
モスコーキックという、文の意味である。木内御所の英語
である。

【即位】
 即の井の方へ行くことを即位という、人形の駆者ある、
しゆらふっくの井のことを、即居井という、ここの前を
しゆらという、しゆら所、しゆら殿という、御所の話という。

 位を居る所という。座位、卒位、即位という、部屋のこと
でもある。平安朝の部屋の呼びである。
江戸朝で、、それぞれ、モミ、ソル、レデ(レズ)という。
明治朝という、メルレル、レレミ、ソミテスという。
大和朝で、メンタム、ソントス、レミットとそ。
井戸の名前であることとも。

 大お爺さんのおられる御所という。我が家の御所ともいう
若い人のいる御所である。人形屋敷ともいう、人魚屋敷とも、
御所のことという。

 革命レンタス、レモソル、ユミとそ。革命の八尾という、
尾根(小根)屋敷ともいう。鎌倉朝の御所という。

 そうきょうのよい話という、革命屋、革命の御屋敷、という。
即居連絡という、ほうそる山のお書きという。
 健康を第一にする即位の話という。即の井のお書きという、
玉の井の一つ飛びの井戸である。即位井という、そっきょ
ら井戸という。ソクミスともいう、即位の日という、
革命の日である。

 そうきようの卒、卒即位という、卒の井をいう。一つ
飛ばしの卒即番号という。宮中席次のことをいう。一つ
飛ばしで、奇位偶位とそ。背番号の宮番という、番号に
よる見分けの番号付けとそ。宮版付けともいう。
 奇数を男にし、偶数を女にする、宮番号という。井戸の
並びを、番付にする、これを、番居という、その井戸の
前に住むことをいう。

 玉の井を御井という、後、2番井、3番井・・・という。
玉の井は、真ん中辺にある。左右に番号を振っていく番号
という、宮中宮井番という、この数次の御意を霊という。
0という。それで、有霊の緯度という、井戸から幽霊が出た
という、幽霊番付という、御所を幽霊屋敷という、番町という。
これを、番れっく、という、番暦の日振り山という。日振り
屋敷という、明治維新の頃の五番町である。御所を五番という、
五番の表るれ、という。

 表を幽という、幽屋敷という。五表幽という、ペンタレール
というペンタ所という。五番町ユールゥという、御所ぜらという
ぜら所の言いとそ。碁盤の目が中にある所という、五目の碁盤
という、五目並べという、御所のことをいう。ここを、既台礼
という、木内御所という変え名である。

 五番町夕霧楼という、言いもある。五番町朝菊楼とそ。
五番街本町という、五番町の番長屋敷という、これを、
ごぜふら、という。この『ごぜ』が御所である。
御所ふりという番である。番号とそ。

 五番街を、後、五番ぞ、といい、五番外といい、五番町
夕霧楼を出したという、元五番という五番外御所という、
ここを、本居(もとい)の山という。元、居た人である。
これを、若連という、若い人の居た御所という、若連山
という。若い人の居る所を、即若居という、ジャッカス
という、ジャッカルともいう。若家の山という。

 即に付く意という、井とも。
 
 玉の井を橋にして、即の井が対の端になる、番付ともいう。
どちらも井戸の番である。十二の緯度をこれに充てる番を、
きつま番という。この暦を、きつま暦という、これを、三十五
という。さんごの井戸という。さんれる山のお書きという。
井戸の暦という、365の暦という。

【紫宸殿暦】
 太陽井戸のこよれきという。350の日数をこれでとる暦を
みそるれ暦という、井戸の水を見る暦という。350で井戸を
みていく味方という、これを常の日に使用する、御常御殿の
暦という、おゆるるこよふれ、という。紫宸殿の暦ともいう。

【ベンソム】
 12の井戸を350で振り当てる振り方を、ベンソムという、
ベンタムとも。12の井戸を、ソルレ井戸という。セーメル
ともいう。セーメル暦という。れれせるすむゆむ、という。
これを、冷静という、冷静暦とそ。【革命日】
 これを、ねつるつという。ねつるつを熱月という、熱い月と
という。冷め日という、冷月の日々をいう。紫井戸をいう、紫
月を表す、紫日月(しびづき)という。この紫日が、建物のしびに
充たる日を、革命日という、革命の紫日という。これを、革命
暦という、御所の革命暦である。

 紫日という革命をとる、かっくるれの日という。革せる日と
いう。革命を起こすという、紫日のくく、という。今日(6/25)
の日辺りである。革命御所の紫日である。これを、始日という、
25日を始めにとる革命暦という。

 健康の初めをニゴという、ニゴ日のお初という。ニゴっ所の
暦という。これを、ニゴれる、という。にごれる番月という。
ニゴ番という、25を1として、ものを数えていく25の人発という。
これを、250の人生という、25歳を101歳という年の数えという。
御所数えの年齢という、26歳を102歳という、人発数えという、
そうきょう年齢という、70、80をモレクレの戸、という。
これを、一才にしていく、人生復古という、ふるれるれっすう、
という。おがれらの山という。福沢の復古という、福沢諭吉と
いう、福の人という。若い人の咲像である、銅像とも。福沢山の
お立ちという、福沢っ所こよ、という。福沢の暦という。
若い人の見る銅像である。ふくとめという人である。

【銅像の威風】
 像の下に人はいたという、ぞうげさんの話という、若い人で
ある。像を見る人をぞうげ、という、゛うげさんである。
これを、ふく風という、像風という、この風を、きせるき、
という。キッという音が出る像のことという。これを、気鳴き、
という、像の音という。

 福沢の御地(おじ)の気鳴きという、像のある地とそ。坂本の
叔父の気鳴きという、サッという音という。西郷の叔父のユと
いう、叔父の御歌という、キッサッユ像という、像の歌という。
像の発声という、天の上の声という、若い人の崇める像の声と
いう。めぐり合う人である。この声に巡り合う人である。
像を拝む人とそ、像声のお書きという。

 ロダンの兄の御声という、ピュッサというお声である。
これを、世に明示する、異新説である。明示維新の群像の
声という、若い人の偶像崇拝の一とも。明治維新を駆け抜
けたのは風であるという、ピュッサというロダンの兄のお方
である。明治維新の群像という話という。

 阿国の叔母という、アークニーという風の声という。新説
数用これなるを。明治維新の大叔母である。若い人は、風と
ともに、維新を越えにする人ある。復古はなったという今と
いう。これからは、大和懐旧も出てくるという。

 埴輪に当たる風という。シャという声とそ。これを、しゃ風
という。銅像にあたる風をしゃ風という。者風という。者風の
音という書きである。ピュッサのお書きともいう。

 風説の明治維新という、これからもドンドンするという人
とそ。井戸をみれば暦という、革命の暦という、井深の風と
いう、何度でもやる明治維新という人である。明示維新ともいう。

ニューヨークの叔母のお声という、ロンロンと聞こえたという、
自由の女神の論という、論風のニューヨークという。ニュー
ヨークっ子の若い人とそ。ニューヨーカーともいう。

 ペンタゴンに吹く風である。ニューヨークの叔母のお声である。
自由の女神の指揮下、平和の元は健康であるという。ヘーシーとも
いう、平氏ともいう兵士という風という、いでたちという。
カーキー色の服である。泡間風波の装いという、模様である。

 叔母の立たれるニューヨーク・ハドソン河畔、思いて、ゆゆ
たり、ゆたりたゆとうイージスとそ。叔母をたよりに航海する
戦艦である。思えばオーベルニューの水、流れ北りて明けをいう。

 ペンタゴン数用、パリをいう、古フランクの、ニューヨーク、
パッドハド町という、ハド村の、ハ出という。ハーレル数用という。
、ハドメヘド、パッソンレークという、れれてるふるめる
すくるせせ、という。風の町という、ハド町の鳩という。
叔母のおひざ元のことという。鳩がやってきた、トランプを
立てる場所とそ。トラッケルルースーという、れるれる、
れめる、れめれ、おりよっとく、せつる山という。
セッツルメントローザンという、連書楽閣の自山浜という。
そこの鳩の声、ピーカラ連の声という。ピピせる鳩音という。
ヒューレットという、飄連声という。風吹くハドの鳩辺という。
ハドソン湾の入り口、ヘーシーと吹く風とそ。へしふかれ山お
書きという。

 何度も言ったニューヨーク街、自由闊達の町という、ロン
ドン発、せり山越え、アイス網経て、クリーブグリーンという、
だ臼の山並みみられる、ドイツ・ベールレルベルグ超え、リッツ
カーレというスイス麓の谷のまた野原、かいれれ、リスボン岩山
超えなむ、オッタワ経て、ニューヨーという、ニューヨークの
パッド鼻、たいそるゆまれまなの、はれる山、ここへ北った
ゴレ機の航行という。

 叔母のおゆる元という、ハドソン無河畔である。ペンタレ
ンタの山という。中国南京のそつれさ川のかどれ、という、
南京の町という、東城秀世という、搭乗英機のドン晴れである。
ニューヨークへ行くという、京都会議の連灯という。

ガスらすやのふぬめむ、とそ。南京郊のけせるふれ、を出でた
人とそ。連盟を経た連合のペンという。ペン型ジェット機の
航行である。叔母にごあい、という自由の女神の膝の元という
場所である。遠い日の維新の日である。灯ともいう。叔母の
光という。

 江戸城の広間のぼんという。仙台せっての山という、げげ
ふる雨らぜ、とそ。

中略。

//□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□
■■■■//■■■■//■■■■//■■■■//■■■■/■■■■//
 『紫だちたる雲の細くたなびきたる。放射能の雲や如何に。』
 『はっ、たなびいております。』
 『あれに見えるは放射傘雲』
 『これに見えるは、手乗り雲』
 『これっ、悟空、放射能は如何に』
 『放射の山のおきたりて乗り乗り』
 『助さんや、格さんや、悟空ともども、お乗り乗り』
Mr. Atom Lucky Ager, "Italian report" より

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項
       秋残り市史編纂員、余。
       秋残り市史篇絵巻物

***アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ アザ***

秋残り市立美術館冬期展示
『古譜1744大原練習1644天の下2044 ItaliaPalazzoComunicazione3
 御所連絡3
(壮強太陽)鳴恭川世讃歌)』
俄家判 びという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、元
-----------------------------------------------------
 仮想店 出品 ID:Kyou8448
     画商『曽端』俳画専門
     豪華額縁付 2000円ヤナギ
  著者@350上巣真芯
  UESUMASi W.E.州 Machine   


-----------------------------------------------------
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
一行日記
1919/03/20柳晴、東京在、10秋残り君来、12すき焼き、16大阪、19宿
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
------

ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
全て、仮想です。実在とは、無関係です。
楽譜の作曲者名、作詞者名等はもちろん、私が
勝手につけた名前で、ええ加減に書いてあります。
同じ名前の方がおられましたら、同姓同名です。
実際の作詞作曲者は、私、駄作者の秋残り、本ブログ
著者小林壱裕です。
記事は架空です。著者@350
Notice:Writer says,
Names are virtual on this article.
Matters are not real.


posted by 秋残り at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽