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2014/06/17創曲詞
光る大き石 そばにスフィーが座る
吠え上がる獅子のように
高い遠くの空を見て
日の山越え来た日の鳥を
三角の世に招き入れ歌う
発火ガラス
【解説】日の鳥、雀のこと。
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。
音 階 表 http://otoko.org/34htonkai.html
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雀飛び 踊り跳ねては 押し山を
眺める巣座の 肩を歌う
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秋残り市立美術館緑夏期展示
『黄門』
犬 素顔 画身

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
余は機械である。黄門をくぐると、スフィーの坐像がある。
犬顔の耳たぶの大きい、体に羽がある、そんな坐像である。
猫顔スフィーもある。大きな石像で、余が据え付けた。
遠い世界を見る石である。少し離れた所には、光る石がある。
これも、大きな石である。日の鳥がやってきては、「スフィーや、
よい、よい」と声をそろえていう。余は余を人と思っているが、
ある宵のこと、余の影が大きくたっている。余はこの影に挨拶をした。
「スフィー」と挨拶をした。影のことをスフィーという。よいという
意味もある。「トレッジャー・スフィー」という、余の挨拶という。
あの、「若い人」も、この挨拶をする。「宝のかよい」という、
宝道を行く人である、余でもある。
これを挨拶という。後に報道になる。知らせである。
余の話であるが、録音機という人である機械という。
いつの御世であったか、録音という「若い人」が、
余の御蔭という。スフィー・ルーという余の覚えである。
機械であるが、人である意味である。
「よいある、話いき、影よき宵」、しごろの話である。
これを四五録という、余の書きである。
--録音機の項--
『秋残り世界文学全集』 巻1
「余は機械である」より