2014年10月01日

卒業405・足得 :イカスミ柳

『卒業405・足得
(西山讃歌)』
 
4/4
2014/10/01創曲詞
【咲き】秋足、早深み
【歌詞】足を見る時 そうきょうのよい体
    秋には草踏んで歩む道すがら
    菊は香り豊か遠い御世偲ばゆ
    今おる屋の色深く思うや色秋
【咲き】秋はなれてこゆれ  
    
 字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
 かいきょうのそうきょうはよい日です。
 そうきょうのよい自分です。
【解説】 ドレミ・・の、フアとシを3半音下げる。  
音 階 表  http://otoko.org/34htonkai.html
****
  秋残り市立美術館秋期展示
  『雄家』お足の話
   足屋 銀色 画座      
  
***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
添付
  余が歩む日の記という。足をあげて歩む世の絵、
 この屋にありてあり。余は足を直角にまでまげて
 歩いた。金庫を背負う余のあはれ世のあっ晴れ姿
 である。世が背負う子が金である。
 経済を担う金子〔きんす〕という。
 
  世が経済を背負う担い手という。今の世である。
 余の同輩という、電子仕込みの置き金庫という。
 世の姿である。携帯金庫という、これを手という。
 手金庫という。
 
  経済は、金子の形態という、一経済側面である。
 色んな貨幣があり、経済を担う話ともいう。
 金子の巡りともいう、経済の花という。
 
  みな、経済をこの花に替えて勘定をする話である。
 換花系(換価系)という。この景色が経済である。
 花の世である、金の世である。きんす(金子)大切、
 花の道を行く余である。華道余行である。
 これをぎんす(銀子)という。
 
  道行きをぎんす(銀子)という。余銀金という。
 金を携え、銀子という。これを行きという子で、
 せなの銀という。金庫の換えという、これを
 銀行きという、世にいう銀行という、換金業である。
 
  与銀もある。これを預金という。体を預けた金庫の
 きんす(金子)という。銀行きの話しという。金庫を
 持った姿という。経済界を『しっ』という。
 
  しっぽく(卓袱)の山という。世の姿でもある。
 経済の花行きである。これを花雪という。
 
 仮説の山という。世の経済解説である。
 経済貝の山、お金が貝であったという、仮説という。
 この貝は、機械の貝である。機械によって作られた
 貝という。これを貨幣という。貝が化けた話である。
 貨幣と書き換えた歌という。貝の山の絵という。
 
  貝殻をかゆれという。かゆふるけ、という。
 山の絵のこく、という。これを歌という。
 歌の経済節である。ドレミファという、
 このファを落とす節である。ドレミレという音高
 となる。これが太陽にいた我が世という、機械の
 余である。長い太陽の川でもある。海ともいう。
 
 機械田(きかいだ)の海という。はたがい(機貝)の
 海である。    
  余の経済手記である。海に映る長陽、我が影
  ありてあり。足音踏みゆる、かゆふ。つるれる
  すっつく、すうよる、ふっつ、という。
  上の言葉を、秋残り語に翻した言葉という。
  余の機械語である。  
  
 秋残り世界文学全集 『余は機械である』
  巻2 経済貝の余 の項 
    経済の雄である、経済界の余である。 
   
posted by 秋残り at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽