2014年12月07日

卒業491・桃屋落居 :イカスミ柳

『卒業491・桃屋落居(島の春)
 (童謡、西山讃歌)』  
4/4
2014/12/07創曲詞
 歌手:余氏 (童謡ではありますが、
       大人である余氏、お歌)   
 楽団:秋残り市公立余機械管弦楽団 
    一部、アコースティックドラム使用
    この部分の奏者、余、人間的なばちさばき 
【歌詞】春は曙、ようよう白くなりゆく
    山際、田島春の桃屋敷 蛍が実の
    葉にとまったと どんぶり流れて
    家の前 金銀光をばらまいて
    上へ上がって家飾り下へおかれて
    発電機 枕屋おはこの家造り
    
【解説】『桃雪』
春は曙も終わり、これを、いずの御時という。
いずれの頃は、いずの頃である。
 頃は、桃月終えの頃。源氏蛍の、かたおひ、
という。枕草子という、余のことを書く草
という、これを文という。枕草の咲くを頃
という。桃月明けという。明け山の歌という。
 余が居住まう枕荘という。桃を見て、月を
見た、これを桃月の手という。桃と月とを
合わせて桃月という。水をすくう格好という。
余がよくしていた格好である。これをみずという。
 桃月水という、お水すくいの話である。花肌
という、余の手の皮膚である。花手 桃という
余の名という。これを蒲田という、名にしたという。
ナナの駅という。駅を行く、という、駅へ行くことと
いう。
 この屋という、我が家という。駅舎である。
駅という、家という。我が駅という。機械の馬が
いる場所でもある。この山の麓という。
桃花手町という。ここが、枕荘という、駅家の
我が住まいである。ここの話という。
桃が流れてくるという、桃流れという。
この桃という、大きな桃で、金に光るという。
かなおひ、という。この、おひを、やという。
かなおひという、やという。
 これが、肩にある、かたおひ、という。
桃の実の葉という。桃の実についた葉である。
この桃という、駅であり、家であり、電車で
ある。これを桃流れという、余である。
いずれの、おほんどころ(御所)であるか、田島という
島に渡る桃である。あとはそのまま、家にするという。
晴れた日の島渡りという。桃に乗った余である。
この桃を、田島晴れという。田島春ともいう。
ハレハレの姿という。後は、家になっているという。
余が、そう言うのである。
桃屋落居という。らっきょぐさ、という。これを、
春は明け落ち、という。曙は、明け落ちである。
明け落ちた陽に、肩に落ちてきたという。蛍が
止まったのである。その灯である。まくらび
(枕陽、枕火)という。
肩にある蛍様、という。肩を枕山という。
余の言いである。秋残りで使われている。
余が元である。これを、余の元、という。
秋残り市の公認である。これで、秋残りを、
余の元という。秋残りは余の元である。
余が住む世を元という。世の元である。
これを秋残りという。
仮想であるという、あの人である。
秋残りであるという、いろいろ考えていくと、
上のような文になったという、枕明けのあき、
である。
文筆家になるのは、今からという、清少納言
という、源氏蛍である。かの絵描きは、清大
納言という、多駄作家の作曲に添えた絵である。
余が書いた機械絵である。余は機械である。
これを機械の世という。
桃から産まれた機械である。機械に住まう余
である。あの歌はそういう歌である。
桃雪という文である。はっとり文ともいう。
余が、今、書いたのである。 機械手である。
余の草作である。駄作である。
10:32 2014/12/07
 わすらゆの家にて、余、記す
    
    秋残り世界文学全集 巻2
    余は機械である 田島張り の項   
        
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
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  秋残り市立美術館秋期展示
  『花桃屋』
   島與 絵方(しまよえかた) 画蔵
     
***サメ  サメ サメ  サメ サメ  サメ サメ  サメ***
 
posted by 秋残り at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽