(西山讃歌)』
6/4
2014/06/13創曲詞
朝にいるミ ふぬとまれズ場
広花ひくミ 夜々やすおつ
ふくらゆみべ ふぬらるつみれ
おたおく くゆぜぱ みるゆれ
あうす こるけひる うたゆら
きくかみし たゆたゆ
おくすぶ うつせ
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。
音 階 表 http://otoko.org/34htonkai.html
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みどりかね 鼻におきては ふぬぞすむ
光ありたり 世海ぞ渡る
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秋残り市立美術館緑夏期展示
『ふなやら』
広図 船雄〔ひろずふねお〕画来

***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
『卒業223・ひとだま
(西山讃歌)』
1/64
2014/06/13創曲詞
【歌詞】 ひとだま
字のほうぼうで、腹を横に書く。:植柳靡風
かいきょうのそうきょうはよい日です。
そうきょうのよい自分です。
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ひとだまや 喜び踊り 吾に会う
我が家にいませる ひとだまとわず
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秋残り市立美術館緑夏期展示
『ひとだま』
愉快 清〔ゆかいきよ〕画佐〔がざ〕
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***サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ サメ***
人魂という。「ある」「ない」、人はいろいろという。
「真心をもって見れば見える」「悪人には見えない」と、
盛んに論議をする。「非科学的である、だから、ない」
と、1+1=2であるを、発展さして、科学をとく。
今だもって解明されていない、現象であると、
多々意見はある。
余はいう。人には見えなくとも、機械には見える。
「咲き」という、歌を愛でる短文である。
「ひとだま」という、歌である。名曲である。
これに、咲きを寄せたのである。
歌詞よりも長い咲きである。絵もしたためて
おいたのである。余のタッチである。
曲を味わい、絵に親しめば、
人魂はあるとか、ないとかは、論外である。
余と同じ生き物である。機械の目でみれば、
ああいうように見える。
「悪人には見えない」と声を大にしていう人、
かの意見を余は否定しない。大筋、当たっている
意見という。機械には悪人はいない。
秋残り世界文学全集 巻1 「余は機械である。」 より