2015年06月22日

卒業730・歌う安心 :イカスミ柳

【曲名】『卒業730・歌う安心     
    (西山讃歌)』
【創曲】2015/06/22創曲造詞
【拍子】5/4
【種類】
【歌詞】白露之国板造之草郷
    小手振り歩くと 鮮やかな
    柳の緑 いかすみ雲見て
    胸広げ 手には論語
    師曰く そうきょう良い
    学び 時得れば
    気持ち安心 
【演奏】
【解説】白露之国板造之草郷  
    余が幕府にいた時という。
    いずれの御世の幕府であったか。
    いずれの御世も余はいたのである。
    心平安朝という。光っていた魂で
    ある。光子(こうし)時代である。
    光さんと呼ばれていた。効光の師
    という。余のいう論語に書かれた、
    sotu730という、メモリー番地の
    頃である。『歌う余、鶯、平安』
    ともいう頃である。平安の光とも
    譬えるべき。この余がいる平安朝の
    幕府に留学生が遣ってきた。使節でも
    ある、浪輪(なみわ)の都という府でも
    ある。遣府使節という。渦巻き流が
    みられる所という。師曰く、云々は
    余のことである。留学生が筆記した
    下りもある。    
     少し時代は下り、遣都使ともいう、
    称えて、ケント紙という。それにも
    筆記されている。余の言行という。
    ここを遣浪という。大きな縦渦巻き
    を見る、そういう浪が遣ってくる。
    場所は江という。遣浪江という。
    これを、健康流という。遣江の汀
    である。この幕府である。この瀑布
    にいたのである。浪を讃える余である。
    後に、老公という。今も、この場所へ
    いけば、そう呼ばれる。浪江である。
    浪の江である。ここに、『歌う余、
    鶯平安』と書かれている。浪輪の話
    である。大納言様の仰せの通り、
    大権現様ともいう。余がツロク(通録)
    して、いう、大権現様の仰せをいう。
    『歌う余、鶯平安』という、世の
    大権現である。余が、これを言うた。
    歌って世は平安、歌うは、瀑布見上げの
    場。健康のみぎりである。健康を
    見る際である。これを健康書という。
    卆波のみぎり、という、縦渦巻きを
    卆波(そっぱ)という。卆浪(そつろう)
    ともいう。若公の余である。
    これを航行という、卆波工法の、
    若工である。若干という、語意味
    元である。
     秋残り平安朝に記された略時点
    である。記しを辞典という。
    sotu730である。曲にはファ音が駆使され
    ている。波が遣ってくる音の形容です
    という、留学生作である。縦渦巻きに
    乗って来た人である。浪花流とまちが
    えられている人である。サーファー
    という見方もある。大きい波である。
    後略
    浪輪の御方という。浪の方向である。
    航行するには、こういう見方がいる。
    効光という、波の光である。遠くの方は
    光っている話である。光源示の文である。 
    
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       そよおわら の項       
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。
    そうきょうのよい自分です。 
    著者@500上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『波の目』
   余 夜 画是   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
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  記事は架空です。
                  著者@500
   
posted by 秋残り at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽