2016年04月10日

卒業1141・京都船旅41小倉川行き(祇園花見行) :イカスミ柳

【曲名】卒業1141・京都船旅41小倉川行き(祇園花見行)(東山麓讃歌) 
【創曲】2016/04/09創曲2016/04/10造詞
【拍子】7/48
【種類】
【演奏】ホギャンモン・ボッコク・クースー 
【場所】4000回演、インターネット秋残り劇場
【歌詞】蒼 郷、
    桜花開き 春は 白吹雪の なのか
    和船浮き 流れる まがくを 岸に
    棹ざすすまに 魚や 切り返し行き 返す
    水は逆に 身衣 二流るる 世光る
    小倉ゆ 鱗身の 歌詞振る張る たふとし
    
     桜花 白吹雪の 和船浮き
     まがくを 棹ざすすまに
     切り返し行き 水は逆に
     二流るる 小倉ゆ 歌詞振る張る     
      春は なのか 流れる 岸に
      魚や 返す  身衣  たふとし
    
【解説】 切り返し行き、切りかえしえ行きとも。
    切りかえしぇ行き、という。(糸張り船。
    織物の船ともとぞ。
    きりかえしぇせん、きりかえしぇん、とも。
    きりかえせん(船)という。せを、しぇという。
    しぇせん(船)という。)
    
9:18 2016/04/10
 若い人が言う。
文が化けた、と。お化けと友達、と。化けて
出るのは、大きな建物の影という。

百恵子とぞ。百恵子の歌とぞ。これを、もも言い、と。
百(もも)がいう。京には、天があるという。
東京にも空があるという。あのお方という。
東の山を指さす、百(もも)の指という。百恵子芋書き。

京都には百(ひゃく)の港があるという。
今日は京であるという。今をキョウと読み違えた人
という。今日というのは、今のことである。読み違えを
正しいと誤魔化す人である。百港の書き。百恵子影但し書き。

 このように文が化けていくという。お化けの影は、
目に見えるものである。建物が影である。これを、
影の映という。影映の撮影は、影撮りである。
お化けを映したという、お化けの影、やまぞの話
という。山出の映、という。荒、摩運という。

マウント合わせをいう。荒、摩運の映画は、建物の
写しを、撮写という。撮影の撮陰である。
これを、オコという。オコ言いという。コーの語元である。
コー、アル、ローという、壬生の言いである。コー、アル、
コーという、壬生のはなれ、という。壬生やら、うっする、
ゆいって、およろろ、と。

若い人の言葉という。オヨヨ、という。
オヨヨのふる、という。オヨロのうくれる、という。

これを、両置という。両置冠詞という。アルという、
名動である。名詞という、動詞という。
名動のうゆ、という。うゆは、冠である。
お化けのことという。お化けが、冠をいう。
冠のことの由という。これを、原由という。
原落の山という。元太の言いという。
げんゆる山のお書きという。
これを、げんとく、という。玄徳という表記をする。
玄徳を文法という。壬生語を解説する、文法用語である。
 お化けを、活用という、現文法である。
アイ、マイ、ミーのお化けという。
 これは、駄目な言葉の使い方であるという、
現文法である。 アイ、マイ、ミーは、活用である。
これが、正しい言い方である。
 アム、アー、イズという、英語の活用である。
文法上の話である。

 壬生語の、アイ、マイ、ミーはお化けという。
言わない、今の世である。壬生語のアイマイは、
コー、アイ、ロー、マイミー、という。今の曖昧の
言葉である。

 コーアイという、口の若い人である。
赤い口の判子を百恵(ひゃくえ、ももえ)という。
ふるい話で使う百恵である。これを、はくけいし、
という。白影の百恵である。影をケイと読んだ人である。
読み違えを正しいというて、白景と書きかえた人である。
はくけいと読む、百恵である。
千景の映りである。船影の歌という。船歌問である。
若い人の愛でである。ハナシナ、ハナシナという、
シハナナのうと、という。壬生語である。
うとを歌という。シハナナは、律である。
ふるい都という。壬生京という。その頃の、歌の律
である。振うのは身部(みぶ)である。

 怖い話の新しさとぞ。唄歌いの身振りという。
お化けといえば、それこそ、恐くなる。ビンのほつれ、
という。しばかれる、という。恐い話になる。
お化けの怖さの変化である。お化けの山のお書き
という。コー、アルローという、壬生の話である。
 

祇園花見
 大お爺さんおられ、おられ、大叔父お上おらる、
大お婆さんおらる、大叔母お上、いられいられ、
世の花という、はなきがき、とぞ。
 花見川行く余である。霧晴られ、東山より降り来たり。
鵜沼みこし、こゆれず、みゆ、ゆりふり。
小倉川とぞ。丸山船乗りこゆる、鵜が来たりて、
よしきりを言う。鵜の山のゆい、という。
 あすれ、ふれゆれ、すすゆ、くれゆ、すゆれる、
ふぬぬぬ、うふすけるす。
しはなな、いいはり、ゆいゆい。くれゆ、
すすゆ。るるる。
 祇園より来たる花見という。船浮かべて、
よいやら、はなよい、くくれゆ。
すすゆうするすすゆ。すむすむ、るるる。うりれの山とぞ。
 祇園こいし、おりる、はなゆ、すする、くくゆ。
みぶゆりありてぞ、かなゆ。うっくるせせる、すするうゆれ。
ふふる、えるゆ、すゆるくれるゆ。

 和船に余が乗った時である。急角を切る船の
操法という。丸い和船である。
丸底丸型という。飾りつけた船の世という。
舟を乗った時である。
ふなやらのおゆ、という。
 花見川という小倉川である。
花見という、いずれの御時である。

 水浸しの合間という。花は波花、なのか、
かゆる、ははらるおか、という。
水浸し、水が少し引いた頃である。
世の花は咲くという。さきゆく世の花である。
東山麓(ひがしさんろく)、ひむがすよりより、
来たりおりおり、はっくすれるゆ。
はくれるくくゆ、みはなゆゆゆ。ゆみゆははゆ、
ゆゆれ、くすゆ。
これを、仙(やま)という。霞を食らう和船行である。

      秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       蒼郷 台川 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館春期展示
  『小倉川行き(祇園花見行)』
   山 楚 画巣
    池 判       


字(あざ)のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。つねづね。:しそ川おとる 
 
    著者@530上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
*****               
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***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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posted by 秋残り at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽