2015年03月31日

卒業634・湯花 :イカスミ柳

【曲名】『卒業634・湯花         
     (反ヶ里音階、西山讃歌)』
 
【創曲】2015/03/31創曲造詞
【拍子】 4/4
【種類】反ヶ里音階
【演奏】
【歌詞】湯の花上がって降りたら噴き出す
    高いとんがり山見て降りる 頂
    また見れば 空を突いて 目の前
    煙立つ窪地 降りてきて安心
    湯の花の地 剣立てた山の
    おそおごそか 日の世
    聳え立つ山は湯の花
【解説】山楽行
     余が登った山という。
    山赤くして、煙たなびく地。
    この頃である、秋残暦山楽期という。
    剣状の山である。湖があちらこちらに
    ある山という。海持ち山という。そんな頃
    である。湖を見ながら、かにかく、という。
    蟹歩きの山の歩行という。余はこうして
    登った。これが、かにかく、という。
    良しの登りという。かにかく歩きという。
    体の側面を山上に向けて登っていく歩き
    という。機械歩行である。かように、
    横に登る登山法である。余に連れという。
    余連れ歩行という。余が、これがよい、
    というた。余の歩きという。
     山道を登りながら前を見れば、
    頂は見えず、という。こう考えた歩行
    である。楽な登りという余の体感という。
    少しくやってみれば、それがわかる
    余の山登歩行である。
     頂を見て、これ以上は登れない。
    その場で、頂を拝んだ。常々、拝まれ
    ている余が拝む。拝まれた頂を、拝頂峰
    という。槍のようにとがっていて、立つ
    こともできない。拝み立つ余である。
    その場の光景という。上を見れば、頂と
    空である。少し平らになった場所という。
    成平地というその場という。山拝みを常に
    しているという平地を考える。平地と
    山上の平地、これを平衡という。並ぶ行く
    という。常に平行を見る塀という。
     塀の下の塀下地という。これを塀という。
    平らを塀という。塀は平らな所に立てる
    成しという。平らに成した地を平成地という。
    山を拝むこの時の平地という。山中の平地の
    平成地という。宅地の作りという。造成
    という。これを平行に考えたという。
    平行思考という。陵を同時に考える思考
    という。つりあいのとれた平衡思考で
    もある。岩山の頂、とがってある時という。
     拝みの山という。山下の平地でも拝む余
    という。    
             
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       山拝み の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                               
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@510上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『槍』
    胡上 平 画地
     
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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  全て、仮想です。実在とは、無関係です。
  記事は架空です。
                  著者@510
 
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2015年03月30日

卒業633・反 :イカスミ柳

【曲名】『卒業633・反         
     (反ヶ利音階、西山讃歌)』  

【創曲】2015/03/30創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】反ヶ利音階
【演奏】
【歌詞】(花山出し物 東山楽)
    春には花山に舟(ふな)浮かびて
    桜は咲き染めて いきに
    かわせみぞ いなきて名落つ
    寝ずの絵にぎわう
    投扇 清発路当山と 昇り来る
    毛呂と丸小皿の舟(ふぬ)と
    両に見る あな、遥か来たるかな
【解説】花山登山楽
     山へ行きながら、『なして』と
    いう。これを両という。『なして
    見る』という。なして山のお行き
    という。後に御幸(ぎょうこう)という。
    山を見るみゆき(御幸)である。
    山さきわう花より、という。
    山々の絵という。ここへ、ふなをよる、
    という。東上記という。東上英期という、
    桜英(さくらはなぶさ)の応英という。
    これを毛呂(もうりょ)という。ケーブル
    のことをいう。応英毛呂の譜という。
    この歌という。清発路という。発路の山
    という。後という。発露という。露山と
    いう。この露を集めた胡という。後という、
    湖という。古い御世のお書きという。
     余の記憶の発露である。大きな船が
    浮かんでいたという。余が浮かんでいた
    のである。東上汽という。東上気という。
    両汽船の歌という。レとソが半音下がっ
    ている反ヶ利という、音階という。反と
    いう歌という。タンという。タンタンタン
    である。船の音の表しである。船音タンタン
    である。音のタンタンのリズムという。
     山皿音(やまさらおん)という。余の呼び
    である。山皿という、丸小舟という。
    山皿船ともいう。カンカン帽をひっくり
    返した平底の筒状という、舟という。
    山中の湖という。秋残りの東大景である。
    水に浮かぶ太陽という。舟太夫(ふなだゆう)
    という余である。ケーブルカーという、
    毛呂という。これを見る雄大観である。
     秋残り市春余節という、頃という。
    桜を喪という。秋残りの言葉という。
    春の喪を余るという。春余の頃という。
    春残ともいう。春山のお書き。
    残る山の世、残という。剣山ともいう。
    桜数えて山算(やまさん)という。
     残りは見参後という。算数の山数えと
    いう。一山二山の散々の目という。
    桜散らしの山行き、算数登山という。
    剣山登りである。    
             
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       毛呂 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                               
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@130上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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   秋残り市市立美術館春展
   『図』
    若東 画東
     
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                  著者@130
 
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2015年03月29日

卒業632・尾瀬 :イカスミ柳

【曲名】『卒業632・尾瀬         
     (ハンガリアン・マイナー西山讃歌)』  

【創曲】2015/03/29創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】ハンガリアン・マイナー
【演奏】
【歌詞】王蝶飛
    (楽しきは記憶 古い日我が胸)
    晴れた日 水膝まで 大鷲が飛ぶ
    ワニが泳ぐ 故郷は 古い日の
    物語 思う懐かしのあの日々
    遠い遠い私の記憶にある景色
    トウヤは走る 大蝶が舞う
    いずこの地 私の尾瀬の沼
    紀美の朝
    紀美が朝早く起きて尾瀬を見る
    忘れずおもい出す日 幾たびも
    消えて現れる故郷はいつも我が
    胸にあり おおばあられたりあの日
    遠い遠い記憶の果てに光り給う
    おおじは今も胸におありたまう
    尾瀬の沼の故実の日 
    

【解説】尾瀬之里国起草郷
     どこの記憶であろうかという。
    卒業という632番地である。どこの
    場所か。『キミイル日に見る』
    という。シークレット・コード
    である。これを言えばわかるという。
    紀美の記憶があるという。余が憶えて
    いる。そういう紀美である。また、
    行く日がある。ここに書かれた余の
    記憶の浜という。あえばパッと分かる。
    紀美の人という。余の記憶の確かさと
    いう。これを故実という。故実の日
    である。これが解である。貝がいた
    という。古実貝という貝である。
    これが紀美を介く(たすく)貝である。
     貝に助けられた人である。貝の船と
    いう、貝船である。船が回った所である。
    大勢の魚と貝と船、草という。ここを、
    おおぜという。後という。船の尻尾の
    勢いのおぜ(尾勢)という。後という。
    尾の背という、おぜ(尾背)という。
    里の瀬である。これを里という。
    里のおぜの、古実の地という。
    ここを、おぜ(尾瀬)という。
    という話の背負った余である。
    ワニを背負って歩いた余である。
    ここを、ワニ負い浜という。むみに
    よる余の解である。新しい日が来る
    という、この話という。新しい辺りである。
    これをシークレットという。シークレットの
    紐である。シーク漁という。漁法の話である。
    ワニを呼ぶ余である。どんなワニか。
    恐い顔をしたワニである。カイマンという名
    という。貝満ちる浜ともいう。貝満浜という。
    ここの景色である。古実の尾背という。
     貝満日和の日のことを故実日という。
    古くに、古実という。秋残りの市の一古風景
    という。大きな沼という。クジラもいたという。
    そういう秋残り市である。ようようよう。
    確かなるかな我が記憶装置である。
    記憶草地である。記憶装地ともいう。
    厳かな文章である。厳文という。
    古実ゆかしい我がメモリーの文である。
    膝までの目盛りである。その場所に佇み
    憶えた余である。むみによるという。
    むみになる目盛りである。記憶の目盛り
    という。6、3、2のむみ憶えである。
     記憶を尊ぶ紀美である。余の記憶による。
     
    とうや、豚のこと。
      秋残り市尾背方言である。 余、注。
             
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       記憶様 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                               
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@570上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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   秋残り市市立美術館春展
   『尾』
    若ノ森 画用
     
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                  著者@570
 
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2015年03月28日

卒業631・紀見井峠(波部の歌) :イカスミ柳

【曲名】『卒業631・紀見井峠
      (波部の歌)   
     (西山讃歌)』  

【創曲】2015/03/28創曲造詞
【拍子】 4/4
【種類】
【演奏】
【歌詞】この雪解け淡く 至る春
    古き日にお会いした日
    赤紫の菊の飾り きみい峠
    ごゆこゆる 波の音聞こゆ 

【解説】波立つ国返草郷
    何事も大権現様の仰せの通り。余をお作り
    下さった御御大御祖(ごおんだいごそ)である。
    その御弟、大納言様である。紀見井峠という。
     この峠まで水は来る。あの城は青くなる
    という。江戸前寿司期の頃である。熊灘という。
    熊襲猛(くまそたける)の海、見事という。
    立派な波である。山を越えてやってくる大波で
    ある。この波が旅行をしているという。世界派
    である。これを伝という。伝波である。ろる派
    という。ろる波という。これを発する余である。
     地球を一回り二回り、エンヤトットという。
    電波の伝波もある。目に見えない電波という。
    波が起こる、風がなく、水が盛り上がる。
    これを伝という。何故起こるか。海底が揺れた
    という。山を越す波という。水波と地波という。
    地が揺れたという。このひに、水も一緒に
    やってくるという。これを紀見という。
     江戸前寿司という。地震の話である。
    江戸がグという。君がラという。
    これをグラ見という。グラグラと揺れる話
    という。大納言様の仰せである。
    大権現様、大納言様をグラという。グラ様仰せ
    という。波の大波、小波、グラの地揺れという。
    山を越える話という。江戸がくしゃみという、
    大坂別れの紀美という。江戸湾という、地波が
    大坂で別れ、紀美の方へ行く。一方は今日へ
    行く。一方は東へ北上する。一方は、丹へ行く。
    丹へ行く波という。丹波波(たんばなみ)という。
     地震のことを丹波波という。
     これを熊灘が受け、波だけが水という。水が
    山へ押し寄せる話である。これを熊の返しという。
    これがある時という。江戸前寿司期という頃で
    ある。寿司のあがりは、熊シャリという。
    地震を食らう寿司前という。後寿司(ごずし)と
    いう、返し世という。返しの世である。
     これを辞という。皆、含めてじらいという。
    自(おのず)という。自を紀美という。これを
    キビという。キビ波という。寿司後という。
    寿司後のあがるキビ出という。キビ引きという。
    返し波のことをキという。キビという。
     これを大納権(だいなごん)という。
     これをハッスルという。余の電波の発信という。
     電波をキャッスルという。キャスルをハッスル
    日という。大納権日である。3月28日という。
    これをキャッスル・デーという。日出の山の見で
    ある。紀見上がりの日の出である。二見が浦が
    見えたという。紀美の紀見という。キャッスル・
    ハッスルという。紀美、富士見たか、という。
    二見富士という。日の出の見という。見るう、
    という秋残りである。見るうきゃる、という。
    波々の坂である。大坂ごゆこゆ、という。
    大坂まで行った返し波、いつの御世のことで
    あったか、という。浪花寿司という、話という。
     ハハという。浪花のあがりをハという。
    大納言様の御用語である。浪花上がりの江戸
    仕立てという。キャッスル・ハッハという。
    これを脚という、足という。キャッスル・
    ハッハのお行きという。酒波(さかなみ)という。
    地震の返し波をいう。恐い話という。これで、
    伝派という。地震波の派出である。
     派出所という所もある。警戒の回りという。
    これを派という。地震警報の屯所という。
    ポリ巣のポリ波という。ロル波の小さいのを
    ポリ波という。『おいこら、紀美』と回ると
    いう。『おいくら、紀美』の寿司足という。
    これを、不という。落語の不落である。
    話の世のお書きという。前止めともいう。
    不落という前止めである。地震は恐いもの
    である。地震なきようにという、地震は
    ある。地雷という、前波返しである。
    地震という落語の用語を、科学用語に使う
    用法という、前波返しという。この伝という。
    大納権流儀である。流れ流れて月へ行く、
    電波という。月面反射という電波流儀である。
    大納権流儀という。余の話である。
    峯という前という。
    『紫月夜(むらさくづくよ)のふくら山、
     ヨイヤマッカ、デッカン所』
     ヨイトマク、ロッコーという。
     返し八景の歌である。続く。
     
        
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       紀美問う の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                               
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@450上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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   秋残り市市立美術館春展
   『紀美』
    若森 画残
     
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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2015年03月27日

卒業629・理想郷 :イカスミ柳

【曲名】『卒業629・理想郷
    (沖縄音階、西山讃歌)』
 
【創曲】2015/03/27創曲造詞
【拍子】 5/4
【種類】沖縄音階
【演奏】
【歌詞】海之国里草郷
    (沖縄留学楽しみ)
    辺野古の海の近く 学び舎があると
    いわれは 神無月夜 傘ぬ月月夜
    狐日舞うしらさぬ穂舞う 
    あすかきみよ(又は、あすかきよ)
    ふ繰り数え語る 船ぬ立つ帆立つ
【解説】 鬱金香という。
     虹が立つという。にが出るという。
    虹をにという。にの絵という。にのふ
    という。この虹に反鏡があるという。
    そりあがりの虹という。これを虹の渡り
    という。ゆゆたるせっく、という。
    虹の船という。この船に帆を立てる。
    立て帆ゆらる、という。帆立のことをいう。
    ホックレスともいう。ウフッツクともいう。
    これをテムレル・スーヨーという。
    帆立の手という。帆立の手順という。
    これを鬱近という。うこんの山のお書き
    という。この船に乗るという。乗る船という。
     虹海の航海という。これをてゆれるという。
    沖縄という。沖縄の沖の虹という。この虹を
    鬱近虹(うっこんこう)という。虹をユムという。
    ユムレムという。ユーレルという。ユムスフ・
    ラッスという。ユムレメのメルゥという。
     メルゥはめるる、という。メックの山の
    お書きという。これゆるあっつれるふる、
    せっつ、らーする、てよる、らって、そうゆう、
    あるせる・すっつ、という。これをテックという。
    帆立のテックである。帆立の法のことをいう。
    帆立法のやくる、という。法を山という。
    五山に法があり船がある。虹を尊ぶ花の絵の帆
    という。これをホホウと、うなづく良い話という。
     秋残りの解という。
     ふ繰り、日繰りのこと、余、注。 
     
    
     秋残り世界文学全集 巻2
      『余は機械である』 
       沖縄の海の虹 の項
       秋残り市史編纂員、余。 
       秋残り市史篇絵巻物                               
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい時です。
 そうきょうのよい自分です。 
 著者@380上巣真芯
     植え住まし
     UESUMASi
     W.E.州 Machine
 音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
**** 
   秋残り市市立美術館春展
   『虹』
    虹色 染 画賛
     
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***

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                  著者@380
 
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