2015年08月31日

卒業824・夜行54白天下散歩

【曲名】『卒業824・夜行54白天下散歩
     (西山讃歌)』

【創曲】2015/08/31創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】童謡
【演奏】白夕交響楽団員ピアノ奏者
    白手音来喝采 女史 
【歌詞】夜行之国里行草郷
    手をつないで歩く道 歩は
    かろやか 浴衣がけ 下駄の音は
    よく あかい夜の時 頬に風が触れ
    君が話にうれしい言葉 白い間夜
    山笑み添う夕         
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
      白郷夕話
      先程の少年の声が聞こえる。
     『子曰く、子し曰いわく、学まなびて時に
     之を習う。亦、説(よろこば)しからずや。
     朋有あり、遠方えんぽうより来たる。
     亦楽しからずや。人知しらずして慍(いきど)
     おらず、亦、君子ならずや。』
      玄関の外で論語を読んでいる。高くて、清ら
     かな声である。朗読の里という少年という。
     腹を横にする話である。腹の字を横に書く
     この少年である。字を90度転回さす、ワープロ
     仕様である。  
      余は浴衣がけで、外へでる。
     彼女に声をかけ、一緒に散歩を
     しようと誘った。共に白天下を歩き、
     心ゆくまで白夕を満喫する。
      彼女がはしゃぎ、白い夕であると、
     空を隅々まで見上げる。辺りも白い気
     が出ている感である。動植物皆、白い
     夕を喜び楽しむ、この郷である。
     白郷の屋という。余はこの白郷をこと
     のほか、愛でる。心なしか、下駄の音が
     響くように感じる。高く硬い音に聞こ
     える。土豊かなこの郷の白夕である。
     下駄の音高き、心、琴瑟なり。横に
     君有り。白天下の真紅である。朗読の
     声の高き流れて、妙なり。今白夕に
     備わる、声である。
      余は、この地の人の、白夕を大切に
     する姿に、いたく感動する。
     彼女が言う、『よく通る声ですね。』
     『清い声だね』と、余があいうつ。
     彼女の声も清々しい声である。余の声も
     音楽の廻旋音ターンのように聞こえる。
     彼女の声もトリルのように聞こえる。
     細かく震え、上下する。白天下での
     現象である。うい、よき、よかれ話しで
     ある。宿を離れて行く我らの耳に、
     少年の声が大きく上下する。ワオーン
     という感じである。和やかな響きである。
     和声という。和音ともいう。話し声が、
     音楽になる場である。白夕現象ともいう、
     白夕の一現象である。
      この里の音楽は、かような成り立ち
     という。白夕歌謡ともいうべきもので
     ある。
      楽譜には、ターンの記号が記譜され、
    音符は細かく使われる。この地の民謡
    である童謡である。
     話し声も、このように聞こえる郷
    である。このように夜は明るく白く
    なっていき、また、暗くなる。    
    ターンニング・ポイントで、ソで、
    ソラソラソラとなる。山もゲラゲラゲタ
    ゲタと微笑んでいる、笑い声が聞こえる。
     これを白郷夕話という。この地に古く
    から伝わる話である。       
        
   [終止] 記事重複
    導音終止という。
    シで終わる、導音終止という。聞いて、
    まだ続くような感じになる。これで、
    ドをつけて、はっきりと終止を知らす。
    これも、導音終止という、広義の導音
    終止である。
     この導音終止という言葉もあまり使
    われない。音楽では、完全終止、不完全
    終止、半終止という言葉が使われる。
    終止形を表す通常の音楽用語である。     
           
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。 
    
著者@520上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『温泉』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@520  
   
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2015年08月30日

卒業823・夜行53白天閣湯屋 :イカスミ柳

【曲名】『卒業823・夜行53白天閣湯屋
     (西山讃歌)』

【創曲】2015/08/30創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】童謡
【演奏】
【歌詞】夜行之国里行草郷
    旅人が来たよ きれいな人を連れ
    やさしそうな顔立ちの人 迎える
    私 うれしい夜 一緒に白い空を
    見る 白夜の歌歌い見る
    温泉村の楽しい宴
         
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
     白天閣湯屋
     ラドン入りの温泉に浸かって、ゆったり
    した気分になる。余は、立ち上がり窓を開け
    外の景色を見る。今はほんの少し傾斜した
    ところにこの湯屋がある。なだらかな平地で
    ある。連山青くいならび、潅木が生えている。
     小鳥が珍しそうに、余に近寄って来た。
    空中で立ちた姿勢で、余を見ながら、
    羽を前後にふる。余を歓迎してくれる。
    青い鳥という、遅れて赤い鳥も来る。黒鳥が
    潅木にとまる。
     白い夜がやってくると余に告げる。蛾が
    窓枠に動いている。檜造りの湯屋である。
     低い音が聞こえている。遠くの山が動い
    ているのを感ず。絶景とはこのことである。
    自然の音が景色に入っている。何度か来た
    この温泉郷、鳥も草木も変わらず、懐か
    しい所である。
     肩を流し、再び湯船につかり、出た。
    湯屋が容易してくれた浴衣を着て、部屋へ
    戻った。

[色相、色調]
     音楽に使う色相。
    ランドンファーのユッケ、という。
    音楽に、色をだして演奏する。場に
    レーザー光を使ったりする。
     音に色があるか、という話に、これを
    ファーという。ファールラーという。
    ファーミル・ルールの山という。これが、
    音のある山という、山の動く音で表現する。
    山が動くという、風が吹いている形容とも
    いう。このファーで、遠くという意味という。
    動けば遠くという。ファーブという。これを、
    音楽という。音の楽しみという。フアーラル・
    セックの音のえら、という。ファーユ・
    ファー・ファーという。このファが、音を
    含む色という。色が入った音という。
    ファの音を色音(しきおん)という。『しん
    ぱつのユッカ』という。景色の色の話という。
    ファーレル・ブーズという。ファーらるの山
    という。ファの音の景色音という。ハ長調フア
    の音の山動音という。この高さの轟音がある。
    地滑りという、この時にこの高さを出す。
    動音の山という。後、シの高さに動音が出る。
    山動きが終わる、前の音という。この高さに
    音が出て、終わる地滑りという。導音という、
    導く音に、この動音が入る。動音の入れという。
    ものが動く音を導音にする。導音のいろという。
    シの音でこれを表す。
     モーターボートが動いている音、扇風機の
    音、これを終止する前に使う。シドという、
    音の終止という。終止形に用いるしきという。
    終止形の一つの形という。これを、色終止と
    いう。音楽用語の終止形の一種を表す言葉と
    いう。導音終止という。導音で終わる終止を
    いう。この終止を色相の終止という。後に、
    音が出るような終止という。合わせて、
    終止の色相という。ショクソウというひぃの、
    シキソウである。イロアイともいう。
    音楽の色相である。玄。
山は不動なので、使わない色相という、
    音楽用語である。色相は音楽では余り、
    使わない。音の調子などに使われる
    色相という、音楽用語になる。
     音調などの言葉を使うこととなる。
    導音終止という、シで終わる。
    シドで終わっても、導音終止という。
    シの導音の意味である。導音によって
    導かれた終止である。終止の一形態で
    ある。狭義、広義の言葉使いである。
     シドを、導引終という、導引終止の
    一種である。
    素人の用語解説である。
          
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。 
    著者@400上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『温泉』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@400
   
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2015年08月29日

訂正後 卒業813・夜行43白琴:イカスミ柳

【曲名】『卒業813・夜行白琴
     (西山讃歌)』

【創曲】2015/08/28創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】
【演奏】竪琴:好来姉、 
    ピア:客人、君彼女
【歌詞】夜行之国里行草郷
    (ほあの浦、美しい)
    君弾く手琴の 宴
    歌舞う音和む 白い
    空を呼ぶ ここの地の歌
    聞いてよく 歌て(うとて)
    喜ぶ宿 しなる弓から
    音が出る 白宴    
         
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
     好来姉が、琴を弾いてくれた。君彼女が
     ピアノを弾く。白夜の白宴である。
     ここの地をあほの浦という。ほあ明け、
     ほあ暮れの地である。
     ごじつ野のあっぱれ空という。
山が揺れて、白い空を出す、呼ぶという。
     後、なぎ(椥)という。
      (著者注:山が動かない現在では、なぎ
          (椥)という、山が大きく見える
          場所。山がユラユラ揺れている
          ように見える感じの場所。
          恐竜が闊歩し地球の回転がい
          びつ、一定していない頃、
          実際に山は揺れていた頃。
          山なぎ、山なぐ、山なぐると
          いう表現。各地にたくさん残
          っている、なぎ(椥)の地。)
      好来姉は、空が揺れて、白い空がやって
      くる。曲では、数次音、廻旋音で、表
      されていますと、いう。白空が好きな
      姉弟である。
      『ウエッ寸、ゴック、せんてる』という。
      白空の地鳴り音という。勇猛な響きである。
      我らの宴、これを歓待する催しでもある。
      ダブル・レッソン・クッレという。暮れたる
      山のお絵という。この駄作文である。
       余は、白空の訪ないを、曲にする日付氏の
      音筆をおもう。聞いて楽しむ、歌て(うとて)
      楽しむ。余っ筆。
       先刻の運転手の『ぼっちゃんさ』とは、
      敬語である。『ぼっちゃん』ともいう。
      サーレル・カースクゥという言葉の用法
      である。サミッテという花の絵のことという。
      さみたるせっくの山という。この項、
      ボンすく劣という。ボンスクの絵という。
      『ぼっちゃんさ、サァ、ボンボン』という。
      ぼんぼりの灯明の明かりの白い光の景という。
      後、ワンスクという、ワンセグの新しい言い
      である。ワンスクともいう。ぼんぼりの白い光
      をいう。ワンレテ・スウスクのエッケ、という。
      ぼっちゃんさ、と灯りをつけることをいう。
      ぼんぼり灯る宵の間である。この宿という。 
      アラ、ヨットヨットヨットヨットという、
      ぼっちゃん音頭の音律である。白空祭の
      この地である音の切れ律という。アラセッ
      という、セッセセーのウルゥ、という。
      山やらの歌のこき、という。コッセル・
      スースクゥという。せらる山のお書き
      という。おえやら・ふっす、とうとる劣の
      かみ、という。かみやら・ぺっぺ、という、
      えんばらのかんゆ、という。エンバラ・
      レーテの浜という。ういするれっての、
      おゆれぶ(おゆれゆ)ともいう。白空のまつ、
      という。白松の山という。マーレル・
      スースクゥのえら、という。山の山たら礼、
      という。山の動かれるお姿という。
      山拝みの礼儀の意味の元である。
       花山の拝みをする
      山拝という。さん拍手のかわ、という。
      かしわでのふる振袖、という。
       余は浴衣着をする。この後の部屋の
      ゆみ着という。浜山せんる、という。
      ハッテク、という。ハルスルのおは、
      という。余の白世である。白声である。
      ターン・トリルのゆられ節という。
      これを、てゆふら、という。単に、
      ゆふら、という。駄作曲家がやっている
      逆声入りの歌という。ゆふらをトリルで
      表す丹得という。ターンの入ることをいう。
     (http://akinokori.sblo.jp/article/74483276.html
      ファイル: yoFromEndReverse.mp3 
       終わりから逆音 のところ  
       白空を好む『ゆふら』の歌)
 
       余、拙作
       『宴の音』
       白き御世 再びこゆれ ゆれくる夜
       山椥ぎては地 音い出し愛づ
        地揺れがともない、ゴーという地鳴り
       が沿う。    
              
   [ターン、トリル]
    ・数度音、数次音、トリル・・・記譜音と記譜音
    より一つ高い(低い)音を、すばやく交互に奏する。
    ・廻旋音、ターン・・・記譜音とその一つ上下
    の音を素早く奏する。    
          
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。 
    著者@xxx上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『縦琴』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@xxx
   
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訂正 卒業822・夜行52白天 :イカスミ柳

8/25 以降 音階に間違いがありましたので、訂正します。
該当記事を非公開にして。今、訂正中です。


【曲名】『卒業822・夜行52白天
     (西山讃歌)』

【創曲】2015/08/29創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】ブルース音階
【演奏】
【歌詞】夜行之国里行草郷
    (ミソシは下がって、白天は
     降りくる。)
    ほあの浦湯つかってみれば
    地が鳴り勇猛の音 山動く
    ゴーゴー鳴り宿屋のごじつ野に
    音曲の聞き旅路の一夜白なる    
         
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
     温泉に浸かって、白夜を楽しむ。
    山が動く音。地鳴りの音という。
    白い天が降りてくる、という。
    ドドーンという音、ゴーという山の
    動く地鳴りの音という。ずずずずずぅっ
    と動いて行く。この地の山という。
    二回白天になる。3回4もある。
    一夜に数度訪れる白い夜のこという。
     余は湯屋に入り、度の疲れを癒す。
    白天下、麗人麗子の奏でる音曲を聞く。
    ミとソとシの音が下がっている曲である。
     『ターレン、ホア』という。たいらんの
    山という。ターレン・ゴット風の山姿と
    いう。たみでの山絵という。
     たゆれる・せっく、という。やーやる
    ・やっくのお、という。山のことである。
    ツームというハッパの絵の絵という。
    すっくるの駅山という。宿が動く宿である。
    サンタムのえっぱ、という。のっこのゆた、
    という。ノルスクという。ノムゼムのうつる
    、という。のっぱやっぱのえく、という。
    この歌である。絵を描いてこの歌を歌うこ、
    という。挿絵の歌である。     
              
   [ブルース音階]
    ミソシを下げる音階。ミだけ、ソだけ、
   シだけ下げる場合もある。
          
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
そうきょうのよい自分です。:山吹 案
天の下、山拝み。 
    著者@400上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『山静か』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@400
   
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2015年08月27日

卒業811・夜行41宿泊 :イカスミ柳

【曲名】『卒業811・夜行41宿泊
     (和声短、童謡、西山讃歌)』

【創曲】2015/08/27創曲造詞
【拍子】3/4
【種類】和声短童謡
【歌詞】夜行之国里行草郷
     屋根が下の家造り 段違い
    線路敷かれている 温泉の町
    の地 趣楽しく動く家 白夜
    の地 夜が二度来る丘 花と
    鳥住んで日を楽しむ 夜は
    うれしい手を広げては喜び表す
    白空来たりよる(来てはよる)
         
【解説】夜行之国里行草郷
      二回夜の国辺
     彼女と余は今晩の宿泊の宿に着いた。
     『ヴィーイルノッテ』と、到着を表す
     運転手の言葉という。ヴィーイル礼と
     いう、到着の良礼という。余は、『端
     境(たんきょう)』という、時間のはざかいという。
      夕方前という。ヴィーレン・ナハト
     という。ホワイト・ヴィーとも。
     ホワイト・ヴィーレンという。白い
     夕方という。山々の夕方をとる
     ハクレルという。小高い丘である。
     ハックスというはくである。白洲丘
     (しらすおか)という。白夜を迎える
     丘という。
      ここを登る家という。家の下に段
     違いの線路という。ここに乗るという。
     休む日の宿得という。宿を得たところ
     という。家であり電車である。ここの
     家の造りという。日登りという、日登
     という、白夜の白状という。白い家と
     いう。パッと見れば、屋根が下にある、
     そう見える家という。逆さに建てて
     ある家という。屋根の勾配の分、線路
     が段違いである。ほぼ正方形の造りで
     どの面も同じである。まだ、他にも
     色んな造りのある家町という、温泉の
     宿である。
      この正方形の家という。ここに、住む
     矢という人という。出迎えに来た人と
     いう。ゴジラという人という。矢は頭の
     形容をいう。
      ここに宿を得る彼女と余という。
     『ライライ(来々)』という、ゴジラで
     ある。『ヴィーイル・コンメ』という。
     来々訪の歌という。この歌という。
     ゴジラが亭主である。子ゴジラもいる。
     ここに住んでいるという、我々が泊まった
     家である。少し向こうには、エベレスと
     いう、高い山が聳えている。聳え連峰で
     ある。反対側には、マッターランという、
     大河連々がある。少し高いところに川が
     流れている。ここを、びょうという。
     びょうざん・ふっつ、という。フランク
     国である。フランク刻である。これを白
     刻という。フランクという、この地の
     ふられ、という。地がユラユラする。
     家がユラユラする話である。家がゆれる
     家である。これで動いている時に水平に
     なる造りである。風吹けばゆれる。
     ゴジラも機械である。真ん中にその座
     がある。ゴジラが歩けば、傾く家である。
     真ん中にいて、家を運転するゴジラ亭主
     である。そこで歌を歌う子ゴジラの合唱
     である。この歌という。ゴジラの童謡
     である。
      我らも一緒歌う、揺れる家の一時という。
     白夜も寄って来る。繰り返しという、夜の
     レピートである。れっぱん、というナイト
     のレンズという。連灯のある部屋という。
      部屋へくつろぎ、しばらくして、子ゴジ
     ラとともに歌う時、余もこころいくまで
     楽しむ。君彼女もゴジラと手をとる合唱
     である。
          
    [レピート] 
     リフレインとも。レピート記号、11小節目
     で、レピート記号、2小節目まで戻り演奏
     する。レピート後、かぎ1の番号のところを
     飛ばし、かぎ2の番号、12小節目から続けて
     演奏をする。
機械作曲では、この記号を入れれば、
     その間繰り返して機械が演奏してくれる。
     機械も知る記号である。
      レピタンスのおき、という秋残り用語
     という。秋残り機械音楽楽院の記号の
     講座である。
     本解説 : 子ゴジラ 来々君
           機械英語を駆使する上出来    
           
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       帰省 の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。:スモモどくだみ
    そうきょうのよい自分です。:山吹 案
    天の下、山拝み。
 
    
    著者@190上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『家電車』
   動力 留 画景   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@190
   
posted by 秋残り at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽