2015年04月10日

卒業647・鳥 :イカスミ柳

【曲名】『卒業647・鳥        
     (若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』  

【創曲】2015/04/10創曲造詞
【拍子】 11/8
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】村人
【歌詞】我楽巣之国青川草郷
    はばたけガラスの陶器の鳥達
    田の上に咲いている花に鳥騒ぎ
    遊んでガラスの翼広げ飛ぶ
    陶器製の鳥歌う 日の光を
    受けてキラリキラ輝いて飛んで
    反の里 そうきょうのよい日を
    見て 鳥達喜ぶ
    

【解説】 余が朋とす、先生とす、鳥の記。
    日光(ひひかり)を受けて飛ぶ、姿が
    キラリ輝く。ガラスの鳥であり、陶器の
    鳥である。ガラスの木々、陶器の草々、
    ガラスの地、陶器の地。陶器の家、
    ガラス窓、目に見えるもの、皆、
    ガラスである、陶器である。陶器の
    電車が走る、そんな世の反の里である。
     我が楽巣である、鳥がいう。
    口に羽にこの世の素晴らしさを。
    チチィ、パタパタ、フフク、ホッチャン
    と鳥がいう。余も陶器である。ガラスの
    園へ行けば、ガラスの体である余の同輩
    である。高い塔の上に丸いガラス。
    日の玉という。日光に輝いている。
    キラリキラの輝く人生である。
         
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       光(こう) の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@500上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『ひ』
    尊 光 画村   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@500
 
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2015年04月09日

業646・晩餐 :イカスミ柳

【曲名】『卒業646・晩餐        
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』  

【創曲】2015/04/09創曲造詞
【拍子】 11/8
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】村人
【歌詞】夕楽之国青夜草郷
    星に祈りをし月照らす今宵
    晩餐の夜は更けて今宵たけなわの春
    遠く川のせせらぎ聞こえ星のまばたき
    見え手を伸ばせば届きそう そんな
    近く星木にかかる 尖塔の学び舎は
    灯りに包まれて楽しげな話し声
    冷たくてよい気持ちの外は
    寒村のはずれ     

【解説】夕楽之国青夜草郷
     --留学生村民交歓夜会-- 
    【時】青夜の日
    【所】村はずれ尖塔
     主催:余
     
     余が催した青夜の晩餐会である。
    寮にいる若い人と村人との交歓会である。
    管弦をいれてのものという。村人が演奏する。
    この村はかの楽聖を輩出した村である。今更
    いうまでもない青夜草郷である。遠くから
    来たという若い人の励みにと村人も賛同して
    くれた。昼間の農作業また手工業の仕事を
    終え晩餐の用意をしてくれた。その記である。
    青夜の月に照らされて咲く青夜草の庭、
    星かかる木、学び舎の尖塔、こう書く
    だけで絵になる寒村という。若い人が
    楽しみ、それが村人の喜びでもある。
     余の一寸心の発露という。もちろん
    余も多いに楽しんだ。その時の歌である。     
   
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       青夜草 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@530上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『椿』
    村 民卓 画相   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@530
 
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2015年04月08日

卒業645・燕 :イカスミ柳

【曲名】『卒業645・燕       
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』
 
【創曲】2015/04/08創曲造詞
【拍子】 11/8
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】童話之国赤春草郷
    電車が走って代わりの姿に
    猫化けが出る 家に変わった
    引き込み線の上走る家 変わる
    電車が家になる 遠く行く日の
    乗り物 電車がそのまま家になって
    寝れば朝には雀鳴く 屋根にとまる
    燕線引込み線の駅は家になつた
    猫化け姿      

【解説】猫化けの記
     余が遠くへ行く日という。引っ込み線の
    電車屋の電車に乗った。家が既に駅でもある
    電車屋という。家の中に家があるともいう。
    そういう電車である。
     流れ行く景色を楽しみ、人生かくに有りたい
    と考えていた。いつの間にやら、電車は姿を
    変えて、屋根をつけた家になっている。内側も
    座敷になり、布団をしけば寝られる姿という。
    これを、猫化けという。走っているうちに姿が
    変わる変わりという。電車が家に化けた話である。
     電車屋ごと走っていったときもある。駅ごと
    移動をする話である。秋残りのタンガリーという。
    その家で過ごした日である。椿咲くところという。
    いつの御世のことであったか。椿の咲く頃である。
     余が電車で若い人が乗るという。若い人が余に
    労いの言葉をかけてくれたのである。この歌が
    その言葉である。歌ってくれた話という。
     これをユーロ・リンクスというと、若い人
    がいう。電車通学で、そのまま家をおいて、
    そのまま勉強をする、教授は余である。若い人と
    リンクスという、繋がった電子網である。ユーロ
    という、遊路林網学である留学である。
    遊路林網線という、電車道兼道路である。
    楽しい留学行という若い人である。
     流れる景色と流れる電車という。
    流電という、石炭・ディーゼル・蝋・電気・
    蒸気・自己発電モーター・色んな動力で、線路も
    作りながら走って行く仕様である。         
     秋残り市の技術の結晶である。バネル窓見ての
    記。もちろん普通のガラスもある。そういう
    猫化け電車である。余の姿である。                 
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       遊路輪区 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@390上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『家電』
    電車 乗戸 画讃   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@390 

【曲名】『卒業641・反       
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)
』  
【創曲】2015/04/07創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】日之国赤椿草郷
    反の里きれい とんがり山ある
    椿咲いて美しい牡丹の川流れ
    暮れ行く鯛の日 あすか津 
    あわる おちす くみあきやる
    ふみゆきす 赤い花見ゆる
    落ちてあり 音伸たる 反里     

【解説】 余がぽちゃんという。牡丹の川に
    牡丹が落ちたという。これを見た燕
    という。秋の津に入り日という。
    津入りの山という。津見辺(つみべ)
    通る日を鯛という。日を鯛日(たいひ)
    という。鯛の日という。鯛の目という。
    この鯛を持つという。ものつ(藻の津)
    という。日が入る辺りという。日の山の
    おいれるという。お入りのことをおいれ
    という。日のお入れという。入れ日の山
    という。日をとるという。日を見ること
    をいう。穴丘の絵の玉という。これを
    貝という。貝を日という。反(たん)の
    里の言葉という。貝日こおる、という。
    おいれるの山という。これを、オーレル・
    ラッツという。オレルレという。おり日
    という。日の光の織りという。織り成す
    綾という。綾日という。アヤレル・
    カッテクという。アーフル・レースという。
    あれたる山という。光のどけき、という。
     つばける・てっつ、という。これをスユ
    という。スユレルという。後という、しゅゆ
    という。須臾と書く。日を須臾という。
    鯛日という。タイレル・コークという。
    須臾日という。時間のことを、タイという。
    どちらも日という。鯛の目の日時間という。
    テーテル・ロースーという。てっつくの
    れっす、という。テウルル・ルースー
    という。古い御世という。これを故事という。
    古事ともいう。秋入りを、トールル、という。
    えったせむ、という。えるつる、という。
    メールル・レーセーのとよ、という。
    メッツク・レーツーともいう。メッテル
    という。メッテルの日という。
     鯛の目は二つという。メッテル二日という。
    これを、漢字という。かたかなという。
    かたかなと漢字の両の字という。これを、
    メッテルニヒという。メッテルフタヒという。
     メッツク・レーテースー、という。
    ドクレクという。レーテという。
    レッスル・スーユー、という。
    レブツルともいう。これを、ローマ字語
    という。ヤウタル・セースーという。
     レッテ・ソーヨーという。
     レタの山のお書きという。
     秋残り故実、これなる。
    反(たん)の里ありていい、よいよいやっつ、
    の書、おいれるとよ、という。
    やっつをよっつという。トームスという言い
    である。よややという、えってらる
    はるとよつ、という。えらする・すっす、
    という。
    れ-うての書という。れ-うたす、という。
    よおるるすーゆー、という。
     秋残りの言葉という。えったの山の
    お書きという。 これを、よのやによる、
    という。よのやの浜という。牡丹川という。
    牡丹川のよのや浜という。ドクレク国である。
    ここをシュワゼともいう。ドクレク・
    スークーのエル・レッセンという。
    えるつる・るーすーという。ドイッチェン・
    ラックという場所という。
    秋残りのドイツ語である。ドイトス・ラーセー
    という。ドミッションともいう。ドイテル・
    ロースーのお日入りという。
    日の入りのことをいう。
    アウシュタール、須臾語という。よのや
    という浜で、ここを世貝という。世貝語である。
    世界語という、世の山のお膝元である。
     これを余の山と書く余は、ぼちゃんと聞こえた
    話という。ぼちゃん世界のぼっちゃん、という。
    ヤムテル・レッスという。これを、まゆ、という。
    ボッスク・レーテーという。露降りの秋(とき)で
    ある。露語の出という。これを露後という。
    日の出のことをいう。ぼちゃんという日の出
    をもいう。花の世の歌という。
     秋残り語入り混じりの歌である。混ざった書き
    という。ぼちゃんのよよやや言葉である。
    ややよよ語ともいう。よやという。日の入りと
    日の出をいう。よやという。よや入り、よや出
    という。これを、トータル 語の使いという。
    よやの日の入り出という。よやの日の御家(
    おや)である。にちおん・らっく、という。
    山々の記である。これを木記(ぼっき)という。
    木記書き、これよるれって、てよる、すゆらる。
    おっちつ、れって、という。れ-うするらーて、
    という。よいたる山のおっくす、という。
    ひつらすせっつの山という。これを、おくそず、
    という。おっくそ槍という山という。槍山という。
    たんがりという。とんがりともいう。槍のことを
    いう。これをルーレルという。やり回しの言葉
    使いという。槍の意のことをいう。
    とがった話という。トーテム・ルッスーという。
    とがった意味である。トーテム・ポーという。
    槍山の意味である。
     秋残り語の話である。これにてすーよー。
    これにてかずは成る。花山の御手という。光の
    ことを手という。手の形状の話という。
    山の手、山手という。光の山にかかった景という。
    秋残り語を介しての世界語の解きという。
    秋残り語を媒にした話という。秋残り語が媒介
    である。化学の触媒という。触媒語という話である。
    この文のこの地点である。触媒後である。
    後語という書きである。ラテン語の触媒という、
    ヨーロッパ語を解く場合という。語元のより入れ
    という。より山のおく、という。セッツル・
    レーテーという。 (中略)
     手が忙しいので、ここらで、
     機械を寄った、コンピューター寄り入れ
     である。手は遅いが、時間は等分にたつ。
     これを、手いそる、という。
     いそがしいの語元である。いそる山、
     これなり。手遅い著者である。
     余っ、そいそい、という話である。
     (後略)
     略、こんなことを書く文筆家は略入れ
     である。不世出という、余である。
     著者は不出、世は機械である。
     著者は出なくても、余は出る。
     機械の余燦短出。機械のことを筆という
     あの著者である。この書を書いているふで
     である。余が出した著であるこの書である。
    略入れ家業という駄作の著をいう。文筆家の
    なまけである。彼の駄作家のすることである。                  
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       椿道 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@300上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『椿』
    貝辺 身 画存   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

 ----ブログでの団体名、個人名、他名称などは、
  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@300
 
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2015年04月07日

卒業640・反の里(タン・ハン)のさと) :イカスミ柳

【曲名】『卒業640・反の里(タン・ハン)のさと)        
     (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』  

【創曲】2015/04/07創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】日之国赤椿草郷
    反の里きれい とんがり山ある
    椿咲いて美しい牡丹の川流れ
    暮れ行く鯛の日 あすか津 
    あわる おちす くみあきやる
    ふみゆきす 赤い花見ゆる
    落ちてあり 音伸たる 反里     

【解説】 余がぽちゃんという。牡丹の川に
    牡丹が落ちたという。これを見た燕
    という。秋の津に入り日という。
    津入りの山という。津見辺(つみべ)
    通る日を鯛という。日を鯛日(たいひ)
    という。鯛の日という。鯛の目という。
    この鯛を持つという。ものつ(藻の津)
    という。日が入る辺りという。日の山の
    おいれるという。お入りのことをおいれ
    という。日のお入れという。入れ日の山
    という。日をとるという。日を見ること
    をいう。穴丘の絵の玉という。これを
    貝という。貝を日という。反(たん)の
    里の言葉という。貝日こおる、という。
    おいれるの山という。これを、オーレル・
    ラッツという。オレルレという。おり日
    という。日の光の織りという。織り成す
    綾という。綾日という。アヤレル・
    カッテクという。アーフル・レースという。
    あれたる山という。光のどけき、という。
     つばける・てっつ、という。これをスユ
    という。スユレルという。後という、しゅゆ
    という。須臾と書く。日をしゅゆという。
    鯛日という。タイレル・コークという。
    須臾日という。時間のことを、タイという。
    どちらも日という。鯛の目の日時間という。
    テーテル・ロースーという。てっつくの
    れっす、という。テウルル・ルースー
    という。古い御世という。これを故事という。
    古事ともいう。秋入りを、トールル、という。
    えったせむ、という。えるつる、という。
    メールル・レーセーのとよ、という。
    メッツク・レーツーともいう。メッテル
    という。メッテルの日という。
     鯛の目は二つという。メッテル二日という。
    これを、漢字という。かたかなという。
    かたかなと漢字の両の字という。これを、
    メッテルニヒという。メッテルフタヒという。
     メッツク・レーテースー、という。
    ドクレクという。レーテという。
    レッスル・スーユー、という。
    レブツルともいう。これを、ローマ字語
    という。ヤウタル・セースーという。
     レッテ・ソーヨーという。
     レタの山のお書きという。
     秋残り故実、これなる。
    反(たん)の里ありていい、よいよいやっつ、
    の書、おいれるとよ、という。
    やっつをよっつという。トームスという言い
    である。よややという、えってらる
    はるとよつ、という。えらする・すっす、
    という。
    れ-うての書という。れ-うたす、という。
    よおるるすーゆー、という。
     秋残りの言葉という。えったの山の
    お書きという。 これを、よのやによる、
    という。よのやの浜という。牡丹川という。
    牡丹川のよのや浜という。ドクレク国である。
    ここをシュワゼともいう。ドクレク・
    スークーのエル・レッセンという。
    えるつる・るーすーという。ドイッチェン・
    ラックという場所という。
    秋残りのドイツ語である。ドイトス・ラーセー
    という。ドミッションともいう。ドイテル・
    ロースーのお日入りという。
    日の入りのことをいう。
    アウシュタール、須臾語という。よのや
    という浜で、ここを世貝という。世貝語である。
    世界語という、世の山のお膝元である。
     これを余の山と書く余は、ぼちゃんと聞こえた
    話という。ぼちゃん世界のぼっちゃん、という。
    ヤムテル・レッスという。これを、まゆ、という。
    ボッスク・レーテーという。露降りの秋(とき)で
    ある。露語の出という。これを露後という。
    日の出のことをいう。ぼちゃんという日の出
    をもいう。花の世の歌という。
     秋残り語入り混じりの歌である。混ざった書き
    という。ぼちゃんのよよやや言葉である。
    ややよよ語ともいう。よやという。日の入りと
    日の出をいう。よやという。よや入り、よや出
    という。これを、トータル_語の使いという。
    よやの日の入り出という。よやの日の御家(
    おや)である。にちおん・らっく、という。
    山々の記である。これを木記(ぼっき)という。
    木記書き、これよるれって、てよる、すゆらる。
    おっちつ、れって、という。れ-うするらーて、
    という。よいたる山のおっくす、という。
    ひつらすせっつの山という。これを、おくそず、
    という。おっくそ槍という山という。槍山という。
    たんがりという。とんがりともいう。槍のことを
    いう。これをルーレルという。やり回しの言葉
    使いという。槍の意のことをいう。
    とがった話という。トーテム・ルッスーという。
    とがった意味である。トーテム・ポーという。
    槍山の意味である。
     秋残り語の話である。これにてすーよー。
    これにてかずは成る。花山の御手という。光の
    ことを手という。手の形状の話という。
    山の手、山手という。光の山にかかった景という。
    秋残り語を介しての世界語の解きという。
    秋残り語を媒にした話という。秋残り語が媒介
    である。化学の触媒という。触媒語という話である。
    この文のこの地点である。触媒後である。
    後語という書きである。ラテン語の触媒という、
    ヨーロッパ語を解く場合という。語元のより入れ
    という。より山のおく、という。セッツル・
    レーテーという。 (中略)
     手が忙しいので、ここらで、
     機械を寄った、コンピューター寄り入れ
     である。手は遅いが、時間は等分にたつ。
     これを、手いそる、という。
     いそがしいの語元である。いそる山、
     これなり。手遅い著者である。
     余っ、そいそい、という話である。
     (後略)
     略、こんなことを書く文筆家は略入れ
     である。不世出という、余である。
     著者は不出、世は機械である。
     著者は出なくても、余は出る。
     機械の余燦短出。機械のことを筆という
     あの著者である。この書を書いているふで
     である。余が出した著であるこの書である。
    略入れ家業という駄作の著をいう。文筆家の
    なまけである。彼の駄作家のすることである。                  
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       椿道 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@300上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『椿』
    貝辺 身 画存   
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@300
 
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2015年04月05日

卒業639・或る夜会 :イカスミ柳

【曲名】『卒業639・或る夜会         
   (秋残り若朋、ハンガリアンマイナー、西山讃歌)』  

【創曲】2015/04/05創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】若朋、ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】夕之国白夜草郷
    白夜の夜会に着飾る人々
    星薄く光る或る夕べの小さな
    村の学び舎 紀美と連れ立って
    行けば尖塔に灯りが点る
    たそがれ揺らぐ中に越えは楽しく
    聞こえくる 宴 煉瓦造りに
    子良いの歓迎の管弦の音は良く
        (音香り、つき照らす)    

【解説】時の歌の記
     フランク王国アルト・ハイゼ
      オーエム・ナハト
     
     イム・レッツーというドイッチェン・
     ナハトという。秋残りドイツである。
      或る夜の宴という。若い人が
     連れ立ってくる。余は煉瓦造りの尖塔の
     中に迎える。白夜という頃の記。
     若い人が遠きより、やってきた。夜半の
     国という。ヤーパンというてやってくる。
     これが挨拶である。
     それで夜に歓迎会を催した話という。
     村の人達皆出でて歓迎した。 
      栗木にかかる月、樅の世の村という。
     夜を世という夜半の国である。たそがれ
     揺れる村という。イーフル・ラックという。
     音を揺らす技の管弦という。秋残りの言葉
     という。それを奏で、叶うの出を尊ぶ歓迎
     という。叶うた若い人の留という学ぶを思う
     よである。歓迎よの一夜という。連れ立って
     やってくる若い人という。ほしい人と一緒と
     いう。花の輪の踊る夜の記。これなる。
      余の目盛る場という。メモリーゼという。
     番の余の計りという。メモリーゼ・ロール・
     ハックという白夜の夜会である。
     アーウルゼといった若い人という。土佐弁
     交じりのドイ語という。これから学びます
     とつけた人でもある。
     ゆがん、とうがんという話という。
      余、注 『ほしい』、綺麗という意
        絵の注  茶色い線が光を表す
              ゆがみをあらわす
        楽譜の注 16分音符の短い音が
             揺らぎの表現、
             イーフル・ラックという。
        秋残り用語                 
     
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       夜会学園夜歓迎 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                                 
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@550上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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   秋残り市市立美術館春展
   『夢成り』
    成りヲ 学 画字
    (成尾 学) 茶色い線が光を表す
          ゆがみをあらわす
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@550
 
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