2015年05月03日

卒業671・氏(鬼余) :イカスミ柳

【曲名】『卒業671・氏(鬼余)     (若朋、西山讃歌)』
【創曲】2015/05/03創曲造詞
【拍子】4/4
【種類】若朋、プログラム
【歌詞】鬼之国川流草郷
    あまりうじが 春の日に
    小春日に川得た いそがしく
    回る川が 切り開かれた
    うじつる川鍋 おなべがわ
    これ 名前 名前も流れる川
【演奏】
【解説】氏が割っているので、鬼余氏
    この日、余る余が氏を流して
    もらう、という。これが、鬼余
    である。寄鬼である。古鬼という。
    鬼が割るという、河原の鬼という。
    これが、振るう鬼という。
    鬼ふらす、という。雨降りである。
    雨を降らすのは鬼である。これを
    鬼天という。機転をきかした小鬼
    である。小さいを古いという、
    鬼のふるう言葉という。
    空き残すという。
    鬼の口記である。これを、古記と
    いう。二本古記という。日本の
    角の現れという。鬼の角は
    角鬼(こうき)という。音便の
    鬼音便である。書く記の印という。
    これを書く記という、書記である。
    書記を暑期という。しょっき、と
    いう。鬼音促音という。やまとの
    古い記である。二本食器という。
    橋を渡るという。二つ重ねの虹と
    いう。これを渡る鬼という。
    きょうの渡りという。今日と、
    京と、響と、多という。
    この『と』を取る鬼取りという。
    二本立ては、横にも縦にもある。
    鬼お虹(おにおにじ)、という。
    にじにじ、という。虹の橋は
    箸立てである。食事に箸を立てる
    という。川の箸は二本立てという。
    虹色のはしをいう。このはしを、
    ほしはし、という。鬼が星という。
    星渡しともいう。川鍋、この『鍋』
    の解釈である。川底である。
     底鍋(そこなべ)という。『そこ、
    川ですか』という。川での星おき、
    という。おき上回り、という。
    忙しく回る川という。鍋いそ川、
    という。急ぐ回りという。
     急旋回の川という。ここを、
    氏回し、という。『うつ』という、
    話という。うつ川絵、という。
    絵回しという。この『絵』をうつ
    という。ウッカクレーテ、という。
    うっかくの急角である。これを忙行
    という。急勾配の山成りをいく鬼角
    という。そこの角である。基角という。
    これをうっ切る話という。
     川切りの鬼寄せ鍋、という。
     これを皮という。むくかわ、という。
    氏川をむく皮という。ひかわの山という。
    鬼のむき切りという。林檎の皮むき、
    という。縦に皮をきっていく、料理法
    という。横に皮ほ切れば、むく切り
    という。むく皮切り、という。
     川の切り方である。真ん中に縦に切る
    工法という。川の中に流れに平行に土
    盛りをする工法である。鬼渡しの一本
    立てという。二本渡しは、箸立てという。
     この記しの書きを記すという。
     これを、紀記という。古くに、鬼記と
    書く。二本の国という。はしの国である。
    秋残りという、余の記である。
    天の橋立は、虹の空横という。空忙食、
    という、虹くう箸である。虹橋渡る
    食べ物という。虹くう空は、どんな
    空か、という。土空という。はし
    という。空を皿という。
    橋空である。逆かかりの虹という。
    この虹を『ゆられ』という。
    ゆられる巣という。鬼語という。
    空き残す虹を『ゆらる』という。
    巣ゆらる、という。巣ゆられ音、
    という。この音符にある、
    音ゆり、ともいう。続け音との言いの
    かかり、という。『つづけ』という、
    言葉のゆりである。言葉を『ゆらふ』と
    いう秋残りである。
     続き音という。ドシラソという。
    ドラソという。ドシソという。
    一つ抜いた、空きあり、という。
    空きありの空音という。にじ抜き
    という。ドソレという。ひっくり
    返して、ドレソという。これを
    『たう音』という。とおうた、
    という。遠来の来音という。雷返し
    という。鬼興し音である。
    鬼興音という。船浮かべの立つ巻き
    流れという。虹色の空川という。
    秋残りの物語という。
     『鬼、お立ち』という。小さい子が
    立つ鬼才という。これを、二才という。
    鬼ふたつ、という立ちである。
    寄譜という鬼譜である。半音下げて上げて
    4,5段下がりである。半音の入れを鬼寄せ
    (きよせ)という。鬼好きの余である。
    余世寄せて、きよせの橋山歌という。
     ご飯前の歌でもある。天の橋前という。
     ご飯前である。歌人の言葉という。
     『しらみね(白峯)めでとうござる』
     という、鬼言いである。『御馳走様』
     という、ふたち語である。
     後、鬼任せの記、これにて。
     筆おく。
     余の記の鬼の段、階段の4、5段を
     鬼段という。これを、きご段という。
     鬼なまり、という。秋残りの解釈
     である。秋残りの解という。
     明晰秋残り語である。
     鬼会回しという。鬼に会うという、
     ふたちである。
     よろしく、お話聞き給う、御鬼、
     音記のこの記、向後の会いという。
     よろし、よろし、よろし、うくくすつ
     鬼交えのこの記、鬼記という。
     お日記のお歌である。子供が歌います
     という。ふたちお歌という。童謡のこと
     をいう。これを幼朋という。幼童歌と
     いう。大人が歌えば、鬼が何する、
     という。氏の名という、話である。
     何する日付の番号という。
     名にする余の函である。    
    
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       鬼の世、函持つ鬼 の項 
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物
          
    字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
    かいきょうのそうきょうはよい時です。
    そうきょうのよい自分です。 
    著者@580上巣真芯
        植え住まし
        UESUMASi
        W.E.州 Machine    
 *****               
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
***コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ コテ***
  秋残り市立美術館夏期展示
  『鬼皮山』
   鬼 好 画黄  
  
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                  著者@580
                  

   
posted by 秋残り at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽