2017年05月26日

卒業1775・京都船旅675古譜545大原練習165小手朝(相凶太陽):イカスミ柳

そうきょうの思い出し:能野鷹世
字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:山吹 柳
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 餡
天の下、山拝み。つねづね。:紙祖川劣る

【曲名】卒業1775・京都船旅675古譜545大原練習165小手朝(相凶太陽)(鳴恭川世讃歌讃歌)
   midファイル
【創曲】2017/05/26晴創曲造詞
【拍子】 
【種類】君彼女:歌
【演奏】大原回山余、往来歓楽家  
【場所】4戦回演、インターネット秋残り劇場
【歌詞】蒼郷 (紅世赤夜章)
小手朝に どうも どうもよろしく 挨拶をする
鮮やか朝 葡萄の挨拶 葡萄家の朝の清い挨拶
堂裳の葡萄の今朝の始まり 銃を持ち剣を持つ
いかすみの墨入り銃剣を脇差し歩む姿の凛々しさ
葡萄靴履き 葡萄目覆い 晴れ姿 花道の渡り行き
柳腰前えらの 光る堂裳の通学

 狐の天気予報:〇r201705028
 狐ど。よま、えふ、とも。
 過去をとく、という。
 場所、こる。
 狐言:なず。
    
   ((明日晴れたなら行こう、大原砂山))   
【解説】君、探敵中、情景。 破風之談
柳太陽
------日出葦談笑聴
明日晴れたなら行こう、大原砂山

 小手朝(こてあさ、こてちょう)という、武道家の朝とぞ。
秋残りの国の三本流という。二本箸より一本多い、三本箸の国である。
三本国の流儀である。一本足らん日本という。一本添える三本国という、
秋残りである。ここの朝をいう。どうもう(堂茂、堂裳)の朝という。
 武道家の挨拶である。桜、桜という日本に、一本添えて柳という三本国の
柳の日本である。柳っ晴れの日本という。これを、古正道という。
古正の日本を三柳国という。三本の柳である。この柳を見流す三流という。
一流れの一本という、二流れの二本という、三流れの柳世という。四で始まる
別府という、別保という。五を継ぎという。六をれむという。七を尾(び、お)
という。八を矢(や、しつ)という。九をやなぎという。十をとうという。
 この数えを三品(さんぼん)という、三本ともいう。
十一をめられという、十二をめっす、めっさという。十三をておという。
てるともいう。これを三輝(さんき)という。三輝が十三である。
次をとという、十四である。十五をろという。十六をも、もめという。
十七をろくろという。十八をおっぴ、おひという。十九をもさという。
二十によるという。夜と書く_数えという。
ややのよま、という。れるれるのかぞやら、という。
めっすめっさの数えという。『夜が明けた』を『はたつ、はたち』という。
はたつ朝をこたつという。こたちの朝という。これを小手朝という。   
 はたちの武道という。武道家の挨という。挨を挨拶という。これを、
かなやら、という。かなけの山という。この挨拶という。こののうの
あいおき、という。起きた日の朝の挨とぞ。武道家の挨拶で『どうも』と
いう。朝に『どうも』と挨拶をする。これを、どうまる、という。
『どうまる』と挨拶をする。どうむの山という。小朝という朝の挨という。
『どうみ』という。挨拶の言いという。いい山の挨おり、という。
みすちす、という。めるらるの言いほ、という。これを『め』という。
堂茂の目という。どうもう、どうも(堂茂、堂裳)という武術、武道である。
 ピストルを持つ武術である。武道家の山という。武道を葡萄という。
葡萄という武道である。武道の一種である。この堂という。堂をめるらる
によるふみた、という。ふみたの葡萄という。剣をあがたとぞ。
あがた槍の語元である。
 ピストルの葡萄という。葡萄武道のペラという。これを、ペッセという。
ぺつれつという。ぺらんしょ、という。めすらすのおゆれ、という。
これをぴすつる、という。ぴすてす、とも。ペーランワックスの山とぞ。
 剣道の胸の胴に、その両脇に小竹刀を指す。この小竹刀の脇にぴすという。
ぴす竹刀という。これをぴすてすという。ぴすての使いという。後、平手
という。平手竹刀という。平手小手より、という。これを、銃という。
小竹刀の部所に銃をつける武道という。葡萄銃という。ピストルという、
ピスをとる話である。ピス剣という。ピス銃という。この銃である。
連銃という。連発銃である。これを、武道の堂裳(どうもう)という。
後、獰猛という。獰猛の語いいという。語いいのゆいから、という。
からりるらっその山という。かりる山という。かりほの言いという。
 堂裳の武術という。連発銃の使いに竹刀も使う武道である。
これを、『どうもうりゃ』という。どうもうの山という。
片手竹刀で片手剣という。この剣の造りの話という。剣道剣という。
剣を持つ竹刀という。剣の剣道という。竹刀と剣を持つ剣道を、竹刀
という。これをしなう竹刀という。市内という剣道である。市内剣道
という。街掛けの県、市内という。これをあざのうという。
あざなうあざけん、という。小手朝の小は、子の朝という。
 朝子律立つ、ちょうしりったつの山という。音楽の律がこれに入っている
駄作の秋残りの楽である。葡萄の山の律、山律という。卒の五保足という。
しごのれめ、という。マーブレーという。メレルレの山らる、という。
げんばら山のお書きという。挨の歌という。挨拶の武道という。
武道家の礼儀という。『どうも、よろしく』という。『どうも、あり』と
いう。どうありの山という。一本をありという。
『小手一本』という『小手有り』という。『二本有り』という。
  小手朝の一本という。朝の本矢(もとや)という。これを、朝の下という。
『ヤッ』という掛け声という。武道の掛けである、掛け声という。
あざなうやっ、という。あざのうという音便である。あうをおうという。
音便である。関西弁に残る言葉とぞ。歌うを、うとうという、音便である。
とうふるらむ、という。らむの山という。字(あざ)を古く、らむれ、という。
らむれるら、という。むらのごれ、という。めるらるのめっすという。
  剣道の今の剣道のスポーツ剣という。スポーツ剣道の目を『める』
 という。めるれるという。めせ、とも。剣道の目の動き、動かずという。
 動かない剣道の目の使いという。ボクシングの目の使いという。
  動かす剣道もあるという。堂裳の剣道という。これが常に動かす
 使いという。びすてす目という。相手のこうるを言う。ぺっつという。
 ぺつ目という。ぴす手の目という。甲打ちという。甲を打つ剣道という。
 小手の剣に小手うちを入れる、ぱねほね、という。ぱうるという。
 パールのお書きという。甲打ちをいう。剣道の小手に甲打ちもある。
 手首上のこうという。これを項という。項と言うて、掛け入れをする。
 どちらも甲という。手の甲という。手の項は、どちらもいう。
 手首上の甲という、手の甲も甲という。項ともいう。
 これを葡萄まま、という、言葉のことをいう。
さて、堂裳の構えという、その一つという。竹刀片手、ピストル片手という。
これを、獰猛の構えという。右手竹刀、左手剣の場合もある。逆もある。
 この獰猛の武術である。連発銃の三連という。三つの銃口という。
めってぱん発という。これを一個という。めるてすのおれ、という。
めるぶるともいう。『めせて』という、『ぱん』という。
めせれすの打ちつ、という。メルーレル・バンルーという。
ながたん銃の持ちという。長い短銃という。ペルーレルという。
ペッセ銃という。ペレテスのおいれ、という。これを『ペン』という。
ペスの山のお書きという。秋残りの銃である。三発が同時、また、時を
たがえて発する銃である。一種という。騎馬打ちという。ロボットの馬に
跨る打ちやらという。打ってしやまず、という。打ってしやまむ、とぞ。
打ちてしやまん、という。秋残りのざむせむ、という。えるぜのゆりゆり、
という。獰猛山というロボット馬である。これに乗って銃と竹刀を持つ
堂裳武術である。
 生き馬で戦場に行くという。将より馬を打てという。獰猛の書きという。
馬に鎧を着せるとぞ。人は乗らない、鎧は体の保護である。
 獰猛武術は鉄製の鎧を着て、ロボットの馬に乗る、そのロボット馬に
鎧を着せる武道という。これを礼儀という。栄華の話という。
 栄枯盛衰は映画の話という。栄華は秋残りの機械文明である。
獰猛のお書きという。獰猛武術、堂裳武術はわが武術である。
文の玉という、獰猛と書いてあるこの文とぞ。
 散乱の銃文。燦爛の矢光る朝、獰猛朝のこの今である。
獰猛朝という、朝の燦爛の太陽光である。朝鮮の国という。
朝の国の朝鮮やかな国である。秋残りの朝鮮国という、
『どうも、よろしく』という文である。
挨拶の喜びという。返事とも。
 『はっ』
 『はい』
 『やな』
 『やなぎ』
 『そう』
 『そうて』
 『そうた』
 『そみ』
 『そず』
 『せ』
 『しょ』
 『すず』
 『す』
 『それ』
 『そく』
 『せれ』
 『せつ』
 『ま』
 『ゆ』
 『く』
 ・・・
 全部、挨拶である、返事である。
 
 『やなぎ』とあいさつする、柳朝である。
 昼に言えば、柳昼である。柳夜という。
 しだるや、という挨拶である。
 『やなぎ・きょう(やなぎ今日)』という、『今日は』である。
 『そうやナ』という、関西弁の相槌という。『そうだナ』の
 相(あい)という。『あい』という返事、青柳の返事という。
 『あい、わかる』という。『はい』の返事に、『あおやな』
 という返事という。これを青やなのあいわかるという。
 『そうやなぎ』という、日の返事という。太陽の返事の
 さなよらという。さよならの古い言いとぞ。『さなよら』と
 いう、古いおに、という。返事をおにという。
 鬼返事の『さなよら』である。なぎゆらのやなぎ言いという。
 おにっぴのぺるす、という。鬼日をいう。
  柳を言葉に入れる、鬼の言いという。『やなぎいき』という。
 行くことを言う。やなぎいき、という鬼をめでる言葉である。
 子供が好む鬼とぞ。鬼ごっこの言葉という。『じゅうらあ』と
 いう、言葉使いである。やなきぐいきという。『私はやなぎ行きます』
 という。『やなぎ来ます』という。
  やなぎ着のゆかたという。ゆかたをめという。めやなぎという。
 ゆかたの意味である。古い言いとぞ。めやなぎのきみしか、という。
 しか着のやなぎ織りという。着物に柳の記、葉を入れる、模様の
 言いという。まるれるという。朝まる、とも。
  柳船の丸という、船には丸がつく、つくつく丸の鬼丸言いという。
 船の名という。船をがんという。丸のことである。薬の呼びでもある。
 柳丸という、薬という。挨拶に用いる丸という。『やなぎ、まる』と
 いう。子供の挨拶という。人に会えば、『やなぎ』『やなぎ、まる』と
 いう挨拶という。鬼呼びという。
  鬼は金棒を持つ。これを金棒という、やなぎを入れる言いである。
 鬼はやなぎを金という。これを、項という。鬼の甲を項という。
 貴公の語元である。船の寄港という。鬼丸の船という。マービル・
 レーレという。真昼の太陽という。柳の燦爛という。これを、柳の
 太陽という。黒い柳の黒柳という。黒点を柳取という。太陽の黒点で
 ある。柳盗ともいう、柳盗点の黒点という。柳盗点を黒点という。
 太陽の柳の言いである。柳光という太陽光のことをいう。後、
 やなぎという、太陽のことを柳という、その光を柳という。
  葡萄の太陽という。この葡萄は果物の葡萄である。葡萄のような
 太陽という。これを、武道言いという。優勝を葡萄という。
 葡萄の賞という。太陽を葡萄で表す絵という。これを、かぐれ、
 という。かぐれ絵のおみ、という。太陽王を葡萄屋という、果物店の
 客を、質という。質金という。金を質すという。経営のやよ、という。
 経力という。鬼の金棒の力を経力という。経力の文という。
  鬼ごっこで、『けった』という。『けいりき』という、鬼ごっこ用語
 もある。『けいりきろ』という、これを『あうがな』とぞ。
 あうれるという意という。鬼に会うを『あうれる』という。
 りゅうろのろめ、という。ろめら、とぞ。 
  鬼の湯という、風呂の湯のお書きという。入浴をりゅういつという。
 やなぎの言いである。柳溢れるりゅういつという。風呂屋の柳、
 こくせをいう。黒柳という。あおびら、という。柳葉の青柳、これを
 あおやなぎという。あおやなということに、はっきり『ぎ』をつける、
 鬼の湯入りという。柳である。
  柳を言う、山拝みを取る鬼入れの幸出しという。三品(さんぼん)の
 柳箸という。正月用の箸で柳箸という。三本を入れる箸袋である。
 一本添える、さんめの箸という。正月を鬼入れ月という。鬼の正月という。
 鬼正月の鬼正とぞ。三ヶ日の山拝という。これを、四方の山(よものやま)
 という。四方拝(よもはい)という。鬼の領という。器量良しである。
 器量の鬼娘と柳顔太郎という。鬼領の身という。見合いの鬼らみ、とぞ。
  柳を添える玉流という。玉流しの文という。
 体についた柳腰である。柳腰を『そよれ』という。『そよれ・かく行き』
 という。鬼歩きという。鬼歩のきぼ、という。きぼと読む、喜墓流れと
 いう。喜墓を開くという文という。鬼籍に入るという。鬼生きという。
 楕円の鬼の円という。これを、生きる人という。生きる人が使う言葉で
 ある。
  柳を傍に置く、柳という言葉を聞かす、山拝みという。
 軽いノイローゼに効果がある話という。鬼やる、という場所とぞ。
 あざのうの字能である。地能の知能という。地をたっとぶ姿とぞ。
 働く、仕事をする、これを、柳より、という。仕事にとり掛かることを
 やな発という。やなぎっ発という。これを、発所という。仕事を
 始める、柳よりである。『はあっ』という掛け声をいう。
 はあ発ともいう。『はっ』と言うて、返事をして仕事にかかる。
 かかりはじめをはっ発ともいう。柳よりの発という。
 発初の書きという。
  冴え身という。冴え見という。さえみという。鬼がつく話という。
 柳という。鬼柳の冴えという。双胸の柳発という。もも揃えの胸と
 いう。ふたやなぎ郷という。双柳である。柳胸という、胸渡りの
 柳見という。胸渡り柳身の散見という。胸渡り三寸の意である。
 柳の真心という。これを本柳という。
  元柳島の血統という。葡萄という。太陽を柳という柳太という。
 流木という柳である。柳の流木という、着流しのそよ歩き、柳おりより、
 という。にらにらの山という。
  柳と桜、そよ桜という。柳と桜の合わせ咲きという。一本の木である。
 柳桜木ありる、ありてそよはる、すすらか、ゆゆす、ゆるれみ、
 これを、とぞ。
  葡萄と柿の合わせなる果物木ありありありあり。
 銀杏と柳もある。柳のそよ合わせという。
 秋残りの国、三本国はそんな場所である、国とぞ。
 『まさかの柳っ晴れ』という言い方をする双狭谷の雲景である。
  これを、やなぎかが、という。冴えの意味出という。
  冴え見の柳腰という、かがれ、という。これを流目という。
  流し目である。しめ見という。しっぱらばぁらという。
  しむすくのきぎやら、という。しめという木の絵という。
  流目を、柳よりかが_見、とぞ。鏡に柳を使う、かがれ、とも。
  かがれ鏡の見を、そう、という。二人の双筐という。二つ折れ
  鏡を双鏡という。これを柳腰により、という。よりよりの
  おいおり、という。秋残りの国語学である。柳学と書く話である。
  柳の学びである。外国をフォーという。フォーリンのフォーロク
  という。フォーファーという。初めの掛け声である。これを、
  ウイ発という。ウイッキーという、はたれの葉という。
  ウイ柳葉という。やな葉のうい所という。ウイ法のうっ葉とぞ。
  うはうはのやぴという。ヤビーという。ウイッピー・ヤッピー
  という。ヤンキーという、ウインキーである。合わせをヤーウィン
  という。やわせという、合わせという意とぞ。柳背という。
  やなせのいなせのウイという。ういらむのぺ、とぞ。
  中略
  人名に柳を被せる呼びという。『やなぎ小林』という。
  これを、柳冠、という。『やなぎ田中』という。この風習という。
  これを古日本という。こにおにの言いという。『やなぎ太田』
  という。やなぎだという、谷をだという、ふみよらの世という、
  言葉の使いとぞ。これを、やなぎだ言いという。柳谷と書いて、
  やなぎだという読みという。やなぎだ読みという。谷をだという、
  言い方である、方便とも。方言とも。竹をみという。
   たけざきやの書きという。これを、くりきり、という。
  クーリーの語元である。やわの話という。やわやわのやわるえら、
  という。『やなぎ日本』という。柳日国の日である。
   これを、やなぎソーレル、という。そわそよの意味である。
  これを、さよそよ、という。さよやなぎ、という。さえやなぎという。
  姓名の姓に、柳冠をつける。姓名の名に柳袴という。柳学である。
  これを額という、額正の気とぞ。学巻の気という、書巻の気という、
  その類である。『いちひろやなぎ』という、姓名ともにつければ、
  『やなぎ小林壱裕やなぎ』という呼び方の双良呼びという、総六と
  いう、言葉の使いという。継承になる使いとぞ。さま、さん、ちゃん、
  やん、の呼び付けに、やなぎをつけた、一本足らんという、総六の呼び
  という。二本足して三本にしてという、名前を一本二本という総六数え
  という。九をそという。これを十という。この十を銃という。
  銃一は、九進法の数えとぞ。
   正対面して、足を直角に構える、正銃の構えという。堂裳の足である。
  剣道の正眼という。目をいう。あしめのかつれ、という。かのどう、という。
  蚊の目の動きという。手にするものを、え、という。銃であろうが、竹刀で
  あろうが、剣であろうが、え、という、堂裳の言葉である。
   手を両脇に直角にする。『えれっ』という、掛け声という。
  これで入る試合である。竹刀は、地に置く場合がある試合という。
  体道茂という、違う武術という。たいはらの山という。この体道茂という、
  インゼラという言葉使いをする。『モー』『ムー』という掛けをする。
  これを、もめやら、という。もめやら道という。古武のペンという。
  これを、きっぷ、という。『キッタルー』という。『キメ』という。
  きぶせのぶつ、という。ベラルルのおっきく、という。おっきなやっき、
  という。おるせるゆらふれれふ、とぞ。
   体道のべぶれ、という。体道という武道である。ベミッポン・パール
  という。三本をみっぽんという。さんらるのぺべふ、という。
  ペッツレッツのかゆれる、という。かゆふれれるゆゆす、という。
  銃身のうり、という。めぶれるれれふ、れれほ、これなるをゆいとぞ。
  長い銃を下におくという。その横にペンゾルという武器とぞ。
  これをペックという。ペクれるのぱゆす、という。ペーパラという。
  びんのゆ、とぞ。むむゆすのゆあげという。めるすゆれゆという。
  これをびという。おっぴの山のお書きという。そうきょうという、
  総筐体という。たいくという。体育のたいれら、という。たいくという、
  言いという、読みという。たいさんどうの山のお書きとぞ。
   柳冠呼びをする、体道の呼びという。『さん』のかわりに、
  『やなぎ』を使う、呼びとぞ。『小林やなぎ』という呼びである。
  これを、第三という。第三国の呼びという。体道の国である。
  『うい』という返事という。『はい』を『うい』という。
  代参という返事である。『あい』という、これを答辞の返事という。
  『いい』という、むりの返事という。『へい』という、『へ』という、
  『へえ』とぞ。これをもめという。『へっ』と言うて、かかる仕事の
  部という。だいそうのやまという。仕事にやなぎと言うて、仕事にかかる
  万全を期す言葉とぞ。この期を鬼(き)という。仕事の納期の納法という。
  なっちんベル、という。仕事の前に『チン』という、ベルを鳴らす。
  鈴を振る。納を期すという合図の音という。丹精の山という。
  やなぎという柳音である。ベル音を柳音という。柳律の山という。
  音楽のメトロである。メトロ納音(めとろのうおん)という、なっちん
  という。のうららのおみふり、という。メトロ濃霧という。
  霧のむれ、とぞ。メローラン・ラックという。
  だんだるラックの揺りかごという。揺りかごのメトロ寝という。
  揺りかごのふん、という。これを、めるれる、という。
  めっすの山のお、とぞ。
   柳呼びをする、安(あん)の呼びという。体道の礼儀という。
  試合前に、やなぎかけ呼びをする、礼の山という。体道を礼という。
  霊とも。りょうと呼ぶ霊の字という。霊前、りょうぜんという、
  読みという。体道読みという。構えが、へ構えという。空手のような手を
  する。平手の親指おりという。これが、せいろく(正六)という、
  剣道の正眼にあたるものとぞ。屁という、たっとびである。 
  とうとぶ山のぶ、という。これをふという。賦道という。
   音楽の武である。音による、という。音楽の楽器使いを武に言う、
  武という。音部という、武道という。これが、音符をタオという。
  音武の武術という。タオ道という。音をタオという。かかりが、
  タオでかかる。十手のトオという。塔道という。十手道のタオを
  おんのゆゆ、という。十剣楽という。タオ道のペッパーという。
  胡椒道の古という。古胡道という。楽筝という。音道のパルレ
  という。晴れの礼という。音楽の衣装という。これを、武術着の見立ての
  仕という。音楽に仕えるという。つみの山という。ツールルーという。
  つめの山のお書きという。音部の目という。目付は楽譜である。
  この楽譜の目で、部を張るという。ピアノ弾きの目の動きに、体道の目
  という。目の視野が楽譜の範囲という。音道の目という。武器を持たず
  をいう。武器なしのピアノの構えである。ドッツという構えという。
  両手を襲合わせて軽く曲げる。ドット・ハンド・エンドの構えとも。
  これをモッツという。両手ドットという。このモッツで両方始める武道の
  音道という。空手の音般とう。これを、沖、という。沖音道のカレラ
  という。カレールルという。モッツから片手を平手で軽く曲げて前に出す。
  同時に片手を脇腹に曲げて、手平を軽く曲げ、手首を脇腹に軽く添える。
  これが、出しである。目は音符を見ている目である。
   バイオリン弾きのモッツは、器を持つ手と、弓持つ手という。構えが
  へそ前片握りもう一方の手を上に添える。出しが、下の握り手を出す、
  後、もう一方をそのままとぞ。これをトッパンという。トッパン道ともいう。
  これが十手の湯という。十手道の十手である。十手をトオという、音道に
  かえられた十手である。十手の曲げた部分を真っすぐに出したもの、バイ、
  バイヨという武道の器という。この器は気である、礼儀という。これを冷気
  (りょうき)という、礼儀である。構えがモッツで構え、これから、両手をだす。
  両手を冷手とぞ。冷手の両手という。冷手に構えという。両側脇に軽く握り、
  親指あるいは人指を下に向ける。モッツ継ぎという。これで入っていくモツ道の
  モレラルという。モレラル道という。武器をモクという。短い丸い木に前に
  ぼんぼりのような丸いものの造りとぞ。木琴のバチのようなもので、
  太くしたものという。これを逆にする。ぼんぼりをじぶんのへそ前、手で握る。
  もう一方の手で元を握り添える。足は方巾狭とぞ。
  これが正密(しょうみつ、せいみ)という、
  三番目の動きとぞ。これが三品(さんぼん)という構えである。剣道の正眼になる
  構えという。これを十手にかえた冷気の器という。冷気(りょうき)の巻あり、と
  いう。一本を一燗という、試合という。二本おくれの計図という。二本線の楽譜
  という。トロイロンという。トロイロン図という、楽譜という。バイオリンという、
  バイオという楽器である。ほぼバイオリンと同型である。少し長い二つくびれの胴
  とぞ。弓を派という。ベルーレンという、派をいう。モッツ・バーレという。
  メラルルともいう。武道をパンという。これが、駆けっこのような格好をする
  音道である。武久(ぶく)という、武道という。ぶくパンという。
  モッツから片手を小握り親指を立てて出していく、ユーカカという、攻手である。
  受けにマッポーという、めっすずの受けという。このめっすずに、モメンという
  動きをする。モメン受けという。攻手の手が来た時にそりしかという、受けをする。
  この動きをメームラーという。『ムッ』という、声にるならんの音という、声音(
  こわおと)をいう。体を後ろへそらし、両足をそのままという。これをコーロー
  という。コーオールローともいう。そりしかの山という。バイオリン弾きの武道
  という。これをメという。ピアノ弾きのそってになる。チェロ弾きのゴーという。
  ゴーシュラーという。ベンフルともいう。便立つの律という。ドラマーの音派という。
  そりしかのことをいう。これが俊二になる武道のゆれという。剣道にもこの
  そりしかがある。
   そったときに突きを出す、そりづきという。受けがそれていく瞬時という。
  そった時に柄本で相手の竹刀を受け、片手をはずすこの時に面取りをいう。
  自分の面の肩当てに入れる、自分の竹刀を相手の面に入れる、突き入れとぞ。
  片手で受ける浮きという。空いた手で指し小刀を取る。これで、浮きが出る
  剣正道(けんせいどう)という。これを後見(あとみ)という。後見の剣という。
  残身の心という。浮きのことをいう。ベッフという。ヘムレルという。
  めびつのめほう、という。これを、目録という、目の動きという。
  音符動乱という、目の動きである。そらしたときに目を浮きという。
  浮き目という。普通の時の、そらしたときの目をもいう。 これを、
  ベバリーという。ベバリー浮きという。カールスの仕舞という、音道の動き
  という。
   指揮者の武という。ペンゼラーという。指揮棒を持った格好で親指を立てる
  小握りという。目が扇をいう動きという、体もその動きとぞ。体目という。
  体目道という武道とぞ。正立(せいりつ、しょうだち)という、剣道の
  正眼にあたる構えという。一方の手を小握り指たて、体の中心に上下に置く。
  一方を両方という。下の手を扇に開く、これが、正立継(せいりつけい)という。
  パッシブという。目のゆれという。目を流し目にすれば、ペンサムという、攻守
  手とぞ。目をそのままに、手を扇に開くをメトウという。これを、メドレムという。
  メドフムともいう。かがまという、構えのことという。かがま目という。
  視界は大きく会場の巾という、小さく譜面の巾という。バーベル・フーマという。
  かがま目の風間目(かざまめ)という。これをロルーという。ロー目の山という。
  浪目という。両見という。大小の見である。これを龍塀という。やなぎよ、という。
  指揮者の武道という。かかりが、開いた手を眉間に寄せもう一方の手を添える。
  眉間法という。ミルレルという。みっぱという。これをさんぱともいう。
  (三派)。三派道という、体目のことをいう。冴え道ともいう。指揮者の武道である。
  柳発三派という。武器を細指しという。細い日本刀を持つ。真っすぐの日本刀を
  いう。これを、者に構えるという。軍隊の指揮者の投げ礼という。ハの字の片方の
  ような構えという。これを三派という、三派正律という。サップスという、礼を
  かねた正立の構えという。ペッパ・ソークという。ソーレルという。者に落としと
  いう、一方を小握り親指たて胸前とぞ。目は正律見をいう。真っすぐ大きく広く
  狭くという。視界の矢尾という。メルレルのゆぶ、という。ユーレルともいう。
   視界の武である。これを、司会という。司会道ともいう、指揮者の武である。
  かけを、『ムホウ』という。この掛け声で、繰りじる、という。
  繰りじるという、相手をいう。相手をくりるという。くりる出という。
  初めの出をくりるという。くりえま、という。くりっくく、という。
  『ククッ』という、掛け声もある。司会のくくがらという。指揮者のムホウ
  である。同じこととぞ。
   体道の一茶という。一佐、一左とも。いっぴという。イイレルの言葉と
 いう。メレスのようろる、という。ロルホンという、メルテスのゆゆれ、という。 
 後略
  秋残り家の堂裳である。体を全部鎧で覆う姿とぞ。堂という武具である。
  かけは、『しょう』という。『こて』という。『もう』という。『せっ』という。
  『すざ』という。『すれ』という。ミブレルという言葉を使う堂のもぬという。
  メベレル・ルースーという。メブレルとも。壬生の堂という、秋残り家である。
  壬生(みぶ)をじんいき、という。一揆のく、とぞ。一揆発の家である。
   一本を一揆という、数えのカラルレという。カーミル・セースーという。
   エバッパ・ロークーの場言いとぞ。れるれるのおんそろ、という。
   堂裳の意である。秋残りの国という話とぞ。
   壬生の銃術という、実弾をいう。大砲もある話である。
  銃を持ち学校へ言っていたという若い人である。らっきょう学校という。
  銃らつの家という。学校家、これをどうとるという。どうとりという。
  どうみの屋のおくるふふ、とぞ。 
   若い人の大砲である。ドン発のワコールという。若人とも。大砲のドン
  という。鈍連のわる、という。ワレラルのウイッスクという。
  ウイットン・ラークーのべっぱる、という。空領の山という。後、空爆という。
  くうれるのおき、とぞ。ドン起きという。朝起きのドッスクという。
  ドスクれれ、とぞ。大砲の音で起きる秋残りざんしょう、とぞ。
  そうざんしょ、という、ことばの使いとぞ。そうですという意である。
  秋残りの大砲語である。ざんぐうの決国という。      

品花雲しなよる〜〜柳雲〜〜山吹雲〜〜桃雲〜〜銀杏雲〜〜朴ノ木雲

ソウキョウ 1817/02/21れるる晴れみ(晴れら、とも) 
900日光堂,100糸の宮,1800夏近宮,2000五条ヶ丘御息所
字、山、柳植え方

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』
       蒼郷 鳴恭川世讃歌 の項     
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
       
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
秋残り市立美術館春期展示
『古譜545大原練習165小手朝(相凶太陽)』           
馮飛菊 画書家判 せるという字。
秋残り市、凡人倶楽部所属、凡(ぼん)
 
『古布に描かれたもの 江戸暦牛年孝月梅日』
槙之木梅之進撮影 そうきょうの葡萄道堂裳楼の屋にて
『Old piese in old book, July 4, dragon'6』
camera shoot:Umenoshin Makinoki


    著者@350上巣真芯、植え住まし
        UESUMASi W.E.州 Machine  
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 仮想店 出品 ID:KoH'yosi-65357
     画商『奴端』名画専門
     豪華額縁付 2000鬼円
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記事は架空です。著者@350,517
Notice;writer says;
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posted by 秋残り at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽